第三十九話 「揺れる思い」
外はすっかりと暗闇が包み込む夜。
俺は街中へと足を運び、必死に渚を探し回る。
最近、この周辺の夜は物騒だというニュースもよく聞く。
もしかしたら、と最悪のシナリオが頭によぎる。
街中を探すものの、渚が何処にいるのか全く見当がつかない。
まるでコンパスを持たずに大海原にいるみたいだ。
グルグルと歩いている人の顔を見渡す。
しかし、無情にも時間だけが過ぎていく。
俺は街中を諦めて、子猫がいた場所へと足を運んでいた。
だが、ここにも渚の姿はなく、空のダンボールがむなしく置かれていた。
どうやら渚は猫と一緒に居るみたいだ。
携帯を開いて時計を見てみると時間は午後八時を示していた。
焦りと不安だけが積もっていく。
俺は一旦ルビアと連絡を取る事にした。
「そっちにはまだ帰ってないのか?」
『ええ、連絡も無いままです。その様子だと亮介様の方も駄目ですか?』
「ああ。……くそっ! 俺が、俺がもう少しまじめにあの時捜していれば!
俺のせいだ! 俺の――」
『亮介様、今はそんな事を言っても何の解決にもなりません』
「けど!」
『亮介様、どこか宛ては無いのですか? お嬢様と貴方は子供の頃一緒に居たと
聞きますが?』
「あるわけ無いだろ? そんなのあったら――」
いや、まてよ? 一つだけ思い当たる場所がある。
「一つだけ心あたりがある。とりあえず行ってみる!」
俺はすぐさま電話を切ると、その場所へ足を運ぶ。
道路を抜けてわき道に入り、入り組んだ狭い道を抜ける。
そして抜けた場所には神社があった。
小さな赤い鳥居に、二つの狛犬。
そこに、鳥居の下で淋しそうにしゃがみ込んでいる渚の姿があった。胸には先ほどの子猫を抱えていた。
俺は渚の無事を確認して嬉しさが胸の奥から込みあがってきた。
すぐさま俺は渚の下へと駆け寄る。
「……渚」
「! り、リョウ君? どうしてここに?」
「捜してたんだ。何時まで経っても帰ってこないって聞いて」
「……怒ってる?」
「いや、怒ってない。……さっきはゴメン。渚に酷い事言って」
「ううん、そんな事無いよ。私のほうこそ無理言ってゴメンね」
渚の無事と胸に抱えていた思いを伝えてホッとする。
とりあえず俺はルビアに無事だと連絡を入れる。
渚は未だ胸に子猫を抱えてその場を動こうとはしなかった。
俺はそんな渚の隣に立つ。
「なぁ、その子猫どうするんだ?」
「……放っておけないよ、この子」
「それじゃあ渚が飼うのか?」
「……私の所も駄目なの。ルビアが許してくれないから」
子猫をギュッと抱きしめる渚。どうやら子猫を手放す気は無いようだ。
そんな渚を見て俺は。
「じゃあ、俺が飼ってみるよ」
「えっ? でもリョウ君の家じゃ飼えないって……」
「とりあえず家族と話してみる。それでも駄目だったら……」
「駄目だったら?」
「その時考える!」
その言葉に一瞬ぽかんと口を開く渚。そして、俺の言葉が心底
可笑しかったのか笑い出す。
「うーん、やっぱり無茶かな?」
「頑張ってリョウ君、応援してるから」
ファイト、と俺を励ます渚。まっ、期待に応えれるように頑張ってみましょう。
そして俺は渚から子猫を預かる。
子猫は渚が気に入ったのか、渚から離れるときに悲しそうに鳴き続ける。
渚は俺が抱いている子猫を何度も何度も優しく撫でる。
「そういえば、リョウ君良く分かったね? 私がここに居るの」
「ん? 以前渚に連れて来てもらっただろ? それに……」
「それに?」
「渚と初めて会った場所だっただろ? ここ」
「!」
俺は神社の狛犬の方へと歩く。
ああ、確かここに小さい頃、渚が淋しそうに座っていた。
皆から離れるように、一人膝を抱えて。
子供の時の懐かしさを感じていると。
「リョウ君、思い出してくれたんだ……」
「ついさっきだけどな」
さっき、渚が一人淋しそうに座っていた様子を見たとき、ふと記憶が蘇った。
よほど俺の中でも印象が強かったようだ。
楽しかったな……かくれんぼや鬼ごっこ。皆でワイワイとはしゃいだあの頃。
そんな思い出に浸っていると。
「ねぇ、リョウ君、かくれんぼしてみない?」
「えっ? 今から?」
「うん。もちろん鬼はリョウ君ね」
渚からの突然の提案に戸惑う。二人でかくれんぼか……。
この際だから俺は渚の提案に付き合う事にした。
俺は鳥居の脚に腕を当てて、その上から目を当てて目隠しをする。
片手には猫を抱えたまま。
うーん、もし渚を見つけても捕まえれるかどうか。
「リョウ君、十秒数えてから見つけてね」
「はいはい。あんまり遠くに行かないでくれよー!」
「分かってる」
そして俺はゆっくりと十秒を数える。
「もういいかーい」
「まーだだよ」
渚の声が遠くから聞こえる。
仕方ないのでもう一度十秒を数える事にする。
「もういいかーい」
俺の声が虚しく境内に響き渡る。
渚からの返事は無い。
返事が無いという事は隠れたという事だ。
俺は渚を捜すため、目隠しを解いて振り返ると。
「――え?」
驚いて声をあげる。
なぜなら振り返った矢先、すぐ目の前に渚の姿があったからだ。
名前を呼ぼうとした瞬間、口に柔らかい感触が触れる。
――渚の唇が、自分の唇と重なっていた。
あまりの予想だにしない不意打ちに頭の中が真っ白になる。
ハンマーで頭蓋を思いっきり叩かれたような衝撃が走る。
たった数秒が何時間にも感じられる。
やがてゆっくりと、まるで名残惜しいように互いの唇が離れる。
途端、俺はその場にへたり込む。
心臓が破裂してもおかしくないほどドキドキしていた。
体中の血が沸騰してしまいそうな錯覚に陥る。
俺は渚の方を見上げると、渚は少し顔を赤く染めて。
「キス……しちゃった。ごめんね」
渚は申し訳なさそうに謝る。
いや、謝らなくても、って違う! なんで? どうして?
色んな感情が自分の中で入り混じり、困惑する。
渚に訊ねようとしても声が出ず、まるで金縛りにあったかのように。
ちょうどその時、車のけたたましいブレーキ音が神社の前から鳴り響く。
バタンと慌しくドアが開いた音がしたと思ったら、中から一人の女性が俺たちに
急いで駆け寄ってくる。
「お嬢様! ご無事ですか!」
「あっ、ルビ」
「お怪我の方は? ……おや? どうしたのですか亮介様? そんなところに
座り込んでみっともない。顔も酔っ払いのように真っ赤になっていますし」
「だ、大丈夫、何でもない」
俺は何とか返事をしてよろよろと立ち上がる。
未だに渚とのキス――っ、だめだ。思い出すと頭がくらくらする。
何とか必死に考えないようにして何事もなかったかのように取り繕う。
「それではお嬢様帰りましょう」
「うん。リョウ君、またね」
「あ、ああ」
渚は手を振って俺に別れを告げ、車に乗り込む。
俺はその場から渚を見送る。
そして、神社には俺と腕に抱えた子猫だけとなった。
「なぁ、明日からどうすればいいかな? 俺」
子猫に質問するものの、返答など返ってくるわけがない。
子猫は先ほどの重大なシーンを見ていながらも、ただ可愛くミーミーと鳴いていた。