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「ちょっと花沢さん! いい加減にしてくださいよ!」
散らかった六畳一間の自称事務所本性ただの住処で、スクープは自分の雇い主に向かって日々溜めこんだ不満を凝縮した一言をぶつけてやった。……言葉足らずであんまりスッキリしなかった。
「…………」
データ管理のためと大枚はたいて購入した最新のデスクトップの前に鎮座している花沢さんと呼ばれた男はうんともすんとも言わずに操作を続ける。
仕事のためのパソコンなら全く問題ない。スクープが怒っているのは、花沢が今やっていることは明らかにパパラッチの仕事の範囲外だからである。
クリックする度に漏れる作られた女声は日常会話で聞けたらどれだけ幸せなことだろうと思うくらいに蠱惑的だが、クリックで飛ばしまくっているため最初の一言どころか一文字二文字しか聞くことができない。日本人名のくせして有色の瞳と髪に、イエローモンキーと罵られる謂れのない白皙が組み合わさった顔面は一部男性を魅了する。
とにかくよくポーズを変える子だがそのバリュエーションは至って少なく基本は立ったまま。そのゲームの特徴を如実に表していた。
スクープは机の横に積み上げられた箱の山から一つを手に取って裏返す――驚きのお値段、九千八百円也――
「昼間っからエロゲーやってるパパラッチはどこのどいつだぁあああああああああああ!」
「うおぁっ!?」
前髪をカブトムシの角のように縛っている花沢は文字通り飛び上がった。前髪の先が手で弾いた定規よろしく高速で揺れ動く。
「今日も今日とてエロゲーばっかり! しかもこんなに多くの女の子をはべらせて、どこのイタリア男ですか!」
「ふっ、それでも本妻はお前だよスクープ」
「イタリア男の真似はしたくてもいいです、黙ってください」
気取ったセリフを一蹴された花沢は、つまらなさそうに赤々と主張するボサボサヘアーを掻いてから画面を一瞥し、また飛び上がった。
「ぐぁああああああああああ! お前のせいで間違った選択しちまってるじゃねぇか! 違うルート入っちまったじゃねぇか! どうしてくれる!」
荒ぶる花沢は慌ててロードをクリックして前にセーブしたところからやり直すことにした。けれども、不測の事態を想定せずにプレイしていたので今の選択肢に至るまでにはかなり時間を要する遠いところからの再開になってしまった。
「ああ……俺の二時間がぁ……」
がっくりと肩を落として悲運を嘆く。やがてその苛立ちはスクープへ向いた。
「お前、俺がどれだけ必死にこのエロゲーに勤しんでたのか知ってんのか!? クソッ、やり直しだ!」
「やり直さないでください! 苦労するにしてもエロゲーじゃなくて仕事でしてくださいよぅ!」
「これが仕事だ!」
「無茶苦茶言い張るな、この駄目パパラッチ!」
「んだと? 未だに青臭ぇ素人同然パパラッチが!」
「失礼な! 私だってリアライター持って一年経ちますからもう素人は抜け出してますし!? 私の方は精力的にパパラッチやってるんでいいですけれど、花沢さんのリアライターは可哀想ですよねぇ? 宝の持ち腐れですよ、ホント」
「うるせー! 俺のリアライターは持ち主と同じでせっせと働くのを嫌うから気遣ってるんだよ、お前のリアライターこそ扱き使われて可哀想だと思うがなぁ?」
「機械に感情はないから別にいいんです!」
「それを言ったらどっちも同じじゃねぇか!」
「ぐぬぬ……」
「ぐぬぬ……」
悪罵の応酬を繰り広げている内に部屋はさらに雑然とし、舞った埃で両者一斉に咳き込んだ。我慢できないといった風にスクープは窓を開ける。差し込んできた午後の陽光で目が眩み、奇妙な色合いの文目が映った。
室内の空気が春の風によって洗浄されていき、心が安らいでいく。まあこうした言い争いは日常的に行われているので、この程度で二人の仲が不和になるということはない。決定的な軋轢は今のところ生じていないというのがスクープの見解だった。
ただ、日頃の喧嘩をおもんみても及び腰になることなくスクープは声を大にして言うことができる――衝突の要因は、ほとんど花沢側にあると。
荒肝を持った男ではある。それも人並み外れたレベルと言ってもいい――未知の領域に踏み込まねばならないパパラッチに適した能力を保持しているのにも関わらず、このように精勤のせの字も知らない男なので日々スクープに迷惑を掛けてばかりなのだ。
「このエロゲーだってどこから資金を捻出して買ったんですか……」
「個人の口座からちょろっとな」
「無駄遣い甚だしいですね……まあ個人なら許します」
ギリギリ専業パパラッチをやっていけるだけの稼ぎは一応あるが、それでも生活が苦しいことには変わりない。贅沢厳禁、パパラッチとしての稼ぎプラスアルバイトの給料で二人はどうにか人並みの生活をキープしているのである。
「エロゲー捨てたら俺が俺じゃなくなるからな。つかお前、いつまで俺を花沢と呼ぶ!?」
突然発奮した花沢は腰かけていた机から立ち上がると親指を自分に向けた。キリッと引き締まった表情を作り、意気揚々と切り出す。
「俺の名前はNHK、ナイスガイ・ハンサム・キッドだ!」
「……寝てばっかの引きこもりクズでNHKじゃないんですか?」
目一杯の皮肉を込めてスクープはぼやいた。しかもナイスガイとハンサムって意味被ってるし、と次々と露見される上司の馬鹿さ加減に頭痛がする。
花沢の髪は赤い。染めたのではなく、生まれつきのものらしい。立ってみると十八歳の男性にしては背丈が低く、猫背なのもあり実寸よりも低身長に見られがちだ。
顔立ちだけは無駄に良く、日本人にしては高い鼻と凛々しい瞳、ニキビ一つない黄疸色の肌や美麗な輪郭のラインなどそれに関しての良い点は挙げればキリがない。手入れに四苦八苦している女性のスクープからしたら充分嫉妬の対象足り得る。
とは言えスクープだって圧倒的に容姿が劣っているというわけでもない。寧ろ周囲の評判は上々だったりする。
花沢とは対照的に性別にしては上背で、二人で並んでみたら親指一本分だけ花沢が上回るが、パッと見の印象では十人中八人がスクープの方が大きいと言う。
側頭で髪を束ねる所謂サイドテールを採用しており、日頃の手入れの賜物か抜群の髪質は繊細且つ手触りもサラサラで、通っている美容院のおばさんからは絹を扱っているみたいだと称されるほどだった。肌も白ければ顔の作りもよく精錬されている。
そんな知る人ぞ知るパパラッチ界隈随一の美男美女コンビのリーダーにしてスクープの師匠でもあるダメンズ花沢は、揶揄されて激昂した。
「スクープお前、誇りあるNHKの名を馬鹿にしたな!? オラ絶対許さねぇぞ!」
シュワッチ! と発音の良さを意識して言ってから両手を前に出して身構えた。
一方的に戦闘意志を向けられたスクープは首をガクッと落として嘆息すると、据わった目で花沢を睨みつけた。
「……んなアホなことしてる暇があったらさっさと働け、このクソアホドーテーダメンズヒキニート」
「ひっ……」
花沢の背筋が凍てついたように硬直し、得体の知れない悪寒が走った。
本能は促す――この場から逃げないと、お前の明日からのエロゲーライフはないと。
「おぉっと、そういや今日は押止の野郎に用があったんだった! ちょっくら行ってくるぜ! それじゃっ」
「ちょっ、花沢さ――」
疾風の如く出かける準備を済ませた花沢は逃げるように事務所を後にした。まあ逃げるようにではなく本当に逃げたのだが。
刹那の突風のような逃亡劇から数秒後、しんと静まり返った室内で一人取り残されたスクープは床に散乱したエロゲーを軽く足蹴して空きを作ると、その場にへたり込んだ。
こんなはずではなかったのだ。
十五歳にして飛び級で一流高校を卒業すると、周囲の反対を押し切って大学進学を取りやめ、パパラッチという不安定な職に就くことを決めた。
駆け出しから一人でやっていけるほど甘くないことは世間の噂や毎日の調べ学習で調査済みだったので、既に一人前として活動しているパパラッチの下で修業をするという道を選んだ。その修行先に選んだのが花沢――若年のパパラッチ・NHKだったわけだが、もちろんこれだって自分の意志で決定している。
高校の体験学習で、一度だけセインツロックを訪ねたことがある。
事が起きたのは自由散策の時間で、好奇心に煽られ立ち入り禁止区域のジャングル地帯に突入したスクープは《生ける花》に両足を縛りつけられ、身動きが取れなくなってしまったのだ。
単独で乗り込んだため周囲に助けはおらず、孤立。人跡未踏というわけでもないが、ジャングルの奥地で希望から隔絶された気分になったスクープは泣き――崩れることすら許されずに、直立不動で暗涙に咽ぶしかなかった。
涙も枯れた入相の頃、今度は空腹に悩まされ始め、自分はもう死ぬのだと短い生涯を感慨深く思い返した。また涙が頬を伝った。そんなときだった――リアライターを片手に持った自分と同い年くらいの少年が、当時十六歳の花沢が姿を現わしたのは。
「あのときは惚れてまうやろ! ってくらいかっこよかったんだけどな……」
実際あのときは惚れていた。心臓を高鳴らせていたに違いない。
生ける花から解放してもらい、花沢の狭い胸の中で復活した涙をひとしきり流したあと、帰りの道中では色々なことを話したし、色々なことも起きた。
ジャングルの外れにまで来てしまっていたようで、帰り道は開けた湿原地帯を歩いた。途中、髭の長いリスのような動物や回転しながら飛ぶ黒鳥を見かけた。花沢はあんなもんいつもの風景だと味気なく言ったけれど、スクープにはそのどれもがセンセーショナルで、当時あやふやだった自分の進路をパパラッチに捻じ曲げるのには充分過ぎるくらいだった。
セインツロックという世界に見蕩れながらも、忘れずに少年の名も聞いた。
よくぞ聞いてくれた! と、気さくに張り切ってみせた花沢は、今では見慣れた親指を向けるポーズを取って、自らをNHKと名乗ったのだった。その後、困惑した自分にボソッと本名を耳打ちしたのも花沢らしいと、当時を振り返って懐かしく思う。
「あのときの花沢さんって、絶対中身違ったよね……」
本気で思う。花沢がかっこよく映ったのは今も昔もあのときだけで、その下に就いてからは自堕落でだらしない姿を見せつけられているだけだ。
一緒にセインツロックへ出かけても、すごいなと感じることはあっても日頃の堕落した姿が邪魔をしてかっこいいとは思えなくなってしまった。
最近では、憧れと現実のギャップにも慣れてしまい、セインツロックで大発見を繰り返し、花沢と一緒にパパラッチのスターダムを駆け上がるという夢はいつの間にか淡くなって、水泡と帰した。
「やめちゃおっかなぁ……」
薄汚い部屋で誰に伝えるでもなく独白してから、スクープは一抹の寂しさを紛らわそうとリモコン大捜索を経てテレビを点けた。
『《巷で噂の温泉宿特集》の途中ですが、ここでニュースです。先程――』




