1-5 元気ですか?
1-5 元気ですか?
50年ぶり。半世紀ぶりではないか。そんな前のことを思いだせるわけがない。50年前と言えば、大学時代である。ゼミやサークルを思い出してみたが、ハマダコナミに行きあたらなかった。ハマダコナミは私の頭の中のどこにもいないのだ。
住んでいたぼろアパートの住人も考えたが、そこの住人は男ばかりだ。たまに女性を連れ込む住人はいても、私の部屋に女性がきたことはなかった。私はデートしたことさえないのだ。
「大学生の時にお会いしましたか?」とメールを打つと、「大学2年生の時に会っていました」と返事がきた。そこで「同じ大学に在籍していましたか?」と送ると、「同じ大学だと思います」とあやふやな返事が返ってきた。「サークルが同じだったのですか?」と打つと「それは違うと思います。サークル仲間じゃないと思います」との答えが返ってきた。彼女もはっきりとは覚えていないようだった。いつのまにか、問いかける人と答える人が攻守逆転していることに気づいた。
私の行動範囲は狭い。それは大学時代も同じことだ。「私の友人か、そのお友だちでしょうか?」と送ると「そうではないと思います」と帰ってきた。私にしても大学時代の友人を思いだすこともできなければ、そもそも大学時代に友人と呼べるような人間がいたかどうかも定かではない。多分、友達と言える者はいなかった。
「バイト先で一緒でしたか?」と書けば、「バイト先で一緒でした」と今度は自信のある返事が返ってきた。私は大学時代にはいろいろなバイトをしたが、長く続けたバイトは何一つない。バイト先で一緒に働いた女の子はたくさんいたはずだが、親しくなった子を思い出すことはできない。人並みに下心はあったはずなのだが、バイト先の子と親しくなったことは一度もない。いや、話が本当ならば、このハマダコナミとだけは親しかったようだ。
「何のバイトをしていたのでしょうか?」
「スーパーマーケットです」
スーパーマーケットでバイトしていたことを思い出せなかった。本当にスーパーでバイトをしていたのだろうか?
「大学2年生の時ですよね。スーパーでバイトしたことを思い出せないのですが。2年生のいつ頃でしょうか?」
「夏休みです。8月1日から一週間だけバイトで一緒だったはずです。ムラタジロウさんに間違いありませんよね? 50年前は令和大学の2年生でしたよね?」
「そうです」
「それなら間違いなくあなたは私を知っています」
「バイトで一緒だったのは2年生の夏だけだったんですか?」
「そうです。それも一週間だけです。あなたはもっと長く勤めていたかもしれませんが、私は一週間だけです」
「たった一週間だけのお付き合いなのに、よく50年ぶりに私を見つけてメールをしてくれましたね。何かご用ですか?」
「この50年間、あなたに連絡したくても連絡ができなかったのです」
「どうしてですか?」
「私は50年間寝ていたからです」
50年も寝ていた? それはあまりにも現実離れした話だった。
「50年間寝ていたとは、いったいどういうことですか?」
「植物人間だったのです」
にわかには信じられない話が始まった。
「どうして植物人間になったのですか?」
いつの間に、チャットのようにリズミカルなメールの交換になっていた。
「50年前に交通事故にあったのです」
「50年前? まさか私があなたをひいたということはないですよね」
「それはありません」
「そうですよね。私、運転免許証も持ったことがありませんし、当然車を運転もしたこともありませんから」
「私をひいた運転手は私が目を覚ますと、すでに亡くなられていました。亡くなられたのは20年前だそうです。私をひいた50年前は50歳くらいで、トラックを運転していた男性だったそうです。生前は時々私の見舞いに来てくれていたそうです。優しい方だったんですね」
「車にひかれたんですか。それは大変でしたね。ですが、50年ぶりに目を覚まされるなんて、まるで奇跡のような話ですね。よかったですね」
「自分では50年間も眠っていたとは思えないのです。今も意識は少し朦朧としていて、話すのもままならないんです」
「浦島太郎のような気分でしょうか?」
「目が覚めると、私の容姿が皺くちゃな老婆に変わっていたのです。きっと浦島太郎が玉手箱を開けた時の状態でしょうね。記憶は20歳です。信じられませんでした。父と母が亡くなっていることを教えてもらいました。それを聞いた時は、目が覚めてよかったのかどうかわかりませんでした」
「そりゃあ、そうでしょう。半世紀も寝ていたのですから。いろいろとショックなことがあったのでしょうね。それにしても、どうして私にメールをくださったのですか」
「私の手帳の中にあなたの名前があったからです。あなたと別れた後でトラックにひかれたのです。つまり、私と最後に会っていたのは、あなたなのです」
「えっ、私と会っていた。あなたが眠りにつく前に最後に会ったのが、私だったのですか」
「あなたは50年前かもしれませんが、私にとっては昨日のことなのです。実際は眠りから覚めて3ヶ月が経っています。私は眠りから覚めて体が動かないにも関わらず、どこかに行こうとしていたそうなのです。約束があるからと言っていたそうなのですが、口はしどろもどろだったようです。それがあなたとの約束なのです。手帳の中のスケジュール表に、8月1日から一週間バイトをし、バイトの後で毎日あなたと長時間にわたって話していたことが書かれてあったのです。私とあなたが最後に会ったのは7日です。話が終わって別れた後でトラックに轢かれたのです。8日にもあなたと会う約束が手帳に書かれてありました。
目覚めてからすぐには私の体は動きませんでした。口を動かして話すこともままならなかったのです。50年間寝ていたのですから、運動機能は作動しませんでした。わたしはこの3ヶ月の間リハビリを行っていますが、世の中にコンピュータが普及して、メールがあることを知りました。頭の中の記憶は定かではないので、あなたに当時のことを教えてもらおうと思ってメールを差し上げたのです。私たちは何を話していたのでしょうか?」
「私は昔から記憶力が悪かったし、それに輪をかけて最近は歳のせいで昔のことが思い出せなくなってしまいました。あなたのお役に立てるかどうか自信がありません。それに我々は半世紀前にたった一週間しか会っていないのでしょう?」
「大学生の時はそうですけど、わたしたちは幼馴染なのです」
「えっ、幼馴染?」
「だって、手帳に幼馴染のジロちゃんって書いてあるんです」
「たしかにジロウですけど」
「大学2年生の時にスーパーのバイト先で10年ぶりに偶然に再会したのです。私の手帳に日記のようにそう書かれていたのです。心当たりはありませんか?」
「申し訳ありませんが、すぐには思い出せません」
「私も50年間寝ていたので、細かいことは思い出せないんですけど、手帳によるとわたしたちは間違いなく幼馴染なのです。本当に心当たりはありませんか?」
「幼馴染? 少し時間をいただいて、一人で考えてみてもいいですか?」
「そうですね。お願いします。とにかくジロちゃんだけが頼りなんです」
ジロちゃんという呼びかけが私の記憶を呼び覚ます引き金になった。引き金を引かれれば、鮮明に全景が広がっていく。まるで真っ暗闇の中で大輪の花火が上がった時のように。そばに座っている家族や兄弟、近所の人たち、川や土手、赤いつり橋、そして遠くの街の風景が一瞬広がる。そこには懐かしい草の匂いまでがあった。この風景はすべてハマダコナミが私にくれたものだった。
私は自分がかいている絵本を取り出した。それはコナミが教えてくれた故郷稲川の話だということにいま気づいた。
つづく