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60年のループ  作者: 美祢林太郎
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1-3 元気ですか?

1-3 元気ですか?


 翌日、「私の名前をお忘れでしょうか?」と返信が来た。ただそれだけの本文である。このクエッションマークがあると、答えなければならない軽い強迫観念に駆られてしまう。相手もクエッションマークで答えを強制しているようにも思えてくる。私はすぐには「忘れてしまいました」とは書けないでいる。こんな答えでは、相手に対して冷たすぎると思えたのだ。どこかで相手を突っぱねているようなニュアンスを含んでいるではないか。そこで私は即答せずに、少し時間をかけてこのハマダコナミと名乗る女性について記憶を手繰ってみることにした。それが誠意ある態度と思えるからだ。

 退職してからは、ほとんど誰とも接触していないので、退職以後に出会った女性ではないようだ。退職金や年金の関係で対応してくれた銀行の窓口の女性は、愛想は良かったが、それは仕事上のことであった。私的な話はなにもかわさなかった。名刺をもらったが、それもどこかにいってしまった。名前も覚えていない。困ったことがあったら、いつでもご連絡をください、と通り一遍のことを言っていたが、あれ以来互いに連絡を取り合ったことはない。あの銀行の女性ではない。

 週に一度は行くスーパーマーケットのレジ打ちの女性も、たまのコンビニの若いアルバイトの子でもない。ただの通りすがりの人と変わりないからだ。

 私は同じ会社に43年間務めた。大学を卒業してからすぐに勤め、その会社を60歳で定年になり、再雇用されて5年延長された。特別働きたいわけではなかったし、会社から必要とされたわけではないが、私にとってはいくばくかの収入となり、会社にとっては法律がそうさせただけの話である。ここらは大方の定年退職者と変わらないのではなかろうか。

 どうしても会社に勤めていた頃の女性を考えてしまう。それも再雇用の5年間だ。それ以前になかなか記憶を遡ることができない。別にこの頃に何か特別のことがあったわけではない。それよりも何もなかったくらいだ。ただ、記憶力のせいで昔のことは思い出せなくなってしまったのかもしれない。この頃はすでに第一線を退き、退職後の準備をしているかのように、暇な時間を過ごしていた。会社からは何も期待されていなかった。ただ決まりきった仕事とも呼べないような仕事を単調にこなすだけだった。私の周りに女性はいたのか? そう言えば、アルバイトの女の子が一人いたような。もはや名前も顔も思い出せない。他の社員にはニコニコ愛想笑いをしていたが、私にだけは不愛想だったような気がした。これはひがみ根性から言っているのではない。私もしけた顔をしていたので、どっちもどっちだったのだから。そう言えば、「おはようございます」の挨拶一つ互いに交わさなかったことを思い出した。こんな女の子のことが頭に浮かぶくらいだから、私の女性との接触は極めて貧弱だったことがわかるだろう。

 再雇用される60歳以前にしても、私に強い労働意欲があったわけではないし、周りからの期待もなかった。会社の一つの駒に過ぎなかった。それはそれほど不愉快なことではなかった。組織から強い期待も働きかけもないからだ。会社にも駒は必要なのだ。全社員が並外れた企画力やリーダーシップを持っているわけではないし、そうした能力を若い頃に試されることはあっても、みんなが有能でエネルギッシュな組織はどこにも存在しないだろう。もしそんな組織があったら何かがおかしいのだ。おそらくみんなで有能でエネルギッシュなことを偽装しているだけなのだ。草創期の社員が数人のベンチャー企業ならいざ知らず、それなりに年数の経った大企業の従業員全員がエネルギッシュだったら、毎日が緊張で持たないだろう。すぐに個人も組織も疲弊してしまう。程度の差はあれ、野心を持つのは若い時であり、歳をとると多くの会社員の意欲は風船のように萎んで落下していく。そこに向こう見ずなエネルギーを持った、まだ試されていない新入社員が入ってくる。この新陳代謝こそが組織を若々しく持続させていく源である。欲もなければ能力もない人間に鞭を当て続けることは、組織の疲弊につながる。駒は駒としての役割を果たすので、駒の存在価値を見いだせない組織は、自壊していくだろう。駒に不平不満を抱く幹部は、自分たちの管理能力のなさを露呈しているようなものだ。

 愚痴を言うのは駒にしか許されないことだ。しょせん愚痴は何の意味もなさないのだから。愚痴を聞いたからと言って、幹部はいきり立たないでほしい。それは屁みたいなものだからだ。屁を我慢して腹痛になることはあっても、屁を嗅いで病気になった奴はいないし、倒れた人間もこれまで聞いたことがない。ひと時臭いだけだ。時には不愉快になるかもしれない。屁をした奴をつきとめたくもなるだろう。しかし、しょせん屁である。すぐに消えてなくなってしまう。凄く臭い屁ならば、窓を開ければいいし、その部屋から自分が出ていけばすむだけだ。屁をことさら荒立てる必要はない。愚痴も同じことだ。愚痴を聞いたからと言って、真剣に対応する必要はない。やり過ごすか、楽しい話題に転化することだ。それが大人というものだろう。

 歳をとると頭が一つのことに集中しない。すぐに脇道に反れてしまう。軌道修正をして、「ハマダコナミ」を探すことにした。会社に入社してからのことを考えると、頭をよぎったのは、アヤコのことであった。アヤコは私が入社して3年経って入社してきた後輩である。彼女が入社して数年後に、忘年会をきっかけに親しくなった。私の部屋に来て泊ったこともある。そのうち彼女から他に好きな人ができたと告げられて別れた。

 もしかして、ハマダコナミと名乗る女性はアヤコなのか? アヤコがハマダコナミを名乗ってメールをよこしたのか? 懐かしくなってメールをしてきたのか? いま私がどういう状況なのか、結婚しているのか、誰かと一緒に暮らしているのか、探りを入れてきたのか? それも無言電話のように。

 そう言えば、アヤコは私と別れた後はどうしたんだろう。別れるきっかけになった男は誰だったのだろう。名前を聞いてはいないが、たしか同じ会社の人間ではなかったな。同じ大学のサークル仲間だと言っていたような。よくある話じゃないか。その男とは、それ以来どうなったんだろう。結婚したんじゃないか。いや、別れた後のことは何も知らない。興味がなかったんだ。付き合っている頃でも、彼女の行動に興味を持っていなかったような気がする。愛情はなかったのか? いや、そんなことはないはずだ。薄々将来は彼女と結婚すると思っていたのだから。でも、別れる時に引き留めなかった。静かに別れた。

 本当は、彼女に新しい彼氏ができたのかどうかも疑わしい。ただ私に愛想がつきただけなのかもしれない。愛想がつきて出て行かれた。それが私らしいのだ。それ以来女性と付き合ってはいない。

 アヤコがメールをよこしたのか。「元気ですか?」って。アヤコは元気ですか? 結婚したのですか? 子供はいるのですか? 子供は独立したのですか? お孫さんはいますか? ご主人はお元気ですか? ご両親は健在ですか? ご両親の介護をしていますか?

 そんなありきたりのことしか思いつかないのか。いまの今までアヤコのことを思い出しもしなかったのに。未練はあるのか。いや、まったくない。今さら会ってみたいなんて思わない。この30数年の間に彼女の容姿も大きく変わっただろう。私の容姿が変わったように。この変化は誰のせいでもない。ただ時間がなせる業だ。

 それにしても「アヤコさんですか」、とメールを打つわけにはいかない。アヤコである確率は限りなくゼロに近いのだ。もしアヤコだったら彼女は喜ぶかもしれないが、そうでなかったら「そのアヤコさんって誰ですか」と話は複雑になるかもしれない。ここは知らぬ存ぜぬを決め込んだ方が得策というものだ。


           つづく

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