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リアライターは、ルーツがルーツなだけにその容貌はビューカメラと瓜二つである。全身黒塗りの立方体で、ごつい印象を受けるそれは鈍器に代用できるくらい頑丈だ。
主要機能としては、顔写真や誕生日を始めとした身分証明機能、撮った写真をすぐに現物化できるインスタント機能や撮影したデータのホログラム化機能、地理情報の記録機能にリアライターで撮ったことを証明する刻印機能などが挙げられる。もちろん、従来のデジカメのようにただの写真撮影やムービー撮影も可能である。
最後に挙げた刻印機能についてだが、これには捏造防止の意図が込められている。デジタル技術が発展した現代日本では、その高度なテクニックでいくらでも写真や映像をでっちあげることができる。刻印はそうしたインチキの防止策として働くのだ。紙幣の偽造防止よりも力を入れている上、日々技術は更新されていくので安心である。
またこのリアライター以外の機器によるデータ提供を機関は一切受け付けない。たとえそれがどんなにめぼしくあっても突き返されることに変わりはない。だからパパラッチになりたい人は、まずリアライターを――機関に情報を受け取ってもらうための免許を入手しなければならないのだ。
リアライター一台の値段はカメラとしては破格だがそれとは一線を画した全くの別物であるので、車やパソコンと同じくなくてはならない精密機械の一つとして数えるべきだろう。そう考えたらとてもリーズナブルな価格設定がされていると言える。ローン払いも問題ないので、要するに意外と入手は容易なのだった。
そんなわけで忘れずリアライターを首から提げている花沢とスクープのコンビは、現在これでもかというくらい人が集結しているポートの景色に溶け込んでいた。
「これだけポートが賑わうなんていつ振りだ?」
並んでいる順番待ちの長蛇の列に飽き飽きしている花沢は呟く。
厳密にはポートというのはセインツロックへと繋がる連結ホールのことであって、ポートを収容した建物のことを指すのではない。しかし、世間一般的にはポートと言ったら、ポートを覆い囲むように建てられたこの建造物を指す。
人を多く収容するためでもあるんだろうがそれにしたって広い。建物の中には市場化している飯屋や喫茶店もあればリアライターを取り扱っている店舗もあるし、何故かゲームセンターまである始末だった。なかなかの盛況だから文句のつけようもない。
「さぁ? ただ、ここ最近では突出した人口密度ですよね」
人の熱気で早くもぐったりしているスクープは「売切」の二文字が並ぶ自動販売機からそれでもなんとか買うことができたパッケージからして不人気そうな炭酸飲料を体内に流し込む。
不思議と一品だけ残っていただけあって、市場に出回っているとは信じがたい酷い味だった。でも飲まなきゃやっていられない。暑くて堪らない。
「花沢さん暑くないんですか……?」
裏腹にシャキシャキしている花沢のことが不思議でしょうがなかった。
「ん? 暑いよ、暑いに決まってんじゃん」
とか言いつつ花沢はジャケットを脱がない。心の中では自分のことを貧弱な野郎だと罵っているのかもしれない、とスクープは情けなく思う。因みにスクープは半袖半ズボンで、完全に夏の様相だった。
「あっち着いたらちゃんと着替えろよ、今はいいけど」
今から二人は探検に出向くのだ。このような軽装では、体中に切傷や掠り傷が刻まれること請け合いだ。
「なぁスクープ、あのニュースって俺が出て行ったあとすぐに流れてたのか?」
「えぇっと、はいそうですね。花沢さんとカップルの喧嘩離れよろしく別れたあとすぐテレビ点けたんですけど、そのときにはもう」
「そうか……」
押止のあの口振りは結構前から知っていたような風だったから、俺とスクープの喧嘩が早朝に勃発していたならこの人だかりに先駆けてセインツロックへ飛べていたのかもしれないと後悔する。でも早朝寝ている状態でどうやって喧嘩するんだよという話である。今日だって花沢が起床したのは朝と昼の狭間みたいな時間だ。
手続きを簡略化しているのか、いつもよりスムーズに列が掃けているように感じる。入国審査みたいなものだ。自分たちの番がきて、二人はリアライターによる身分証明を済ませてから、パパッと一枚の同意書――何があっても当方では責任を負いませんとかそういうやつだ――を記入してポートに入場。
屈強な肉体を持つ二人のガードマンの間を通った先に、絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような色合いの渦巻く穴がある。このじっと見つめていると気持ち悪くなってくる禍々しい穴こそ、異世界セインツロックへの入り口である。
二人は躊躇なく穴に足を踏み入れる。向こう側はもう既にポートの床とは異なる感触がする。そして全身を穴に飲み込まれたあと、二人が出たのはログハウスだった。
人の住まう世界側にあるポートと同じように、セインツロック側のポートも建物で囲われている。
しかしそこには多少ニュアンスに違いがある――セインツロック側まで囲っているのは、主に安全確保のためだ。
深海よりも未知の世界、どんなハプニングが発生してもおかしくはない。出てすぐに何かに襲われるという可能性も否めない――ただし、自分たちの掌握していない世界なので本格的な開発はしない。だからこそセインツロックの景観を壊さないようログハウスを安全地帯に設定している。
他にも人間たちの配慮は随所に見られる――道はアスファルトを使った道路舗装をせずに、北海道の内陸など道の整備も行き届いていない僻地にあるような土と石が丸裸になっているごつごつ道だ。そして、そんな道を行くのは大量のセグウェイである。
完全電動で大気を汚さないため、大都会で公共交通機関の利用が推奨されているように、セインツロックではセグウェイでの移動が推奨されているのだ。
同じ電動仲間では電動自動車なんてものもあるが、道路が整備されていない以前に車体が大きくてポートに入らず、早い段階で断念している。
ポートを内包するログハウスにはもう一棟のログハウスが隣接しているが、こちらは今出てきたセグウェイの車庫となっているため、前者と比べて規模が倍単位で大きくなっている。小型とは言え夥しいくらいの量があるので、必然それを収容するための箱も肥大化する。尚、その全てはレンタル用である。個人の持ち込みは固く禁じられているので、持ち込もうとした時点でガードマンに襟首を掴まれて速攻出禁になろう。
簡易更衣室で探検服に着替え、受付で指定された車体番号のセグウェイをレンタルした花沢とスクープは電源ボタンを押す。
花沢は動き出す前に周囲をぐるりと見回して、その人数の多さにげんなりした。
「あーあ、どこもかしこもパパラッチだらけじゃねぇか。こんなんじゃ隠れている知的生命体も出てこないって、絶対」
「めぼしい情報手に入れたらすぐに公表するのやめてほしいですよね」
「人海戦術は逆効果だってのになぁ。あっちは知能が発達してるんだろう? 息を潜めて姿を隠すに決まってんだろうが。ま、愚痴愚痴言ってもしゃーないか」
割り切った花沢は首から提げているリアライターを操作してマップを選択する。さらに画面に映し出されたそれを、ホログラム化機能を用いて目の前に出力した。
「押止の話じゃこの荒野地帯で足跡が発見されたそうだ。でもこの情報は馬鹿な報道のせいで既に出回ってっから、行ったところでひどい人混みに飲まれるだけだろうな。つーわけで荒野地帯には行かずに、その周辺を回ろうと思う」
と言って、荒野地帯を囲む四つのエリアをぐるぐると指し示す。
「湖、湿原、雪原、山岳、どれがいい?」
「よりどりみどりですね、勘弁してほしいです」
選択を委ねられたスクープは口をいの字にして唸る。
湿原、雪原地帯は視界が利くため競争率が高いだろう。湖はそれに加えてこの辺じゃ一番気候が穏やかだから、初心パパラッチやそれ以外の観光客で賑わっていることが予想される。となると向かう先は消去法で残った山岳地帯となるのだが。
「すみません、どうしてもこの四つから選ばないとダメですか?」
周囲を囲む四つだけが近隣とカテゴライズされるとは決まっていない。昔から視野だけは人より広いと自負している。スクープは荒野地帯を囲む四つをさらに囲む六つの地帯に足を伸ばすことを提案した。
「なるほど、ジャングル、荒野、森林、沼地、岩石、サバンナ、に目を向けようってことか……うん、悪くないんじゃないか?」
感心したように小刻みに頷いたのを見て、スクープの気持ちがふっと軽くなった。
「ただこうなると疲れるのがネックだな。探索範囲が一気に広がっちまった。大した手掛かりもないし、ここは運頼みと行くか。どーれーにーしーよーうーかーなー……」
それかよ! とスクープは声高に突っ込んだ。
徐々に指の動きが鈍化していき、間もなく停止。指の下には森林地帯があった。
「遠いところ選んじまったな、まあ運の言うことならしょうがない」
マップを閉じると二人はセグウェイで森林地帯に向けて走り出した。方角は南南東。徒歩だったら数時間費やす道を、登場当時とは比べ物にならない性能を保持する最新型セグウェイを以てすれば、道が悪いことを加味しても三十分強で目的地に着ける。
途中ショートカットのため笹のように長い草が植生している道なき道を邁進したり、沼地と沼地の間に一本だけ走る畦道を慎重に進んだ結果、予定よりも早く森林地帯に到着した。
「おー、人っ子一人いねぇじゃないの」
二人はセグウェイを木の傍に停めて、ふかふかの枯葉の絨毯を踏みしめる。
滔滔としている森林地帯には、辺り一面図鑑が手元にないと判別不可能な木が立ち並んでいる。大小様々、幹も色とりどりだ。でも実はその多くは全部地球で観察できる木々だったりする。しかし、花沢は一目見て種類を当てられるような森林博士ではない。興味がないので今後も学ぶつもりはない。
荷物持ち担当だったスクープはリュックサックから水の入ったペットボトルを取り出し口をつけた。美味しい。運転後の給水は格別だ。
「なんだっけ? 木に入るとリラックスできるっていう効能あったよな?」
「森林セラピーじゃありませんでしたっけ? この間、テレビで見たじゃないですか」
「あー、そうそうそれだ。大なり小なりブラシーボ効果も含まれてるんだろうけど、それにしたって気持ち良いなぁ。寝ちゃお」
「極端な人……早く仕事に取り掛かりましょうよう」
催眠的な癒し効果に毒されて地面に寝転がった花沢に冷ややかな視線をぶつける。花沢は億劫そうな浮かない顔をしていたが、すぐに立ち上がって地面と接していた部分を手で払うと、パチン指ぱっちんしてとスイッチを切り替えた。
「よっしゃ! んじゃー、ひとまずはしばらくここら一帯を探索するか。止め時は俺が判断するから、号令掛けるまでは好き勝手にやってくれ。ただ行き過ぎると隣接している他の地帯に入っちゃうから気を付けろよ」
「分かりました! では私は早速行ってきますっ」
そう言い残して、鼻息を荒げたスクープは花沢の前から姿を消した。
「あいつは冒険とか大好きだからな……怪我しなけりゃいいが」
スクープとコンビを組んで二年。何度もセインツロックに足を運んでいるが、過保護なつもりは毛頭ないのにどうしても単独行動をさせるときは不安になる。市場で押止と話したときにも危なっかしいという言葉が出てきたように、出来ることなら一緒に回りたいと花沢は思う。
スクープの消えていった方向を遠い目で眺めていると、猛然と走って帰ってくるスクープの姿が見えた。キキーッとブレーキ音が聞こえてきそうな停止をしたスクープは、花瓶を手から滑らせたときのような慌てた表情で口を開く。
「あ、あ、あああっちで足跡っぽいの見つけちゃいましたっ!」
「嘘ぉっ!?」
感傷に浸っていたわずかな間に、放っていた部下が信じられない成果を挙げて帰ってきた。いくらなんでも早すぎる。もしや、今日の運勢は最高に良いんじゃないか?
報告を疑いつつも、花沢はスクープの案内についていく。
「おおっ、こりゃ……」
森林地帯の中に一本の大樹が雄々しく直立していた。その木の周りだけ開けた土地が広がっていて、ここだけ周りから隔絶されているようにも思える。
思わず感嘆の声を漏らした花沢はリアライターの地図でこの場所をマーキングしてから、ここですとスクープが指している大樹の根元に目を落とした。そこには確実に二人のとは違う獣に似た足跡がくっきりと刻まれていた。
湧き上がってきた歓喜のあまり、花沢はスクープに抱きつく。
「よくやった! 偉いぞスクープ!」
「ひゃっ、ひぇえええ!?」
コンビとは言え男女の仲、スクープは瞬く間に紅潮した。花沢のように我を忘れているわけではなく素面の状態なので、もう何が何やらという感じに心が乱れる。
やがて身を離した花沢は顔を交換したばかりのアンパンマンにも匹敵する元気とやる気を露呈して、今一度探索に力を入れるよう指示を飛ばした。
「目標は近くにいる。足跡も深さや見た目からして間近につけられたものだろう。この馬鹿でかい木を中心に見据えてその周囲を探索開始だ!」
「う、うぉー!」
花沢の抱き心地の余韻が残っていてまだドキドキしていたスクープも勢いに飲まれて拳を突き上げ、欣然と探索に取り掛かった。
「さて、報酬の使い道でも考えるかな」
脳内がお花畑と化し注意力散漫となった花沢は探索そっちのけで妄想に耽る。
知的生命体を持ち帰った暁には自分は英雄となり、一生涯じゃとても使い切れない巨額の富を手にする。
子孫のため貯蓄に充てるのも悪くないが、ここは男らしく太っ腹に利潤を分配しよう。スクープはもちろんのこと、押止や別行動中の父親にもくれてやってもいい。立派に独り立ちした息子の姿を目の当たりにして咽び泣く大男が目に浮かぶようだ。
そんな二次会を終えて三次会の会場へ向かうサラリーマンのようなふらふらとした足取りでは、踏み込んだ先にあった小沼を避けられるはずもなかった。
「こぼはぁ!?」
溺れると人はパニックに陥る。今の花沢だったら猶更だ。手と足をでたらめに動かして浮上を試みるが及ばず、思いの外深かった小沼に花沢は人知れず沈んでいった。
「……さんっ! 花沢さん! 花沢さん起きてください!」
「ハッ!?」
必死の呼び掛けに呼応した花沢は棺桶から復活した死者を彷彿とさせるような起き上がり方をした。
そのまま立ち上がってきょろきょろと周辺を見回すと、右にジャングル左に森林という奇妙な光景が広がっていた。まあセインツロックでは普通な例であるので今更驚いたりはしないが、しかしながら花沢は自分の身がジャングル側にあることについては驚きを禁じ得なかった。
どうして――どうして俺はジャングルにいるんだ?
頭を鈍器で殴られて記憶を失ったかのように立ち尽くしていると、定まらない視点を惹き付けるような存在が涙目のスクープの隣にいることに気が付いた。
「大丈夫? 意識は戻ったみたいだけど」
「……あ……」
「あ?」
「あなた様は一体……?」
「あなた様って」
欧米系の顔立ちに相応しくない流暢な日本語を駆使する金髪碧眼の女性は、花沢の抜けた発言を受けてくすくすと可笑しそうに微笑んだ。
如何にも探検隊な服装をしている二人とは違って街中で着るような服を纏って洒落込んでいて、体に自信があるのか上下共々ピチピチで、全身のラインがくっきりと浮き出ている。無駄な贅肉を全て削ぎ落としたような細い足と大胆に主張する胸部の膨らみは特筆すべき点で、その胸部を除けば全体的に細身であるはずなのに、不思議とかよわそうとか怪我に弱そうとか、そういった負の感想を抱かせない健康さも兼ね備えていた。
「私は通りすがりのパパラッチだよ、君たち二人と同じくね」
婀娜っぽく後ろ髪を掻き上げると、見切れた妖艶な項が花沢少年の心を擽った。
花沢は大人のお姉さんが不得手である。同世代の女子ならばその気になったら途切れることなく喋り続けることができるのに、普段接しない大人の色気たっぷり系の女性を前にしたら物言わぬ地蔵に豹変する。度胸がないから話し掛けられないのではなく、難しい話抜きにして単に経験がないからどう接していいのか分からないのだ。
目を泳がせたり体をもじもじくねらせたりしている女々しい花沢に嫌気が差したスクープは、何も言わずにその背中を力強く叩いた。足がもたついたせいで、意図せず顔から金髪女の胸元に着地した。両頬がふかふかの感触に支配される。
「オゥッ! 若いのに大胆……」
「す、すみません!」
急いで離れると、金髪女は手で胸元を隠すようにしつつも満更ではなさそうな態度を取った。嫌われていないことを確認するやいなや、花沢は勇気を振り絞って歩み寄る。
「……よ、よよ良ければポートの方でお茶でも如何でしょう? お礼に一杯と言わず十杯でも百杯でも、御所望とあらばプレミアムディナーも奢りますよ」
「あら本当? でも、こちらのガールフレンドは?」
大陸気質らしく遠慮する素振りを見せなかったが、ぞんざいな扱いを受けているスクープを気遣い尋ねる。しかしすっかり舞い上がっている花沢はその気遣いにも、またスクープから溢れ出している殺気や怒気にも気付くことができずに手を横に振った、
「いいんです、いいんですよあんなやつは。ささっ、早く行きましょう」
「じゃっ、そういうわけだから、お宅のボーイフレンドちょっと借りていくわね」
「もう帰ってくんなバーカッ!」
スクープの心の底からの叫びも、下衆な花沢の鼓膜を揺らすには至らなかった。
あまり有言実行してほしくなかったが、花沢は本当に仕事を放り出してポートへ帰還すると、その中にある喫茶店のバルコニーにて禍時の夜空の下にさらされていた。
自費で設けた金髪女と向き合うロマンチックなティータイムに、花沢はいつもの苦手意識までも忘却の彼方に捨てて酔いしれている。
「へぇ、お姉さんってパパラッチ十年やってるんですか、俺と同じくらいですね!」
「ふふっ、偶然よね。でもNHK君は幼い頃からやっていたんでしょう? 子供は吸収力がすごいし、きっと熟練度は私の方が劣るわ。兼業じゃ専業に敵わないしね」
「そんなことないですよ。人が死ぬか生きるかの瀬戸際で冷静に対処できるなんて普通じゃ無理ですよ、お姉さんは才に溢れた人なんだと思います。そんな素敵な人との出会いに乾杯っ! イエーッ!」
言っておくがアルコールは入っていない。雰囲気だけで出来上がっている惨状だ。
度量が広い金髪女は見方次第では鬱陶しい今の花沢にも優しく接し、突き出してきたカップにもカチンと微力に当て返して乾杯してあげた。気を良くした花沢は残りのコーヒーも全て飲み干して、さらにおかわりまで注文しようとしたが、その動きは金髪女の手によって止められた。不意に腕に感じた圧迫に花沢は金髪女へと振り返る。
「? どうしたんですか? お姉さんもおかわり欲しかった?」
「そうじゃないわよ。ねぇ、良かったらもっと楽しいところに移動しない?」
「楽しいところ? んー……」
夜の遊園地か、動物園か。ショッピングセンターへ行ってプリクラを取るのも有りだろう。
楽しいところという言葉をそのまま受け取った花沢は、そこに秘められた真理を見抜けないまま提案を快諾して席を立った。言うまでもなく、連想したアミューズメント施設は全て的外れである。
会計を済ませたあとのことは金髪女に丸投げした。
ポートのタクシー乗り場で一台捕まえて乗り込むと、花沢は行き先を知らないままどこかへと運ばれる。揺られること二十分、金髪女との華やかな会話を惜しみつつ降車した花沢が目にしたものは、豪華絢爛という言葉が似合う黄金色に輝くホテルだった。
数々の装飾とライトアップ、屈強な二本の柱が特徴的な豪華な門が敷居の高さを顕著に印象付け、花沢は敷地に踏み入るだけで入場を取られそうだと畏怖した。
「さっ、こっちよ」
「ええぇ……?」
手を引かれて門を潜る。入場料を取られなかったことに安心したのも束の間、ホテルに辿り着くまでの石畳もつるつるの大理石を採用していて、自分の薄汚いスニーカーで歩くのが申し訳なくなった。空漠の庭風景に見蕩れる余裕もない。今のところ全然楽しくない。
シャンデリアに照らされたロビーに入って高級素材の結集されたソファにどきまぎしながら座っていると、キーを持った金髪女がエレベーターの前で手招きしていた。
あの堂々とした挙措はなんなんだろう? 欧米人って皆あんな感じなのか? 徐々に酔いが醒めてきた花沢はどうしようもない引けを感じつつエレベーターに乗り込んだ。
気持ち悪い緊張感に吐き気すら催し始めていたが、金髪女の突然のハグに何もかもが吹っ飛んだ。頭が真っ白になって途中の思考も断裂する。
「……心配しないで。憶さなくたっていいのよ」
囁きの内容よりも耳元の吐息を意識してしまい、混乱が強まった。
エレベーターを降りて部屋の前に立った段階でようやく花沢は自分がどういった状況に巻き込まれているのかを理解した。これからする行為と相手のことを考えてから、キーを差し込んだ金髪女の肩を叩いた。
「ん? どうしたのかしら?」
「いや、あの……僕たち今日会ったばかりですし、こういうのはちょっと……」
「いいじゃない、会ったばかりでも。一目惚れした途端に告白するのと一緒よ」
「それはちょっと違――」
「御託はいいから入った入った!」
結局押し切られた花沢は部屋に押し込まれる。あとから入った金髪女は抜け目なく鍵をしてから、目が点になっている花沢を真白なスーツがかけられたダブルベッドに運んだ。
弾力でふわっと体が浮いて、トランポリンかよと高級家具を罵った報いか、花沢は上着を脱いで飛び掛かってきた金髪女に押し倒された。
金髪女はさらに脱ぎ出すと最終的には下着だけになり、花沢の腰辺りに馬乗りになった。まな板の上の鯉のようにされるがままに脱がされて、花沢の鍛えられた上半身が露出する。見た目がひょろっとしているのに脱ぐと筋肉質というギャップが金髪女に火を点け滾らせてしまったようで、薄桃色の唇がフレンチ気味に額に押しつけられた。
「NHK……あとは好きにして」
揺らぐ気持ちが紅潮した金髪女の一言で消え失せて、今まで乗り気じゃなかった花沢がとうとう野性を現わした。花沢は上下の構図を入れ替える。。
薄暗い部屋の中でもくっきりと判別がつく白肌の双房に被さった邪魔な布を剥ぎ取ろうとその上の手を翳した――そのときだった。
「――ポンッ!」
くしゃみをするように金髪女が声を上げた刹那、ベッドの上から金髪女が消えた――が、ベッドの上に二体の生命体がいることは変わらない。
花沢の股間の下で、小型犬くらいの大きさの狸もどきがもがき苦しんでいた。
「なんじゃこりゃああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
花沢は叫ぶ。自室とは違って壁が厚かったので隣人からドンされなかった。