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人間にとっては果てなき世界に等しい異世界セインツロックを全域掌握している知的生命体シュヴェールトゥトラが種として最大の栄華を極めたのは、まだ人類が堅穴住居を住処とし、北海道が樺太と陸続きになっていた縄文時代まで遡る。
世界こそ違うが、超古代文明のようなものである――高度な科学技術を擁し、大地を一つの種が支配する構図は人間と何ら変わりないが、シュヴェールトゥトラは天候制御までやってのけていたので、その程度が誇張でもなんでもなくただの事実を示す表現として、今の人と当時のシュヴェールトゥトラとでは天と地の差があったと言える。
生活は快適で、七十年代の雑誌に見られた二十一世紀の予想も裏切らない近未来感があり、排気ガスを排出しない浮力で作動する空飛ぶ車や新たな発電源の開拓によって環境汚染などという言葉は死語として扱われる人類の理想を体現したような世界だった。
それなのに、シュヴェールトゥトラがそれ以上発展することはなかった。突然連載が終了する月刊誌の漫画のように彼らのセインツロックにおける世界構築は打ち切られた。
ただし人気低迷による打ち切りではなく、大御所作家にしか許されていない特権を行使しての連載終了だと言っておかなければ彼らが絶滅したと誤解されかねないので、きちんと断言しておく。彼らは天変地異によって世界作りをやめたのではない。
隅から隅までに手を伸ばし、首尾よく保守・管理をした結果出来上がった百点満点の完全無欠の世界はもう他に手を施す必要がなくなってしまった――俗っぽく言えば、カンストしてしまった。
科学力を持て余したシュヴェールトゥトラは、気が遠くなる年月を投入して作り上げたセインツロックを離れることに抵抗がなかった。一からスタートする新たな世界作りに胸躍らせながら、嬉々としてゴールドラッシュを凌ぐ勢いでセインツロックを飛び出していった。
致命的な数の欠員を出してしまったことにより、カンストされたセインツロックは衰退の一途を辿った。ここがゲームとの違いである。クリアしたらクリアしっぱなしの状態が続くゲームとは違って、世界は不親切である。というかそれが自然の摂理だ。
残留した者たちは貯蓄を切り崩していくように持ち前の科学力でなんとか食いつないでいき、セインツロックが枯渇してしまうことだけは避けた。徐々に規模が縮小化されようとも、自分たちのスペースだけは守ろうと躍起になって、実際なんとかなった。
隅々まで目を配っていた時代も久しくなってきて、当時の面影もすっかりなくなってしまった頃、残留組の子孫はセインツロックの『やり直し』に取り掛かった。
所謂強くてニューゲームというやつで、一度クリアしたゲームをもう一度クリアするのは手順も全て頭に入っているので容易い――そして、ただ繰り返すのは退屈だ。
シュヴェールトゥトラは単なる再生作業をしようとはしなかった。
腐ってもシュヴェールトゥトラ、技術も継承されていたので作れる幅は大きい。神様よろしくその気になればなんだって作ることができる。
脳髄が漏れ出しそうなくらい頭を捻りに捻って悪戦苦闘していた彼らが結論を出すことになったきっかけというのが、別次元で繁栄する知的生命体の発見だった。
シュヴェールトゥトラの科学力を以てしても、次元の向こう側を事細かく観察することは至極困難だったがぼんやりと覗くくらいなら可能で、偶然見つけた奇特な文明は彼らを新しい境地へ導くことになる。もちろん、その奇特な文明をせっせと作っていた知的生命体の正体は人間である。
次元と次元――世界と世界を繋ぐ道の創造に成功したシュヴェールトゥトラは、その日から人の文化に触れ始め、セインツロックリニューアルの参考とした。
街の遺跡を取り壊して自然を開発し、生活レベルにも文化を取り込む――その作業は今尚続いている努力だし、彼らシュヴェールトゥトラの生きる活力となっている。
……まあ行き過ぎが玉に瑕だが、そんなのはご愛顧だ。