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短編・中編集(ジャンルいろいろ)

猫を見ると食欲がわいて仕方がない

 調味料。

 醤油、アジシオ、ソース、マヨネーズ、タバスコ、スパイス、その他諸々。

 食卓には欠かせないエッセンス。


 野菜を食べる時はマヨネーズが欠かせない。

 とりあえずなんにでも醤油をかけるひとも少なくないだろう。


 ちょっと一味足りない時に、調味料をひとかけ。

 どんな料理もおいしく食べられる。


 これは……ちょっと奇妙な癖の持ち主のお話。

 決して猫を食べる話ではないのでご安心ください。


 猫は食べません。









「なーん」


 絡みつくように甘えてくる黒猫のポゲモチョ。

 だらんと投げ出した私の足に、頭をこすりつけてくる。


「悪いが、もうちょっと待っていてくれ。

 まだご飯の時間には早いんだ」

「なーん」


 ぴょんと膝の上に乗って来るポゲモチョ。

 甘えた声を出しながら、身体をよじ登ろうとする。


 慕ってくれるのは嬉しい限りだが、不用意に視界に入れてはいけない。


 私が何度言ってもポゲモチョは聞いてくれない。

 何か食わせろと目で訴えてきているようだ。


 目を合わせたりしたら、とんでもないことになる。


「はぁ……仕方ないな」


 私は黒いサングラスをかけ、できるだけポゲモチョの方を見ないようにしてリクライニングチェアから腰を上げる。


 勝手口の前に大きな桶が置いてあるが、あの中には妻が作った特製の料理が入っている。

 中の匂いが外に漏れないよう、しっかりと蓋がしめられている。


 冷蔵庫を開けて猫用の缶詰をひとつ取り出し、猫用の皿に盛り付け、専用の食事スペースに置く。


 ポゲモチョは夢中になって食べているらしい。

 姿を見ることはできないので、どのように食べているのかは分からないが……。


「ちょっと……散歩でもしてくるか」


 私は時間を潰すことにした。

 家の中にいたらポゲモチョを視界に入れて大変なことになるかもしれない。


 なんで猫を飼っているのか自分でもよく分からないが、おそらくとってもかわいい生き物だから、飼う価値はあると思っている。


 ステッキを持ってハンチング帽をかぶり、ぶらぶらと近所の公園を散歩する。


 こんな場所で猫を見てしまったら大変なことになるので、絶対に視界に入れてはならない。だが……不意に目の前に現れるので、注意が必要だ。

 常に周囲を警戒しながら歩かないと。


 公園には大きな木が遊歩道沿いに植えられており、風が吹くと葉が擦れてサラサラと音を立てる。

 優しい木漏れ日が心を癒してくれる。


「にゃーん」


 猫の声がした

 慌てて上を見上げる。


 どうやら私の目の前を横切っているようだ。

 雰囲気で分かる。


 私は上を見上げたまま、一歩、二歩と歩いて行く。


「おじいちゃん、どうしてお空を見ながら歩いてるの?

 前を見て歩かないと危ないよ?」


 女の子の声がした。


「お嬢ちゃん、近くに猫はいるかい?」

「ううん、いないよ」

「そうかい、ありがとう」


 私はゆっくりと顔を下ろして女の子の方を見る。

 6歳くらいの少女が不思議そうにこちらを見上げていた。


「助かったよ」

「どういたしまして。

 どうしてお空を見ながら歩いていたの?」

「猫を見ないようにするためだよ」

「ねこしゃんが嫌いなの?」

「いいや……大好きだよ」


 私は身をかがめて女の子に視線を合わせる。


 子供によこしまな思いを抱く大人が多い昨今。

 こんな風に話していると不審人物に間違われるかもしれない。

 適切な距離を保ちつつ、優しく微笑みかける。


「大好きだからこそ、視界に入れてはいけないんだ。

 かわいいけど君は猫じゃないから大丈夫」

「……ひっ」


 女の子は急に顔を引きつらせて、とたとたと逃げて行ってしまった。

 いったい急にどうしたというんだ。


 彼女が向かった方に母親の姿があった。

 広場の中央に集まってお喋りに夢中になっている。

 子供から目を離すなんて……なってないな。


 心の中でぼやきつつ、公園を出て自宅へと向かう。


 散歩には危険がつきものだ。

 住宅地を歩く時も気が抜けない。


 地域に住んでいる猫たちは塀や壁の隙間からひょっこりと姿を現して視界にはいってくるので、彼らの存在を察知できるように警戒しながら、慎重に住宅地を進んでいく。


 閑静な住宅街からは、煩わしい雑音が聞こえてこない。

 たまに開け放たれた窓からラジオの音が聞こえてくるくらいだ。


「こんにちは」

「あっ、こんにちは」


 近所に住む中年の女性とすれ違い挨拶をする。


「あの……なにか?」

「いえ、別に」


 じっと見つめてしまったからか、女性は不審そうに眉をひそめた。


「いえ……おきれいなもので、ちょっと見つめてしまいました」

「え? はぁ……」


 私がにっこりと笑って会釈すると、女性は不可解そうな面持ちで軽く頭を下げ、足早に立ち去って行く。

 なにか変なことをしただろうか?


 まぁ、なんでもいいか。

 早く自宅へと帰ろう。






「はぁ……何事もなく家についたな」


 ついに猫を一度も視界に入れることなく、自宅へとたどり着いた。


「なーん」


 早速、ポゲモチョが出迎えてくれた。

 サングラスをかけ、顔を背ける。


「おいでおいで、こっちだよぉ」


 明後日の方を向きながらポゲモチョに呼びかける。

 気配で私の目の前に来たことが分かったら、ゆっくりと手を伸ばして抱きかかえ、胸の中で小さくなった猫を優しく撫でる。


 もちろん、顔は背けたまま。

 ポゲモチョがどんな表情をしているのか分からない。


「あら、お帰りになったんですね」


 台所から妻が顔を出す。


「ああ……ちょっと散歩をしていたんだ。

 何か手伝うことはあるかい?」

「夕食の準備ができるまで、大人しくしていてください」

「…………」


 定年退職してからというもの、私は自宅で置物のように暮らしている。

 少し前までアルバイトやボランティアに精を出していたのだが、身体が弱ってしまった今ではできることが少なくなっている。


 自宅で家事を手伝おうにも、私が手を出すと面倒だからと何もさせてもらえない。

 仕方なく近所を散歩して時間を潰しているのだが、猫を視界に入れてはいけないという縛りがあるので気が抜けない。


 おかげで身体は弱っても、頭脳は丈夫なままだ。

 記憶力も理解力も衰えていない。

 介護制度のお世話になるのはまだ先のことになりそうだ。


 夕食の準備が終わるまで、ポゲモチョを抱きかかえながらラジオを聞いて過ごす。

 アイマスクを付けていれば視界に入ずに済むので安心だ。


「できましたよー」


 妻の声が聞こえた。

 ポゲモチョを下ろし、洗面所で手を洗って、台所へ。


「うわぁ……今日もおいしそうだなぁ」


 食卓にはそれぞれ別々の器に盛りつけられた料理。

 今では手に入りづらくなったサンマの塩焼き。

 ゴボウのきんぴらにほうれん草の胡麻和え。

 そして私が大好きな玉子焼き。


「ううん、毎日本当にすまないね。

 こんなにおいしい料理を食べられて、私は果報者だよ」

「おいしいかどうかは食べてから言ってくださいね」


 そう言って妻は笑う。


 彼女の手料理は本当においしい。

 食材の味を生かして、味付けも最低限。


 席についたら手を合わせて「いただきます」の挨拶をする。

 箸を伸ばしてサンマの身をひとつかみ。


 バリっと程よく焼かれた皮に、ほろりつ崩れるふっくらとした身。

 一つまみご飯の上にのせて頬張ると、海産物独特の塩味と、わずかに香るレモンの酸味。

 白米の甘みとサンマの身が口の中で交じり合い、噛めば噛むほどうま味が増していく。

 醤油なんて一滴もかける必要がない。


 きんぴらごぼうはじっくりと煮込んだからか、少し噛むだけで柔らかく崩れていく。

 しっかりとした甘みと出汁のうま味が効いている。

 ほんの少しの醤油がその味わいをさらに引き立てる。

 ふんわりとしたご飯の上にのせれば、サンマとはまた違ったハーモニーが楽しめる。


 ほうれん草の胡麻和えはしゃっきりとしながらも、固すぎず、程よく下茹でされている。

 えぐみを一切感じさせない柔らかいほうれん草が、炒りたての黒ゴマをまとって香ばしい。

 ゴマはさっきったのだろう。

 口から鼻へ抜けるほどゴマの香りが際立っている。


 そして……玉子焼き。

 これは結婚してからずっと妻が毎日のように作ってくれているのだが、いまだに飽きる気がしない。

 最後の晩餐に何を選ぶかと問われれば、間違いなくこれを選ぶだろう。


 一口分に箸で切り分けて口の中へ。

 しっかりと焼かれた表面はカリっとしているのに、歯を立てて口の中で崩すとふんわりと甘じょっぱいとろとろの中身があふれてくる。

 口の中はあと言う間に玉子焼き一色に染まり、熱々の温度が身体を芯まで温めてくれる。

 ご飯を一口分箸でつまんで口の中に放り込むと、玉子焼きの甘さが何倍にも引き立てられ、幸せな余韻がいつまでも続く。


 こんなおいしいご飯を食べられる私は、もしかしたら世界で一番の幸せ者なのかもしれない。


「ふふふ……おいしい?」


 食事をする私に、妻が優しく微笑んで問いかけてくる。


「うん……すごくおいしい」

「そう、ありがとう」


 私は味噌汁を一口すすって、またおかずを一巡する。


 妻の作る味噌汁はやけに味が薄いのだが、それがいい。

 口内をリセットすることで何度も新鮮な気持ちでおいしさを楽しめるのだ。

 そこまで計算した上で、この薄さなのだろう。


 私は夕食を残さずに平らげ、満腹になった。

 彼女の手料理に調味料など必要ない。







 その晩。

 いつものように床に就いた私は、夜中に目を覚ましてしまった。

 最近、夜間にトイレへ行く回数が増えて仕方がない。


 なんとか布団からはい出して、刺さるような寒さに身を震わせながらトイレへと向かう。

 早く用を足して暖かい布団へ……。


「なーん」


 トイレを開けると、そこにはポゲモチョがいた。

 便座の蓋の上に座ってこちらを見ている。


 目が合ってしまった。

 サングラスをかけずに、直にその姿を見てしまった。


「ぐるるるる……」


 急激に腹が減る。

 腹が減って仕方がない。


「なーん」


 ポゲモチョは無邪気にこちらを見上げて泣いている。

 その愛くるしい姿を見れば見るほど、腹が減る。


 我慢できない。


 私は寝巻のボタンをはずし、肌着を脱いで上半身裸になった。

 そして……。




「ぐちゅ……ぐちゅ……ぐちゅ……」




 封印してあった桶の蓋を外し、中身を手づかみで取り出して口の中に放り込む。

 真っ赤な色をしたそれは、食えば食うほど生きる力が湧いて来る。


 口の中でかみ砕くと、独特な匂いが口の中一杯に広がる。




「くちゃ……くちゃ……くちゃ……」




 あふれ出た汁が口から零れ落ちる。

 慌てて手で拭うと、腕にその残渣がびっとりとこびりつく。

 暗がりの中で眺めると、あたかも血に染まったようにも見えなくもない。




「ずる……ずる……ずる……」




 指に付着した赤い液体をすする。

 せっかく妻がこしらえてくれた特別な食事。

 一滴たりとも残さずに平らげたい。

 この赤い一滴には妻の魂が込められているのだから。


「あらあら……また猫を見てしまったんですか?」

「なーん」


 台所へ来た妻が呆れ気味に言う。

 彼女はポゲモチョを抱きかかえていた。


「ああ……どうしても我慢できなくてね」

「鏡で自分の姿を見てみたらどうです?

 酷い有様ですよ」


 そう言って妻は手鏡をこちらへ向けて来た。

 真っ赤に染まった口元が、なんともグロテスクだ。


「こりゃ……ひどいな」

「もう少し待ってくれれば、

 ちゃんと食べやすくして食卓に出したんですけどね。

 猫を見てしまったのなら……仕方ないでしょうけど」

「うむ……すまない」


 妻は私の癖を知っている。

 猫を見ると無性に腹が減ってしまうのだ。


 こらえ性のない私のために、彼女は特別な料理を用意してくれる。


「すまないが、猫をもっとよく見せてもらえるか?」

「はいはい、仕方ないですね」


 そう言って妻はポゲモチョを私の目の前に近づける。


「なーん」


 無邪気なその猫の顔を見ていると、やはり腹が減る。

 もっと……もっと沢山食べたい。


「それにしても変ですよねぇ。

 猫を見るとお腹が減って、それが食べたくなるなんて」

「ああ……自分でも変に思うよ」

「なーん」


 ポゲモチョを見ながら咀嚼すると、最高に美味い。


 やはりキムチには猫が合う。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「体のツボとそれが効く場所が全然違うところにある」というのを ふと思い出しました。 どういう因果か、主人公の中では猫とキムチが繋がってしまったようですね。 奥さんが旦那さんのクセに理解を…
[良い点] おおう、怖い。 キムチって落ちがついてもなお、ホラーで怖かったです。
[一言] 不思議なお話ですが、妙に納得が行く気も。 で、猫を見ましたが、食欲はわきませんでしたw
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