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「花沢さんったら、いくら自由行動って言っても声が届く範囲にいてほしいですよ!」
「全くだポン。あの男にはどうも警戒心が足りないポン?」
花沢がココア風呂に遭遇して度肝を抜かれていた頃、スクープとポン子の二人はいつの間にか消えていた花沢を探し回っていた。まあ探し回ると言っても、この洞窟は分岐のないひたすら続く一本道なのでその内合流できたりするが。
その情報を伝えそびれたポン子は仕方なくスクープに付き合いつつ、道中の他愛もない話の一つとして何の気なしに切り出した。
「セインツロックにはポンも知らない仕掛けがあるポン」
「ポン子ちゃんにも知らないことってあるんですか、セインツロックに関して」
「……スクープもNHKも、どうも私を万能の神か何かだと勘違いしてる節がし見受けられるポン。シュヴェールトゥトラが発展してることは否定しないけど、ポン個人としては別に高性能に組まれているわけではないポン。……って、さっきも同じようなことを言った気がするポン?」
「言ってましたね、マップのくだり辺りで。なんかごめんなさい」
スクープは両手を合わせて横のポン子に謝る。特に反応は返ってこなかった。
「まあそんなことはどうでもいいポン。で、話を戻すけど、とりあえず何か不測の事態が発生してもポンは責任取れないよということを言っておくポン。あまりに予想だにしない事象に直面したら、ポンは涙を呑んでスクープを見捨てるかもしれないポン?」
「嫌なことをずばずば言いますね……。なるべく捨てないでほしいです」
「そりゃもちろん、簡単には捨てないポン。NHKとは違って」
「……なんでそこで花沢さんの名前が出てくるんでしょうか……」
「日頃の生活を見てたら分かるポン。あの男はパパラッチとしては優秀なのかもしれないけれど、男としての価値はそうでもないポン。ちゃらんぽらん野郎ポン?」
「評価低っ!」
味方が増えることは嬉しかったが、ここまで無下にされると逆に同情してしまうスクープだった。手放しには喜べない複雑な心境である。
日頃のスクープに対する花沢の態度は冷淡までは行かずとも無関心の域にとても接近していて、知っての通りぞんざいに扱い扱われている上司と部下の関係性だ。
細々した不満は堆積している。けれど、これといった大きな不満はない――いや、一つだけ、ある。スクープは花沢の擁護もそこそこに、密かに抱いていたその大きな不満の内容をポン子に喋ることにした。
「花沢さんは悪い人じゃないんですけど、どうしても気に入らない点というか、頑なで頑固というか、あまりやってほしくないことをやってくるんですよ」
「それは酷いポン。シュヴェールトゥトラの科学力を以てあの男を圧殺しようかポン? それとも体を縛り上げた後、羹をスポイトで局部に垂らしていくか……ポンとしてはどっちでも構わないポン?」
「はは……そこまではしなくてもいいよ」
パッと出てきた割に凄惨な殺害手段からポン子の腹黒さが窺える。
背中に冷たいものを感じたスクープは苦笑で恐怖を薄めてから、本人にとっては重要だが他人からしたらどう評価されるか分からない苦悩を明け透けに告白した。
「花沢さんって、絶対に私のことを本名で呼んでくれないんです」
ちょっと間が空いて、ポン子が手のひらを叩いた。
「ああ、本名ってそういうことポン。スクープってコードネーム的な何かポン?」
「このアジア系の顔を見れば分かるでしょう? 鈴木スクープなんて名前あると思いますか? 大御所の芸人さんじゃあるまいし」
「ポンはテレビ見ないからその例えはよく分からないけど……まあ、確かに芸名でもない限りそんな名前はないんじゃないかポン? 世が変わった名付けをするブームであっても、それはおかしいと思うポン」
「でしょでしょう? 私、外でスクープスクープ呼ばれるのあんまり好きじゃなくて……だって恥ずかしいんですもん。他のコンビでもコードネームで呼び合うところがあるみたいですけれど、スクープなんてダサい呼称はまずないでしょうね」
エリート街道を歩んできて同世代よりも心延えが大人びているとは言え、スクープだって思春期真っ盛りの十七歳。自分に関することはなんでも気にする多感な時期に、変な名前で呼ばれることへの嫌悪感を覚えないはずがない。ましてや、そのせいで奇怪な目で見られるなどまっぴら御免だ。
「いつか絶対、花沢さんに本名で呼ばせてみせます!」
「意気軒昂で大変よろしいポン?」
パパラッチで手柄を上げることが二の次になってる気がするけど、とチクリと一言申されて、スクープはうっと苦い顔をした。
「まあそれは置いておくとして、二人は男女の仲に発展したりしないポン?」
意表をつく発言にスクープは思わず吹き出した。
「わ、私と花沢さんが結婚!? そんな、急過ぎるよ!」
「急発展させたのはそっちポン。結婚とまでは言ってないポン? 付き合うとか、交際するとか、学生的な恋仲の話をしたんだポン」
「ああ、そういう……ごめんね、早とちりしちゃって」
初恋すら未経験の恋愛耐性皆無のスクープは、自分に関係のない他人のちょっとした色恋沙汰の話でも落ち着きをなくしてそわそわする人間だ。恋はしても性交渉の経験がない花沢よりもウブなのである。
「……まあ普通に考えて、私と花沢さんに恋が芽生えるなんてことはまず有り得ませんよ。社会を見渡せば掃いて捨てるほどいる上司と部下の仲に過ぎません……けど、衣食住を共にしてるから親密度はまあまあなんだと思いますよ。たまに一緒にご飯食べに行ったり、遊びに行ったりもしますし」
「それって同棲な気がするポン、上司と部下じゃなくて同棲だと思うポン?」
「ひぇえええええ!」
「のけ反って万歳するほどパニックするとは想定外だったポン」
「おぇえええええ!」
「吐くなポン、そこまでNHKのことを拒絶するポン?」
「本気で返さないで……冗談だよ冗談」
小学生男子のような茶目っ気を見せて失敗したスクープは、分別をつけてこれ以上ふざけることをやめた。真面目なガールズトークに度が過ぎた馬鹿は嫌われる。
「同棲……同棲かぁ」
幼い頃に読んでいた恋愛モノの少女漫画にも頻出していた単語だから、言葉自体の響きは嫌いじゃない。カップル以上夫妻未満の関係に憧憬しないわけじゃない。
「でも同棲に至るまでの過程踏んでませんよ、私たち? 付き合いもしてないし、段取り色々ぶっ飛ばしちゃってますし……。やっぱりこれは同棲じゃなくてただの同居じゃないですか? 強いて言うなら、家主と居候の関係」
「別に絶対に踏めと決められてる段取りじゃないし、そこは関係ないと思うポン? まあスクープがNHKと実質的に同棲関係にあることを否定したいなら否定するがいいポン。否定したところで今の関係が激変することじゃないし。けどもしも、もしもポン? スクープが心の中で同棲を意識したら、NHKとの関係はちょっぴりいい感じになると思うポン。ラブコメ的な意味で」
「ラブコメッ!? わわわ私と花沢さんでお送りする甘々のラブコメッ!?」
「だからそこまでは言ってないって……あー、もう、スクープって絶対処女ポン?」
「だから軽々しくそういうこと言わないでってば! 貞操観念疑われちゃうよ!?」
「はは、ごめんポン」
「笑わないでよぉ!」
顔を真赤にして激昂する新鮮なスクープを見て笑わないやつなどいない、とポン子は説教も右から左へ聞き流してニヤけ面を貫く。
その後もガールズトークに花を咲かせながら賑やかに道を進んでいると、ポン子が例の湿気と匂いに気付いた。不審に思い、スクープに気を引き締めるよう促してから注意深い足取りで奥へ進む。
「ポン子ちゃん、この匂いってココアじゃないですかね?」
「ココア? スクープが昨日飲んでた暗色系のやつポン?」
「そうです、きっとその飲み物の匂いですよ、これ。私ココアには目がないから間違いないと思われます」
「そう……でも何故ポン? こんなところでココアの匂いがするなんて……」
「大方、花沢さんがこっそり持ち込んでたんじゃないですか?」
「持ち込むって言ったって、水筒みたいな小規模な容器からこれだけ匂いが駄々漏れになるポン? 漂うっていうか充満してるポン」
胸焼けしそうな甘ったるい洞窟をさらに行くと、匂いと湿気の源であるココア風呂の発見に至った。
洞窟内の窪みにココアが溜まっている奇怪な光景にスクープは警戒して逃げ出す準備をしていたが、ポン子の方はというと割とすんなりココア風呂の中に指を突っ込んだ。そして付着した水滴を舐めて、この暗色の熱湯がココアであることを確信した。
「大丈夫、ただのココアポン。昨日飲ませてもらったアレのあったかい版ポン?」
「ホットココアのお風呂ってこと? 何それ、これももしかしてポン子ちゃんの仕業?」
「ポンじゃないけど、シュヴェールトゥトラの仕業だということは間違いないポン。多分他にもあるポン。さらに進めば他の一風変わった風呂がお目に掛かれるはずポン」
「一風どころじゃないけどね……」
入ったらべとべとになるんだろうなぁ、といの一番にませガキのようなことを考えた。子供の頃はおかしの家に難癖をつけていたスクープだ。流石の一言に尽きる。
上着を脱いでも下のシャツが湿気に侵食されていく。襟元を始点に胸の谷間の辺りまでシャツの色が変色してしまって、外を歩くには恥ずかしい感じになる。夏の河川敷をランニングをしているみたいだ。
甘い香りが弱くなったと思いきや、今度は別の甘い香りが混ざり始めた。
「なんか匂いキツくなったような……」
「間違ってないポン、なにこの匂い……二つの異なる甘ったるさが不協和音を奏でているポン。最強にミスマッチポン?」
「本当にね……あの、これは山勘ですけど、この甘さの正体は……」
漠然と砂糖っぽいなと思って、鼻に微かなツーンとした酸味を感じた。スクープはこれらの実体験を元に、第二の風呂を推理してみた。
「次のお風呂の中身はコーラですよ、多分」
「コーラ? ポンが飲んだやつポン?」
「あの黒い液体ね。甘ったるくて喉に優しくないけど美味しいアレです」
コーラが浴槽にたんまり注がれている様を想像してスクープはげんなりする。
藪睨みであることに淡い期待を寄せつつも、多分正解なんだろうなぁと諦めた心も準備していたことが功を奏した――推理的中、待ち構えていたのは湯気立つコーラだった。
「えええ……」
コーラから湯気が立っている。コーラが蒸気に変換されている。ここら一帯の湯気の源がコーラということは、スクープやポン子はコーラの霧を浴びているようなものである。繊細な髪も露出している腕や首といった各部位もべとべとになっていた。
スクープは試しに指で髪を一束摘まみ、ぐりぐりして感触を確かめる。心なしか髪質が硬くなっているような気がした。
「指がなんか甘い……」
「最悪ポン、ポンの髪もべっとべとだポン。このまま外に出たら蟻が群がること請け合いポン」
「だよね!? うわぁあああ、嫌なこと想像しちゃった!? どうするっ!? どうするのポン子ちゃん、ねぇ助けてくださいよぉ!」
「涙ながらに訴えられても困るポン、ポンだって処理に困ってる最中だポン!」
コーラに限らず炭酸飲料は沸騰させると炭酸が抜けて味が濃くなる。ところがここのコーラ風呂に常識は通用しないらしく、スクープが指先につけた水滴を舐めてみたところ、しっかり酸味を味わえた。
「無駄に美味だし、こういうとこ凝るのやめてもらえませか!?」
「怒り狂うのもその辺にして欲しいポン……さっき言ったポン? セインツロックにはポンも把握してない仕掛けがあると、責任は負いかねると――ここでは全てが自己責任だということが肝に銘じてほしいポン。セインツロックに入った時点で利用規約に同意したようなもんなんだから、何と遭遇しても最大限冷静に応対するポン?」
「それにしたってコーラ風呂は意味分かりませんよ!」
逆鱗に触れてしまったらしいコーラ風呂がスクープを熱り立たせる。
「この様子だとまだ風呂攻勢は止まらないな!?」
「待つポン、一人じゃ危ないポン!」
土煙を立てながら一人で先を行ってしまったスクープをポン子が追う。
シュヴェールトゥトラは暗闇でもある程度視界を確保できるので極端に鈍足になったりはしないが、それでも光源があるのとないのとでは一歩先に対する安心感が段違いで、少なからず徒歩速度に影響はあった。
スクープがそのままの速度を保ってしまえばポン子との距離は離れるばかりである。しかし、ポン子は追いついた――スクープが黄色い風呂の前に立ち止まっていたお蔭で、追いつけた。
「……あぁ、ポン子ちゃん。ごめんね、先に突っ走っちゃって」
「いや、それはいいポン……。スクープは私に謝るよりも、その顔をやめることを優先してほしいポン」
「怖いだなんてそんな、可憐な乙女になんてことを」
「可憐以前にその顔を乙女とは呼べないポン」
童話に出てくる怖いお姉さんのような表情には言い知れぬ迫力があり、泣いている子供を黙らせるくらいは簡単にできるだろう。端正な顔が台無しになっていた。
場にはコーラの甘い匂いを凌ぐくどくどした悪臭が漂っている。
ベースは結構な塩味で、わずかに甘さが混同している。そして色は黄色い――そう、これは真冬のスキー場で過ごす休憩時間に飲みたくなるホットドリンク、コーンポタージュだ。
「コーン浮いてないしっ! コーン浮いてないしっ!」
「スクープ落ち着くポン! 突っ込みどころはそこじゃないポン!?」
今まで一歩引いた場所から冷静に場の状況を受け止めていたポン子が、スクープの豹変ぶりに取り乱す。憶へ進むにつれて混沌さが増していることに二人は気付かない。
「これまた無駄に濃厚なのがムカつく……」
「クオリティはお墨付きポン?」
「誰もお風呂に味なんて求めていません。あと墨繋がりでイカスミ風呂とか登場してきそうなんで、なるべく口を閉ざしてください。嫌ですよ? 墨汁みたいにどす黒いお風呂なんて。それでいて生臭いなんてもう最悪です」
「でもイカスミって美肌効果があるって、この前昼のテレビで見たポン?」
「摂って効果が生まれるんでしょ。浸ったら体臭が海鮮っぽくなるだけですよ……」
テレビっ子のポン子の間違った意見を正してから、コンポタ風呂から早々に距離を取る。喉の奥にすっぱさを感じたからだが、それが何であるかは敢えて明言しない。
巡るめく匂いの変化に壊れてしまいそうなスクープの嗅覚は、間もなく苦味に刺激された。これは簡単だ、とその匂いの発生源の風呂に差し掛かっても横目をくれるだけで、今までのように味を確かめることはしなかった。
スクープはお湯の色を見て一瞬だけイカスミを彷彿とさせたが、光を当てて茶色がかっていることを目視したら、やっぱり最初のが正解だったか……、と呆れを通り越して冷笑がこぼれた。
「コーヒー風呂はスルーでいいポン?」
「入ってみたら案外お洒落な体臭になるかもですよ? 私はいいんで、ポン子ちゃん一人で入ってきたらどうです?」
「対応がどんどん雑になってるポン……」
いつもの優しいスクープが負の感情に蝕まれてしまったせいで冷遇される不遇なポン子は、横の岩肌に向かって溜息を吐く。
しばらくして、五つ目の風呂に遭遇した。これまでの風呂とは打って変わってリラックス効果のありそうなミント系の芳醇な香りが漂っていて、水の色合いも悪くない。透き通った紅色には洒落っ気がある。
それでもスクープの気分が晴れることはなかった。
「……おいおい」
湯船に浸かる人影が見えた。はじめに断っておくとそのオチが猿ということはない。
湯気によって全貌まではっきりくっきりとは行かないが、湯船の傍の岩場に脱ぎ散らかされた冒険者風の衣類や人影のあちこちにも見覚えがある。
沸き立つ温泉のように、スクープの心の奥底で怒りが育まれる。主に憤懣と不満を栄養源として順調に成長していき、そのシルエットから発された快楽の唸りをきっかけに発芽した怒りは爆発した。
「てめぇこの花沢ぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「どひぇっ!? す……スクープ、お前なんだ急に叫んで!?」
風呂の壁際にいたため逃げだそうにも逃げられない花沢は、一体どこから調達してきたのか湯の上にずり落ちたタオルを絞って、あたかも武器であるかのように構えた。
だがこの時点で勝敗は決しており、それ以上は虐待の域に入っていると言っても過言ではないのだが、スクープは脅しを掛けるように路傍に落ちていた両手のひら大の石をぽーん、ぽーんと浮かせて遊ぶ。
「元はと言えばてめぇが勝手にどっか行くのが悪いんだろうが!! 締めるぞ嬲るぞいたぶるぞ!?」
「うぉおおおおおお!? お前投げるにしたって小石にしろよ!? 今投げたやつなんてほとんど岩だろ!?」
「おい立つんじゃねぇ! 貧相できったねぇ一物が見えてんだろうが、殺すぞ!?」
「お前が投げなきゃずっと風呂に浸かってたわ! あと言葉遣いがそれ以上粗野になるのはヤバい、色々と!」
のっしのっしとただならぬオーラを発揮しながら近付いてくるスクープに花沢は畏怖する。お湯の色が色なので例え小便を垂らしてもバレそうにないが、それ以前に純粋に生命が脅かされているので今更社会的生命を心配しても不毛である。
スクープが漬物の置石くらい大きな岩を軽々持ち上げ、花沢は前で手をクロスして目を瞑る。そして骨の何本かが粉砕されることを覚悟したが、実際にそんなことは起こらなかった。
「待って待って、落ち着くポン!?」
ポンポン鳴く生き物がスクープの脛をぺちぺちと叩く。
「ポン子ちゃん、悪いんだけど邪魔しないでもらえませんか……え?」
抱えていた岩が地面に落ちて、スクープの足元が微かに揺れる。
人型に変身する前の狸もどき――ありのままのシュヴェールトゥトラが足元にいた。
ただし、それはポン子ではない。顔を上げたスクープの先には、きちんといつものセーラー服姿の獣娘が立っている。
「ポン子って誰ポン? ……あ、あなたポン?」
「うん、まさかこんなところでお仲間に会えるとは思いもしなかったポン。胸がほっこりしたポン?」
「温泉だけに?」
「滑り散らかすのはやめてほしいポン。同じ種族として恥ずかしいポン」
狸もどきと獣娘の会話についていけない人間二人に話が振られたのはそれから結構な時間が経ってからで、狸もどきは二人に向き直ってお辞儀した。
「どうもお騒がせしてしまって申し訳ないポン。早速で悪いんだけど、メイドインポンの銭湯はどうでしたかポン? 楽しかったですかポン?」
数秒の沈黙を挟み、花沢とスクープは声を揃えて言った。
『犯人お前か!』
「ひぇっ、そんなに大声上げないでくださいよぅ。もしかして、ポンの作った銭湯はお気に召さなかったでしょうかポン?」
『当たり前だ!』
「ひぇえっ」
「ちょっと二人共、うちの子をいじめるのはやめてほしいポン?」
「ポン子、てめぇ寝返る気か!?」
「高校からの友達と、小学校からの友達だったら迷わず後者を選ぶのがポンだポン?」
「例えがリアルなのが腹立たしいわ!」
二対二の対戦が始まる前に、全ての発端である狸もどきは自分の盾となっているポン子に申し訳なさそうに耳打ちする。
「なんて言ったんだ?」
「喧嘩はやめてほしいって。ひとまず落ち着いて話をさせてほしいと言ってきたポン」
「対話しようってことか。いいぜ、もちろん」
「でもその前に、フルチンはやめてほしいって。ほら、スクープだってそのせいでさっきから俯いて黙りこくってるポン?」
「おっと、こりゃ失礼」
「もう少し悪びれてください!」
興奮して湯船から出てしまっていた花沢は、狸もどきから受け取ったタオルで水気を拭いつつパンツだけ穿く。暑かったからほぼ裸の状態をキープしておくことにしたらしい。お蔭でスクープは慣れるまで目のやり場に困っていた。
湯船から離れ、湿気が薄くなるまで奥へ移動する。花沢がさっきまで浸かっていた紅茶風呂で飲料風呂シリーズは終了だったらしく、歩いている途中にまた新たに発見ということはなかった。
「さて、それじゃあ話を聞かせてもらおうか」
腰を下ろすには丁度良い場所を見つけた一行は、ポン子を囲むように座る。
「まずお前は何者なんだ? やっぱりシュヴェールトゥトラなのか?」
「如何にも、私はシュヴェールトゥトラですポン」
ポン子よりも幼い声で狸もどきは言う。
「この度はヒト文化をポンたちの世界に取り込むため、ポンの一存で銭湯導入に挑戦したのですポン。まあ本場の反応を見た限りでは失敗だったみたいですけどポン……」
しゅんとなって耳が垂れ、尻尾が地面につく。その愛くるしさにスクープが悶えた。そして花沢から頭を叩かれる。
「失敗、まあ失敗だなこりゃ」
「でも花沢さん、気持ち良かったんでしょう? 紅茶風呂」
気分を損ねたスクープからの容赦ない突っ込みに言葉が詰まる。
「ぜ、全部が悪くはなかったけどな!」
「……まあいいんじゃないですか?」
冷ややかな視線を浴びつつ言った言葉がフォローとなり、狸もどきの顔がパッと明るくなった。尻尾がビーンと立つ。
「そうですかポン? 良かったです……ポンったら、もう挫けそうで挫けそうで。今回の風呂はある銭湯を参考にして……」
「……んん? え、ちょっと待てよ。そこの風呂に紅茶風呂があったのか?」
「いえ、飲んだんですポン」
「?」
「お風呂上りに飲んだ紅茶が美味しくて、じゃあこれお風呂にしちゃおうって」
「子供の発想じゃないですか。でもそれを本当に作っちゃう辺り、シュヴェールトゥトラの貪欲さというか、行動力には敬服しちゃいますよ」
「褒められると何か出るからやめてポン」
「何が出るんですか……」
戦々恐々とするスクープに狸もどきは「冗談ポン?」と幼声で可愛らしく言ってから、
「そろそろ皆に合わせて変身するポン?」
「お、楽しみだ」
興味津々な花沢が相槌を打つ。
シュヴェールトゥトラの変身に魔法少女の変身シーンのような派手な演出はなく、簡素に完了する。煙が姿を隠すようなこともない。チャンネルを変えるように目の前の存在がパッと入れ替わるだけである。
そうして現れた変身後の狸もどきは、その声からは想像できない妖艶な大人の女性だった。夏祭りを思わせる青紫色を基調とした花柄の浴衣姿で、艶やかな黒い長髪、思わず顔を埋めてみたくなるような項、薄桃色の唇の下にある色気を演出するホクロ、どこに注目しても垂涎ものの一級品である。
「負けた……」
スクープが敗北感に苛まれる。客観的に見ればスクープだって対等に渡り合えなくもないのに、本人に自分が美人だという意識がないのでこういう発言が飛び出る。学生時代はその意識の無さで、作らんでもいい敵を量産したものだ。
「(ああ、どうせ花沢さんはメロメロなんだろうなぁ……)」
大人の女性を苦手としていることは知っていたが、こんなにも出来が良いと苦手意識だって塗り潰してしまうんじゃなかろうか。そんな風に見越して花沢を見た。
「……あれ? 花沢さん、騒がないんですか?」
意外にも花沢は黙りこくっていた。顎に手を当てて、何かを考えるように。
「んんー……いや、ちょっと気になる点が」
曖昧に返してから花沢は元狸もどき現大人のお姉さんに顔を近付けた。
「ちょっとちょっと、NHK何してるポン?」
「そ、そうですよぅ、あまり顔を近付けられたら私……ん?」
お姉さんが目を細めて花沢に顔を近付ける。接近に接近で返したので、二人の顔はキス間近まで迫っていた。
傍で戸惑うポン子とスクープをよそに二人は顔を観察し合う――そして、あぁ! という答えに辿り着いたような声がほぼ同時に上がったのは、弾みで唇を重ねてしまいそうなくらいに顔と顔が接近した頃だった。
『銭湯で見た人だ!』
「え? それってどういうことですか!?」
スクープから投げかけられた疑問に花沢が答える。
「どういうことも何もスクープ、ポン子、昨日一緒に銭湯行ったろ? そのときに俺、この人を見たんだよ。つーかちょっとだけ喋った」
「どういう状況ですか!? 花沢さんが苦手な美人さんとお喋りするだなんて……」
「お喋りっていうか、人間違いだけどねポン」
苦笑したお姉さんが後ろ頭を掻く。それにしてもポンという語尾が似合わない。
「休憩室でうろうろしていたらこんな顔の男性に人間違いされて……」
「そうそう、そうなんだよ。でもそのときは髪がちょっと違ったような気がするんだけど?」
「その通りですポン。実は今のこの姿はちょっと力入れてたりします――では昨日の姿、一番楽な姿をお見せしましょうポン」
と言った直後、頭に獣耳が生え、黒髪が癖のある茶髪に変わり、臀部からは手毬のような尻尾が生えた。
「ポン子ちゃん!?」
「みたいだけど、ポンじゃないポン。セーラー服と浴衣で見分けて欲しいポン?」
「どうせなら適当に名前付けるか、呼びづらいし。そうだな、ポン美でいいか」
「本当に適当ですね!」
ポン子、ポン美と来たらまだ見知らぬ三人目はどうなるんだろう? と、スクープは今後あるかもしれない名付けを少し楽しみに思ってしまった。
「そうそう、俺が銭湯で見間違えたのはこの人だよ」
花沢は二人を並べて立たせて吟味するように見比べる。
こうしてみたら、二人が似て非なることが分かる。ポン子が可愛い系の女子校生だとしたら、ポン美は二十歳を超えた綺麗系の女子大生だ。髪の色もポン子の方が明るみがあって、耳の形状だってポン美の方が細い。
「胸はどっちがでかぐぇ」
「それはセクハラです。さっきから視姦紛いのことまでやって……」
「そこまで言われるのか。ま、いいじゃんか、その視姦紛いのお蔭で二人の微妙な違いが明らかになったんだし」
四人はその後、自己紹介を挟んだあと、再びポン美を中心に据える形で座り込んだ。
「というわけで話を銭湯、お風呂に戻しますけど、折角なんで相談に乗って欲しいのですポン」
「相談? やっぱり風呂関係だよな?」
「そうです。こうして打ち解けたことですし、是非とも本場を知るNHKさんとスクープさんに助言を乞いたいのですポン」
花沢とスクープは顔を見合わせる。別段断る理由もなかったので快く引き受けることにした。
「じゃあなんだ、本場の人間として一つ言わせてもらうと、コーラ風呂とかココア風呂とか、変に凝った方向の風呂を作るのはやめろ。風呂っつーのは体を清潔にするための場所なんだから、あんな糖分を主成分にした風呂に浸かったりなんかしたら逆に不衛生だろうが。遊び心を入れるにしても、もうちょっと考えた方がいいな」
「ふむふむ。では例えばどんな風に遊び心を入れたら良いでしょうかポン?」
「んー、そうだな。入ると特別な効能が得られるとか?」
「あ、花沢さんそれいいですね」
賛同したスクープはリアライターのネット検索機能を使って、一番上に出てきたページをポン美に見せた。
「心身のリラックスはもちろんですけれど、筋肉痛や打ち身などにも良い影響が与えられます。お風呂っていうのは、怪我や病気にも効果があるんですよー。あー、でもこれは温泉の効能だからただお湯注ぐだけの銭湯じゃどうなんだろう? 持ち前の技術力でなんとかなりますか?」
「頑張ってみますポン! 試す価値は大いにあると思うポン!」
研究熱心な学生みたいな調子で意気込んでから、ポン美は「あとはあとは?」と、さらなる助言を求めた。
「電気風呂とかもありますよね」
「電気風呂とはなんですかポン?」
「入るとビリッとするお風呂だよ。体に害がない程度の弱い電流をお湯に流すことで、かなりの効果が期待できるんです。私の知り合いに、電気風呂で酷かった筋違いが格段に良くなったという方がいます」
「それポンも入ってみたいポン。ポン美ポン美、導入を急ぐポン!」
「分かりました、これは優先順位を上げておきますポン! ……効能重視のお風呂に電気風呂か……あとは何かありますポン?」
花沢とスクープ、そしてポン子までも唸り声を上げながら脳みそを回転させ、各々が銭湯に欲しいものを思い浮かべる。
「サウナは必須だろうな。ちゃちい銭湯にはないんだけど、本格的な銭湯を作りたいんなら導入すべきだ。簡単に言や、暑過ぎる部屋だな。スクープ、調べてやれ」
「はい分かりました!」
いつの間にか調べ役を任されたスクープは親身になって力を貸す。サウナについて調べてポン美に覚えさせている途中、
「……このミストサウナも欲しいですね」
目についた大好物のミストサウナの設置を要求した。前向きに検討という言葉が返ってきて、スクープは満足した。
「そうだポン。銭湯と言えば、あの大きな画が印象的だポン? お風呂の後ろに大きな山があって……」
「山ですね、分かりましたポン!」
「あとは露天風呂だな。えーっと、まあ外にある風呂。読んで字の如くだ」
「読んで字の如く、露天風呂ですね、分かりましたポン!」
「疲れた体を揉みほぐすマッサージもあったら客としたら嬉しいなぁ」
「体を揉みほぐすマッサージですね、分かりましたポン!」
「休憩室は豪華にしてほしいですね。最近の銭湯の休憩室はどこも綺麗です」
「ゴージャスにすればいいんですね、分かりましたポン!」
「滑り台なんかもあったら子供が増えるんじゃないポン?」
「滑り台ですね、分かりましたポン!」
三人の銭湯に対する要求はこのあとも長々と続いていった――シュヴェールトゥトラの行動力の凄まじさを忘れて。