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60年のループ  作者: 美祢林太郎
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1-2 元気ですか?

1-2 元気ですか?


 暗くなってメールを開いてみたが、「元気ですか?」の後に新しいメールは入っていなかった。私は待つことに耐えられなくなったかのように、返信を打った。表題は「元気ですか?」のままにした。本文は「元気ですか?さん」で始まり、一行開けて、「メール有難うございました。わたくし、元気です。よろしければお名前を教えていただけないでしょうか」、再び一行開けて「ムラタジロウ」と入力して送った。他人の名前を聞くときは、まず自分の名前を明かすのが礼儀というものだ。私は格別礼儀にうるさいわけではないが、暇なので礼儀をとやかく呟くくらいしかないのだ。

 いつ以来だろう。もしかすると、こうしたメールを打つのは退職以来かもしれない。キーボードの指は動いた。タイピングを忘れていない。時々間違いをするが、それでも昔のようにブラインドタッチで打つことができた。自転車の乗り方を忘れないのと同じことのようだ。とにかく、返信を打ったことで安心した。久々に意味のあることをしたように思えた。意味は対人があって初めて生まれるものかもしれない。孤独には意味など生じることはないのだ。

 老人には、一日の仕事はこのくらいの量が丁度いい。相手からの返信はないかもしれないが、それでも私の任務は終えたように感じられた。少なくとも「元気ですか?」という問いに対して「元気です」と答えたのであるから。問いには答えがなされてこそ完結する。それにしても任務なんて言葉は、どこから出てきたのだろう。任務、英語で言うとミッションであろうか。そうしたことは他人から与えられるものである。今回私がメールを出すことは、送り主から与えられた任務だったのだ。そこに、少しの喜びを感じることができた。

 「元気です」と自分で打ってみて思わず笑ってしまった。癌、それも末期癌を宣告された私が元気だと言っても許されるのだろうか? 「元気ですか?」と聞かれたら「元気です」と返すのが礼儀というか、阿吽の呼吸ではないだろうか。ここに現在の自分の健康状態など入り込む余地はないはずだ。「元気ですか?」と聞かれて「それほど元気ではありません」と返すわけにはいかない。毎日会っている親密な相手ならば、それでいいかもしれないが、相手がどんな人かもわからないのに「元気ではありません」、と答えるわけにはいかないのだ。そんな答え方をしたら、「元気です」という答えを予想していた相手は、少なからず動揺してしまうだろう。動揺した後に、「どこか調子が悪いのですか」と聞かざるを得ないではないか。この言葉ひとつとっても、相手にはかなりの負担を負わせてしまうことになる。続けて、「ご病気ですか」とは聞きづらいものである。もし深刻な病気だったら、返答しづらいだろうと考えてしまう。病気にしても、体の病ではなく心の病かもしれない。そうした場合、どんな答えが返ってきても、もう話を続けることは難しくなる。どう考えても、私と相手との関係は難しい話をほど親密なものではないからだ。

 「それほど元気ではありません」と返答すると、相手は何気なくメールを送ったことを後悔するかもしれない。相手は返事を返すべきかどうか迷うだろう。まだ、本文を送っていないのだから自分の名前は特定されたわけではないから、私からの非難を自分に向けられることはないだろう、とも思うかもしれない。でも、どこかに良心の呵責が残ってしまうのではないだろうか。それほど親しくない相手に、不本意にも深刻な話をし続ける羽目に陥るかもしれない。すると、これから何通、何十通のメールの往復となり、結果として直接会うことになるかもしれない。場合によっては、病院に見舞いに行って、もし身寄りの者がいなければ看病して、死をみとらなければならなくなるかもしれないではないか。そんな負担を相手にかけたくはない。私にそんな親しい友人はいるはずがないのだから。とにかく「元気ですか?」と聞かれたら、差し障りなく「元気です」と答えるのが無難というものだ。

 翌朝にパソコンを立ち上げると、新規のメールが入っていた。昨日の送り主からだった。表題は「元気ですか?」のままだった。本文は「ムラタジロウ様 失礼しました。私の名前はハマダコナミと申します。」とだけ書かれてあった。それ以外何の文章もない。拍子抜けである。これではチャットである。メールは一応手紙であって、ただのおしゃべりとは違うものではないかと思ったが、チャットのような使い方をして悪い決まりがあるわけではない。でも、メールは手紙のようなもので、チャットとは違う、という固定観念のようなものがあった。

 コナミという名前だから、相手は女性である。私は女性であることに一瞬たじろいだ。返事が来る前までは勝手に男性だと思い込んでいたからだ。女性と付き合ったことは、これまでほとんどなかった。知り合いの女性といったら、働いていた会社の数人しか思い当たらない。しかしその女性たちが私にメールをよこすとは思えなかった。仕事以外ではほとんど口をきいたこともなかったからだ。私は無口な男だった。冗談を言ったことも記憶にない。それかと言って、会社以外では誰も頭に浮かばなかった。キャバクラやスナックにも出入りしたことがなかった。

 考えるとコナミという名前で女性と決め込んだが、当世、コナミという名前が女性だと決めつけることはできない時代になっている。それにメールの世界の話であるから、ハマダコナミという名前が本名であるかどうかも疑わしい。ハマダコナミという人物はどこにもいなくて、この名前を語った新手の詐欺かもしれない。詐欺だとしたら「元気ですか?」という導入部はなかなか巧みではないか、とさえ思えてきた。オレオレ詐欺のように、思わせぶりな呼びかけから始まり、あとは被害者が墓穴を掘ってしゃべっていくことになるからだ。私は引っかからないようにしなければならない。

 しかし、久しぶりの社会との接点である。この細い糸を少し手繰り寄せたい、という気持ちもどこかに残っていた。これが好奇心というものかもしれない。好奇心という言葉をずっと忘れていた。子供の頃は好奇心が旺盛だったが、いつしかなくなっていた。好奇心がなくても人は生きていけるんだと思うと、寂しい気持ちになった。

 相手に「どちらにお住まいですか? 年齢は?」という私的な質問を一方的にすることはためらわれるものである。そうした質問をするならば、先に自らの素性を名乗らなければならない。だが、最初にメールをよこしたのは彼女の方である。彼女から名乗るのが筋というものではないか。そこで、「失礼ですが、どちらでお会いしましたでしょうか?」という文章を送った。ここらの問いかけが無難である。まだまだ用心してかからなければならない。いったい何に用心するかは、定かではない。定かではないから、用心に越したことはない。それにしても少し過敏になっているんじゃないか。歳をとると猜疑心が強くなっている。


           つづく

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