第二十八話「思い出」
家の車庫に置いてあった4WDの車を涼子さんは拝借し、俺を連れて
何処かへと向かっていた。
車の窓を開けてその上に肘を乗せ、陽気に鼻歌を歌いながら片手で運転をする。
助手席に乗っている俺は、そのお世辞にも上手いとは言えない鼻歌を聴きながら
期待に胸を膨らませる。
一体どういう仕事をしている人なのだろうか?
何時も家に居座って缶ビールを飲む姿しか知らない。
車は町を抜け、山の方へと向かっていく。家が少なくなっていき、
ついに周りは田んぼしか見えなくなってしまった。
これ以上行くと本当に山に入るという手前で車は突然停止する。
「着いたぞ、少年」
そういわれて車から降りると、目の前に一軒の掘っ立て小屋のような物が。
木造でかなり年季が入っていた。
涼子さんは扉を勢いよく横にスライドさせて中へと入っていく。
俺も後を追って中へと入ると。
「うわっ……」
俺達を出迎えてくれたのはゴミ置き場……じゃなくて、無数の絵画。
油絵、水彩画、風景画。
どれも綺麗に色づけされており、思わず息を呑む。
部屋の中は木の四角いテーブルが一つ置いてあり、その上には画材道具が
無造作に置かれていた。
「ようこそ少年、私のアトリエに」
「えっ?」
涼子さんの言葉に心底驚く。
これら全てが涼子さんの作品だというのだから。
一般人向けの芸術作品。誰が見ても美しい、綺麗と呼べる作品。
「これ本当に涼子さんが?」
「ああ。私の職業は画家なんだ。驚いたか?」
「ええ。てっきり格闘家かと……」
あっ、少し怒ってる。
涼子さんの爽やかな笑顔に込められる殺気を俺は感じ取る。
「でも涼子さん、何時の間にこんな掘っ立て小屋に絵を?」
「絵を描くのに何処かいい場所は無いかと探していてな。そうしていると、
ここにたどり着いた。更に気のいいお爺さんと仲良くなって、こうして小屋を
一軒貸して貰った」
「凄い気前の良いお爺さんがいるものですね……」
目の前には涼子さんが書いている途中の絵がイーゼルに立てかけてあった。
涼子さんはテーブルの上においてあった筆と絵の具を手に取り、
その絵に取り掛かる。
「少年も何か描いてみたらどうだ?」
「い、いえ、遠慮しておきます。あんまり絵描くの好きじゃないので」
そうか、と残念そうに涼子さんは声を漏らす。
「それじゃあ仕方ない、そこらにある絵でも見ててくれ」
「そうします」
俺は置いてある絵をまじまじと観察する。
素人から見ても上手いと思わせるほどの絵。
涼子さんのほうを見ると、真剣な表情で絵に取り組んでいた。
家の中で見ている涼子さんとはまるで別人。
「涼子さん、これって幾らぐらいするんですか?」
「そうだな……大体良い時で百ぐらいか?」
「ひ、ひゃく!?」
思わず声が大きくなる。
ひゃくって……やっぱり百万ですよね?
「そ、そんなに高く売れるんですか!?」
「まぁ、それはいいときだ。私はあまり名が売れてないからな。大体
五十ぐらいだな」
「充分凄いと思いますが……」
今の言葉を聞いて涼子さんが凄い人に見えてきた。
こう、背中から後光が差してるような気も……。
「そんな凄いのにどうしてこんなヘンピな所に帰ってきたんですか?」
「んー? まぁ、都会の方で仕事をして、個展など開いて稼いでいたんだが、
向こうはやかましくてな。絵を描くのに全く集中できない。それに比べて
こっちは静かでいいよ」
上機嫌で話す涼子さん。
田舎が一番、などと言ってらっしゃる始末。
持つ筆も何処か生き生きとしている。
俺はそんな涼子さんを尻目に、絵を見ていくとふと奇妙な物に目が止まる。
それは他と違ってかなり厳重に布で巻かれていた。
俺はその絵を取り、布をほどいてみると。
「……ブッ、ブワッハハ!」
中から出てきたのは珍妙な猫(?)を描いた絵だった。
幼稚園児の落書きに勝るとも劣らぬ勢いの絵。
俺は思わず腹を抱えて笑い出す。
俺の笑い声に何事? と思った涼子さんが俺の方に近づいてくる。
「どうした? 何かあったか?」
「この絵も涼子さんが描いたんですか?」
「……ああ、その絵か。懐かしいな」
「えっ?」
ヒョイっと俺の手から珍妙な猫の絵を取り上げ、何処か嬉しそうな
表情を浮かべていた。
その絵を触り、思い出に浸っている様子。
「下手糞だろ? この絵」
「えっ? ええ……まぁ」
「この絵はだな、私が高校の頃に知り合いが描いた絵なんだ」
「えっ! 高校生の絵なんですかそれ?」
馬鹿正直に心で思っていた事が口に出てしまった。
しかし、その言葉に涼子さんは怒る事は無く、むしろ笑っているようにも見えた。
「見えないだろ? なにせそいつも高校に入るまで絵をろくに描かなかった
奴だったからな」
「えっ? じゃあどうして突然絵を?」
俺がそう質問すると、涼子さんは途端に口を閉ざす。
そしてなぜか困った様子。
「さ、さあな。突然絵が描きたくなったらしい。それから私とこいつで
絵を描いていくのだが……」
「だが?」
「全く、恐れ入るよこいつの才能に。最初はズブの素人だったというのに
メキメキと頭角を現して、最後にはコンクールで最優秀を
取ってしまうんだからな」
「う、嘘!? ほ、本当ですか?」
「ああ。私は取れなかったがアイツはあっさり取ってしまったよ。
そして、その才能が目に止まり、今は海外で修行中だとさ」
ため息をつく涼子さん。
……あんな絵描いていた人が最優秀とは、
凄いショックだろうな涼子さん。
「本当に凄い奴だよ、こいつは」
あれ? 予想とは裏腹に何処か喜んでいる。
そういえばどうしてそんな絵を涼子さんが持っているのだろうか?
普通そんな絵、捨てたりしてしまいそうなのだが……。
「涼子さん、その絵捨てたりしないんですか?」
「! 駄目だ!」
「うぉ!」
両手でしっかりとその絵を抱え、大きな声で
断固拒否する涼子さん。
ムムッ……もしかして、もしかすると?
「涼子さん、その絵描いた人って男性ですか?」
「……あ、ああ。それがどうかしたか? むっ? 何故そこで笑うんだ少年」
「その人と涼子さん、どういう関係で?」
「た、只の友人だ。少年が思っているような関係じゃないぞ。あ、アイツは
私のタイプじゃないし、素直で真っ直ぐで嘘が下手で顔もダサいし、
ひょろひょろで直ぐポキッとおれてしまいそうな体格だし、
それに……」
「あー、もういいです」
涼子さんは照れながら髪をかきあげる。
涼子さんのハートを撃ち抜いた男性か……すこし興味があるな。
「今連絡とかしてないんですか?」
「無い。全くな。あいつは私がどこに居るのかも分かってないだろう」
「もし会ったら何を話します?」
「ば、馬鹿。会うことなんてあるわけ無いだろ、何も無いよ、話す事なんて」
涼子さんはクルクルとペン回しのように筆を回す。
先程とうって変わってまるで絵に集中できていない様子。
あちゃー、こりゃ重症かな?
「……それに」
「えっ?」
「アイツが海外に行く前にはっきり言ってやった。"嫌い"だとな」
「ええっ!? ど、どうして!」
「こっちにはこっちの事情がある。それだけだ。さて、この話は終りだ。
私の過去なんて聞いてても面白くないだろ。そろそろ少年の話を
聞かせてもらおうか」
「へ?」
ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべる涼子さん。
あら? どうしたのですか? まるでいじめっ子のような雰囲気が。
「今現在、君は誰が一番好きなのかな? あの子達の中で?」
「! な、何の事ですか?」
「とぼけても無駄だ。散々人の過去を聞いた分、じーっくり聞かせてもらうからな?」
「ひ、ヒぃー!」
涼子さんの逆襲。
それから日が沈むまで尋問は続くのであった。