劣等の血統
サラブレッドという系統の馬がいる事も、君達は存じているだろうが、その詳細までは詳しくないだろうから、此処に適当に文献を調べて載せておきたい。
この馬は品種改良により、競争に特化した身体能力の「血筋」を持つ馬の総称である。
優秀な成績を持つ雄馬と優秀な成績を持つ牝馬を交配させ、その子孫から特段優秀な馬を、また優秀な馬と掛け合わせ、それを17世紀から繰り返し、繰り返し、繰り返し掛け合わせた、有能なる「血統」を持つ馬の事を指す。
アラビア語で純血という意味を持つらしい。
トンビから鷹は生まれぬ。総括すればそんな意味である。
これを人間に当てはめると「優生学」という学問になる。
この構造もサラブレッドの血統と同じ。優秀な人間と優秀な人間を掛け合わせ、また優秀な子供が生まれる。それから、優秀な子と優秀な子を・・・、といった按配である。
これは、大変悪名高き、ナチス党のアドルフ・ヒトラー総統が当時のドイツ社会に適用した為に、今では倫理観とか、道徳的な価値観に依って、戦勝国のアメリカ合衆国の先導で半ば、タブー視されている。
有能なるゲルマン民族が交配を繰り返す事で、社会の進歩は劇的に活性化され、やがては優秀なドイツ国民に地球の全人類はひれ伏すであろう。
という、ブッ飛んだ発想というか、独裁。悪の枢軸らしい、或る意味では革新的な社会運動であったに違いない。
(敗戦国ではあるが)
優秀な血統が残れば、裏を返せば劣等の血統も残る事は、当然分かる。
近親相姦や異常者が交配を繰り返し、血統を乱し、DNAを腐敗させれば、子孫にその弊害は全て降りかかる。
昨今の犯罪者には片親、社会脱落者が圧倒的に多い。大元を辿れば生活環境が悪い、親の躾が悪い、その親も虐待の経験者であったり、祖母もその祖母もまた、社会に適応できない、先天的な遺伝による持病を持っていたりする。
カエルの子はカエル。これも総括すればそんな意味である。
私の目の前にいる身なりの汚らしい子供の名前はルイ・バレットという。
貧民街で育った、学歴、教養のない、犯罪歴だけは指で数える以上に記録している「社会のゴミ」である。
ルイ・バレットの父親はシドルア・バレットと言う。(これは偽名である)
シドルアは私の旧知の友人である。飲み代のツケを払わされたり、薬物依存性に陥った時は、私のコネで違法を揉み消してくれる「名医」を紹介していたりする。
晩年は廃人の様な生活を送り、親族の財産を食い漁っては、自爆テロの様な形で壮絶に死んでいったそうだが、この男が散々迷惑をかけたバレット家の財力・社会的評判は誰が復興させるのだろう。
焼け焦げた焦土の復興、これを務める人間は、シドルア・バレットの周辺にはいない。そんな恩も義理もない。さんざ迷惑をかけられた。
カエルの子はカエルと前述した格言がある。シドルアの子である、眼前のルイは、失望、腐りきりの堕落の目を、私を向けている。
自分の煤けて穴の空いた、灰色の貧乏な服装と、私の古代ギリシャを彷彿とさせる精巧かつ純白な、身に纏う態の服装を比較して、自らを嘲笑した風な、グシャリとした陰険な笑みを浮かべたり、此方に卑屈と憎悪を込めた目線をちらつかせたりしている。
負債は凡そ12800ドルあると聞いた。返せる金額だ。
だが、この少年は死んだ父親の尻拭いをする気は毛頭ないらしい。あの耄碌親父にそんな義理はない、と嘯く。
自らに流れる「劣等の血統」に絶望して、もう、人生に懸命になるつもりがないそうである。
この蛙の子供は、このまま、親と社会と、生を受けた事自体を憎み、悲しみながら、漠然と死んでいく。
駄馬から生まれた、駄馬である。
午前8:13分。
砂壁から剥がれ落ちた砂利を箒でサッサと掃いていた。晩飯は、賞味期限が切れたコーンフレークがあったので、加熱した湯に混ぜて、それを食った。
味気はないが、腹は膨れる。
あの男の死体はまだ押入れに放置している。クソ、腐敗臭。死んだ後ですら、気味の悪い悪臭を出して、人を苦しめるんだ、あの親父は。
人が苦しむ姿が唯一の生き甲斐、そんな堕落した、本物の屑野郎。犬畜生にも劣るクソみたいな野郎だった。
恨み辛みなんか吐いたって、俺の境遇が変わる事なんかないし、他人に慰められた程度で俺の考え方や生き方が変わるなんて、そんな甘ったれた人生を、軟弱に送ったつもりはない。
ただ、俺のセキセイインコを煮えた油の釜に放り投げたのは、今、思い返しても、腹が立つ。
アテが欲しいなら、自分のカネで買えってんだ、ワキガ野郎が。なんで俺のインコを食っちまうんだ。
怒る俺を見て「たかがインコ如きで怒るなんて、女の腐った奴だ。度量の狭い野郎だ。ただの器のない馬鹿だよ、お前は」と啖呵を切った親父の顔は、実に清々しいまでのカス野郎だった。
ぶん殴ったらブタみたいに喚きやがって、警察を呼ばれた。おかげで前科者だ。
腹立たしい。あのクソの息子である事が、実に腹立たしい。
唾棄すべき血脈。俺もあのクソと同類なんだ。
死ぬ事でしか社会貢献できない。頭も悪い。性格も悪い。
ボーダーなんたら障害だとか医者に診察された時もある。
尤も医者なんて薬を売り捌く為に、適当な病名を患者につけるもんだ。別段、信用はしていない。
ただ、同性愛・死姦・獣姦と性癖が歪みまくった俺は、多分、なんか、脳かなんかがおかしいんだろう。
あの親父の息子なんだ。無理もない。(妹もレズビアンで自傷癖を持っていた。自殺したけど。異常なのは遺伝なんだろう。)
もう家賃を払う金もない。
あとは、そこら辺の野草やら、川の水なんかで飢えを凌いで、適当に死ぬ事を待とう。
俺が死んだ程度じゃ、別に誰も反応を示さないだろ。俺の代わりなんか幾らでもいる。
さっさとリタイアして、流行病で死んだ方が懸命だ。
諦めた。疲れた。無我の境地。聖諦。
適当に悟った風な言葉を並べて、野たれ死んじまえ。俺は現代のニーチェだ。
荷物を纏めた。
その時に玄関からノックの音がする。
鬱々しい。俺はイラつきながら、扉を開けた。
身長2mはある男が立っている。金髪碧眼。白い布を身に纏っている。
老けてはいるが、凛々しい身体つきと、博識そうな顏。黒縁の眼鏡をかけている。眼光は鋭い。叡智の光とでも例えるべきか、辛辣な目から放つ光は、人間の心を抉るように冷たい。みるからに俺みたいな脱落者には縁のなさそうな、富貴の男だ。
「やあ。私は、土を、耕しにきた。鍬を、一掻きな。ミミズの糞にも、養分の価値はあるんだ。知ってるかな?」
そういうと男は、俺に2万ドルを差し出した。