第四十三話 「後悔」
――始まりはお嬢様が中学に入学した頃でした。
突然、目の前が霞むと言ったのがきっかけで、お嬢様の視力が少しずつ落ちていきました。
そんなお嬢様を心配になった旦那様が、病院に連れて行った時にそれは判明しました。
「視神経萎縮」
それがお嬢様の病名。名前のとおり神経が細く萎縮していく病気で、
原因も分からず、治る見込みが無い病気といわれました。
そして、近い内に失明すると宣告されました。
幸い、お嬢様の病気の進行は遅く、中学生の頃はなんら障害がありませんでした。
それを聞いた旦那様は、目が見えているうちにお嬢様の結婚相手を進めてきました。
ですが、お嬢様は全て断りました。
お嬢様は幼い頃からかなりの人間不信であり、白鳥のお嬢様ともなれば、お嬢様目当てではなく、
金目当ての輩も少なからずいるでしょう。
もし、お嬢様の目が見えなくなった時、どういう行動を起こすかなど分かりませんからね。
それから日が経つにつれ、お嬢様はやつれていきました。
頑なに心を閉ざし、何時見えなくなるか分からない恐怖で一晩中起きていた時もありました。
そんなある夜の事でした。
私がお嬢様の部屋に入ろうとした時、中から掠れたお嬢様の声が聞こえてきたのです。
"――会いたい、会いたいよ……リョウ君"
祈るように呟くお嬢様の声。
部屋に入った私はその事を訊ねると、お嬢様は貴方との思い出を話してくれました。
とても嬉しそうに話すお嬢様を見て、私は提案したのです。
"では、会いにいきましょう。そのお嬢様の思い人に。そして、もし良ければ
その人と一緒になられたら良い"
ですが、お嬢様は首を横に振り、私に言いました。
"リョウ君には幸せになって欲しいの。こんな私じゃ迷惑をかけちゃう。
……だからね、私は側に居て彼の姿を眺めているだけで良いの。それだけで……幸せなんだ"
◆◆◆
ルビアの独白が終わり、あまりに想像してなかった事実に俺はただ立ち尽くしていた。
何だよそれ……何だよそれ!
「どうして今まで教えてくれなかったんだ!」
「教えてどうなります? お嬢様の目が治りますか? 同情や情けなど要りません。
だからこそ、お嬢様は貴方に打ち明けなかった。腫れ物に触るような扱いを受けたく
無かったのです」
「けど!」
「お嬢様は貴方の事だけを今までずっと一途に思ってきたのです。残された時間、
貴方と一緒に居る事に使われたお嬢様の気持ちを分かりなさい」
渚は何時も明るい表情を見せてくれていた。
どんなときでも、つらそうな顔や苦しい表情を見た事が無い。
心の底では苦しんでいたというのに。
そんな素振りは一切見せずに。
「渚に……渚に会わせてくれ!」
「出来ません」
「! どうして!?」
「今のお嬢様の心はヒビの入ったガラスのように脆いのです。そんな時に貴方と
会えば心が揺れるでしょう。折角貴方との未練を切ったというのに、
決心は鈍り、お嬢様の心が崩壊してもおかしくありません」
「渚は……渚はこれからどうなるんだ?」
渚の今後が気になる。
学校を辞めて一体何をするというのだろうか?
そんな俺の質問にルビアは顔色一つ変えずに。
「そうですね……顔も分からない、好きでもない男と結婚するでしょう。
どんな風にお嬢様を扱うかはその人次第。例え、ボロ雑巾のようにされようとも」
「! ルビァアアア!」
冷静に語るルビアの罵詈に、我を失い、ルビアの胸倉を乱暴に思いっきり掴む。
その場の怒りで殺しかねない勢いだった。
そんな俺に動じる事無く、冷ややかな眼差しで睨むルビアが居た。
「どうしたのですか? 私は事実を述べたまでです。それに、貴方には
もう関係の無いことでしょう?」
「――! か、関係無いわけ無いだろ! 俺は……俺は! 渚の事が――」
「その先を口にする資格は貴方にありません」
胸倉を掴んでいた俺の手をルビアは払いのけ、俺を見下すような目で
そんな言葉を発する。怒りというより、殺意に近いものが声に含まれていた。
「あなたには非常にガッカリしています、亮介様」
「えっ?」
「貴方はお嬢様を幸せにするどころか不幸にする」
「な、何を根拠に!」
「以前お嬢様の見舞いに来ていただいた時、あなたはお嬢様との
格差如きで付き合わないと言い訳をしました。そして今まで付き合わなかったのも、
お嬢様が言った言葉が原因だった。違いますか?」
ルビアの指摘に返す言葉が無かった。
渚は初めに結婚したいと言って来ていた。それが俺に歯止めをかけていたのも事実だ。
そう、全て渚の思惑通りになっていた。
「そんな些細な障害で挫けるのに目の見えないお嬢様を幸せに? 冗談も大概に
してください。今のあなたでは絶対に無理でしょう。
私は決して貴方を認めません」
「――っ」
俺はどうしようもない怒りに手を握り締める。
何もしてやれなかった……何も気づいてやれなかった!
今思い起こせば気づく点は幾らでもあった。
ルビアは俺の横を通り過ぎて屋上を出て行こうとする。
ルビアはすれ違いざまに。
「今日から三日後、お嬢様はこの街を出て行きます。それまでは私もこの学校に
居ますので、何かあるのであれば私に託しなさい。まぁ……無いでしょうけど」
そして、屋上の扉が開き、バタンと閉じた後。
「っ……う、うぁぁあああ!」
その場に崩れ落ちて泣き叫んだ。
何度も拳を地面に叩きつける。
不甲斐ない自分、気づいてやれなかった渚の心。
俺は……俺は……取り返しのつかない事をしてしまった。