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学校祭の準備は泊まり込みで行われる。生徒の自主性を重んじるというテンプレートな校風を採用しているだけはある。反対の声は少数の保護者だけで、生徒の評判は上々という設定になっていた――そう、あくまで設定である。病的なまでにリアルに忠実に作り込まれているせいで時々失念しかける――この世界の住民が本物の人間ではないことを。
「エネミーと過ごす学園生活……文字に起こしたら結構ホラーだぞ?」
一仕事終えた花沢は沈みゆく太陽をバックに窓際に立ち、隣の菊と駄弁っていた。
「また阿呆なことでも企んでいるんですか、花沢くん? そんな愉快な脳みそをお持ちなら小説でも書いてみたらどうでしょうか、案外ハマるかもしれませんよ?」
準備中に埃とかで汚れてしまうからとジャージに着替えた菊が冗談半分に言う。
「世の物書きが全員愉快な脳みそを持ってるような口振りで言うな。不愉快な脳みそ持ってる物書きもいるかもしれないじゃねぇか、って、どっちにしても失礼だな」
「そうですね。でも不思議ですよね、君は楽しい人だねって言われるのと、君は愉快な人だねって言われるのとでは全然受ける印象が違います。愉快の方はなんか馬鹿にされてるみたいで不愉快です。ところでお腹空きません?」
「空いたよ、だってもう七時だろ?」
壁掛け時計が七時をちょっと回った時間を示している。
花沢はお腹を摩りながら、ゲームでも空腹とかあるんだなぁと呑気に考えた。
「泊まり込みなんだろ? 飯ってどうなるんだよ、誰か作ってくれんの?」
「食堂がない学校なんでそれはないですね。購買部は特別に営業を延長しているみたいですけど、今が集客のピークなんじゃないですか?」
「そうか、なら外に出るしかないか……」
学校の敷地外に出ることに気が進まない花沢は、ここでとある案を思いついた。
「なぁ菊、じゃんけんしようぜ。負けた方がコンビニまで行って飯買ってくるってのはどうだ? お金もそいつ持ちで」
「じゃんけんって、これまたなんの捻りもやりがいもない勝負方法を……まあ分かりやすくていいんですけどね。分かりました、その勝負乗りましょう。じゃんけん部があったら入りたい私の腕前、とくと見よ!」
「楽な部活に入って内申稼ぎたいだけじゃねぇの?」
核心を突かれてもビクともしない菊は意外とノリノリで、じゃんけん必勝法とかほざきながら腕を捻り闘争心を滾らせていた。じゃんけんと言われて白けていた菊はどこへ消えたのだろう、とそこまで燃える理由が分からず気軽に勝負を提案した花沢との熱差がすごいことになっている。
「それじゃ、じゃーんけーん……ぽんっ」
菊の掛け声で行ったじゃんけんの結果は花沢がグーで菊がパー。
「やったっ、私の勝ちですね!」
「…………余計な勝負申し込むんじゃなかった」
花沢は自分の握り拳を憎らしく見つめる。自分も菊が事前にやったじゃんけん必勝法とやらをやっておけば勝てたのだろうか? と、血迷った花沢は次回からはじゃんけんの前に必勝法を試してみるのを本気で検討した。
「ふふー、悔やむがいいのです。んじゃっ、買い出しお願いします。幕の内弁当とアイスココアでいいですよ」
「合わなっ! しかもコンビニの幕の内って高いじゃねぇか、それだけでワンコインだぞ?」
「雑誌も欲しいですね、漫画誌でもゴシップ誌でもいいんで」
「デザートじゃなくて雑誌!? 暇つぶしの道具まで奢らせようとするなよ」
「冗談ですって。デザートもいりません。ココアと弁当の二品だけでいいです」
「結構痛い出費だ……」
ん? 出費って、そもそも俺って財布持ってるのか?
花沢は所持品がリアライターしかないことを思い出し、ぱんぱんとズボンのポケットを探ってみる。何も入っていない。じゃあ教科書類の鞄は? 自席の横に掛けてある鞄を他人行儀に探ると、サイドポケットに安っぽい長財布があった。中身を覗いてみると、弁当くらいなら余裕で賄えるくらいの紙幣と硬貨が入っている。
「(ゲームの仕様か?)」
もしくは、あのゲームマスターがこっそり入れておいてくれたのかもしれない。何はともあれ助かった。これで安心して買い物に行ける、と花沢は一旦胸を撫で下ろしてから、これって俺の金であって俺の金じゃないから使い放題じゃん! と、買いたいものリストを思い浮かべ、るんるんステップを踏みながらコンビニに出発した。
「あら、大変機嫌がよろしいですね?」
上機嫌で玄関に着いた花沢は、丁度外に出かけるらしかったポン美改め本間と鉢合わせになった。
「あ、いやこれはその……はは」
我に返り、恥らいながら粛々と靴を履き替える。
白衣を脱いで制服姿になり、体の線が観察できるようになったことで分かったことは、本間が隠れ巨乳だということだ。
もちろん本人に隠しているつもりは毛頭なかったが、花沢からしたら衝撃の事実が発覚したも同然で、隠れ巨乳と呼ぶに値する。佇まいも凜乎で、夕方の学校というシチュエーションがいい味を出していた。
「コンビニまで一緒に行きませんか?」
「いいよ、行こう」
一人で敷地外というのも怖かったし、何より気の知れた美人と並んで歩くこと自体歓迎だったので、花沢は履き替えるのを終えると同時に即了解した。
満点の夜空の下、コンビニの袋を片手に二人は帰路を歩んでいた。
夏でも半袖では肌寒さを感じる午後七時半、民家から漏れ出した美味しい匂いが食欲を掻き立てる。ただの住宅街の狭路を歩いているだけのはずなのに、まるでグルメウォークを歩いているようだった。
「どこまでリアルなんだ……モニター優秀すぎだろう」
思わず口からこぼれた感想を本間が律儀に拾う。
「ゲームの話ですか? なんの脈絡もないですけど」
「ああ、ゲームの話だけどなんでもないよ。こっちの話。気にしないでくれ」
「あら、そうですか。花沢くんはゲームが好きなんですか?」
「人並みには」
と言って、途端にそうじゃないだろうと裏の自分が囁いてきたので訂正した。
「嘘、達人って呼ばれるくらい好きだしやりこんでる」
「誰に呼ばれてるんですか?」
くすっと上品に小さく笑う。自分の容姿の出来を自覚している人のような笑い方だった。しかしそこに嫌味はない。かえって自覚があってありがとうという歓迎されるだろう。ここで汚い高笑いなんてされたらムードのぶち壊しもいいところである。
非常に女の子らしい本間は星空を見上げながら、ボソッと呟くように切り出した。
「ねぇ花沢くん。明日ってなんの日か知ってます?」
何を変なことを聞くんだろうと花沢はきょとんとして、当たり前でつまらない答えを返す。
「学祭だろ。それ以外に何がある?」
「……ですけど、その、もっと他に。例えばあの木、とか」
本間はそう言って立ち止まると、紅潮した顔を隠すように俯いた。それからコンビニの袋を胸の前まで持ってきて、その持ち手を指先でぐりぐり巻いたりして手持ち無沙汰なのを誤魔化す。
「(ま、まさかっ!)」
花沢はこんな場面を知っている。経験則で知っている。
星空でムードを演出、二人きりの帰り道、好感度は高く明らかにデレている。
順調に推理を組み立てていく花沢に本間が上目遣いを向ける。自分よりも背が高い人からの上目遣いも珍しい。
高鳴り始めた心臓の上に手を当てて、仄めかされた好意の処理にほとほと困る。するとそのじれったさ痺れを切らした本間が花沢の胸に飛び込んできた。
「はうっ」
声を上げたのは花沢。情けなさ丸出しだ。
本間は腰に手を回してより体の密着度を高める。豊満な双房が押しつけられて、その間に挟まれて動きようもない花沢の手に直にふかふかの感触が当たる。夏服ということで生地が薄く、ブラジャーのちょっと硬い質感まで伝わっていた。理性が持たぬと引っこ抜こうと迂闊に動かすと胸の弾力がさらに伝わってしまい、刹那片付けようのない欲が迸る。
「(こ、これはまずい……)」
何もない空中を揉みほぐすようにしていた片方の手で、密着を緩めるために本間の肩に触れようとする――と、本間の脳天より少し上の宙に文字群が横三つで並んでいた。
「せ、選択肢……!?」
左から一、二、三と番号の振られている選択肢の内容は次の通り。
《① 告白する》
《② 突き放す》
《③ 揉みほぐす》
三つ目がふざけた選択肢っていうのは万国共通なのな! と、こんな状況で遊び心を加えた選択肢を作ったポン香に業腹の花沢である。
選択肢を掴んで選ぶのだろうか? 花沢は試しに一番無難な一番の選択肢を掴みかかったが、その手は虚しく虚空を掴むに留まった。物理的に選ぶわけではないらしい。
なら口に出してみるかと告白する、と読唇術師でも読み取れないくらい軽微な口の動きで言ってみるも不発。宙に浮く選択肢は不動を貫く。
掴んでみても、声に出しても駄目だった。残るは一つ――実践しかない。
選択肢に則った行動を取る。さすれば道は開かれん――文字に表してみれば用意された線路を走るように思えてさも簡単なようだったけれども、一歩間違えたら元の世界に戻れなくなるのだ。嫌でも慎重になる。でも慎重に熟考するのも今に限ってはやめておいた方がいい。状況が状況だけに、即決即断しなければ花沢はまだ見ぬ第四の選択肢に走ってしまう恐れがある。そうなると青少年によろしくない十八禁化されてしまう。
理性崩壊を必死で食いとめながら、花沢は選択肢を選んだ。
「ごめん、ちょっとまたあとで!」
「え、えぇ!?」
一瞬だけ、一瞬だけだからと念じながら胸に圧迫されていた手を引っこ抜くと、両手でトンと本間を突き放した――そう、花沢は二番を選んだのである。ヘタレも大概にしておけと。
しかし、これはこれで最も賢明な選択をしたと言っていいかもしれない――一番の告白を選んだら選んだでそのまま事をおっぱじめてしまう可能性だって否めなかった。三番を選んだ際のその後は割愛させてもらう。
本間を置き去りにして学校の方向に駆け出した花沢は、コンビニへ行くときよりもかなりの時間を使ってしまったもののなんとか自力で校舎に辿りついてみせた。追手がいないことを確認してから校門付近で中腰になって肩で息をする。
「はぁ……はぁ、助かったか……」
色んな意味で間一髪だったと思う。惜しいことをしてしまった感は拭い切れていないが。
「惜しいこと以前に悪いことしちゃったなぁ」
反省を呟きながらグラウンドを横切って校舎内に入る。
午後八時を過ぎたので購買部がしまっていた。基本的に泊まり込みでも使用されない一階の廊下は事務室からの明かりが漏れているだけで、体育館や講堂に繋がる奥の方は暗闇で視界もゼロに近い。また厳密に言えば非常口を知らせる光もあると言えばあるが、そんな微量の光なぞ火に油を注ぐようなもので歩く者に安心感を与えるようなレベルではない。
肝試し気分を味わおうという粋な気も起こらなかった花沢は、無難に明明と蛍光灯が灯っている階段を上がって三階の教室に帰還した。
「飯買いに行ってただけにしては随分と遅いお帰りで?」
一番最初に花沢に気付いた押止改め江戸下がおどけながら駆け寄る。
「道に迷っただけからなんも言うな。それより菊がどこにいるか教えろ」
「何? 告んの?」
「飯届けるだけだ。ほっとけ」
「ったく、つれないんだからもー」
カマっぽい喋り方をして茶々を入れてくる江戸下を流して菊を探す――と、すぐに目が合った。女子たちの輪から抜け出してきた菊は不機嫌を象徴するような仏頂面だった。
「遅いっ!」
開口一番叱りつけると、花沢の手からコンビニ袋を奪い取る。血眼になって獲物を探している猛獣のように袋の中身を吟味し、注文していないおにぎりの包装を剥いだ。
「おしょいっ、おしょいっ、おじょいっ!」
「食いながらしゃべるな、何言ってるか分かんねえよ。あとそのおにぎり俺のだし。お前自分で幕の内弁当注文したじゃん」
「しょれは失敬」
おにゃかが減りすぎてたもので、と何を言っても聞かない菊は饒舌になりながらおにぎりを口に放り込むと、絶対に米を食うには合わないココアで体内に流し込んだ。見ているだけで気持ち悪く、花沢は思わず目を逸らす。
「ぷはーっ、炭水化物の甘みとココアの甘みで二倍お得ですね」
「損してんだよ、いい加減気付けよ。あーあ、俺のおにぎり減っちゃったじゃねぇか。お詫びに幕の内弁当からおかず一品寄越せよ」
余程腹が減っていたのか菊はお礼も言わずに幕の内の弁当の包装を剥がして割り箸を持ち、花沢がそう要求したそのときまさに食いかかろうとしていた。
「空腹は人を忘れさせると言いますし、なんとかなりませんか?」
「そんなエセ名言初めて聞いたわ。部活終わりの学生とかどうなってんだ、毎日人じゃなくなってる時間があるじゃねえか。どこのホラーゲームだよ」
「作ってみたら売れるかもしれませんね。ノベルでも有りです」
「だからお前の隠れサブカル好きキャラはなんなんだよ、はぁ……まあいいや、とにかくおかずを寄越せ。なるべくしょっぱいやつを寄越せ」
「ちぇー」
文句を垂れながら平然とソースのかかったバランを渡そうとしてきたので花沢は割とマジに睨みつけると、気圧された菊が冗談ですよぅとタルタルソースのかかったフィッシュフライと取り替えた。
「しめしめ」
「声に出てますよ。そういえば花沢くん、箸ないですけどこのフライどうやって食べるんですか?」
フライの置き場に困り、挟んだまま箸をうろうろさせていた菊が素朴な疑問を抱く。
「あー? 手でいいよ、ズボンかなんかで適当に拭くし」
「食いながらしゃべるなとか言っておきながらそっちもマナーがなってないじゃないですか。もー、しょうがないですね。私があーんしてあげます」
「正気の沙汰か?」
「正気です。いつだって」
どうにもこの世界のスクープははっちゃけてんなぁと思いながら、花沢は菊が放り込みやすいようにと大きく口を開けた。
「ひゅーっ、お二人さん熱い熱い!」
恋人のようなワンシーンを遠巻きに眺めていたクラスメイト男子が囃し立てると、男女問わず他のクラスメイトも続々とその流れに乗って囃し立て始めた。
「ちょっ、もうやめてくださいよぅ」
例によって満更ではない風の態度の菊を見て好感度の高さを実感しつつ、箸を噛まないように意識して浅く口内に入れられたフライだけを齧った。
学生ノリが猛威を振るう中、花沢は照れくさそうに頬を掻く。
「ったく、お前があーんしようだなんて言い出すからすげぇ盛り上がっちまってるじゃねぇか」
最初は二人を囃し立てていただけだったのに、何人かの男子生徒が二人の真似をして悪ふざけを開始してから教室は異様な盛り上がりを見せていた。夜食用に買っておいたパンを開封して友達とあーんし合い出す輩まで出現したくらいだ。
「いいじゃないですか、だって学校祭ですよ? これくらい盛り上がらなきゃ。たまには私にもふざけさせてくださいよ、迷惑掛けさせてくださいよ。あとご飯も奢りってことにしてくださいよ」
「ちゃっかり言うなよ、誰が飯なんて」
奢るものかと言おうとしていたが、菊の台詞が遅れて響き、花沢は黙り込む。
この世界の自分も菊――スクープに迷惑を掛けていたらしい。まあ設定上の話かもしれないが、それでも菊が迷惑を感じていたことについては変わらない。
正直言って、花沢にはスクープに日々苦労やら迷惑を掛けている自覚があった。だらしない私生活の世話をさせ、どこへ行くにも何をするにも振り回してばかり。思えば上司らしい手本を示したことはあったろうか? パパラッチとしての手ほどきは抜きにして――記憶の海を泳いで探しても何も見つからなかった。
花沢はこの異世界に飛んでくる前に押止と話したことも思い返す。その影響か、罪の意識というか、スクープに対する申し訳さが痛いくらいに渦巻く。
「(恋愛を絡めて言っていたけど)」
スクープのこと考えたことあんのか――とある酔いどれの言葉が身に沁みる。
「……はぁ、奢ってやるよ。幕の内弁当」
「え、本当ですか!?」
いつの間にか食事を再開していた菊は口の中に残っていたものを咀嚼して飲み込むと、恐れ戦いているような愕然とした表情で口を開いた。
「花沢くんが優しいって、これもう天変地異の大災害が起きても不思議じゃないですよ!?」
「ねぇ、お前の中の俺って鬼か何かなの?」
「赤鬼ですかね? んでもって私が青鬼です。かっちょええ自己犠牲で好感度を上げます」
「魂胆が醜いわ」
「何はともあれ奢ってもらえるならそれに越したことはありません、甘えさせてもらいますね?」
微笑みかけられて、それ妙に無ず痒くなって花沢は思わず菊に凸ピンした。どこぞのカップルだよと江戸下が遠くで笑っていたが、二人は気付かなそうだ。
「あーあ、あの二人、さっさと付き合っちゃえばいいのになー」
悪ふざけの輪から一歩引いて、ドアの近くで教室を俯瞰していた江戸下は真後ろから荒い息遣いを感じた。ん? と振り向いてみると、そこには目つきの悪い後輩がいた。
「わっ! びっくりした……君は本田さんだっけ?」
「はい、そうですけど……あれは一体なんですかね?」
嫉妬が滲み出しおどろおどろしい雰囲気満載の本田に圧倒されつつも、江戸下は精神年齢の高さを活かしてなるべく萎縮した自分を外に出さないように努めてこうなるまでの過程を喋った。
「へぇ、なるほどぅ……あーんをしたと」
「そうだけど、君の執着心は凄まじいね」
「女はこれくらいの執着心と嫉妬深さがあってこそ成り立つのです、では私はこれにて」
そう言って本田はゆらゆらと悪い何かに憑りつかれたようなふらついた足取りで廊下の暗闇へと消えていった。




