第四十五話 「ぽっかりと空いた穴」
昨日の言葉は夢だと思いたかった。
だが、今朝教室に入ったとき、それはあっけなく否定された。
何時もの場所にあった筈の机は姿を消していた。
それを見て改めて実感させられた。もう、彼女には会えないのだと。
「正輝、一緒に帰らないか」
学校が終わって放課後になり、俺は正輝を誘ってみる。
正輝は俺が誘ったのが意外だったのか、目を丸くして呆然としていた。
「おい、どうした亮介? 何か悪い物でも食べたのか?」
「……なんでそうなるんだよ」
「いや、だって、今まで俺が誘っても来なかったのに、突然亮介から俺を誘うなんて
明日雪でも降るんじゃないか?」
夢じゃないよな? と自分の頬をつねって確かめる正輝。
「それでどうするんだ正輝? 一緒に帰るのか? 帰らないのか?」
「帰る、帰るよ。亮介から誘うのは非常にめずらしいし、今日みたいな日が今後あるかどうか
分からないからな」
鞄を持って俺たちはそそくさと教室を出て行き、街中へと赴く。
ゲームセンターやCDショップなどを見て回り、仕上げに男二人でカラオケに
行った。
「ヨシ! これは高得点でしょ!」
俺は一曲歌いきり、確かな手ごたえを感じる。
カラオケマシンの採点が画面に表示される。結果は70点。
「もう一息」とマシンのキャラクターに励まされる。
結構自信があっただけにガッカリものだ。
マイクを所定の位置に戻し、ソファーに腰を下ろした後、
テーブルの上に広げたカラオケのリスト帳をペラペラとめくる。
「次は正輝の番だぞ」
「OK、チャンピオンの腕前を見せて上げましょう」
「期待せずに聞かせてもらう」
ゆっくりとソファーから腰をあげた正輝は、マイクを持って歌いだす。
選曲はなんとも渋い演歌。
拳の利いた歌声が部屋に響く。
一曲歌いきり、再び画面に点数が表示される。正輝の点数は何と98点。
あまりに意外すぎる点数に、思わずえぇー! と叫んでしまった。
得意げな顔をしてソファーへと戻ってくる正輝。
「見たかね? この圧倒的な上手さ」
「おいおい、この機械壊れてるって絶対」
俺はおもむろに立ち上がり、カラオケマシンに近寄ると、ノックするように叩く。
あんな歌声が98点なんて、マシンの採点方法を疑う。
「ふふふ、嫉妬は良くないぜ亮介? 俺とお前には決定的な差があるのだよ」
「決定的な差?」
「そう。それは"魂"! 詰まるところ、感情がないんだよ」
「……感情?」
「今のお前はまるで抜け殻。それじゃあ俺には勝てないぜ? 気持ちを! ハートを
込めるんだよ!」
「…………」
「? あ、あれ? どしたの亮介? そんなマジな顔して? 冗談、ジョーダン」
抜け殻……か。確かにそうなのかもしれない。
今の俺は何をやっても楽しくも無いし、面白くも無い。
どこかポッカリと大きな穴が開いているような気分だ。
埋まる事の無い穴、それが何なのかは分かっている。
だからこうして忘れようと必死に俺は……。
「もしもーし? 亮介さーん? 生きてますか? 死んでますか?」
「悪い、正輝。俺帰るわ」
「エッ!? ど、どして!? 先ほど延長したばっかりだから後一時間は残ってるんだぞ!」
「じゃあ、正輝一人で歌っててくれ」
「お、お前は鬼かー! 何が悲しくて一人で歌わにゃならんのだ! 大体、誘ったの
亮介だろ! 本人が居なくなってどうするんだ!」
必死に引き止める正輝を置いて鞄を持つ。
そしてお詫びとしてカラオケの代金をテーブルの上に置いた後扉から
出て行く。
「り、亮介の薄情者ー! ええい、良いさ! 歌ってやるさ! こうなったらヤケだ!
今から二時間延長して一人で歌ってやろうじゃないか!」
俺はカラオケ店を出て一人ぶらぶらとふらつく。
いや、ふらつくと言うよりも、彷徨うと言った方が正しいだろう。
何をやっても楽しくない。
どうすれば心の中が満たされるのだろうか?
そんな事を考えながら歩いていたら、いつの間にか自然と足が神社に向いていた。
思い出が沢山あるこの場所。
神社を見つめながら今までの渚との過去を思い出していると。
「あれ? 亮介じゃない?」
「えっ?」
突然後ろから声が聞こえて振り返ると、そこには私服姿の舞が居た。
フード付きの白のニットに、デニムという姿。
隣には自転車があり、籠の中には野菜や肉などが入っている買い物袋があった。
どうやら、買い物から帰っている途中のようだ。
「どうしたのよ、こんな所に突っ立って。その姿見ると、まだ家に帰って無いの?」
「……ああ」
「ちょっと、何かあったの? そんな元気ない声出して」
「いや、何でも無い」
「……じゃあ、途中まで一緒に帰らない? どうせもう帰る予定だったんでしょ?」
「いや、家には帰らない。……帰りたく無いんだ」
「えっ?」
俺の言葉があまりに意外だったのか、舞は驚いている様子。
とりあえず俺はその場を去ろうと歩き出した時。
「あっ、待って亮介」
舞に呼び止められる。
舞の方を向くと、なにやら言葉を濁しながら断続的に喋っている。
良く聞こえないので舞に近づくと。
「あ、あのね亮介、もし良かったら私の家に来ない?」
「えっ?」
「ほ、ほら、晩御飯まだ食べてないんでしょ? 幸い、亮介の家と私の家は結構近いし。
良かったらどうかなー……なんて」
アハハ、と引きつったような笑いを口にしながらそんな事を言ってくる舞。
舞の突然のお誘いに驚きを隠せない。
なぜなら、そんな事を言われたのは今まで一度も無かったのだから。
「や、やっぱり嫌よね? ごめんね、変な事言っちゃって。今の言葉は忘れて亮介」
顔を真っ赤にしながら自転車に乗って帰ろうとする舞。
ペダルをぎこちなく踏みながら、おぼつかない様子でフラフラと
家へと向かう舞に俺は。
「まってくれ、舞」
「えっ?」
思わず引き止めてしまった。
何故か一瞬、このまま舞の誘いを断るのはいけないと思ってしまい、
それがこの行動を起こしてしまった。
舞は当然のことながら俺の方に振り返り、言葉を待っている。
参った……。今更何でもないなんて言えないしな……そうだ!
「い、良いのか? 本当に家に行っても? おじさんとおばさんに迷惑
かかるんじゃないのか?」
何とか言い訳を作ろうとそんな質問をする。
そんな俺の質問に対して舞は。
「大丈夫、今日はお父さん達家に帰ってこないから」
苦笑いにも似たような表情でそんな事を言ってきた。
その言葉に自分の体が石になったような気がした。
最早言い逃れは不可能な状況に。
こうして、舞の家で夕食をご馳走になる事になった。