第三十話 「最終ラウンド」
トイレから帰った後、涼子さんのテンションは上がりっぱなし。
俺はその側で怯える小動物のようにガタガタと震えっぱなし。
何事も無く終わるように只ひたすら祈り続ける。
テレビの方は決勝戦。これが終われば開放されると信じて見つめるのだが……。
「少年、この試合どっちが勝つと思う? ……ヒック」
「えっ? さ、さぁ、どちらでしょうね?」
「一人はプロレス世界王者、そしてもう一人はボクシングの世界王者。
これは見ごたえあるぞー」
そう言って手をボキボキと鳴らす涼子さん。
いや、闘うのは涼子さんじゃないから落ち着いてください。
そうしてゴングが鳴り響く。
決勝戦だけあって予想以上の白熱した試合。
そして……。
「いけー! そこだ!」
「お、落ち着いてください! あー! それは駄目! 親父の
大事にしてる壷です! それ割られたら俺が怒られます!」
涼子さんの暴れも最高潮に達していた。
俺のお願いも虚しく、良い音を立てながら無残に散る壷。
俺は必死に涼子さんの腰にしがみつきこれ以上の被害を食い止めようとするのだが。
「えっ?」
涼子さんは一瞬にして俺の首に腕を回し、絞めてくる。
酔って加減を知らない涼子さんの力は信じられないほど凄かった。
首の骨が折れるのではないかという勢い。
俺は必死にもがき、涼子さんに降参の意図を示すため何回も涼子さんの体を
叩くのだが力を弱める気なし。
「リョ……涼子さん、ぎ、ギブ」
頭に酸素が行かず、もう落ちる寸前という所で
テレビからゴングの音が鳴り響く。
それを聞くや否やパッと手を離す涼子さん。
俺はそのまま崩れ落ちるように倒れる。
「た、助かった……」
ホッと一息をつくが、残り二ラウンド持ちこたえれるかどうか。
そんな時、玄関のチャイムが鳴り響く。
思いがけない天の助け。
俺は急いで玄関へと向かうと。
「よっ、亮介。元気か?」
爽やかな笑顔を見せる友人の正輝が居た。
手には何故かビニール袋を持っていた。
「どうしたんだよ、突然?」
「いやな、実家で取れたスイカが余ってな。おすそ分けって奴」
ほい、と俺にそのビニール袋を手渡す。
俺はそれを受け取る。大きくて立派なスイカだ。
「それじゃ、またな亮介」
「いや、ちょっと待ってくれ。家に上がっていかないか? 今日は
涼子さんと俺の二人だけなんだ」
その言葉を聞くとピクッと肩を震わす正輝。
「本当か亮介?」
「ああ。良かったら三人でスイカを食べよう」
「さすがだな亮介! そこまで気が利くなんて、まるで何時もの亮介じゃ
無いみたいだ」
ああ、その通りだ正輝。何時もの俺なら帰れと言うさ。
だが、今は一人でも犠牲者……じゃない、味方が欲しいところだ。
そうしてこころよく俺は正輝を家に案内する。
「ちわー、お邪魔します」
「ん? おおっ、誰かと思えば少年の友人じゃないか」
「はい、あのスイカ持ってきたので良かったらとおもって……」
俺はスイカを居間のテーブルの上に置く。
そして台所に向かい包丁を探す。
正輝はと言うと、しっかり涼子さんの隣に座っていた。
愚かな……自ら死地に向かうようなものだぞ? そのポジションは。
「正輝、台所の包丁で切れるか? そのスイカ?」
「ん? ああ。だけどうちのスイカは立派だからな。ちょっとやそっとじゃ
切れないぜ?」
ハハハ、と笑う正輝。
テレビではゴングが鳴り、悪魔の二ラウンド目が始まる。
さっきと同じようにテンションが上がる涼子さん。
それを隣で同じようにテンションをあげる正輝。
だが、それも束の間だった。
二ラウンド目はどうやらどちらかがダウンしたらしく、あー、と落胆の声が
居間から響く。
俺は台所の包丁を手に居間へと駆けつけると。
「あー! 立て! 立てって言ってるだろー!」
涼子さんの怒りが爆発。
目の前にある巨大スイカを一撃の下に粉砕したのだ!
ものの見事に木っ端微塵。
ぐしゃりとつぶれたトマトのように見るも無残な姿に変わったスイカ。
それを見た俺と正輝の目が点になる。
テレビの方では涼子さんの願いが届いたのか、選手が立ち、
それを見た涼子さんはガッツポーズを取る。
「あ、悪い亮介、今日ちょっと買い物頼まれてたの忘れてた。
急いで帰るわ」
危険を察した正輝君は乾いた笑いを出しながらその場を立ち去ろうとする。
待ちたまえ、君にここから去られると俺の命は風前の灯になってしまう。
「あー、待て待て。もうちょっとゆっくりしていけよ。なんなら買い物は
俺が行くよ」
「いや、これは俺じゃないと駄目だから。というか、俺は買い物に行きたい」
互いに譲らぬ意見。
正輝は一刻も早く出て行きたい。俺は正輝に出て行かれたくない。
そうして睨み合いが続いていると、不意に正輝の後ろから魔の手が忍び寄る。
正輝の腹部当たりに両手が回り、しっかりと手をクラッチさせる。
そして、豪快に後ろへと投げ飛ばされる正輝。
ああ、テレビで見た事がある。あれは確か投げっぱなしジャーマン……って
マズイでしょそれ! 俺は慌てて投げ飛ばされた正輝に近寄る。
「ま、正輝! しっかりしろ!」
俺は正輝を思いっきり揺さぶるものの、首が振り子のように左右に揺れるだけ。
目は白眼で意識を失っていた。
脈は……よし、大丈夫だ。俺は安心して正輝を床に寝かした。
涼子さんを見ると、投げた事をあんまり気にしておらず、テレビに集中していた。
そして決勝戦も終り、満足そうな表情の涼子さん。
「イヤー、今日は凄かったな」
「そ、そうですね」
それは勿論、涼子さんの暴れっぷりの事ですよね?
見るも無残な我が家。まるで怪獣が歩いたかのようにボロボロに。
缶ビールの空き缶がざっと二桁に、木っ端微塵のスイカ。
うちの親父の壷に正輝。俺は後の事を考えると頭が痛くなってきた。
まぁ、とりあえず無事に終わった事を良しと考えて……。
「じゃあ、今日の試合のおさらいしようか?」
「……はい?」
イエーイ、とノリノリの涼子さん。
えっと、どういうこと?
「涼子さん、おさらいも何も覚えてないですよ、俺」
「あー、大丈夫、大丈夫。そんな事もあろうかと」
ピッ、とビデオの電源をつけると、そこには24時間の映像ではなく、先程の
白熱した試合が再び繰り広げられていた。 な、なんで!?
「あ、あれ? 俺の24時間テレビは?」
「うむ、キミがトイレに行っている間に切り替えた」
「えぇー!?」
「さぁ、とりあえず準決勝から見ようか、少年!」
「か、勘弁してくださいー!」
そう言って再びくすぶっていた炎が燃え上がる涼子さん。
妹が帰ってくる頃には居間は地獄と化していた事はいうまでも無い。