理不尽はどこから顔を出すかわからない
「あー、つまんねぇなぁ」
紺のブレザーに身を包む少年。名を餡野 王子という。名前でわかる通りイマドキの少年だ。
容姿端麗、文武両道。彼は何をしてもうまくいき、何もしなくても異性に好かれた。
彼はそんな人生をそれなりに楽しみ、そしてそれ以上に退屈に感じていた。
「よっ! 今日も憂鬱そうな顔してんなぁ」
学校への道をダラダラと歩く王子の背中にバシッと大きな音を立てて鋭い衝撃が走る。冬の寒気で冷えた身体には少々堪える痛みだ。
「痛ぅ……何すんだよ大門!」
振り向いた王子の前には、彼と同じブレザーの筈なのに、見た印象がかなり変わる少年が悪戯な笑みを浮かべている。
前を開き、かなり着崩したジャケットから覗くのは目が痛くなるような蛍光色のイエロー。背中からはフードが飛び出している。
スラックスはダボっと履き崩しているが裾は擦っていない。本人曰く、買った時は成長を見越して大きめに買っていたらしいそれは、読み通りに190cmを越えた彼には丁度良い大きさになっていた。
そんな大柄の少年の名は藻部 大門。
「悪りぃ悪りぃ。そんな痛かったか?」
「当たり前だろ。自分の身体のデカさを考えろよ」
王子は摩ろうにも手が届かない背中へと懸命に手を伸ばしたが、少しして諦める。
少しも悪びれない相手に悪態をついてから隣に並び歩き始め、そして──
「あっ! テメェ避けんなよ」
「へっへー。王子の考えくらい見え見えだよ」
不意をついて放った筈のローキックをヒョイっと簡単に躱されてしまった。
その後も戯れあいながら進む二人。王子が背中への平手打ちやローキックを繰り返すが全て避けられる。文武両道の彼だが運動だけは大門には負けっぱなしだった。
いつしか道の真ん中で真正面から組み合う形になった二人。
「なぁにやってんだか。二人とも遅刻するよ?」
そんな二人の横をふわりと甘い香りが追い越す。ついで目にとまるのは長い黒髪を後ろで纏めた少女だ。
「姫ちゃんおはよ」「よぉ、姫川。コイツが避けるのが悪いんだよ」
姫川 月乃。王子と同等に学校の有名人だ。副生徒会長にして、クラス委員長、そして唯一王子に普通に接することができる少女。
「どうせくだらないことでしょ? アホみたいなことしてないで、ほらはやくいきましょ」
アスファルトでローファーを鳴らし、くるくるっと回る月乃。
「いたぁ⁉︎」
そんな月乃に見惚れた大門の足を踏みつけて、意趣返しが出来たと満足そうに王子は歩を進めた。
学校に着き、授業を受け、難解な英文をスラスラとネイティヴに読み、今日も退屈だと王子は教師の絶賛する声を子守唄に机に突っ伏し、瞳を閉じる──
『そんなに退屈ですか?』
──ッ⁉︎
不意に聞こえた声に頭を上げる。王子は目に入るものに愕然とする。
一面の灰色。机も壁も黒板も教師も同級生も、窓から見える空さえも灰色で染まっていた。
いや、真に驚愕としたのは、そのいずれもが時を止めていたのだ。
「なん──ッだこれ……」
王子が慌てて立ち上がったその椅子も、倒れようとするその姿を空中で静止させていた。
──どうなってる……?
状況が全く掴めない王子はその場で立ちすくしたまま考える。
──下手に動かない方がいいか? それとも動くべきか?
糖分を一気に消費しながら脳をフル回転させる。そして王子がとった行動は──
「見てるんだろ? 姿を見せろよ」
『驚きました。気づいてらしたんですか?』
王子は極力動揺を隠す。目の前、といっても数メートル離れた位置にある教壇の上に一人の少女が腰掛けていた。王子が言葉を投げかけてから瞬きはしていない、だが彼女はそこにいた。いや、動画のフレームに割り込んだように急に姿を現したのだ。
そして少女の言葉に対する返事はこうだ──“気づいてるわけねぇだろ”。だが王子はそれを口には出さない。
オカルトを信じているわけではないが、渦中に放り込まれた以上、何か得体の知れない力を持った存在による行為だとほぼ確信して声を投げたのだ。
「当たり前だろ? それで? 何が目的だ?」
『二度目の驚きです。こういったことは初めてではないにしても、ここまで冷静な人物に出会ったのは初めてですよ』
少女は目を丸くし、パチクリと長い睫毛を上下させる。
そんな少女を前に、王子の胸はドキドキと早鐘を打っていた。
──冷静? ンなわけあるか。なんだこの状況は。誰だお前は。聞きたいことは山ほどあるわ。
そんな心中とは裏腹に王子は極めて冷静を装い、言葉を紡ぐ。
「あれか? 俺に何かやらせたいことでもあるのか?」
『いえいえ、そんなことではありませんよ。ただ見ているととても退屈そうでしたので、声をおかけしたにすぎません』
──つまりは何か。暇そうにしてたから話しかけてやったぜ、ってことか?
「確かに退屈だ。何をしても望む結果が出る。努力しなくても達成できる。楽しみなんて無いに決まってるだろう」
王子は長年の苛立ちをぶつけるように少女に吐き捨てる。普段ならうまく話をすり替えて躱すところだが、こういった態度をとってしまったのは彼もこの状況で冷静ではなかったからか、はたまた初対面の非常識な人間相手だったからか。
だが、少女はそんな王子の言葉をどう受け取ったのか、嬉しそうな顔で笑い、顔の前で手を合わせる。柔らかそうな両手は音を立てずに形を変える。
『そうですよね! よかったぁ! 違ったらどうしようかと思っちゃいました』
──よかっただ? ふざけてんのかこいつ。
少女の相手の心中などお構いなしな振る舞いに苛立つ。
『そこでなんですが、貴方にとっては魅力的な提案をしにきました』
少女はニコニコとした顔でそう言葉を続ける。
「魅力的な提案?」
『はい! 退屈そうな方にこの提案をしているんですが、皆様一度聞いてからお断りするんですよぉ。どうしてでしょう?』
話の本筋を進めずにホワホワとマイペースな少女に王子は三度目の苛立ちを募らせる。
「その提案が魅力的じゃなかったってことなんじゃないか。そんなもんなら俺も断るかもしれないだろ」
どれくらいの相手に声をかけたかわからないが、全員が断るような提案。
そんなものはろくなもんじゃないと言っているようなものだ。王子はそう判断し、早々に話を切り上げようとそう少女に告げ、腕を組み両目を瞑る。
『そんなぁ。物は試しと聞いてみるだけ聞いてみてくださいよぉ』
「うわっ⁉︎」
少女の縋るような声に目を開くと、目の前にあったつぶらな瞳と視線が交差する。
ほんの一秒足らずで5mは前方にある教壇の上にいた少女は目の前に移動し、ハの字に曲げた眉毛の下、潤んだ瞳で王子を見ていた。
「近い!」
『ね、一度お話だけでも聞いてみましょ? ね、ね?』
「わぁかった! わかったから離れろ!」
王子は更に近づく少女に身を引きながら了承を口に出し、手で接近する頭を押しのける。
『やったぁ。それじゃあ説明しますね。こほん。
今を退屈する少年よ。我の力を以って、その魂を解き放ち、困難なる道のりに挑戦してみぬか?』
「……なんだそれ? 何かのロールプレイか?」
急に畏まり、威風堂々と発言する少女に王子は呆れ顔でつっこむ。先ほどまでの醜態を考えれば当然である。
『いやぁ。こうやって言う決まりなんですよぉ。えーっと簡単にいうと、魂を分解して、ちょっとだけ攻略の難しい世界に挑戦してみないか? ってことです!』
「あぁ、なるほどな。最初からそう言えよ。とはいえ──」
──つまりは、今の生活を手放して、新しい生活をするってことか? うーむ……
表情を早々に戻した少女を前に、その発言を吟味する。
――目をつぶったまま王子が黙り込んで五分ほど。ウズウズと動いていた少女が我慢できずに口を開いた。
『あのぉ……? どうしま──「よし! きめた!」
突如目を見開き叫ぶ王子に少女は『フヒャァ⁉︎』と驚きの声をあげ、仰け反り、地面を二、三度転がった。
「決めたぞ。俺はお前の提案に乗ってやる」
『ほ、ほんとですか⁉︎』
王子の発言に転がった格好のまま、叫ぶ少女。そんな少女に手を差し伸べ、王子は起こしてやる。
「それで? どうするんだ?」
『えーっとですね。ちょっと待ってくださいね』
王子に背を向けて何やらパラパラとページをめくる音を立てる少女。
「おい……まさか、よく知らないもんを人に提案してたんじゃないだろうな……?」
『そそそ、そんなわけないじゃないですか! ただここ数年承諾してくれる方がいなかったので、細かい手順を忘れ──いえ、念のため確認してるだけですよ!』
──完全に忘れてやがったな。
少女に呆れる王子を前に、パラパラとめくっていた手を止め、小さくよしっと呟いた少女が向き直す。
『こほん。それでは、術式を展開します。星を廻る輪を紐解き──』
少女が長々と詠唱を続けると、青白い光が王子を包み始める。
「そういやさ、これってどういう状況になるかわかるのか?」
王子は楽しみを削るまいと聞かずにいた事を少女の間抜けっぷりで少し不安になり問いかける。
『──汝、今一度魂を昇華し、星を巡らん! ……あ、詠唱終わりました。あと一分程で自動的に発動します。それで、えっと、どういう状況になるかですか?』
「そうだよ。簡単にチュートリアルをくれ」
詠唱を紡ぎ終わり、小首を傾げる少女に簡単な補足を挟んで再度質問する。
『えーっと、そんなものないですし、私にも次回どうなるかなんてものはわからないですよ? 完全にランダムですもん』
「は?」
少女はそんなことを言ってニッコリと笑った。そして呆けた顔をした王子をひときわ眩い青光が包む。
「ハァァァァァ⁉︎」
閃光が晴れた時には王子の姿はなく、王子が使っていたあらゆるものは、最初からその存在がなかったように消えてしまっていた。
『ふぅ。これでノルマ一件消化っと』
少女がそう言って姿を消したあと、灰色の世界はジンワリと色を取り戻し、全てのものが時を正常に戻していった。
◆
王子は光の中を漂った。フワフワと空を舞う綿毛のように。
最初は肉体だった。手足の先からボロボロと崩れ落ち、崩壊する。だが、不思議と痛みはない。
肉体が全て無くなった後、双眸は崩れ落ちた筈なのになぜか光は見えていた。
そのまま光の中を進んでいると徐々に精神も光に飲み込まれるように霞んでくる。不思議と恐怖はなかった、眠りに落ちる微睡みのように穏やかで気持ち良いものだったからだ。
こうして、餡野王子という存在はこの世界から姿を消した。
◆
王子が次に意識を取り戻した時、不思議な感覚を覚える。目がついている感覚がないのに、辺りの様子がわかる、というものだ。
──どうなってんだこれは。というか、体……動かないな。
見える景色はどこかの天井。それも丸く切り取られた視界を透明なセロファンのようなものに覆われた状態で、だ。
──うぅむ……どうしたもんか……あれかな、生まれたばかりで新生児カプセルかなんかに入れられてるのか? ん? なんだこの音。どこかで聞いたことがあるような……
そうこうしていると、聞こえてきた音になにやら覚えがある気がする。なんだったかと記憶の引き出しを引いていると今度は浮遊感に見舞われる。
ガサガサという音を立ててどこかに移動するような感覚で酔いそうだなと思い始めた頃、ふっと揺れがおさまった。
そして眩しい光に目が眩んでいると角度が変わる。正面にまっすぐと続く廊下。これもどこかで見たことがある風景だった。
視界を意識の端に置き、記憶の旅を巡る。すると声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。
「おばちゃーん、これちょうだい」
「あいよ、アンパン一つ108円ね」
──この声は……大門? いや、ていうか今なんて言った? アンパン?
混乱する王子の思考を置いてけぼりにして、またも浮遊する感覚。視界が目まぐるしく変わる。
──揺れる揺れる! もっとゆっくり動けよテメェ! ていうか、丁寧に扱え!
聞こえるはずのない文句を一生懸命に訴える王子の気持ちを知る由もない、体格の良い人間時代の友人は、鼻歌混じりに小走りで廊下を進む。
「ふんふーん♪ 姫ちゃん確かアンパン好きだったんだよねぇ。これでお昼誘っちゃおーっと」
──コイツ……人が大変な時に色ボケしやがって!
ガラガラという音を立て、教室の引き戸が開かれる。そして、ザワザワと昼休みの喧騒が流れる中を体格に似合わず少年のような少し高い声で叫ぶ大門。
「ひっめちゃーん。お昼食べよーぜー!」
「藻部くん。姫ちゃんはやめてくれない? というか、お昼は紗香達と食べるのよ、ごめんね?」
そんなぁという嘆きの声をあげる大門に、気持ち悪い声出してんじゃねぇよ、とつっこむ王子の声はやはり届かない。
月乃に振られた大門はトボトボと自分の席に座った。
そして──
「残念……仕方ない。自分で食うかぁ」
バリバリという音が側面から聞こえ、袋越しとは違う押さえつけるような感覚を受ける。
──おい……ちょっと待て、おい! 待て待て待て待て──っ!
ゴクン──ッ
こうして、餡野王子という存在は世界から二度目の消失を迎えた。
だからどうした。という感じで終わりになりました。
そのうちこの作品の一部を使って現代異能バトル物か転移転生ものを書こうかなとか思う。
そして、三人称ちょっと上達したような気がするけど、どうなんだろうか。