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パパラッチはぶっちゃけない  作者: 設楽 素敵
第二話 極楽! 飲んで楽しい湯気物語
7/22

2


 という話を、ポン子は二人に開示していなかった。

 質問されたら答えようと思っているが、挨拶代わりのつもりだった最初の一言が想定外に響いてしまったらしかったので今のところ自重している。

「アツいな……温度も、展開も」

 そんな気遣いのできる女、ポン子の扱い方が分からない花沢は今日も今日とてエロゲーに励む。エロゲーに対する熱心さはポン子が来ても変わっていなかった。

「ああ、ポン子ちゃん包丁で物切るときは猫の手にしないと!」

「猫の手? こんな感じでいいポン?」

「本当に猫の手にしなくてもいいんですよ! でもすごい、なにこれどういうメカニズムで変化させてるんですか!? うわぁ、にくきゅうの手触りが本物みたいです……」

「にゃんっ、ちょっとあんまり触りすぎないでほしいポン?」

「あ、ごめんねポン子ちゃん。可愛くて惜しいんですけれど、とりあえず料理には不向きだから元の人の手に戻してくださいね?」

 所々に毛玉ができたスウェットを被って、座椅子で無心になってクリックを繰り返していると、台所の方から華やかな女の会話が聞こえてきた。

 今や我が家は女子二人を抱えるヒモハウスと化しているんだった。

 ハッとなって、ちょっぴり複雑な気持ちになった花沢は物音をシャットアウトするためにヘッドフォンをした。世間ではこれは現実逃避という。

 花沢はセインツロックの真相の一部を知って以降、暇なときに、真実を世間に公表したらどんなリアクションが返ってきて世界はどう変わるのだろう、という寝る前にするようなスケールの大きい考え事に没頭することが多くなった。

 自分だけ宇宙人と交信しているような気持ちとはこんな感じなのだろうか?

 テレビで超能力者を名乗る胡散臭い大人を目にすることは少なくないけれど、仮にそれら全てが真実だとしたら、彼らはなんて孤独な存在なのだろうと、今となっては同情すら覚えるようになってしまった。

 宇宙人と本当に交流していて、存在を世の人たちにも知ってもらおうと力説する者を色眼鏡で見て、その人が喋ることを軽々しく異端邪説と決めつけるべきではない――考え方も変な方向に変わってしまった。元から割とそういう論者の味方についていた節があったとはいえ、以前と比較してそれをはっきりと主張している。

 男花沢、世界にあまねく愚か共に告ぐ――

「浪漫童心忘れたつまんねー大人たちに振り回される必要なんてないんだよ!」

「エロゲーやってどうして頭が熱血漫画色に染まってるんですか!?」

「うおぅ!? 急にヘッドフォン外すのはやめろ――って、スクープお前、どうして鼻摘まんでんだ? わさびでも吸入したか?」

「わさび吸入とか馬鹿ですか、如何にも学生が好き好みそうな罰ゲームですね」

 鼻を摘まんだままのスクープは、ごもごもした声と冷めた態度で座椅子に座る花沢を見下す。ほつれの目立つ百均のエプロンを着用している人間に見下されて、素の状態で見下されるよりも敗北感とショックが大きかった。

 花沢は意気地になって同じ土俵に立とうと腰を上げると、スクープは鼻を摘まんだまま、逃げるように後ずさった。行動の意図が読めなかった花沢は首を傾げる。

「おいスクープ?」

 そう言って肩に手を近付けると、さらに後退したスクープは狭隘な部屋の壁にぴっちりと張り付いた。

「近寄らないでください! この距離をどうか保ってはもらえませんでしょうかお願いします心からのお願いです!」

「だからどうしてだよ! 童貞拗らせてるからってお前に手は出さないって!」

「この状況でそういう発想に至る思考回路に贈ります、はぁ!? ヒントはいくらでもあるじゃないですか、考慮して直接言わないようにしてるんですからさっさと察してくださいよ、こういうの得意でしょう!?」

「理由もなしに避けられることが得意とかどんなやつだよ、意味分からん!」

「ぎゃあああ! だから近付かないでください、しっし!」

 夏場外でバーベーキューをしているときに飛来するハエを追い払うように手を振る。相変わらず意味不明。でも、仕草自体がちょっぴりショックだった。

 花沢は、スクープが窮境に陥ったわけでもないのに逃げ道がなくなったみたいに壁に張り付いて、自分をぞんざいに扱っている理由を推理する。

曰く、ヒントは鼻を摘まんでいるところにあるという。自分から逃避する行為自体もヒントと同等に見ていいだろう。よって、答えを導き出すために二つのヒントを得たことになる。

 鼻を摘まむ、逃げる――二つのヒントが合わさって、なるほどそういうことか! と、もやもやが払拭されるような答えとは。

「(……もしや?)」

 思考回路に電流が走り、閃きの電球が灯る。

 スウェットの袖をおそるおそる鼻に近付けた――瞬間、汗臭さやカップラーメンの匂いや炭酸飲料の香りが入り混じったしっちゃかめっちゃかでなんとも言えない悪臭が鼻腔の奥まで刺激して、にわかに吐き気が込み上げた。

「花沢さん、臭い」

「イカ的な意味で?」

「この期に及んで何を言いますか。ほざけ」

 ごまかし目的でふざけてみるも、ぶっちゃけ自分で自分の体臭にえずくなんて思いもしなかった。

 花沢の部屋にはシャワーがあるが、日常的に使用しているのはスクープと、それから最近仲間に加わったポン子で、主の花沢自身はあんまり使用していなかった。猫のように水を嫌っているわけでなく、ただの面倒臭がりだというのだからどうしようもない。シャワーを浴びるくらいならヒロインたちのお風呂シーンを覗くというくだらない持論を唱えているくらいだ。

 花沢は応急処置的な対処として、スウェットからまだ洗剤の匂いが強めに残っている洗い立ての黒ジャージに着替えた。体臭という悪臭源が残っているものの少なからず緩和されたらしく、ようやくスクープが鼻から手を離してくれた。

「花沢さんも臭かったですけど部屋自体が臭うんですよね……」

 見も蓋もないスクープの発言を受けて花沢はくんくんと鼻を動かして嗅いでみる。

「んー、自分ちの家の匂いって分からんもんだけどこの部屋は臭いかもしれないな」

 スクープがポン子の面倒を見なくてはならなくなったため、散らかっていく部屋の掃除に追いつけなくなってしまったのだ。コンビニ弁当の空き箱が詰め込まれたレジ袋や長らく手入れしていない排水溝など、この悪臭発生も自業自得である。

 日頃はスクープに家事を全投げしている花沢も今日ばかりは協力的になって部屋の片付けに精を出し、とりあえず全ての物を壁に寄せて中央を開けるという策を取った。

 そしてその空きスペースに三人が三角形を作って、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で大企業の重要会議のような厳めしい雰囲気を醸し出す。

「スクープ、これからどうするよ?」

「部屋の本格的な清掃は後日にして、ひとまず花沢さんはシャワーを浴びては如何でしょうか?」

「シャワーってなー、気分乗らないんだよなー、パパラッチって泥臭いイメージあるしどうしようかなー」

 パパラッチとして才芸に富んでいても人として清潔感を保つことは全くの別問題なのに、花沢は我儘というか駄々をこねて難色を示す。

「もー、まどろっこしいですね。なんでもいいから早くお湯浴びてきてください!」

「そうだよ、NHKマジで臭いポン。私はスクープの味方ポン?」

「ポン子お前まで! クソッ、こうなったら徹底的に抗ってやろうか!?」

「そこで意地になる必要ないですから! ……ったく、面倒臭い人なんだから」

 ボソッと本音を吐露してからスクープは他の音欲しさにテレビを点けた。

真っ昼間ということで老人層が視聴するようなサスペンスドラマや将棋の中継が電波を占めて、望むような番組は見つからないかと思われたがあるチャンネルでリモコンを操作する手を止める。

『それでは、本日はこちらの温泉宿に伺いたいと思います!』

 画面の中では、若い女性の新人レポーターが趣致に富んだ古めかしい温泉宿の中を歩き回って、覚束ない身振り手振りで初々しさ溢れるレポートをしている。

「何これポン?」

 ポン子はテレビを指差して二人に尋ねた。

「ああ、これは温泉っつってな。シャワーの上位互換みたいなもんだ」

「へー」

「つーか知らなかったのか?」

「シュヴェールトゥトラに水に浸かる習慣はないポン?」

「そうなのか、それじゃあ体はどうやって洗ってるんだ?」

「体を洗う必要なんてないポン。霧吹きみたいな飛沫を全方向から浴びて消毒するだけポン?」

「え、マジで? すげぇな、映画の世界みたいだ……」

 一度画面がスタジオに切り替わったあと、メインである大浴場にタオル一丁になって再登場した緊張の面持ちを露見するレポーターは、湯気が立ち込めているせいで視野の悪い浴場内を滑りそうになりながら進み、辿り着いた露天風呂をこの宿の醍醐味と紹介した。

「夏も近いってのに、温泉の特集組むっておかしくね?」

「ですね、季節を考えた特集組むなら海だと思います」

 沈着な視点で番組を見る人間二人の一方、ポン子はキラキラと目を輝かせて白濁色の湯に見蕩れていた。やがてその見入りように二人が気付いて、さらにそのひしひしと当てられた視線に気付いたポン子は向き直ると興奮気味にお願いした。

「ポン、温泉に入ってみたいポン!」

「いいんじゃないですか? ね、丁度良いじゃないですか、花沢さん?」

 シャワーは微妙だが風呂は好きな花沢だ。断る理由はなかったので快くうべなう。

「いいぜ、夕方になったら近場の銭湯に行こうか」

「やったポン!」

 耳をぴこぴこ前後に動かして喜びを表すポン子だった。



 というわけで夕方になり、懐に垢すりや石鹸等の入った風呂桶を抱えながら坂道を下る三人の影は身長以上に伸びていた。

「セーラー服の女子校生に、ジャージ姿の男というのは傍から見たら危険な図かもしれませんね……」

「俺にケモナー属性はねぇから安心しろ」

 注釈を述べておくと、ポン子はいつも通りセーラー服を着ているが獣耳と尻尾はしまっている。どちらも自由自在に収納したり出したりできるのだ。まあ動物っぽく髪がうねっているのは変わりないので後ろから見るとすごい天然パーマだが。

「着いたぞ」

「ここポン? ……テレビの中で見たのとはだいぶ見た目も雰囲気も違う気がするポン?」

「中身は一緒だ、文句を言うな」

 三人がやってきた近場の銭湯はかなりの歴史があるらしく、風韻漂う傾いた看板や寺社のような門構えと建物は古き良き昭和時代の名残と言える。今の時代、新しく開業する銭湯はどれもめかしこんでいて、風呂のバリエーションの多さや快適さこそ抜群かもしれないが、居心地の良さや雰囲気という点ではこういう銭湯の方がいい。

「わあ、意外と人集まってるんですね」

 夕方の早い時間帯だから空き空きだろうという予想は、大量に沸いた年配の方によって大いに裏切られる。じいちゃんばあちゃんの坩堝と化した休憩所を通過して番台へ行き小銭を払う。

「んじゃ、あとで」

「適当な時間に出てきますね、行こうポン子ちゃん」

「バイバイポン!」

 てってけてーと子供ような足取りで女湯ののれんの奥へ消えた。花沢も男湯ののれん奥へと進み、爺さんだらけの脱衣所で唯一若々しい肉体を露出する。誰かがその体を見て、自分も昔はああだったと話の種にしていた。

 スライド式のドアを横に引いて浴場に一歩踏み出すと、日なたに置いていた水のような生暖かさを感じた。

 丹念な清掃の賜物か、ぬめりは全然なかった。床のタイルとタイルの間の汚れも目立たない。目の前にでかでかと描かれている雄大な富士の画も、年季には及ばす上の方が黒ずんでいるものの、手の届く範囲では常日頃から磨かれていることが分かる。まあ要するに外見のボロさとは反対に内側は結構綺麗だったという話だ。

 シャワーで汚れを洗い流してから、一番手狭な浴槽に入浴する。熱めの水温は花沢の好みにぴったりで体の芯から温まる、生き返るような気持ち良さに思わず唸り声が出た。

「(出来れば新湯に浸かりたかったけどな……)」

 大して風呂好きでもないのに一番風呂を憧憬すると、壁の向こう側からスクープの声がした気がした。耳を澄ましてみる。

「花沢さん! 石鹸ありませんか?」

「スクープか? お前、持ってたんじゃなかったのか?」

 風呂から上がって、女湯側の壁に向かって声を飛ばす。漫画じゃよくあるシチュエーションだけど、現実でやってみると恥ずかしいなと思った。

「それが、入ってなかったんです。忘れちゃいまして……」

「なんだよ、しょうがねえな。今から投げるから受け取れよー」

「ありがとうございます、ごめんなさい」

 自分の風呂桶から取り出した石鹸を放り投げる。高い楕円の放物線を描いて女湯側に侵入する。数秒後、いてっというスクープの声が聞こえた。掴み損ねたらしい。

「痛い……」

「お前取れよ。恥ずかしいから俺はもう行くぞ」

「あ、どうもでした……」

 高さがあった分、落下したときの衝撃も大きかったのだろう。未だに痛そうに沈んだ調子で喋るスクープだった。

 もう一度お湯に浸かってゆっくりしたあと、脱衣所に戻って着替えてドライヤーで髪を乾かし休憩所へ――と思ったが、風呂上りにあんな密集地帯に行ってはまた汗を掻いてしまうと危惧し、番台近くの椅子に座った。扇風機が近くにあるので快適だ。

 銭湯の不文律に則って買った瓶のコーヒー牛乳で茹った体を内側から冷ましていると、女湯から見慣れた後ろ姿が退場してきた。あの天然パーマはポン子のものだ。

「(スクープのやつ、世話を放棄してくつろいでんのか?)」

 髪の色が濃い気がするけど、照明の影響だろう。

兎にも角にもスクープめ、これは説教ものだな、と花沢は重い腰を上げて休憩所をきょろきょろ挙動不審になりながら歩いているポン子を助けにいった。

「おいポン子、こっちだこっち」

「はい?」

「……あれ?」

 振り向いてみると、全くの別人だった。後ろ姿がそっくりさんの割に表は少しも掠っていない。知らない男性に話し掛けられた女性以上に、花沢が戸惑う。

「いやっ、あのっ、すみません、人違いで」

「あら、いいんですよ。お気になさらず」

 花沢が戸惑った理由はもう一つある。この女性が、花沢が不得手とする大人の女性にカテゴライズされる容姿をしていたからだ。しかもその苦手意識は、先日のトラウマにより増大している。しどろもどろになるのも無理はない。

 和装が似合いそうな美人面の女性は艶やかで、容姿の割に声が子供っぽいのが特徴だった。ギャップがあって、これはこれでいいと花沢は新境地を楽しむ。

 女性は色香を振り撒きながらさして気に障った様子もなく離れていった。人が塊になっている場所から少し離れた場所に座る。きょろきょろしていたのは場所探しのためだったらしい。

「あれ? 花沢さん、そんなところでつっ立ってどうしたんですか?」

「うぉおおおおおお!?」

 振り向くと、肌がどことなくしっとりしているスクープと、その奥に本物のポン子が立っていた。

「!? な、ななんですか!? 急に叫ばないでください、公共の場ですよ!」

「お前が急に肩叩いてくるのが悪いんだろうが!」

「知りませんよ、肩叩いただけで悪いとか言われる筋合いはありません! ほら、さっさとどっかに陣取りましょう。なるべく人気が少ない場所……って言っても、なかなか見つからないですよね」

 スクープが手をひさしにして休憩所を見渡す。花沢は先程の女性が目に入ることを恐れてずっと俯いていた。目が合っても気まずいし。

 良い場所が見当たらず、諦めたスクープは苦笑交じりに言う。

「しょうがない、外のベンチに座りましょう。こんなこともあろうかと、私もポン子ちゃんもドライヤーで髪をがっつり乾かしておいたので。湯冷めは嫌ですからね。ほらほら、花沢さん止まってないで」

「お、おう……。あ、お前らコーヒー牛乳買ってこいよ」

「コーヒー牛乳?」

 まだまだ俗世に無知なポン子の問いかけに、スクープが風呂上りの定番だよと母親ばりに微笑んで一緒に自販機へつれていく。が、戻ってきた二人が買ってきた飲み物はコーヒー牛乳ではなく。その風情をぶち壊しかねないチョイスに花沢は憤慨した。

「コーラとココアってなんだよ!」

「いや、コーヒー牛乳が売り切れてしまっていたので……。ポン子ちゃん、牛乳は嫌いだっていうから、しょうがなく好物のコーラを買い与えました」

「それは良いとしてお前の方だよ。なんでココア飲んでんだよ……!」

「うぅ、私ココアが好きなんです」

 花沢はスクープに詰め寄ると、額に拳を当ててぐりぐり擦った。

「コンポタとも迷ったんですけどね、あったかいやつ」

「ドMかよ」

 かくして、なんだかんだリフレッシュした一行は涼しい夜風を全身に浴びながら帰っていった。



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