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夏の騒音

作者: 瀬口恭介

 地獄のような猛暑の続く8月中旬。窓の外が明るくなると同時に眠りにつくという生活をしている男、水瀬(みなせ)廉太郎(れんたろう)は高校三年の夏休みを勉強もそこそこに謳歌していた。

 両親はお盆ということもあり温泉旅行をしている。廉太郎も誘われてはいたが『夏に外に出る奴らは自殺願望者』という持論を持っておりお盆を怠惰に過ごすという選択を取った。毎年廉太郎はお盆には家から出ないため、両親が誘ったのは念のためだ。


「都内で複数人が熱中症を訴え搬送……はっ、言わんこっちゃない」


 廉太郎は部屋の隅でパソコンを触りながらそう呟いた。やはり外に出ることは悪だと、夏引きこもってクーラー病になる者こそが正義なのだと悦に浸る。


 すると、壁の向こうからガガ、ガガッと擦れるような、ぶつかるような小さな音が聞こえてくる。しかし廉太郎は動じなかった。

 それもそのはず。この騒音は今に始まったことではなく、一昨年から毎年この時期に聞こえてくる音だからだ。お隣さんがどんな人なのかすら知らず、人と関わりたいと思わない廉太郎はこの騒音を邪魔だと思わなかった。これがうるさくて不快な騒音ならば壁ドンの一つもしていただろう。


「ふふ~~んっと」


 むしろ、騒音のおかげでリラックスできていた。クーラーとパソコンの音だけが聞こえていた室内に、一つ音が加わっただけでこうも変わるのかと不思議なくらいだった。

 カチ、カチカチっとマウスをクリックする。廉太郎は夏休みという膨大な時間を使いネットゲームを楽しんでいた。


 飲み物を手に取ろうとした際、誤ってマウスを机から落としてしまう。無線のマウスだったため宙吊りにはならずマウスは重力に馬鹿正直に従い硬いフローリングにぶつかった。


「あーあ……まあ飲み物こぼすよりマシか」


 丁度ボス戦前なのに、と思いつつマウスを拾いネットゲームに戻る。が、画面の端にあるマウスカーソルは動く気配がない。嫌な予感がして右クリックを連打する。一秒間に16回クリックしているのではないかというレベルの連打を叩き込む。へんじがない。ただの しかばね のようだ。


「終わった……」


 顔を手で覆いながらゲーミングチェアに体重を預ける。ノートパソコンならばマウスが無くても使うことができるが、デスクトップパソコンではそうはいかない。

 手を顔から離し、画面を見る。マウスカーソルは隣に設定したドットのキャラクターが可愛く動くのみだった。自分で設定したのに妙に腹立たしく思える。


「あ、ボス戦……」


 ボス部屋の前で突然立ち止まった廉太郎のキャラを不思議に思ったのか仲間からのチャットが流れてくる。『どうした?』『落ちたな』『回線ザッコ、フリーワイファイ使うな』などの言葉がポンポンと音を出しながら流れる。


 どうにかして連絡を取ろうと思った廉太郎は、スマートフォンのSNSを使い仲間にマウスが壊れたことを伝えた。了解という返事が来てパーティーメンバーから外される。

 頻繁に聞こえていた効果音がなくなり、廉太郎の部屋にはクーラーとネットゲームのBGM、そして隣の部屋の騒音が残った。


「確か、近くに電気屋があったな」


 クーラーは帰ってきたときに熱いのが嫌なのでそのままにし、パソコンもそのままにする。電気代がどうとなどという心配はしない。ネットニュースで室内で熱中症になる人がいたという記事を読んだからだ。

 二学期が始まるまで出かけることはないと思っていた廉太郎は、クローゼットから服を引っ張り出す。部屋義はさすがにまずい、廉太郎には働いたら負けTシャツを着て外に出る度胸はない。


「いってきま――――――」


 ドアに手を掛け外に出ようとした廉太郎だったが、ドアを開けた瞬間に感じた熱気に思わずドアを閉めてしまった。もう一度覚悟を決め外に出る。


「暑い……暑い……」


 ゾンビのようになりながらドアを閉める。何日ぶりの外だろうか。

 そう思いながら廉太郎は歩き出そうとしたが、隣からドアの開く音が聞こえ思わず立ち止まった。隣の部屋、騒音を出している隣人が気になってしまったのだ。誰が出てくるのかを横目で見る。

 隣のドアから出てきたのは制服姿の女子高生だった。黒髪にショートヘアー、一見暗い雰囲気の人かと思うが廉太郎を見て笑顔になり駆け寄ってくる。その姿は引きこもっていた廉太郎にはとても輝いて見えた。


「あっ、お隣さんですよね!」

「あ、えっと……そうです」


 久しぶりに人と話をしたため言葉に詰まってしまう。廉太郎は外に出ているという時点でこの人も自殺願望者だ、と考えることによって緊張を和らげた。自身も外に出ていることからは目を背けている。

 女子高生の着ている制服は廉太郎の通っている高校の制服とは違う。


「やっぱり。お出かけですか?」

「あー……はい。タニダ電機に行くところなんです」

「わたしもその近くに用があるんですけど、よかったら一緒に行きませんか?」

「え、いや、それは……」

「ダメですか……?」

「ま、まあ行く方向同じだし、いいですよ」


 廉太郎は女子高生の上目遣いに簡単に負けてしまった。心の中でお隣さんだし親しくするべきだ、などと言い訳をしながら了承する。


「ありがとうございます! あの……わたし一年生ですし、敬語じゃなくていいですよ?」

「あ、そうなんだ。えっと……吉野(よしの)さん? だっけ」

「はい! 吉野(よしの)景乃(かげの)です。水瀬さんですよね……先輩って呼んでも、いいですか?」

「お、おう。構わないぞ」


 先輩かぁ、今までそう呼ばれたことが数えるほどしかないから新鮮だな。と考えながら廉太郎は歩いた。

 流石にこっちから話題を出すべきだよなと思った廉太郎は、景乃の通っている高校となぜ制服を着ているのかを聞くことにした。


「なあ、なんで制服着てるんだ?」

「えっと……夏期講習があったんです。帰ってきてから着替えなかったので汗の臭いとかついちゃってるかもですね……すみません」

「いやべつに、気にしないけど。その制服ってどこの高校だっけ」

幽々高(ゆゆこう)です」


 幽々坂(ゆゆさか)高等学校、隣町にある高校だ。

 俺の住んでいる団地から自転車でもまあまあの距離があるので、汗が気になるというのは頷ける。


「へぇ、幽々高って遠いだろ? 大変だな」

「はい、暑いので熱中症にならないようにしないとですね」


 ミーンミーンとセミが大合唱している。暑いという単語を聞いてから、廉太郎は、さらに暑さを感じるようになった、気がした。

 歩き続けると陽炎が揺らめく歩道から離れ、木陰が揺れる坂道に道が変わる。この先を少し歩いたらタニダ電機に到着する。そこまで来たのに別れないので、廉太郎は景乃がどこに行こうとしているのかを聞くことにした。


「そういえば、どこに用があるんだ? タニダ電機の近くって何かあったっけ?」

「えっと、ここです。ここに用があるんです」

「ここ?」


 景乃の向いている方向を廉太郎も見た。そこには、フェンス越しに沢山の墓石が並んでいた。

 墓地だ。

 タニダ電機の隣には、墓地があるのだ。


「墓場、か」

「あの、先輩……一緒に行きませんか? お墓参り、してほしいんです」

「わかった」


 普通だったらその日に出会った人と一緒にお墓参りなんてしない。だが、廉太郎はなぜかすぐにその提案を了承した。


「い、いいんですか?」

「おう。せっかくお隣さんと話す機会ができたからさ、もう少し話したくなったんだ」


 俺らしくない、と廉太郎は思った。

 暑さで頭がやられてしまったんだなと結論付けて墓地に入る。心なしか涼しく感じた。コンクリートから離れたからだろうか、それとも、墓地だからだろうか。


「ここです」


 水を汲み、しばらく歩いたところで景乃が立ち止まった。目の前には、黒く綺麗な墓石があった。墓石には『吉野家』と掘られている。

 不謹慎ながら、某牛丼チェーン店が頭に浮かんでしまう。反省しつつ、廉太郎は景乃の顔を見る。


「なんだか、牛丼屋さんみたいですよね」

「自分で言うのかよ……」

「ふふっ、いいんです。みんな、言ってますから。それより先輩、お参りしましょ」

「ああ」


 景乃は、小さなカバンから線香とライターを取り出す。線香に火をつけようとするが、ライターが小さくなかなか火がつかない。


「俺がやるよ」

「す、すみません」


 ライターと線香を貸してもらい、線香に火をつける。線香の先端の火を振って消し、廉太郎は景乃と自分の半分に分けた。


「先、どうぞ」

「ん、わかった」


 線香を置き、水を墓石に掛け、手を合わせる。

 次は景乃の番だ。

 しかし、廉太郎が墓石から離れても景乃は動かなかった。


「どうした?」

「なんでも、ない、です……」

「お前、泣いてるのか……?」

「す、すみません……」


 謝りながら、景乃はお墓参りを済ませる。


「あ、あの。わたしは水を片付けてきますから、先輩はタニダ電機に行っててください」

「え? いや、俺もついてくよ」

「だ、大丈夫ですから! 今日は本当にありがとうございました! それでは!」


 景乃はそう言い残し走り去ってしまった。女性を男性が追いかけたらあらぬ誤解を生みそうだと考えた廉太郎は、追いかけるのを諦め、タニダ電機へ向かった。


* * *


 タニダ電機に向かうと、廉太郎の使っていたマウスが丁度安売りされ始めるところで、遅れて入店したことにより安く買うことが出来た。

 帰宅し、景乃にお礼を言うついでに連絡先でも聞いておこうかと考えた廉太郎は、景乃の家のインターホンを押した。


「はい」

「あ、えっと。景乃さんの知り合いなんですけど」


 ドアを開けたのが景乃の母親だったため、廉太郎は背筋を伸ばして知り合いであることを伝えた。


「水瀬さんの……わざわざすみません。娘もきっと喜びます。さ、上がってください」

「……? お邪魔します」


 暗い顔をした景乃の母親は、廉太郎を家に上げた。そして、部屋に通し奥に入るように促す。


「あの、景乃さんは……」

「娘がいなくなってから、二年が経ちました。確か……水瀬さんは高校三年生だから、娘と同い年ですね……」

「えっ……?」


 廉太郎には景乃の母親が何を言っているのかわからなかった。いなくなる、同い年、どういう意味だ。


「なんだよ……これ……」


 誰にも聞こえない小さな声で呟いた。廉太郎の目の前には、楽しそうに笑う、先程別れた景乃の遺影があった。

 遺影の近くには、剥がし掛けのシールがいくつもあった。そのシールが貼られているのは、丁度廉太郎の部屋の壁の、反対側だった。


 それより後のことは、よく覚えていない。気がついたらパソコンをシャットダウンした状態にしていて、ベッドに横になっていた。


 その日を境に、ガガガという夏の騒音は隣人の少女と共に姿を消した。

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