6-1 エルゼ -赤き宮殿-
燃え盛る家々。住民たちの悲鳴。蹂躙する帝国兵。そして、いつまでも耳から離れない父と母の叫び。
「逃げろエルゼ!お前だけでも生き残るのだ!!」
「エルゼ、あなただけはいつまでも元気で…」
「お母さんっ、お父さんっ!!!」
腕を伸ばしながら、ばっと飛び起きるように目が覚める。
「またこの夢か…」
10年前、エルゼの故郷メンフィス村は帝国軍に宣戦布告もなしに突如襲撃され、抗う手段を持たないメンフィス村の人々はなす術なく帝国軍に皆殺しにされた。ただ一人エルゼを除いて。
当時8歳だった彼女だけは村から抜けられる秘密の地下通路から逃がしてもらったのだ。
父と母がその地下通路から私を逃がした後入り口を塞ぎ、帝国軍にその存在を気づかれないようにしてくれたおかげで、エルゼは今こうしてメンフィス村最後の生き残りとなっている。
それ以来エルゼの生きる目的は帝国ひいてはあの時村に攻めてきた現皇帝アーティスへの復讐となったのだ。
村が蹂躙される悪夢は、いつも父母がエルゼを逃がした時に掛けてくれた声で終わる。エルゼにとってこの夢は、見る度に復讐心をたぎらせることができると同時に、父母と故郷のことを思い出す悲しい夢でもある。
そして、今日のような大事な日ほどこの夢を見る。この前も入隊試験の日に同じ夢を見た。あの日は入隊試験こそ受けられなかったが、結果的にダンテと出会い、諜報部隊に入隊することになったので、良い夢なのかもしれない。と思いつつ出かける準備を始める。
エルゼが今住んでいるのは帝都ドレイドラータの兵士に割り当てられる兵舎の一室だった。ついこの間までの暮らしに比べるとずいぶんマシになったものだ。
それだけ諜報部隊の兵士には期待されているということだろうか。
今日はその諜報部隊の軍議が開かれる。そこで私の初任務が言い渡されるのだろう。
どんな任務かは分からないが、手柄を立てて皇帝に近づくチャンスがある任務だといいが。まぁ今はそんな先のことを考えても仕方がない。
支度をし、赤き宮殿へ向かう。
帝国の中心だけあり、帝都ドレイドラータの賑わいぶりはエルゼが暮らしていたラークスを遥かに超えていた。
市場から聞こえてくる活気のある声、港の漁船に漁獲された無数の魚の生臭い匂い、子どもたちがかけっこやチャンバラごっこをして遊ぶ声。大陸最大の都市だけあり、活気に満ち溢れている。
帝都ドレイドラータの北の一段高い丘になった場所で、帝都100万人を見下ろす形で建てられているのが赤き宮殿だ。この建物は500年前に時の皇帝ヘレムニダスによって建てられ、大陸に現存する建築物の中で一、二を争うほど古いそうだ。
この宮殿が赤いのはレンガだけでなく、帝国内で採れるマグタイト鉱石でできているからで、ちょっと大砲を撃たれた程度ではビクともしないと言われている。まぁ実際には帝都まで攻め込まれたことは赤き宮殿が建てられてから一度もないので、真偽のほどは定かではない。
そんなことを考えているうちに到着。
間近で見る赤き宮殿は想像以上に大きくそして古かった。メンフィス村のような小さな村で生まれたエルゼにとってこんなに大きな建物を人間が建てたこととそんな場所に今から自分が入るということが信じられない思いだった。
中に入ると大きなホールがあり、そのまま大階段を上ると3階の皇帝の間に行けるようになっている。また、その途中2階には1階のホールを見下ろすような形で回廊があり、左右にいくつもの扉が並んでいる。
あまりにも広いため、エルゼはいったんあたり一帯を見回して、諜報部隊に割り当てられている部屋がどこかを探す必要があったが、「諜報部隊は大階段を上った後、その回廊を右に曲がり、ぐるっとホールを逆走するような形で回廊を歩いた最も奥の部屋が専用の部屋として与えられている」とダンテから聞いていため、とりあえず階段を上り2階の回廊に向かうことにした。
大階段を上る途中後ろから声をかけられた。
「君が諜報部隊に新しく入隊した期待のホープだね。ほう、、、これは中々興味深い研究対象のようだ」
「あ、あの。どちら様ですか?」
「僕の名前を知らないとは、エルゼ君は中々面白いね。僕の名はドクター・シン。エルドライド帝国研究部隊を率いているよ」
この人が、ダンテが帝都への道中教えてくれた「帝国で最も危ない男」。
年は30代前半といったところだろうか。
帝国どころかロストガリア大陸全土で最も危険で頭の良い男だと聞いていたから、どんな外見だろうと思っていたが、身長160cm程度と小さい上、顔色はどこか血色が悪く、いかにも寝不足といった感じだ。今エルゼの方が階段の上にいるため、余計にこの隊長を小さく感じる。
だが、片眼鏡をかけたレンズ越しの眼光は涼しげで鋭いものがある。こちらの考えを全て見透かされているのではないかと思えるような眼光だ。
そして、周りの兵士や官吏からの視線を一身に浴びているにも関わらず、全く気にすることなく、いかにも自信たっぷりな様子で、自分がこのような場所にいるのは何一つおかしなことではないとでも言いたげに立っている。
「これは失礼しました。シン隊長。しかし、シン隊長がなぜ諜報部隊の会議室の方まで。。?それになぜ私の名前を?」
エルゼは身を正して答える。
「まぁそう固くならず。別に襲ったりはしないよ。ダンテ隊長から期待の新人が入ることは各隊長達に伝えられていたからね。あの人が期待の新人と言うときは大体女性の方だ。そして、君は自分が今行くべき場所はどこかと周りをきょろきょろしていたのでね。それでピンときたのだよ。君がその期待の新人だと」
「なるほど、そんなにきょろきょろしておりましたか。。恥ずかしながら、こんなに大きな建物に入ったのは初めてでして。ちょっと迷ってしまいました。」
全くダンテは私のことまで伝えていたのか。ていうか期待の新人=女性ってどういうことよ。。。
「ところで、君は見たところ氷結魔法の使い手だね。それもかなりのものだ」
「え!確かにそうですが、なぜそれがわかるのですか?」
「ふふふ、魔法は僕の最も得意とする研究領域だからね。この片眼鏡で見れば人の魔力とどんな魔法を得意とするのかが一目でわかるのさ」
「そこまで研究が進んでいるなんて知りませんでした」
なるほど。見透かしているのはこちらの考えではなく、魔力のようだ。
「まぁこの天才ドクター・シンだからこそできる賜物さ。この大陸でこんなことができる人は他にいないだろう。ところで、エルゼ君はどこでその氷結魔法を習得したんだい?」
この質問にエルゼは答えるのが一瞬遅れてしまった。亡き父から習ったものだが、そうすると故郷の話になるかもしれないが、エルゼとしては故郷の話は他人にはしたくない。
しかし、嘘を答えるとそこからボロが出て余計な疑いをかけられる恐れもある。そこで途中は端折った形で正直に答えることにした。
「基礎は父から。あとは独学で向上させました」
「なるほど。独学でそこまでの使い手になるとは実に興味深い。ダンテ隊長が君をスカウトしてくるのもよくわかるよ」
「はは、ありがとうございます。私も天才だったりして。。すみませんが、そろそろ私は行かないと」
エルゼは早くこの会話を終わらせて、諜報部隊の会議室に向かいたかったが、ドクター・シンはまだ終わらせる気配はない。
「時にエルゼ君。君は自分が向学心がある方だと思うかい?」
「向学心、、、ですか?」
エルゼにはいまいち話の方向が読めないが、ドクター・シンはそんなことは気にも留めず話を進める。
「僕はね。この世の真理を解き明かしたいんだ。そのために必要なのは何か?そう、向学心だ。現状に飽き足らず、常に上を見続ける姿勢。日々の努力。僕は決して天才などではない。向学心の塊なのだ」
さっきこの人自分のこと天才って言ったような。。。とエルゼは思ったが、あえてそこはツッコまずに、純粋に疑問を聞くことにした。
「あの、、、真理って?」
「いい質問だ、エルゼ君」
ドクター・シンが片眼鏡を上げる。その仕草は上から目線の象徴のようで、エルゼはあまり好きにはなれなかった。
「例えば君は自分が一体なぜ氷結魔法を使えるのか考えたことはあるかい?そもそも魔法とは一体何なのか?なぜ魔法を使える人と使えない人がいるのか?」
「それは、、、考えたこともありませんでした。あまりにも身近なものすぎて」
「そうだろう。僕にもまだわからない。だからこそ解き明かしたいのだ。今はまだ道半ばだが、いつかやり遂げてみせる」
ドクター・シンは持論を熱弁する。
「それは、、、どんな手段を使ってでも。。。ということでしょうか?」
エルゼの質問に再びドクター・シンが片眼鏡を上げながら答える。
「実にいい質問だ。エルゼ君。やはり君は才能があるよ。そうだね、この世の真理を解き明かすためなら、僕はどんなことだってやってみせる」
「どんなことだって。。ですか」
やはりこの男は危険だ。エルゼの直感がそう告げる。
そしてドクター・シンは階段を上がり、エルゼより上の段まで上がると振り向きエルゼに告げる。
「僕の片眼鏡で測定した君の魔力は中々の数値だ。そして君も手段は選ばないタイプだと見た。僕たちが組めば、研究もさらに進み、やがては真理に到達できるだろう。エルゼ君。僕の部隊に来ないかい?」
「シン隊長。そこまで言っていただき光栄です。ですが、私は諜報部隊に入りました。まずはここで頑張りたいと思うのです。本当にすみません」
わざわざ帝国の部隊に入り、皇帝を暗殺しようとしている自分も確かに手段を選ばない人種だろう。だが、こんな危険な男と一緒に行動するわけにはいかない。というかこの上から目線の男は嫌いだ。エルゼは断固として拒否する。
「そうか。実に残念だ。まぁまた近いうちに会うこともあるだろう。それまでにぜひ考えておいてほしいものだね。では」
ドクター・シンはそう言い残すと、階段をさらに上り皇帝の間へと向かって行った。皇帝と用があったのか。
もし今私がここで首を縦に振っていたらもしかしたらそのまま皇帝に謁見できたかも。。。?まぁ流石にそんなことはないか。
ダンテよりもあの男の方が皇帝に近いのではないか?そう考えると急に後悔にも似た感情が湧き上がってきたが、仕方ない。
今できることを精一杯やるだけだ。と自分に言い聞かせながら、諜報部隊の会議室の扉を開けた。
感想、レートなどお待ちしております!
泣いて喜びます!