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世にパパラッチが氾濫している今の時代、《自営》と呼ばれる情報屋が商売として成り立っている。商売相手は当然パパラッチだが、どうしてその情報を機関に売らないのかというと、取り扱う情報が機関よりもパパラッチの方が高く買い取ってくれるという至極単純な事情があるからだ。
自営の売る情報は、パパラッチの手助けになる類がほとんどである。
セインツロックを縦横無尽に駆けて偶然報酬に繋がり得る写真や映像を激写するのも一つの方法だが、自営から「○○には△△があるらしい」といった色のつきそうな噂話的な情報を買って報酬獲得に繋げるという方法もある。
しかし、自営には詐欺師も少なくない。でたらめな情報を売って泡銭を得る偽者を見極めることが、パパラッチの必須スキルとなっている。
その辺花沢はしっかりしているので、今のところ詐欺師の被害に遭ったことはない。情報を買うときは、押止のような顔馴染みの自営しか利用しないようにしている。
セインツロックとの連結ホール《ポート》がある町は特に自営が多く、彼らが集まる場所をパパラッチたちは《市場》と呼んで重宝していた。
日本に三カ所あるポートの内、一番利用者が多いポート周辺に住んでいる花沢は頻繁に市場を訪れる。ただし、その目的が情報の仕入れとは限らない。
花沢が通い詰めている市場は、衆目を避けるようにとあるビルの地下にある。
照明の弱い空間はスポーツバーのような内装をしており、他に比べてキャパがショボイものの腕利きのバーテンダーが待ち構えているカウンター席や、ビリヤード台にダーツなど大人の娯楽設備も用意されている。
弱冠十八歳で、しかも背が低い花沢には敷居が高いと思われるかもしれないが、昔からの顔馴染であるから問題はない。そもそも何故顔馴染なのかというと、単に子供の頃から同じパパラッチの父親に連れ添って来ていたからである。
そんなお得意さん、花沢は逃げてきた市場で驚愕の情報を耳にして、口に含んでいた烏龍茶をグラスにリバースした。
「車から手ぇ出したときのふわふわ感っておっぱいの感触じゃないってマジか!?」
「あんなもん都市伝説だよ。多分作ったやつは実物を揉んだことのない童貞だろうね。というかそこまで驚かれるとは」
情報提供者である中年男、押止は逆にこっちが驚いたと苦笑交じりに呟いた。
押止。その男の下の名前を花沢は知らない。
今でこそ自営に衣替えしたが、以前は――花沢がまだ一桁の年齢だったときはパパラッチとして活躍していた。よく父親とバディを組んでセインツロックに乗り込んでいたので、そのときから既に連れ添っていた花沢とも顔見知りである。
自称大体四十歳。見た目は二十代後半でも通用する若々しさがある。
日本男児らしいしょうゆ顔で、イケメンやかっこいいというよりもハンサムという誉れが相応しく、特に二重に加えて淀みのない大きな瞳は女性の心を射抜く際の一番の武器になる。体育会系を象徴するような小麦肌で、皺は少なくほうれい線もごく薄い。体格も筋肉質な上に身長も六尺を越えるほどなので、猶更女性を惹き付ける。
そんな女性を虜にするためだけに生まれてきたような押止からの性情報に誤りがあるわけがないと、たまの猥談のときには全幅の信頼を寄せている花沢なのだった。
「そっか、じゃああのときの感触はなんだったんだろう?」
「シフォンケーキとかじゃない?」
「それだ。……いやそれか? それだったら、俺はあの夜シフォンケーキの感触で……」
「皆まで言わなくていいよ、思春期君」
思春期の暴走に歯止めを掛けると、押止はグラスに入っていたロック酒を飲み干した。勢いよくカウンターに振り下ろすと残っていた氷がぶつかりあって、余韻の少ない打ち切り気味の心地良い音を奏でる。
「でもいいよなぁ、思春期」
グラスから飛び出た水飛沫を指で潰しながら、押止は自らの青春時代を懐古する。
「あの頃はエロの探究心だけが生きがいだったもん」
「とんだエロガキじゃねぇか。俺は学校とかロクに通わなかったから分からないけど、思春期真っ盛りと言われる中学生くらいの年のときでもそこまでじゃなかったぜ?」
「だね。君は性的な意味で比較的おとなしい思春期を過ごしていると思うよ。本来向けるべきものをパパラッチに向けてしまっているせいだろうが――どうなんだ?」
「どうなんだって?」
頼まずともマスターから自動的に用意されたおかわりのロック酒を一口だけ含む。
「今からでも学校に通いたいとか思わないのか?」
「思わない」
間髪入れずに答える。そのさばさばさには爽快感さえあった。
「俺は生まれたときからパパラッチやってんだ。今更学校に興味は湧かねぇよ。一時期通ってたときもあったけど、別に楽しくはなかったな。机に座っててもセインツロックのことばっか考えてたし」
「気質の違いなのかねぇ。君は――NHKというパパラッチは、生まれながらにしてそういう運命にあるのかもしれないね」
諦めたように爽やかな笑みをこぼす。
花沢の最終学歴は中卒であるがそれは義務教育だから卒業できただけである。中学校が義務教育でなかったら入学はできても出席日数不足で留年、そして退学のコースを歩んでいただろう。
子供時代から一度もサッカー選手になりたいとか、公務員になって安定した人生を進むということを言わなかった花沢のことを、押止は天与の才を与えられたこれ以上ないパパラッチの適性者だと評価する反面、妙な器用さを他の道でも活かせたのではないかと惜しく思っているのは口外厳禁なここだけの秘密である。
「ところでNHK、一つ面白い話があるんだが聞くか?」
意味深に微笑みに、花沢は怖気付いてのけ反った。
「……ジャンルによっては」
「警戒心丸出しにしてどうしたの、家に友達が来たときの犬かよ」
「おいおい、誰が犬だって?」
煽動されたことに気付かずに俄然威勢を良くした花沢を見て微笑ましい気持ちになった押止だった。四十前後のおっさんからしたら、花沢なんてパパラッチ歴が長いと言えどまだまだ子供である。
「さっ、なんでも話してくれよ押止。自営らしさ見せてくれよ」
「うーん、本来ならお金をせしめたいところなんだけどねー」
ちらりちらりと横目をくれてもったいぶる。
「おいおい、ちょっとは教えてくれたっていいだろう? さわりも話さずにお金を得ようってお前は詐欺師かよ。エロ動画の配信サイトだってサンプル見せてくれるぜ? 剰え幼い頃から面倒見てる俺からせしめるなんて、なぁ? ったく、いつの間にそんな阿漕な商売やるようになっちまったのかねぇ、憧れの押止は」
「憧れてんならならせめてさん付けをしろよ」
「あてっ」
「あと俺は親疎の隔てなく情報を売ってるんでその辺よろしく」
「いてっ」
凸ピンを二発食らわせて満たされた押止は、途端に花沢の首に腕を回して強引にその身を近付けた。さながら、好きな子を告白し合う男子中学生のように。
「セインツロックで久々に足跡を見つけた」
「えっ!?」
わざわざなんの足跡だと聞き返すほど花沢も鈍くない。
逆にこんなに特別を装うなんて、赤裸々に胸三寸を公開しているようなものだ。誰だって分かる。
「ひそひそ声で話してんだから驚くのもそこそこにな……」
「あ、ごめん」
「よろしい。ここから出血大サービスだ、よく聞け。発見されたエリアはここのポートから入って南に直線的に進んだところにある二つ目の荒野地帯だ。足跡は機関に高値で買い取らせることができるが、如何せん知的生命体系の情報はすぐに公表されちまうから放置してる。世界的に血眼になって探してる代物だからな――だからいいか、NHK。足跡を発見しても絶対に売るな。目先の小金よりも向こう側の大金を選べ」
「……分かった」
花沢は声を殺して首肯した。
「それじゃ、金」
「いやいい」
財布を取り出そうとする手を押止は制止した。。
「あんなこと言っといて金取らないのか?」
「あんなこと言われちゃ金取る気も失せたよ」
そんなこと言われて、花沢はかえって申し訳ない気持ちになる。
「その代わり、知的生命体を手中に収めたら手柄は山分けだけどな」
「抜け目ないな、流石」
「はっは、どーも。今すぐ出るのか?」
「当たり前だ。どっかの馬鹿が写真を提出しない内に急がなきゃな」
「案外もう既に情報公表されてたりしてな。そうそう、スクープも同行させるんだろう? ちゃんと面倒見てやれよ。高校飛び級で卒業しちゃうエリートってのが肩書きの彼女だけど、なんか危なっかしいから。あと喧嘩はほどほどに」
「ぐっ……そうだな、喧嘩はほどほどに、だな」
この様子だと今朝も一悶着あったのか? と勘繰った押止は去り際に一声掛けた。
「おいNHK! お前、さっきおっぱいの感触の話してたけどよ、スクープので確かめてみたらどうだ? 仲直りどころか仲良すぎるくらいになっちゃうかもだぜ?」
出口付近の段差で躓いたあと振り向いた花沢は猿のように顔を真っ赤にして、ギリギリと歯軋りしたあと罵倒を置き土産に市場を去った。
「おいNHK、今日は忙しくなるぞ!」
隣室の迷惑を考えずに勢いよくドアを開けて叫ぶ。つくづく集団住宅での生活に適していない男だが、金欠病に引っ越す余裕などない。生活環境よりもエロゲーライフの充実を優先する花沢の姿勢は呆れを通り越して清々しいと言うべき域に達している。
早速両隣から壁ドンされたことに気付いたのはスクープだけで、しーっと口元に人差し指を置いて静かにするよう促した。
「なんんですか、帰ってくるなり単元テストで百点取った子供のような騒ぎようで……あ、それよりも聞いてくださいよ花沢さん! 実はですね――」
「今からポートに行くぞ!」
「え?」
ポートってまさか? スクープは熱弁し出した花沢をよそにテレビの報道番組に視線を向けた。
「だから――って、スクープ? 話聞いてな……いぃ?」
スクープと同じくテレビに目を移す。遅ればせながら花沢も気付いたらしい。
端的に言えば――市場で押止と危惧していた事態が現実となってしまっていた。
画面がグルメ情報に移り変わっても開いた口の塞がらない花沢に、スクープは当惑気味に告げた。
「あの、セインツロックで知的生命体の足跡が発見されたって……」
「なんてこったぁああああああああああああああああああああああああああああああ!」
今度は上下左右の部屋から壁ドン床ドン天井ドンされた。