第十話 「危ないお姉さん」
俺が見舞いに行った次の日、俺の家で朝食を摂っている渚の姿があった。
今までと変わらぬ渚の姿。
だが、俺の心の中にはルビアの言葉が残っていた。
“お嬢様が何故あのような事を言ったのか考えた事がありますか?”
分からない。
幾ら考えた所で答えが出てこない。
何度も俺は渚に聞こうと思ったが、聞けなかった。
聞いたところできっと話してはくれないだろうと思ったからだ。
俺はとりあえずこの問題は置いておく事にした。
今は分からなくても、何時か分かるときが来ると信じて。
――そして時は過ぎ、俺達は学校の終業式を迎えていた。
教室の中は明日の休みを今か今かと待ちきれずにはしゃぐ人達。
まぁ、かくいう俺もその一人に当てはまる。
担任から夏休みの日程表、そしてあまり嬉しくない通知表を受け取る。
俺は恐る恐る中身を開いてみると。
「……あー」
中身を見た後天井を見上げる。
そして俺は大きくためいきをつく。
「……正輝、お前はどう――」
正輝の方を見ると、白眼を向いて何やら口から出ているのが見える。
エヘエヘと痙攣する正輝。
すさまじい壊れっぷりである。
凄く正輝の通知表が見たい衝動にかられるが、それはそれで見るのが恐い。
「ねぇ、どうだった亮介?」
舞が何時の間にか俺の側に来て通知表の結果を聞いてくる。
舞の様子からして、舞のほうは良い結果のようだ。
「最悪。もう泣きたいぐらい」
「見せて見せて」
舞が俺の通知表を奪おうとするのをすかさず避ける。
舞はしつこく俺の通知表を奪おうと手を伸ばすが、俺は普段なら有り得ない
華麗な身のこなしでこれをかわす。
「駄目だ! こんなの見せたら俺は生きていけな……」
その時、どこからともなく手が伸びる。
そして、その手はあっさり俺の通知表を掠め取ったのだ。
「あら……これはまた酷いですわね、神崎様」
ペラペラと人のプライバシーを勝手に覗く黒羽さん。
酷いのはあなたの方です。
目線が上から下に動くに連れて、うわー、あらー……などと悲惨さを現す言葉を連呼する。
舞も黒羽さんが見ている横から覗いてみる始末。
「これは酷いわね亮介」
「言葉がないですわ」
「……ほっといてくれい」
そして無事学校も終わる。
今日は昼までだったので、これからどうしようかと思っていた矢先に
突如携帯のバイブが鳴り響く。
着信を見ると、家から電話だった。
「もしもし?」
『あ、亮介? 母さんなんだけど……』
「何? 何か用?」
『実は昨日電話があってね、今日父さんの兄さんの子供が来るらしいのよ』
「……それって、俺のいとこって事?」
『そうよ〜』
初耳だ。
いとこが居るなんて今まで聞いたことが無い。
「いたの? 俺にいとこなんて?」
『亮介は知らなくて当然よ、まだ幼かったからね。以前はその子もこっちに住んでいた
んだけど、引っ越しちゃってね〜』
「ふ〜ん」
『それでね〜、今駅に居るそうだから、駅まで迎えに行ってほしいのよ〜』
「待った。どうして俺に?」
『だって、あんたどうせ暇でしょ? 妹の里奈は部活でいそがしいから
アンタ以外いないのよ』
「あのな、そうは言うけど顔も知らない人間を探せるわけ無いだろ?」
『大丈夫よ、お父さんがその子の特徴を聞いておいたから』
不安だ。
あの親父がちゃんと聞いたのかが。
「それで? どんな人なの?」
『えっと、確かおとこ……あら? 誰か来たみたい、また後でかけるわ〜』
「えっ? ちょっと? おい! おーい!」
そこで電話はブツッと切れてしまった。
手がかりは男の一文字のみ。
ここから犯人を割り出せと?
とりあえず俺は駅まで向かう事にした。
◆
昼間の駅前。
他の学校も終業式を向かえたようで、駅前には学生服姿の人が多く見られた。
それを差し引きしても人の多い事。
この中から顔も知らない男を探せなどとは到底無理な話ではないだろうか?
俺は挙動不審者のように周りを何回も見渡す。
駅で待っているという事は、動いていない人に違いない。
そして男。
この二つのピースを元に探していると。
「ねぇ〜、いいじゃんかよ〜」
「ん?」
突然なよなよした声が聞こえてくる。
俺は声がした方向を向くと、そこには二人の男性が一人の壁にもたれ掛かっている女性を
ナンパしていた。
男性の方はチャラチャラした痩せた男と、太ったいやらしい笑みを浮かべる男。
女性の方はというと、髪は薄い紫色のストレートヘアーで、背中の辺りまで伸びたしなやかな髪。
眼はやや鋭く、卵型に整った輪郭、口にタバコをくわえていた。
服装は大胆というか、ラフと言うべきか、黒の袖なしのシャツに青のジーンズ。
しかし、それが彼女の抜群のスタイルを際立てる。
彼女には可愛いや綺麗と言う言葉よりも、カッコイイと言う言葉がぴったりの女性だった。
大人の女性、歳は俺より4つほどは確実に上であろう。
女性は呆れた顔でナンパしている男達の口説き文句を聞いている。
少し遠巻きからそれを眺めていると。
「……10点」
「はっ?」
突如口を開いた女性。
その声は凛としていて、サバサバした口調だった。
突然の点数に戸惑うナンパしていた男達。
「さっきから黙って聞いていれば、ナンパの常套句ばかりべらべら……
お前ら他に言葉はないのか? もう一度本屋にでも行って勉強しなおしてこい」
女性はそういうと一度ため息をつく。
何というお言葉。
男達はその言葉にプライドが傷ついたのか、怒りを露わにしていた。
「なんだと? こっちが下手に出てれば付け上がりやがって」
「今度は逆切れか、10点どころか0点だな。もう一度人生やり直して来い」
「――っ! この野郎ー!」
痩せた男が女性の言葉に切れる。
女性に向かって襲い掛かる。
しかし次の瞬間、意外な事が起こった。
男が拳を振り上げて女性に殴りかかろうとした瞬間に、男の顔が跳ね上がる。
女性は男の拳が襲い掛かる前に、前に踏み込んで男の鼻っ柱に拳を叩き込んでいたのだ。
その動作は無駄が無く、傍から見た俺でも良く分かる。
この女性、絶対喧嘩慣れしてる。
痩せた男はその一撃で派手に後ろに倒れる。
「こ、このやろう!」
太った男が叫びながら女性に掴みかかろうとするが、それをスルリとかわす。
その軽やかな動き、流れるように動く髪に心奪われる。
そして、女性は全身のバネを生かし、流れるような動作で相手の側頭部に
ハイキックを叩き込む。
体重が乗ったその蹴りから派手な打撃音が鳴り響く。
太った男も女性のその一撃に倒れこんだ。
女性は倒れた男達を見下しながら。
「おいおい、お前達それでも男か? だらしがない」
如何にもガッカリそうな声を上げるお姉さん。
いえ、それは仕方ないと思いますけど……。
お兄さん達はあらぬ悲鳴をあげながらその場を去っていった。
「やれやれ、私にもう少しましな男は寄り付かないのかね……ん?」
不意にお姉さんと俺の視線が合う。
まずい! そう俺の本能が察した後、俺は咄嗟に視線を外す。
そして何事も無かったように辺りを散策するフリをする。
しかし……お姉さんの鋭い視線が俺の方をジッと見つめる。
お姉さんは何を思ったのか、その場を離れてなぜか俺の方に近づいてくると……。
「どうした? 何か探しものか少年」
声をかけてくるお姉さん。
どうやらあのお兄さん達では飽き足らず、俺を獲物としてロックオンしたようです。
「い、いえ! ちょっと人を探しているんです」
「ふーん……どんな奴だ?」
「えっ!? そ、それは……」
まさか顔も知らなくて男という情報だけで探してますとは言えない。
俺はどう理由を述べようかとあたふたと焦っていると。
「まっいいか。少年、少し私に付き合え」
「……えっ?」
「私はここで人を待っていたんだが、あまりにも遅いから少しおなかが空いてな。
どこかで飯を食べようとしていたところだ」
「あの……俺、人を探しているんですけど?」
「なに、そんな奴待たせておけばいいだろ」
お姉さん、言ってること無茶苦茶です。
さらに付け加えさせてもらえれば、飯は一人でも食べれますから。
「それともなんだ? 女性からの誘いを断るほど少年は野暮な奴なのか?」
「ですが……」
「私では不服か?」
「そんなわけないじゃないですか! むしろ喜んで……あ」
つい自分の思った事を口にしてしまった。
お姉さんは俺の言葉にニコニコしながら。
「うん、正直なのはいい事だぞ少年。では、行こうか」
そういって俺と腕を組む女性。
あまりの大胆さと大人びた女性の香りが俺を困惑させる。
そうして、俺は自分の任務を放棄する事になった。