第三十七話 「心」
――私は家にいらない子だった。
毎日のように父さんと母さんは喧嘩ばかりしていた。
顔を合わせればお金、お金とそればかり。
何でそんなに喧嘩してるの? と親に訊ねてみれば。
"お前は心配しなくて良い。外で遊んできなさい"
いつもの台詞が返って来る。
私は親の言葉に頷き家を出て行く。
何処に行くあても無く、ただ家の周辺をうろうろと彷徨う。
ひそひそと周りの人の声が耳に残る。
汚いものを見るかのようなその視線が私に突き刺さる。
苦しい。苦しい。苦しい。
耳を塞ぎ、目を瞑り、全てから逃げ出していた。
そんなある日、何時もの様にフラフラと歩いていると
神社にたどり着いていた。
そこには何人かの同年代の子が鬼ごっこなどをして遊んでいた。
私はそんな子達から離れるように神社の境内で座っていた。
そんな時、一人の男の子が話しかけてきた。
"ねぇ、一緒に遊ばない?"
私は首を横に振った。
私と遊ぶと迷惑がかかると思ったからだ。
それでも彼は私を誘った。何故そんなに私を誘ってくれるのか聞くと。
"だって一人で淋しそうにしてたから。皆で遊んだらきっと
楽しいと思うし、ねっ?"
彼は気さくな笑顔でそんな優しい言葉をかけてくれた。
嬉しかった。
不思議と涙が出てきたのを覚えてる。
彼はそれを見てすごく慌てていた。
それから私は毎日のようにこの神社へ遊びに来ていた。
私の唯一の楽しみ。
彼に会うのが嬉しかった。
彼は一人の時でも神社に来てくれた。
どんな場所に行っても彼となら苦しい事なんてなかった。
そうして遊んでいると、彼はふとこんな言葉をかけてくれた。
"うん、やっぱり笑った顔のほうが似合うよ"
それから何日も経ったある日。
父さんと母さんが私を呼んだ。
二人とも悲しそうに私を見つめた後――。
"明日、お前は父さんと一緒に引っ越す事になった"
突然の事だった。
私は何度も首を横に振って断った。
けれど子供の言い分なんて大人の事情の前では無理なものだった。
その日、彼と会った後、全て話した。
そして次の日――。
"これ……"
涙ながらに彼は私に一枚の紙を手渡してくれた。
"ごめんね、ごめんね、何も出来なくて……"
くしゃくしゃの顔で何も出来ない自分の不甲斐なさに
彼は謝っていた。謝る必要なんてひとつも無いのに。
そんな彼の精一杯の行動に私は嬉しくて涙が出た。
"ありがとう、これ大事にするね"
それが彼と交わした最後の言葉だった。
それから、彼にもらった紙が奇跡を起こしてくれた。
父は大層喜んでいたのを覚えている。
それからというもの、周りの見る目が変わった。
あれほど冷たい視線で見ていた他の子達も何時の間にか
気持ち悪いほど親切になっていた。
家の中の暮らしもすっかり変わった。
父は多忙で家に帰る事は無かった。
どんなに裕福になっても私は常に一人ぼっちだった。
――会いたい、彼に。
そんな感情が日に日に増していた。
あの頃に戻りたい。彼と一緒にいたあの頃に。
そして、私の中の歯車はゆっくりと悲鳴をあげていく。
軋んだ音を立てながら少しずつ壊れていった。もう元には戻らない。
戻る事も無ければ進む事も出来ない私の中の時間。
それでも私は願った。彼に会いたい、と。