第四十一話 「気づいた思い」
"これ、大事にするね"
彼女の泣き顔。見たく無い、そんな悲しい顔は。
車に乗って遠くへ行く彼女を俺はどうする事も出来なかった。
ただその場で泣きじゃくるしかなかった。
そして、彼女は俺の前から姿を消した。
◆◆
「――夢?」
頬を伝う水の感触で目が覚めた。
体を見ると、全身が寝汗で濡れていた。
嫌な夢だった。
なんで今頃になって、今日に限ってあの日の出来事の夢を見てしまったのだろうか?
今日は渚とデート。
俺は枕の上に置いてある目覚まし時計を見る。現在午前七時。渚との待ち合わせ場所までの
距離を考慮しても一時間程の余裕があった。
俺はゆっくりと布団から起き、支度をする事にした。
顔を洗い、歯を磨き、私服に着替える。
家族は休日という事もあってか、皆夢の中だった。
準備が整った俺は居間に向かうと、そこにはソファーの上でタマが寝ていた。
俺はタマをひょい、と持ち上げるとソファーに座り、俺の膝の上にタマを乗せる。
テレビをつけてある程度時間を潰す。
ニュース番組を見ながら今日のデートについて考えていた。
どうして渚は突然こんな事を言い出したのだろうか?
最近の渚は不可解な行動が目立っていた。
なんというか、渚らしくない。
一抹の不安を抱えながら時は刻々と過ぎ、そろそろ家を出る時間になる。
俺は膝に置いてあったタマをソファーに置いて上着を持って玄関へと向かう。
玄関で靴を履いていると、二階から寝起きの涼子さんがやってきた。
「ん? どこにいくんだ少年?」
「出かけてきます、帰りは少し遅くなるかもしれません」
俺は涼子さんにそれだけ言うと家を出る。
外へ出ると、切るような寒さが肌に伝わってくる。
天候は快晴……と行きたかったが、あいにくの曇り空。
今にも雨か雪が降ってきそうだった。
俺は出来る事なら今日は降らないで欲しいと祈りながら渚との待ち合わせ場所へと向かう。
〇〇〇
渚との待ち合わせ場所に選んだのは駅前にあるオブジェ。
三角のピラミッドの上に球体が乗っただけと、シンプルな金属のオブジェ。
そこに俺が辿り着くと、まだ渚の姿は無かった。
携帯を開いて時計を見ると時間は九時を少し過ぎた頃だった。
待ち合わせの時間は九時半。
俺はオブジェに寄りかかって渚を待つ事にした。
目の前を通り過ぎていく通行人をぼんやりと見つめる。
クリスマスが近い為か、カップルが多く見受けられる。
幸せそうに腕を組んだり、楽しそうに話していたり、少し羨ましく思う。
まぁ、今日は俺もその中の一人になるんだ、デートが上手くいくように心の中で
自分に気合を入れる。
しかし、約束の時間を過ぎても渚は来なかった。
時間は既に十時。
俺は心配になって電話をかけようとしたその時、目の前にきょろきょろと
辺りを見回して近づいてくる渚の姿を発見する。
白い厚手のコートを羽織、手にハンドバックを持っている渚。
俺は急いで渚の下に駆け寄る。
「渚」
「えっ?」
渚は俺に気づかず依然きょろきょろと辺りを見渡す。
俺は渚の肩をトントンと叩く。
すると、ビクッと肩を震わせた後、やっと俺に気づく。
「り、リョウ君何時の間に?」
「ついさっき。それじゃあ何処かにいこうか?」
外は寒い為、出来る事なら早く何処か室内に行きたい。
俺が歩き出そうとした時、不意に渚が俺の手を握ってきた。
「えっ? な、渚?」
渚の握っている手にギュッと力がこもるのが分かる。
俺は渚の気持ちを察して、何も聞かずその手を握り返した。
「……じゃあ、行こうか?」
「うん」
俺たちは手を握ったまま歩く。
渚に行きたい所などを聞いてみるが、どこでもいい、と返事が返ってくる。
正直参った。てっきり渚が何処か行きたい所があるのかと思って計画なんて
立てていなかった。俺は頭の中でこれからの行く場所を即興で組み立てる。
とりあえず無難に映画館へ行く事にした。
映画館に辿り着くと、幸運にも上手い具合に上映時間と重なる。
時間的に都合の良いものが二つ。
一つは恋愛物で何百万人が泣いたとよく聞くフレーズを売りにした映画。
そしてもう一つはハリウッドスターのアクション映画。どちらも評判は良い物だ。
「なぁ、渚はどっちが見たい?」
「……じゃあ、こっちの映画で」
意外な選択だった。
こういう雰囲気なのでてっきり恋愛物に走るかと思いきや、渚が選んだものは
アクション映画だった。
目の前のスクリーンで所狭しと動き回る俳優。
前評判通り、なかなかの機敏な動きと、豪快なアクションで飽きる事がなかった。
俺は片手に飲み物を持って映画を見る……のだが、映画そっちのけで渚の事が
気になっていた。
なぜなら渚は映画を黙ってただ見ていただけだったからだ。
他の人たちはド派手なアクションの連続に声をあげているというのに。
つまらないのかな? うーん、だったら俺が率先して恋愛物選んだほうが良かったかな?
と、少し後悔もあった。
そうして映画も終わり、俺たちは映画館を後にする。
「面白かったね、リョウ君」
「あ、ああ」
うーん、と体を伸ばしながらそんな言葉を口にする渚。
その言葉にほっとする。
「なぁ、それじゃあお昼になったし、ご飯にするか?」
「うん」
渚が快く返事をする。
さて、そうなると何処の店で昼食を取るかという事になるのだが……。
映画館周辺の店をぐるっと見渡す。
やはりここは種類が豊富なファミレスなどが一番だろうか?
いや待て、ここは格好良く向こうにあるフランス料理店などいかがなものか?
などと考えていると。
「ねぇリョウ君、ここにしよう」
「えっ?」
いつの間にか渚がある店を指差す。
そこは小さい店で、暖簾にラーメンと書かれてあった。
ラーメンか……まぁ確かに、こう寒いとラーメンもありかな?
俺と渚はガラガラと店の戸を開けて中へと入る。
店はカウンターの席が六つで、四人座れるテーブル席が三つある小さな店。
壁にはお手製のお品書きが張られていた。
中は人が何人か入っていたが、満席ではなかった。
俺と渚はカウンターの席へと座る。
お品書きを見て俺と渚は醤油ラーメンを頼む。
頭にねじり鉢巻をした中年の店長は、手早く慣れた手つきでラーメンを作る。
かかった時間はおよそ三分。湯気が立ち上るラーメンが俺たちの前に置かれる。
割り箸を手に取り、目の前のラーメンをすする。
「美味しいねリョウ君」
「ああ」
渚の言うとおり味は中々のものだった。
そんな渚の言葉に店主は気を良くしたのか。
「正直者のお嬢ちゃんにはサービスしとくよ」
と、渚の丼に煮卵が一つ追加される。
当然のことながら、隣にいる俺には何も追加される事は無かった。
そして、あっという間にラーメンは空っぽになる。
体も温まり、腹も満たされ大満足。
俺は二人分の会計を済ませて店を出る。
「リョウ君、これ私のご飯代」
そういって渚は俺に千円札を見せる。
「いや、いいよ。こんな時ぐらい俺に払わせてくれ」
「そんなの悪いよ」
「悪くない。渚には以前でっかい誕生日プレゼントもらってるんだ。むしろ足りないよ
こんなのじゃ」
「でも……」
「でもじゃない。だからそれはしまっててくれ」
俺がそういうと、渋々渚はその千円札を財布にしまった。
さて、この後俺たちは色々と店を回った。
雑貨店やデパート。バッティングセンターやゲームセンターなど思いつくところを
手当たりしだいに回る。
渚は何一つ不満など漏らさず楽しそうにしてくれていた。
楽しい時間というものはいつも早く過ぎていく。
気づいてみれば午後七時。
辺りは日が落ち、すっかり暗闇に包まれていた。
さすがにこれ以上遅くいるとルビアがまた血眼になって捜してしまいそうだから
俺たちは近くの公園に寄り、別れる事にした。
「今日は楽しかった、ありがとうリョウ君」
「いや、俺のほうこそ」
互いにそんな言葉を口にする。
「それじゃあ……」
「うん」
そうして別れを告げる。だが、二人共その場を離れるような事をしなかった。
思っている事は同じなのだろう。……まだ一緒にいたい、離れたくない。
言葉の無いまま、お互い顔を見つめた後。
「えっ?」
驚いた声をあげたのは渚。
俺は、自然と腕を伸ばして渚を抱きしめてしまった。
その時、自分の気持ちに気づく。
――俺は、渚の事が狂おしいほど好きなのだと。
ああ、そうだ。子供の頃から好きで、今も尚その気持ちが変わる事は無く、
むしろ以前にも増して好きになっている。
渚の顔をみるだけで安心する。嬉しくなる。ずっと一緒にいたい。
けれど、この思いを伝える事は出来ない。
渚には俺なんかよりふさわしい人間が必要なんだ。渚の幸せを思うのなら、
その身を引くべきだ。
だからこそ俺は渚をおぶって帰ったあの夜、返事をする事が出来なかったんだ。
"俺は、渚の事が好きなんだ"と。
渚は突然の出来事に何も言わず、ただそっと俺の背中に腕を回してきた。
互いのぬくもりを感じる。
そして、そんな時ふと空から白い綿のようなものが降って来る。
「……雪?」
俺は空を見上げる。
空からヒラヒラと粉雪が舞い落ちる。
それは地面に落ちてはかなく消えていく。
雪を見た後、渚の様子がおかしい事に気づく。
俺は抱きしめていた手を離すと、スッ、と渚が離れる。
渚は目に涙を浮かべていた。
「わ、悪い。突然抱きしめたりして」
俺は謝る。だが、渚はただ呆然と立ち尽くしているだけ。
まるで俺の事を見ていないようだった。
「……渚?」
「えっ? な、何でもない、大丈夫だからリョウ君」
渚は涙を拭い、何事もないように振舞う。
だが、どこか様子がおかしいように感じる。
「あの、リョウ君、一つ頼んでもいい?」
「えっ? ああ」
「電話でルビア呼んでもらえないかな? 迎えにきてって」
「わ、わかった」
俺は携帯を取り出し、ルビアに電話をかける。
以前渚を捜すのに連絡するため電話番号は聞いていた為番号は分かっている。
『はい、どうしましたか亮介様』
「いや、その渚がルビアに迎えに来て欲しいって言ってるから電話したんだけど」
『……今、どちらにいますか?』
俺は公園の名前を告げると、すぐに行きます、と言われた後電話を切られる。
渚は空を見上げ、舞い落ちる雪を見つめていた。
とりあえず俺はルビアが来るまで渚の側に居る事にした。
舞い落ちる雪の数は少しずつ増えていく。
ルビアは意外にも早く俺たちの場所へ駆けつけてきた。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
ルビアはすぐに渚の側に近づく。
それを見届け、俺は安心して帰ることにした。
俺は渚に背を向けて歩き出したとき。
「リョウ君」
「ん?」
「……さようなら」
「ああ、また明日。学校で」
俺たちは別れの言葉を告げた。
今度こそ本当の別れ。
俺は手を振って家に帰った。
◆◆◆
翌日、昨日の夜の雪は積もる事は無く、空には青空がひろがっていた。
今日こそは学校で渚に会える、と逸る気持ちを抑えて学校に着くと。
「……あれ?」
渚の姿は無かった。
遅刻かな? と思い俺は机に座って待つ事に。
しかし、朝のHRの時間になっても渚の姿は無かった。
もしかして、昨日のデートで風邪をまたこじらせたのかな? と思っていた。
そして朝のHRが終わった時。
「えー、皆さんに伝えなければならない事があります」
なにやら重苦しく口を開くルビア。
その雰囲気にみんなが騒ぎだす。一体どうしたのだろうか?
ルビアはハッキリとした口調で俺たちに伝えた。
それは、予想もしてない信じられない事だった。
「白鳥さんは、本日を持って学校を辞めました」