第八話 「ぬくもり」
「う〜ん」
俺はベッドから身を起こし、思いっきり体を伸ばす。
時期は夏。
さんさんと降り注ぐ紫外線。
元気が良すぎるお日様。
殺人級の気温の高さ。
しかし、そんなデメリットを払拭するメリットが存在するのも夏。
「もうすぐ夏休みか……」
それだけが唯一の救いだ。
まぁ、地獄の夏休みの課題が待っているのも事実である。
色々と夏休みの計画を立てておかないとな……主に遊びだけど。
俺はそんな夏休みを楽しみに今日も学校へ登校する。
何時ものように台所に朝飯を食いに足を運ぶと、今ではなんら違和感なく
俺の家で朝食を摂っている舞の姿があった。
「おはよう、亮介」
「おはよう。あれ? 今日は渚が居ないけど?」
何時もの席に座っているはずの渚の姿が無かった。
「まさか舞、殺……」
「なわけないでしょ。白鳥さんなら朝から姿が見えなかったわよ?」
「……そうか」
居ないのなら仕方ないと、俺は席について朝食を摂る。
いつも居るはずの席に誰かがいないと何故か気になる。
少し不安を抱きながらも朝食を口に運ぶ。
舞と一緒に登校し、教室へと入る。
辺りを見回したものの、やはりここにも渚の姿は無かった。
「なぁ正輝、渚見なかったか?」
「白鳥さんか? いや、見てないぜ」
丁度その時、朝のHRを告げる鐘が鳴り響く。
教室にルビアが入ってくる。
俺はルビアに訊ねてみる事にした。
「先生、白鳥さんは休みですか?」
「ええ。お嬢……いえ、渚さんは風邪で今日はお休みです」
風邪という言葉に俺はホッとする。
もしかしたら誘拐でもされたのではないかと不安だった。
ルビアが連絡事項を伝えてHRは何事も無く終了した。
そして、休み時間。
「来たー! チャンス到来!」
やけに興奮気味の正輝に対して冷ややかな視線を俺は送る。
よく分からんが、とにかく落ち着け正輝。
「何がチャンスなんだ? 正輝」
「お前はわからないか? 白鳥さんが風邪で寝込んでいるんだぞ?
お見舞いにいくんだよ! お見舞い! 好感度アップだぞ?」
「あ〜、成る程」
確かに正輝の言う事は正論である。
俺もちょっと心配だから正輝の意見に賛成だ。
「正輝、何時行く予定なんだ?」
「学校終わって直ぐに……」
「必要ありません」
突然の言葉に振り向くと、そこには担任の姿をしたルビアが立っていた。
「えっ? 必要ない?」
「はい。渚さんの家には数多くの召使いがおられますから、あなた達が行くだけ
無駄と言うものです。特にメイドの方が渚さんを手厚く看病しておられますからね」
そういって、ふふんと笑うルビア。
召使いさんはともかく、まさか自分の事を自画自賛するとは。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよルビア先生! 俺は白鳥さんの
風邪が非常に心配なんです。多分彼女も俺を待っていると思うんですよ?
この絶好の機会を逃す訳にはいかないんですよ」
「待っていないですし、機会は既に無いです」
ルビアの容赦ない本音が正輝に多大なダメージを与える。
胸を押さえて精神的なダメージに苦しむ正輝。
「くれぐれも見舞いに行こうなどと思わないように」
俺達に釘を刺して教室を後にしていくルビア。
まぁ、確かに俺達が行った所で渚の風邪が治るわけでもないのは確かだ。
順調に授業は進んでいく。
しかし、頭の中では何故か違う事を考えていた。
気になって仕方が無い。
気にしたところでどうにもならないのは分かってはいる。
あ〜……やっぱり駄目だ!
俺は放課後になると、すぐに職員室へと足を運んでいた。
「失礼します、ルビア先生いらっしゃいますか?」
俺は職員室の扉の前で一礼した後、あのメイド担任の姿を探す。
しかし、職員室にあのメイド担任の姿は無かった。
渚の事もある、もう既に帰ったのかも知れない。
俺は半ば諦めかけで職員室から立ち去ろうとした時。
「どうしたのですか? 神崎亮介君」
「うわっ!」
目の前に突如現れるメイド担任。
正直、そろそろ普通に出てきてもらいたいものだ。
「いや、その……やっぱり見舞いに行く事はできないかな?」
俺の言葉にルビアは驚いた表情をする。
「意外ですね。てっきり他の女性と一緒に帰るとおもわれたのですが」
「あのな……」
「本気でお嬢様の心配をしてらっしゃるのですか?」
「え? そりゃ勿論」
ルビアは少しの間何かを考えている様子。
そして、俺の目を真っ直ぐに見つめながら。
「いいでしょう、あなたがお嬢様を本気で心配しているというのであれば
お嬢様にとってもプラスになるはずですからね」
「! ほ、本当にいいのか?」
「ええ。ただし、あなた一人だけです。これから帰る支度をした後、
直ぐに私は戻るので、ついでにあなたを車に乗せていきましょう」
ルビアがそういうと、自分の身の回りの整頓をし始める。
俺はそれが終わるまで黙って見ていた。
◆
俺達を乗せた黒塗りの車は既に郊外の森を進んでいた。
車の中では俺が幾ら話題を作ろうとルビアは返事をしなかった。
気まずい雰囲気が流れる。
しかし、どうして俺が見舞いに行く事を許してくれたのだろうか?
今朝はあれほど拒んでいたというのに。
だが、今その理由を訊ねたとしてもきっと返答はないだろう。
そんな事を考えていると車は豪邸に辿り着く。
重々しい鋼鉄の扉が開き、豪邸の中へと入っていく。
そして、渚の居る部屋の前までルビアと一緒に足を運ぶと。
「では、ここから先は亮介様だけでお入りください」
「えっ? あんたは?」
「私はお嬢様の食事の支度に、薬の手配などやる事が山ほどありますから
すぐに行く事はできません。ですが、もしお嬢様に何かあればあなたの命は
有りませんから。そこの所を肝に銘じておくように」
メイドは俺を脅した後、忙しそうに何処かへ走っていった。
俺は扉の前で呆然と立ち尽くす。
しかし、ここまで来たからにはやるべき事は一つだ。
俺は扉を数回ノックした後、ドアノブに手を掛ける。
「おーい、渚、入るぞ?」
ゆっくりとドアノブを回して中の様子を伺いながら部屋の中に入る。
相変わらずの広い部屋。
そして、そんな広い部屋の中一人寂しく大きなベッドに横たわる女性がいた。
おでこの所に氷嚢。
熱の為か、頬がうっすら赤くなっている。
髪は乱れ、薄いベージュ色の寝巻きを着ている渚の姿があった。
渚の苦しそうな表情を見て俺は急いで近くに駆け寄った。
「おい! 大丈夫か渚?」
俺の声に反応して、閉じていた目蓋がゆっくりと開く。
目はうつろで、焦点が定まっていない様子だ。
「あれ? どうしたんだろ? リョウ君の幻覚が見えてきちゃった」
「いや、幻覚じゃないから」
「……え? 本当に?」
「ああ。本当に俺だ。心配で見舞いに来たんだ」
「……えーー!?」
突然の渚の叫び声。
耳元で叫ばれた為、耳が割れるように痛い。
そして、先程まで本当に寝込んでいたのか分からない程元気良く体を起こす渚。
「どどど、どうしよう! 髪もセットしてないし、こんな寝巻き姿だし、
恥ずかしいよー!」
あたふたと慌てる渚。
まぁ、とりあえず渚が元気でなによりだ。
「み、見ないで! 見ないでリョウ君!」
「えっ? どうして?」
「だ、だって……こんなみっともない姿見られるの嫌だから」
そういって布団を口元まで思いっきり被る渚。
元々熱で赤かった頬がさらに赤く染まっていた。
「いや、別に気にしてないけど?」
「リョウ君が気にしなくても、私が気にするの!」
そういって布団を覆いかぶさる渚。
こういう時、どうすればいいのかと言うと。
「そうか? 別に今のままでも渚は充分可愛いと思うけど?」
とりあえずおだててみる。
どうやら脈ありのようで、ピクリと体を一瞬動かすと、渚は布団から顔を覗かせる。
「ほ、本当に?」
「ああ。俺は嘘は言わない」
その言葉に渚は少し笑顔を見せてくれた。
それは子供の時に見たあの時と同じで、見た者を幸せにしてくれるような笑顔だった。
その時、扉が不意にノックされる。
「失礼します、お嬢様。具合の方はいかがで?」
ルビアが食事を持って部屋の中にはいって来た。
そして、俺と渚を交互に見た後、ベッドの近くにある丸テーブルの上に食事である
土鍋に入ったお粥を置いた。
「何か変な事をされませんでしたか? お嬢様」
イキナリそんな質問を渚にするメイドさん。
俺って全く信用されてないようですね。
「大丈夫よルビ、リョウ君はそんな人じゃないわ」
そういって微笑む渚。
ああ……その言葉が俺にとって何よりの救いです。
渚の言葉にメイドさんも納得したようだ。
「それではお嬢様、私はこれで」
「えっ? もう行くの?」
「ええ。残念ながら私も多忙ですので。そのかわり、ここに居る暇な方に
お嬢様の看護をお任せします」
「えっ? 俺?」
メイドさんらしかぬ配慮。
本来なら、「二人きりなどさせては何があるかわかりませんから、私はここで
待機させていただきます。何かあれば即刻この男の首を刎ねるつもりです」
などと、言いそうなのだが……。
「それでは」
あっさりと部屋から出ていくメイドさん。
俺はそのあまりの潔さにやや不安に駆られる。
「どうしたんだ? 今日は?」
「もう……ルビったら」
とりあえず俺は近くにあった椅子に座りこむ。
「渚、食事できるのか?」
「うん、何とか」
俺は丸テーブルにおいてあった粥をレンゲですくいあげると、
それを渚の口元にまで持って行った。
「えっ? り、リョウ君?」
「持つの辛いだろ? ほら、アーンして」
渚は何処と無く恥ずかしそうにしていたが、やがて口をあけて粥を食べてくれた。
そして俺はまた粥をすくって渚に食べさせていた。
粥を食べさせた後、俺は今日学校で起こった事をとりあえず喋っていた。
そんな他愛も無い話を渚は黙って聞いてくれていた。
俺が喋り終えた後。
「ねぇ、リョウ君」
「ん?」
不意に渚が俺に話しかけてきた。
「リョウ君にお願いがあるんだ」
「俺に?」
「聞いてくれる?」
「まぁ、俺にできることなら」
渚は少し照れくさそうな表情をする。
俺の顔を恥ずかしそうに見つめながら。
「手を……握ってもいい?」
「手?」
「……駄目?」
「いや、そんな事でいいのなら」
俺の言葉に嬉しそうに目を輝かせる渚。
渚は布団から片方の手を俺の方に差し出してくる。
俺はその手を両手で優しく覆い被せるように握る。
「あっ……」
「ん? どうした? 俺の手何か変だった?」
「ううん、そうじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「その……大きくて温かい手だと思って」
渚の言葉に少し俺は恥ずかしくなる。
そんな事を言われたのは初めてだ。
お互いの手を握った状態で二人の時間が止まる。
何時声をかけようか迷った。
何時この手を離そうか迷った。
だけど、結局何も出来なかった。
なぜなら、渚の嬉しそうな顔がそこにあったからだ。