六話 暴走竜
ドラキア公国立竜種園に、飼育員として採用されたいろは。出勤初日に卵孵舎の仕事内容を教えてもらいながら、竜種園の裏側を案内してもらっていると、教育係の久遠エリカに緊急招集がかかる。いろはも付いて行くと、野生のドラゴンが突如暴れだす暴走竜出現の知らせだった。暴走竜の鎮圧に向かう卵孵舎のメンバー。果たして、無事に沈めることはできるのだろうか。
自分の頭上を180度、一面のオーシャンブルーで囲まれたトンネルに足を踏み入れる。差し込む日光を、大きな影が遮る。影が通り過ぎた後に、再び差し込む日光が眩しい。
「すごく幻想的だよね。ここ。」
隣にいるエリカが、同じく頭上を見上げて言った。陸竜の展示スペースを後にしたいろはが、次に連れてこられたのは海竜の展示スペース。海竜は、陸竜とよく似た姿だが、足の指に水掻きがあるのと、陸竜よりも発達した前足に大きなヒレが付いているのが特徴だ。ここでは、動物園でよく見かける海中トンネルのような設備で下から観察できる。また陸地の上空にも観賞用の回廊がある。この回廊からは、海竜の陸上の様子も見る事が出来るようだ。エリカに色々教えて貰っていると、エリカの無線機がジジジと音を立てて、電波を受信した。
「ジジジ……エリカ嬢。聞こえるかい?」
エリカは腰の無線機を手に取ると、返答した。
「はいよ。卵堂の爺ちゃん。どうかした?」
いろはは、声だけはでわからなかったのだが、どうやら相手は卵堂のようだ。
「暴走竜が出た。すぐに戻ってくれ。」
聞きなれない単語に戸惑ういろはだったが、いきなり血相を変えて駆け出すエリカの後を追いかけた。卵孵舎に戻ると、卵堂が待ち構えていた。
「おお来たか。すぐに向かうぞ。念のため武器を持って正門集合だ。」
「「はい!」」
いろはは、エリカと同時に返事をすると、とりあえずロッカーに走り、ソードベルトを腰に巻く。
「ちょ、ちょ、何なに?どうしたの慌てて!」
突然現れたいろはの慌てように、驚いた心音が聞いてくる。
「ごめん。私も分からないけど、とりあえず来て。」
そう伝えると、勢いに押されたのか静かになる心音。いろはが、ツナギの上からソードベルトを巻いたまま正門へ行くと、卵堂がゴルフ場のカートのような車両に陸竜を繋いで待っていた。
「おう、いろは嬢。悪いな突然で。」
「い、いえ。ところで、何が始まるんですか?」
いろはは車両に乗り込むと、本題を尋ねる。卵堂が説明しようとしていると、エリカが棒状の武器を背負ってやってきた。
「おまたせ爺ちゃん。いろはちゃんも。それじゃあ行こうか。」
いろはとエリカが乗り込むと、陸竜の背に跨った卵堂が鞭を入れた。いろはは、卵堂に聞きそびれてしまった回答をエリカに求めた。
「そういえば言ってなかったね。この国では、いたるところにドラゴンが生息しているの。ここ公都にいるのは、うちの園で育てた子達だから人慣れしているけど、そうでない場所には野生のドラゴンも多いの。そうした子達が時々暴走してしまうことがあってね。その鎮圧を担当しているのもうちの園なんだ。普段は担当ごとに一定期間で持ち回りなんだけど、今はたまたま卵孵舎の担当なの。最近は、なぜか暴走が増えているから緊急出動も多いの。」
いろはは、エリカの説明で一通り納得すると、今回の詳細を尋ねた。彼女の説明によると、今回いろは達が向かうのは、公都の北側に接する地域にある村らしい。ドラキア公国の北にそびえる山の麓にあるその村は、山頂の湖に住む海竜を信仰しているらしい。しかし、突如暴れ出して静まらなくなる暴走竜になってしまった。暴走竜は、街だろうと人間だろうと見境なく襲ってくる。祈るくらいしか出来ない村の人々はあまりに無力と言わざるを得ない。村を襲った暴走竜は、行くあてもなくそのまま南下して公都に迫りつつある。それを鎮めるのがいろは達の仕事なのだ。
小型の竜車を飛ばすこと数十分。公都を囲む林の中を進むいろは達は、荒れ狂ったドラゴンの鳴き声を聞いた。
「グゴオォォォォォーーー!」
内臓に響き渡るような重低音に、鳥肌が立つ。竜車を引く陸竜は、それでも臆せずに進んでいく。開けた場所に出ると、いろはの視界に禍々しい邪気を纏った大型の海竜が現れた。竜種園で見た海竜と容姿自体は変わらない。しかし大きさは、竜種園にいるものより何倍も大きい。暴走の影響で目は赤く光っていて、紫色の禍々しいオーラを纏っている。
「うっっ!」
それと同時に、あたりに充満している強烈な臭気に、思わず鼻と口を腕で覆う。その時、エリカが防護マスクを渡してくれた。
「あんまり嗅がない方がいい。こっちまでおかしくなっちゃうからね。」
竜車から降りて海竜に向き合うと、海竜もいろは達を標的として定める。
「いろは嬢!後ろに乗れぇ!」
車両を切り離した卵堂が、陸竜に乗るように促す。駆けてくる陸竜の上から伸ばされた鞭を掴むと、いろはの体がふわりと浮かび卵堂の後ろに乗った。
「落ちないように捕まってな。」
卵堂はそう言うと、いろはが腰に手を回したのを確認し、陸竜に鞭を入れて海竜の周りを周り始めた。一方エリカは、武器を手にして海竜と向き合っている。
「エリカさんは、大丈夫なんですか!?」
いろはが卵堂に尋ねると、驚くべき答えが返ってきた。
「エリカ嬢は、この国最強の棒術使いだ。巨大なドラゴンくらい大した事ねぇ。」
見るとエリカは、単身海竜に突撃していく。助走をつけて跳び上がると、海竜の鼻先に棒の先端を打ちつける。攻撃が入れられることも驚きだが、いろはがもっと驚いたのは、彼女が飛び上がった高さだ。いろはが乗っている陸竜でも2メートル半くらいあるのだが、その倍くらいの高さに見える。特撮やアニメくらいでしか見ない跳躍に固まるいろは。しかし、彼女以外は動き続ける。卵堂は、陸竜にジャンプの指令を出し海竜の横っ腹に蹴りを入れる。陸竜特有の強力な蹴りに、海竜は体勢を崩される。その隙を見逃さず、エリカが海竜の首元に横から突きを入れると、海竜は耐えきれずに横倒しになる。
「いろは嬢。これをヤツの脚の付け根にある竜石に当てるんだ。そうすれば止められる。」
卵堂はそう言いながら、中に小さな丸薬がたくさん入った木のボールを、鎮圧玉だと言って渡す。いろはは、暴走竜にのみ現れるという脚の付け根の竜石を確認する。道中エリカに聞いた話では、竜石の数と位置は種類によって変わるらしい。今回は海竜なので、同程度に発達している4本の脚の付け根に表れている。
「卵堂さん。もう少し近づけますか?」
「おうよ。」
卵堂が鞭を入れると、陸竜が海竜との距離を一気に詰める。しかし、横倒しになった海竜が必死に叫ぶと、陸竜の行手に巨大な水の壁が現れた。水の壁に驚いた陸竜が急ブレーキをかけて止まる。投げ出されそうになるのを必死に耐えたいろはは、エリカの影が見当たらないことに気づく。
「まずったな。分断されたぞ。」
卵堂はそう言うと、エリカに呼びかけた。
「エリカ嬢!無事かい?」
エリカからは、返事の代わりに気合を入れる声が返ってきた。
水の壁が、自分と海竜の周りを囲む。エリカは体勢を整えた海竜と向き合って、棒を構える。
「そうかい。私とサシでやろうってかい?」
エリカは不敵な笑みを浮かべると、雄叫びを上げながら距離を詰める。近づくほどに、海竜からの攻撃が激しさを増す。口から吐き出す大量の水を避け、両腕の爪とヒレによる斬撃を受け止めつつ、さらに近づくチャンスを窺う。しかし、攻撃は激しさが増す一方で、徐々に防戦一方になっていくエリカ。彼女が焦り始めたその時、後ろから陸竜の足音が聞こえ、大技の気配を感じた。
「カラフルブレード!」
技名と共に、色とりどりの尾を引く木の球が飛んできた。海竜に当たって砕けた木の球からは、暴走を鎮めるための丸薬が出てくる。エリカが振り向くと、水の壁と同じ高さ程にジャンプした陸竜の背から、いろはが球を剣で打っているのが見えた。いろはは、心音の力で強化された斬撃を利用し、剣の腹を使ってテニスの要領で木の球を飛ばしていた。運良く4つの竜石に命中した結果、水の壁はなくなり海竜の纏っていた禍々しい雰囲気も消え去った。海竜は思いのほか元気で、暴走の痕跡を感じさせなかった。エリカは、武器を背中に背負うと海竜の元まで行って撫でている。それを見たいろはも、剣をしまってエリカの元へ駆け寄った。
「エリカさん、大丈夫ですか?」
「ああ。お陰で助かったよ。ありがとう。」
エリカのお礼の言葉にホッとしていると、いろはの正体に気付いたエリカに追及されてしまった。
「それはそうと、いろはちゃん。今話題の色彩剣士でしょ?あの光がそうだもの。」
いろはとしては、あまり広めたくはないのだが、カラフルブレードを見られたのではしょうがない。渋々頷いて肯定する。
「エリカさん。この事、あまり広めないでください。恥ずかしいので……。」
いろはがそう言うと、エリカはやれやれという顔で返す。
「まあ、私はそれでも構わないけどね。あの人は止められない気がするよ。」
そう言って卵堂の方を見るエリカ。いろはが彼女の視線を追いかけると、少し離れた場所から何かを確信したような顔で見つめる卵堂がいた。彼は近づいてくると、いろはに問いかけた。
「やっぱ、いろは嬢は違う世界の出だな?」
「はい……。」
いろはが恐る恐る肯定すると、そのままのトーンで続けた。
「後で話がしたい。こいつを送り届けて、園に戻った後でいいかい?」
「は、はい……。」
少しテンションが抑え気味なところが怪しかったが、雰囲気に押されて従った。
エリカが海竜の上に乗って、宥めながら山道を登っていく。この海竜は、竜種園にいるものより大きいものの、性格は穏やかなようだ。エリカに対して非常に懐いている。卵堂が村人の元へ向かったので、いろははエリカについてきた。エリカの後ろに乗っていると、ドラゴンの体の細かい部分がよく分かる。海竜の鱗は、魚の鱗に似て薄く、キラキラしている。それでいて程よく硬いのが意外だった。そんなふうに観察していると、山頂の湖に到着した。海竜から降りて鼻先を撫でると、安心したような鳴き声をあげて湖に戻っていった。
「エリカさん。何で暴走しちゃうんですかね?あの子、とても自発的になるとは思わないし、操られていたような気がするんです。」
その問いかけを聞いたエリカ、いろはの方を向いて険しい顔で答えた。
「そう。故意にドラゴン達を暴走させている奴がいると私も思う。卵堂の爺ちゃんが言いたいのも、そういうことだと思うよ。」
話していると、卵堂が竜車を引いて戻ってきた。
「2人とも、お疲れさん。とりあえず戻ろうか。」
いろはとエリカが竜車へ乗り込むと、園に向かって走り始めた。
「そういえばいろはちゃん。」
道中のなんとなく気まずい雰囲気の中、エリカが話しかけてきた。
「今度、手合わせしてよ。噂の色彩剣士さんと一度戦ってみたくて。」
「わ、私でよければ……。」
剣に自信がない訳ではないが、公国最強といわれるエリカの動きを見た後では、どうしても萎縮してしまう。するとエリカは、いろはの背中を叩いて励ました。
「いろはちゃんも、自信持っていいんだよ。今まで国最強と言われる実力者が、何人立ち上がっても勝てなかったあの盗賊団。それも、ツートップを両方倒したんだ。かなりの実力者だよ。」
「えっ!まさかエリカさんもですか?」
「私がやる前に、いろはちゃんが倒したみたいだからね。正直ホッとした。最悪帰ってこない奴もいたって噂だったからね。」
自分のしたことが、世間的にそこまで大きかったのかと、今になって初めて知るいろは。ただ、ナギサの負けを認めた姿からは、その噂は間違いだと思った。彼女がいろはに送ったご褒美を参考にするのならば、自分達に負けたものを社会的に葬り去り、命はとらないと思う。確証はないが、いろははそう思った。そして、改めて自分に対するご褒美の意味が分かった彼女は、一気に鳥肌が立った。竜種園に着くと、丁度お昼時になっていた。いろはは、昼食後に事務所に来るように言われた。エリカと共に昼食を摂り、休憩した後に事務所へ向かうと、通された部屋に卵堂とリョウが入ってきた。2人がいろはの向かいに座ると、リョウが話し始めた。
「いろはちゃん、午前中はお疲れ様。初日から大変ね。」
「い、いえ。新鮮なことばかりで楽しいです。」
リョウは、手にしてきたファイルから資料を一枚とると、いろはに渡した。
「実は、新しい部署を作ろうと思っていて、そこのメンバーになってほしいの。」
いろはがもらった資料には、文が書かれているものの相変わらず読めない。心音がいない状況では頼ることもできないので、とりあえず会話で誤魔化すことにした。
「新しい部署、ですか?」
「そう。今日、暴走竜の鎮圧に行ったでしょ?あれの専属チームを作ろうと思うの。そこにメンバーとして入ってほしいのよ。」
「あの、もしかして、誰かの推薦とかですか?」
「ええ。主に卵堂さんと久遠さんね。あなたの強さは必要だそうよ。」
隣の卵堂も頷いている。2人の推薦とあっては、あまり断れる気がしないが、飼育員の方もやってみたいいろはは、とりあえず考えると言って事務所を後にした。
お読みいただきありがとうございます。
作者名のTwitterアカウントで更新情報等お知らせしています。本作のブクマと併せてフォローしていただけると、更新時のお知らせがもれなく受け取れますので、よろしくお願いします。
次回は、来月の大型連休明けに更新予定です。公開中の話数や他作品で楽しんでいただけると嬉しいです。今後もよろしくお願いします。