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幽霊も巣に帰る午前三時ともなるとあれだけうるさかった校舎内も流石に夜のしじまに包まれて、起きている人間の方が圧倒的少数派になってくる。二年三組も準備の佳境を越えてほとんどが寝静まり、二本の鋏が紙を切る音だけがかよわく響くのみだった。
「ふわぁ……」
残るあと少しの仕事を全うせんと徹夜試合に臨んでいる菊が大きく欠伸すると、向かいで同じく作業中の花沢に伝播してふやけた声が続いた。
リアルの能力が引き継がれているのか、普段昼夜逆転した生活を送っている花沢は眠くない。今の欠伸だってうつったせいによるものだから不可抗力だ。
花沢は対面でうとうとしている危なっかしい菊の肩を叩く。
「眠いなら無理すんな、俺の方はまだ戦えるから寝ちゃえよ」
そう言って菊の手から鋏を抜いて床に置く。眠気のせいで力が抜けていたので、するっと滑るように取れた。このことから分かる通り、花沢とは対照的に菊の眠気レベルは頂点付近を彷徨っているのだ。こちらもリアルの能力が反映されては――いない。そもそもスクープと菊とでは全くの別固体だから当たり前の話だ。
リアルのスクープは健康的で規則正し生活を送っていると思いきや、日常的に夜更かしをする一面を持ち合わせている。朝焼けが昇る頃に床に就くことも少なくない。
「私だって眠いですけどただ起きる分にはまだ余裕ありますよ、会話程度なら可能です」
「会話してる内に支離滅裂な喋り方になってきそうだけどな。まあお前がいいならいいよ、仕事は俺がするし。寝たいときに寝ろ」
「申し訳ないです。花沢くんだって本心じゃ泣くほど眠りたいんでしょうに」
「俺が無理して起きてるみたいに言うのやめてくんない? マジで眠くないんだって」
集中して仕事に取り組みながらも会話も熟す行為自体が証明する材料だ。本人の言う通りマジで眠くない。先程昼夜逆転していると言ったが、具体的に花沢が寝る平均的な時刻は六時から七時の間である。主婦が夫の弁当を作り始めた頃に寝るのだと言えば、その不摂生の度合いを理解してもらえるだろう。
「頭も目も冴え冴えってことですか。尊敬しちゃいます、就職先は不寝番一択ですね」
「どっかの金持ち、俺のこと雇いませんか! 夜通しご自宅の警備しますよ!」
「おっ、君ノリいいねー、気に入ったよ」
「ありがとうございます、でも先に希望の業種が決まってしまったので採用辞退します」
「アルバイトの採用断るみたいなテンションで断るのやめてください」
中身のない駄弁り。二人共頭を使わずノリだけで会話するようになってきた。深夜らしいと言えば深夜らしい。
毒にも薬にもならない会話を続けていると、傍らで眠っていた女子生徒の一人が唸りながら起き上がった。声が眠りを妨げたのかと思えばそういうわけでもないらしく、女子生徒は起きている二人を見て驚いた表情を浮かべた。
「二人共まだ起きてたんだ?」
「ごめん、起こしちゃいましたか?」
「ううん、眠りが浅かったみたい。関係ないよ。花沢くんは体力ありそうだから置いておくとして、菊ちゃんまで起きてるっていうのがびっくりだよね。夜更かしとか苦手そうなのに」
「いえ、言う通り苦手ですよ? 学校祭前日で興奮して寝ようという気にならないだけで」
持っているポテンシャルまで一緒だとしたら、鍛えたら夜強い人間になりそう。二人の話を聞いてそんなことを考えながら作業を進めていると、女子生徒が四つん這いで近寄ってきた。胸元の緩いシャツを着ていたので谷間が見える。しかし花沢は思いがけず目に入ってしまったその瞬間だけに留めて、二度見はしなかった。精神統一代わりになる単純作業がありがたい。没我して作業に取り組む。
「ねぇねぇ、花沢くんと菊ちゃんってぶっちゃけどうなの? 付き合ってるの?」
「わっ!」
精神が乱れて、鋏の進行方向も一直線上から横へ逸れる。確か前にもこんなことがあった。つくづく色恋沙汰に耐性のない男だ、情けないったらありゃしない。
「私たちは別に恋人じゃないですよ、交際してないです。ね? 花沢くん?」
失敗してしまった紙と睨めっこしている花沢の代わりに菊が答えた。
「ん? ああ、そうだな……」
「口裏合わせてそう言ってるだけじゃないの? 言っちゃえよー」
「え、えぇ? 言ってますって、本当ですって」
身振り手振り大きくつけて否定するも、女子生徒は未だ煮え切らない風で「むぅ」と疑うように眉間にしわを寄せた。
「すっかり定着した菊ってあだ名を付けたのだって花沢くんでしょ?」
「そうですね、始めにそう呼んだのは花沢」
「ちょっと待て何があだ名だって!?」
今更暴かれた事実を聞いて、黙っていられるわけがなかった――介入を固辞していた花沢は仕事をほっぽり出して飛びついた。女子二人がぽかーんと開口して呆気に取られる。
「えっと、とりあえず静かにしましょう。花沢くん、しーっ」
言われてから花沢は空気が抜けたような声にして、しかし調子は強いまま追及した。
「菊ってあだ名だったのか!?」
「逆にあだ名じゃなかったらなんだっていうんですか。私の本名を勝手に改変しちゃったのは花沢くん、あなたじゃないですか」
「えっ……」
何も言えなかった――何ひとつ言えなかった。
こっちの世界でもスクープは本名で呼ばれない。本名で呼んでもらえないなんて。
スクープがその名で呼ばれることをあまり快く思っていないことは知っていた。事あるごとに本名で呼ばせようとしてくるし、機嫌が悪いときにスクープと呼ぶとむすっとした仏頂面を見せるからだ。
だがここで分かっておいてもらいたいのが、花沢に悪意はないということだ。寧ろ愛情の表れ。愛称として使っている節があるくらいだ。
可愛い部下が望むなら、本名で呼んだって構わない――と心ではそう思う。でもどこかにくだらない恥ずかしさが蔓延って、本名で呼ぼうとしても照れくさくなったあまりに結局スクープと呼んでしまう。こんなこと、片手じゃ数え切れない。両手両足の指、計二十本――そんなんじゃ全然足りない。
「(深夜だからってのもあるだろうが……)」
こんなに感傷的になるのは何故だろう――花沢は胸に手を当てて自問した。
「責任取って欲しいんですけどね」
表情が少し曇った菊は冗談めかして言う。
「…………」
「あ、あら、なんか変な空気にしちゃいましたね。ごめんなさい。うーん、ちょっと眠気も醒めてきましたし、ちょっと夜の散歩に出かけてきます」
と言って菊は教室を後にし、花沢と女子生徒は取り残された形になる。
「あー、えーと」
場の空気の重さに耐えかねた女子生徒は空元気気味に話し出した。
「事情は分からんけど、ごめんね。元はと言えば私がきっかけだし」
「いや、いいんだよ。根本的な場所を辿れば俺が一番悪いんだし」
「そうだよ!」
「えぇえ!?」
興奮しているようで、実はきちんと声量を考えての会話なのである。滑稽。
「女の子は名前に拘る生き物なの! あだ名を付けたがる子もいるけど、やっぱり一番大事なのは本名だよ――あとね、これは蛇足だけど」
女子生徒はそう前置きした上で、一つ深呼吸してから言った。
「特別な人に名前を呼ばれると嬉しいんだよ、本名だと特にね!」
弾けるようなウインクをおまけにつけた。
会話の途中に、女子生徒の役割が悩める主人公にアドバイスをする人ということを把握してから花沢は比較にならないくらい意識を傾けていた。
アドバイス役の人間の言うことは聞いておくべきである。重要なヒントが隠れている場合もあれば、攻略のための手掛かりとなる。そして大体そういう役割につく人物は、当たり前だが嘘を吐かない正直者である――お節介な一面もあるが、主人公にとってそれがプラスに働くならどうだっていい。
菊は花沢に惚れている。これはまず間違いない。じゃなきゃゲームが成り立たない。ゲームマスターのポン香だって、攻略対象キャラの好感度は最初から高めに設定してあると言っていた。
学校祭準備の佳境を越えたばかりだったが。
「悪い、この残った仕事、頼めるか?」
「任せて!」
眠そうな女子生徒の快諾を見届けてから、花沢は教室を飛び出そうとして――ドアの真正面にポン香が立っていたので、思わず立ち止まった。そしてブルった。
「待ち伏せとかやめろや、怖いじゃねぇか!」
「言っておくけど、適当にやったせいで花沢は既に二人分失敗してるポン」
ポン香は花沢の言うことなど気にも留めずに切り出した。
「正真正銘のラストチャンス――これをものにできなかったら」
あんまり神妙に言うので、花沢は生唾を飲み込んで緊張感ばりばりに尋ねた。
「……できなかったら?」
「このゲームのモブ男子として一生を過ごすポン」
「最高の後押しありがとよっ、どんな後押しより効果的だぜ!」
脅迫されたも同然の花沢は冷や汗を滲ませながら駆け出そうと一歩踏み出す。二歩目はその直前でポン子に引っ張っられたので惜しくも叶わなかった。
「なんだよ!? 俺はモブ男子になんかなりたくねぇんだよ! 早く!」
「いやいや、だって花沢、あの子の行った先分かってるのかポン?」
「あっ……あー、それは」
「やっぱり無鉄砲だったかポン」
ポン香は嘆息してから、花沢の方を向いたまま右手の廊下――さらに奥のグラウンドが見える窓を指差した。
「多分、向かった先は……」
「……そうか、ありがとよ。何から何まで悪いな」
「作り手としてはプレイヤーを困らせるのも楽しみの一つだけど、クリアしてもらうのが一番爽快ポン? んじゃ、健闘を祈るポン。最後に夜道には充分気を付けるポン?」
「学校の廊下に夜道もクソもあるか! んじゃな!」
花沢は暗闇に駆け出す――その先の伝説目がけて。
夜のしじまを切り裂いて、うるさく足音を鳴らす。勢いよく階段に入ったばかりにきゅっと擦れる高い音が響いた。
「待ち侘びていましたよ!」
「はぁ!?」
踊り場で白衣姿の本間が待ち伏せしていた。瞳にめらめら炎が燃え盛っていて、花沢は一瞬にして不穏な空気を感じ取った。
「どうしてお前がここにいるんだよ!?」
「それは決まっているじゃありませんか、花沢くんの行為を阻止するためです!」
「阻止する意味が分からん!」
と言ってから、花沢がようやく気が付いた――ポン香も言っていたじゃないか、既に二人失敗していると。適当にやると失敗すると。
その報いがこれってことなら、もう一人登場しなければいけない人物がいる、と花沢が思った矢先、上の方から激走する足音が聞こえてきた。わざわざ正体を確かめるまでもない。
「くっ、悪いが俺は絶対に辿り着いてみせるぜ!」
花沢は宣言してから踵を返し、廊下に舞い戻る。階段は一つじゃない。二つある。玄関から離れたところに出てしまうけれどやむを得まい。
出たばかりの教室の前を通り過ぎて階段に入る。先回りの可能性もあったが人影は見られなかった。
窮地にあるはずなのに、どうしてだろう。花沢の気分が高揚していた。自然と頬が緩み、まるでこの逃走劇を楽しんでいるようだ。
「(夜の学校走るの気持ち良い――!)」
ゲームをクリアすれば学生という身分から解放されて、もう二度と制服に袖を通す機会もなくなる。今日一日学生を味わって、色々思うことがあった。学生に特別な気持ちを抱いた。だからこそ名残惜しいけれど、花沢は制服を脱がなければならない。
一階に着いて玄関に駆け出そうとするが、向こう側から二人が迫ってきていた。
「普通に考えて玄関に先回りするよな、そうだよな……」
まるでこの展開を予想していたような口振りで呟いてから、花沢は玄関とは反対方向に走って理科室の前で止まる。
理科室を活動場所とする科学部部長、本間は不用心で鍵を閉めない。
花沢はドアに手をかけてそのまま引いて――窓の奥にはグラウンドと丘が見えた。
「戸締りの不徹底がこんなところで災いするなんて!?」
「残念だったな! 戸締りはきちんとしとけよ!」
自分でそう言った手前急いでいるからと言って鍵をしないわけにはいかないので、追手を締め出すためにも花沢は理科室のドアに鍵をかけた。ガチャリという金物の音がした直後、女子二人の悲鳴がドア越しに聞こえた。
「悪いな、こっちも必死なんだ」
上靴のまま外に出るのはこれで二回目だ――ロックを解いてから窓を開けて、ひょいと縁を支えにして飛び越えた。
行く手を遮る障害物はもうなくなった――あとは丘まで全力疾走するだけだ。パパラッチで鍛えた足腰をフル活用して、陸上部員もかくやの速度でグラウンドを走り抜けた。
「え、え、え? 花沢くん、どうしてここに!? はい!?」
木の根元に座り込んでいた菊は慌てて立ち上がる。あたふたと取り乱していた。そりゃ無理もない、午前四時前のグラウンドを爆走する馬鹿を見たら誰だってこうなる。
「ちょっとお前に用があってな……あー、疲れた」
遅れて汗が噴き出したが、早朝の涼しさの恩恵ですぐに引くだろう。土手に倒れ込んだのも束の間、息を整え終えやいなやただちに起き上がった。
「一回しか言わないから耳かっぽじってよく聞いとけ」
「? は、はぁ……」
木に背を向けている本田の正面に、行く手を阻むように花沢が立つ。
「俺はお前が好きだ――」
告白し――以降がこの山場のみそであるらしい。
例の如く攻略対象キャラの菊の頭上に、三つの選択肢が横からスライディングするような勢いで出現した。
《① このまま菊と呼ぶ》
《② なかったことにして逃げる》
《③ 本名で呼ぶ》
失敗は許されない。後回しも許されない。いい加減向き合え、情けない自分に勝て――
そして、花沢はついに言った。
「――のことが、大好きだ」
身じろぎ一つせず告白を聞いていた菊は途端に身震いし始め、やがてその頬にはとても菊の小さな手では拭い切れない大量の粒の涙が伝う。人間こんなに涙を流せるものなのかと花沢は驚きながら、胸に倒れ込むように抱きついてきた菊の頭を優しく撫でた。
「(抱きつかれても全然ドキドキしねぇや)」
やっぱり菊のことを女として見れていないんだな――まあ本心はどうであれゲームがクリアできたから結果オーライだ。
まあ何はともあれ告白を成功させ、クリア条件を満たした。花沢は菊を抱きながら、約束された元の世界への帰還を待つ。
待つ。
待つ。
「………………んん?」
そういえば帰還と言っても、自分はどういう風にして帰還するのだろう――ふとその場の甘い雰囲気に似つかわしくないことを考えてしまった。
ゲームクリアが帰還の条件なら、それが成された時点で自動的に移動するというのが最もベターな考え方だろう。ゲームや漫画でも大体そうだ。例えば今告白が成功した直後、謎の白い光に包まれて意識が途絶え、目が覚めたら元の世界に、みたいな。
それじゃあそれ以外の考え方は? それ以外に戻る方法は?
自分なりに考えてみたが、それっぽい答えはさっぱり浮かばなかった。
「(おいおい嘘だろ……!?)」
ここまで来て――ここまでやって、世界に帰れないのか?
充実感で埋め尽くされていた心がじわじわと焦りと不安に侵食されていく。その感じがとても気持ち悪くなって、思わず花沢は菊を身から離した。
「……え、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも……」
涙と鼻水で酷いことになっている顔をなるべく見ないようにしながら、花沢は有耶無耶に返す。
とりあえず何か手を打った方がいいか? なんでもいいから当てずっぽうに。数打ちゃ当たるという言葉もあるくらいだし――
「よし、写真を撮ろう」
「写真ですか?」
写真を撮ってどうするのかと言えば、どうもしない。ただ写真を撮るだけだ。
ツーショットの写真を撮ればそれが引き金となり、あわよくば元の世界に戻れたり――なんてゲームのようなご都合主義は現実じゃ到底起こりえないだろうが、ここは現実ではない。正真正銘ゲームの世界――非日常では何が起こっても二つ返事で許される。
「……すみません、この不細工で汚い今の私の顔を写真に収めろと!?」
菊は不服を申し立てて猛反発するが、花沢はそんなの知ったこっちゃないといった感じに一蹴した。
「それはそれでいいだろ、遠い未来に俺たちの青春を振り返るときにこの写真があったら話の種になると思うぜ?」
「いやっ、でもでもっ、やっぱり女子としては恥ずかしいというか、折角好きな人と一緒に映るのに」
「はいチーズッ!」
強制的に菊の台詞を妨げてシャッターを押す。ディスプレイには早速カメラ目線の花沢と、目をまんまるくして花沢を見る菊のツーショットが映っていた。
「(写真を撮ったことによる変化は!)」
なかった。結果的に、菊が不格好な映り方をしてしまっただけだった。
「ちょっと勝手に撮らないでくださいよ、いえ、もう撮ってしまったのなら即刻消去してください、早急に!」
菊がリアライターを奪い取ろうと手を伸ばすが、花沢はそれを許さない。背が同じくらいだから上の方に逃しても効果はないので背中の方に逃がす。傍から見たら仲良しカップルがじゃれ合っているだけだ。
「あんま強引に取ろうとするなって、落としちゃうだろうが!」
「花沢くんが写真を消してくれれば私だってこんなことしませんよ、早くしてください!」
菊は腕も長く、花沢が躍起になって逃がしているリアライターが奪われるのも時間の問題だろう。
「(こんなことやってる場合じゃ……!)」
じゃれるのも悪くないけれども、物事には優先順位がある――告白したてで気が引けたが、この状況からの脱出のためにやむを得ず逃亡を選択した。
小柄さを活かしてすばしこく菊の脇を抜けて校舎へと走り出す。
「悪いな、こっちにも事情ってもんがあるんでね!」
「彼女の無様な姿を撮っておいて何が事情ですか!」
ぎゃーぎゃー声が遠のいて行く中で菊が自分の彼女を自称したことがなんだかむず痒くなった花沢は、しかし悪くない気分であった。
校舎に駆け込み、朝の冷えに体を震わせる。早朝四時だと夏と言えど流石に肌寒い。
「……さて、どうしたもんか」
元の世界に戻れない――一難去って、また一難。とんだ災難だ。
ひとまず自分の教室へ戻ろうと花沢は三階へ上がり、静まり返った廊下をひっそりと歩く。
元の世界に戻る条件はイベントクリアでもなく、写真を撮るでもなく――まだ他にイベントが控えているということだろうか。
最後の最後に立ちはだかるラスボスとか。もしそうだとしたら迷惑甚だしい。ちゃんとゲームの本分は果たしたのだ。あとはもうエピローグに入るだけでいいじゃないか。
現実味を帯びてきたモブ男の可能性に恐怖し鳥肌を立てると、行く先からたったっと駆け足で近付いてくる女子生徒がいた――この世界の創造主にしてゲームマスターでもあるポン香だった。
「あー、いたいた。すまんポン、告白はもう済ませたポン?」
「済ませたよ! でも戻れなくて……不具合で戻れないとかそういうオチはやめてくれよ。生涯モブなんて勘弁だ!」
花沢はポン香の両肩に手を置いて訴える。しかしひどく取り乱している花沢とは対照的にポン香の佇まいは随分と落ち着いたものだった。呑気とも言える。
「なんでそんなに落ち着いてんだよ!? プレイヤーが一人お家に帰れないかも――」
「あー、いや、帰れるポン? 手順を教えそびれていたポン」
えへへー、とポン香は面目ないといった風に後ろ頭を掻く。
「へ? 本当に? 本当に帰れんのか? じゃあ早く教えてくれ、どんなミッションでも、血反吐を吐くような鬼のような手順でもなんでも看破してやる!」
告白が成功したこともだって興奮状態にある花沢は張り切った様子で気合いを見せる。
「気合い入ってるみたいだけど……」「
猛烈な気合いに相反してポン香は気まずそうに言うと、
「別にそんなに頑張る必要はないポン――そこの柱に手を当てて目を瞑るポン」
正面を向いたまま手だけ動かしてすぐ横の柱を指差した。そこには休み時間に誰かがぐるぐる回っていそうな白い柱が立っていた。
あんまりシンプルで予想外な帰還方法に花沢は耳を疑った――が、じーっと注視している内に見覚えがある柱だということに気付いた。
そうだ、この柱は――
「俺が最初に手当ててた柱だ!」
花沢が目を覚ました場所であり、菊とのファーストコンタクトを取った場所でもある柱だった。大した思い入れもないので忘れていた。
「……ん? ってことはだ、丘の上に立っているあの伝説の木は、セインツロック側の木とは全くの別物ってことか……?」
「そうねポン。見た目は模してるんだけれど全くの別物ポン。勘違いしてたポン?」
「ああ、勘違いしてたよ……まんまと騙してくれたな」
「冤罪もいいところだポン」
花沢はリアライターで地図を出力して現在位置を確かめる。……ポン香の言うことに間違いはなく、柱はあらかじめマーキングしておいた木の場所とリンク――寸分狂わず一致していた。
「紛らわしいことしやがって……まあいい、俺は帰るよ」
「うん、それじゃまたねポン」
「個人的にはあんまり会いたくないけどな……また変なことに遭いそうで」
と言うと、ポン香はいひひと意地悪な子供っぽく笑った。
そして花沢は目を瞑り、柱に手を当てる。冷たく硬い手触りを感じた刹那――花沢はついにログアウトした。




