第三十五話 「不穏な兆し」
星が輝く夜空。その下で格式高い料亭から一人の女性が出てくる。
そして、その後ろから料亭を出てきた二人の大人の男性が
彼女に向かって頭を下げる。
彼女はその男性達の方を見ることは無く、そのまま出口の方へと歩いていく。
彼女が出口まで来ると、円月に漆黒の羽模様が飾られた黒塗りの車が待っていた。
お付と思われる中老の紳士が車のドアを開けて彼女を迎える。
それに乗り込む女性。そして乗り込むや否や、片手に持っている
扇子を広げてため息をひとつ。
「全く、今後の為とはいえ、あまり接待されるのは好きになれないですね」
彼女は車の中で一人そんなことをつぶやく。
そして中老の紳士が運転席に乗り込み、車が発進する。
夜の闇に輝くビル郡の明かりが流れるように窓に映る。
それを見ながら思いにふける彼女。そんな時。
「そういえばお嬢様、例の物が届きましたよ」
「? 例の物?」
中老の男性はそういうと、運転席のダッシュボードから大き目の茶封筒を
取り出して彼女に差し出す。まるで見覚えの無いその品物に
彼女は困惑する。
「おや、お忘れですか? 以前調べていただくように言われていたものですが」
「……ああ、あれね」
中老の男性に言われて思い出す。
しかし、彼女は目の前の茶封筒に興味を示さない。
なぜなら彼女が知りたかった事はすでに分かっていたからだ。
自分が気になる女性がなぜこの街に来たのか、その理由を調べるように
中老の男性に彼女は命じていた。
とは言え、そのまま見ずに捨てるというのはあまりにも酷い話だ。
とりあえず彼女は中老の男性から茶封筒を受け取り、中身のレポート用紙に目を通す。
女性の身辺記録、行動、細部に至る所までかかれている。
ざっと目を通していく彼女。
どうでもいい情報ばかりで直ぐに捨てようと思っていたその時――。
「――えっ?」
ある文章に彼女の目が止まる。
いや、釘付けになると言った方が良いだろう。
彼女はその文章を事細かく見直し、何度も何度も読み返す。
「あの、お嬢様? どうかなされましたか?」
あまりに彼女の雰囲気が変わった為、中老の男性が彼女に尋ねる。
「ねぇ、この情報は確かなの? 嘘じゃないわよね!?」
驚いたような表情で彼女は中老の男性に尋ねる。
まるで切羽詰ったような様子。
そんな彼女の言葉に。
「はい、間違いありません。わが社が誇る優秀な探偵が調べたものですから
信用に値する物です」
自信を持って男性はそう言い放った。
彼女は男性の言葉に酷く落胆した表情を浮かべる。
「そう……」
小さく彼女は呟き、再び窓の外で流れる明かりを見つめる。
一枚のレポート用紙を片手に持って。
◇◇◇
体育祭も終わり、秋の目ぼしい行事も無くなった。
普段と何ら変わらぬ授業を受けて何時もどおり学校を後にしようと
帰り支度をしている最中。
「神崎様、少し良いでしょうか?」
「黒羽さん? どうしたんですか?」
なにやらしおらしい態度で黒羽さんが俺に尋ねてくる。
何時もの黒羽さんらしかぬその様子に少し戸惑う。
「これから少し校舎裏にきて頂けませんか?」
「えっ? い、今からですか?」
「勿論です。私は先に行っていますので、失礼」
「あっ、黒羽さん!」
足早に黒羽さんは教室を後にする。
仕方ないので俺も荷物を置いて校舎裏へと足を運ぶことにした。
校舎裏は人気が無く、葉を無くした木々だけが無数に生えていた。
そんな空虚な場所には似合わない存在感ある女性が俺を待っていた。
「どうしたんですか突然?」
「ええ、実は神崎様に――」
「? どうかしました?」
「いえ、何でもありません。……実は、神埼様にお話がありまして」
黒羽さんの言葉に少し胸がドキッとする。なにしろ二人きりでこの状況。
期待するなと言う方が無理というものだ。
そして黒羽さんの口がゆっくりと開く。
「……神崎様」
「は、はい! な、なんですか!?」
「あなたは渚さんのことをどう思っていますか?」
「……はい?」
思いもよらぬ言葉に呆気に取られる。
黒羽さんは至って真剣な表情で俺の答えを待っている。
何故ここで渚の話が出てくるのかが分からないけど……。
「えっと、嫌いか好きかで言われれば好きですけど?」
「……そうですか」
「あの、黒羽さん? もしかしてこの事を聞くだけでここに?」
「いえ、勿論それだけではありません」
「で、ですよね」
俺はホッと胸をなでおろす。
気を取り直して俺は黒羽さんの次の言葉を待つ。
「では神崎様」
「はい」
「渚さんの何処が好きですか?」
「えっと、強いて言うなら笑顔? ですかね」
「では渚さんの――」
「ち、ちょっと待ってください!」
慌てて俺は黒羽さんの言葉を遮る。
さっきからずっと渚の事に関しての質問ばかり。
まるで黒羽さんの意図がわからない。もしや俺をからかっているのでは?
「い、一体何なんですか!? さっきからずっと渚の事に関しての
質問ばかり。そんな事ここで話さなくても……」
「まぁ良いではないですか。私も神崎様が渚さんの事をどう
思っているのかは知りたいものです」
「はぁ……」
「大丈夫ですよ、次が最後ですから」
そう言って黒羽さんは一度ため息をついた後、鋭いまなざしで
俺を見つめる。
「神崎様、渚さんに変わった事はありませんか?」
「えっ? 変わったこと?」
「ええ。たとえば雰囲気、態度、どんな些細な事でも構いません」
「いえ、別にこれといってありません。それに黒羽さんだって近くに
いるんですからわかるとおもいますけど?」
「そう……ですか」
黒羽さんは表情に暗い影を落とす。
一体どうしたというのだろうか?
予想だにしない黒羽さんの態度に俺は首をかしげる。
「お手を煩わせてすみませんでした神崎様、もう用件は終わりました」
「えっ? こ、これだけなんですか?」
「ええ。そうですが何か?」
「い、いえ、何でもありません」
ちょっぴり心の中で期待していただけにショックが大きかった。
黒羽さんは去っていく俺を見つめながらその場を動こうとしなかった。
はぁ、一体どういう事だったのだろうか? あの質問は……。
こうして俺は訳がわからないままその場を後にする。
◆◆◆
亮介が去った後、一人その場で立ち尽くす朱音。
彼女は辺りを一度見渡した後。
「そろそろ出てきたらどうですか?」
誰も居ない景色に向かって彼女は話しかける。
すると、建物の影からヒョッコリと顔を出す渚がいた。
渚は少し照れたような様子で朱音の前に姿を現す。
「えっと、何時から分かってた?」
「最初からです。神崎様と話す前にあなたの姿が見えましたからね」
「あちゃー、これはうっかり」
てへっ、と可愛く笑う渚。
そんな彼女の態度に朱音は何処か不機嫌になっていく。
彼女の態度は何時もと変わらない。だが、今ではその何時もと変わらない態度に
朱音は神経を逆撫でされるような思いだった。
「……渚さん、神崎様のあの様子ではあなた――」
「朱音」
「――」
渚の雰囲気が突如として一変する。鋭い渚の視線が朱音の言葉を遮った。
その後すぐに何時もの様に渚はニッコリと微笑む。
「ごめん、でも大丈夫だから。リョウ君には内緒にしておいて、ね?」
渚は口元に人差し指を当てて、朱音にしゃべらないようにお願いする。
朱音の手にぎゅっ、と力がこもる。
朱音には理解しがたい彼女の行動。
だが、それだけに彼女の決意を感じ取る。
「分かりました。ですが、時間の問題と思いますよ?」
「……ありがとう、それで十分だから」