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花沢は気付いていないかもしれないが、スクープ改め菊にしたってポン子改め本田にしたってポン美改め本間にしたって、女子からの好感度が総じて高水準を推移している。またそれ以外の名前が出てこない女子からの好感度も悪くない。これではまるでラブコメの主人公のようなご都合主義的モテ男である。選び放題である。
俗に言うハーレム――誰とでも乳繰り合える男にしてみたら夢のような世界にいることを未だ無自覚なのは、やはり性欲よりも野望が強い今時珍しい十八歳だからだろう。また緊急時ということもあって現を抜かせないというのもある。
では仮に張り詰めている警戒が解けたとき、花沢はどういう選択をするのだろう?
学生生活のぬるま湯に浸かりつつある今、それが見られるのはそう遠くない。かも。
「えー、もう授業ないのか。なんだ」
「普通喜びません? その口振りだと授業を受けたがっているように聞こえるんですけど」
傍らに立つ菊は神経を疑っていますよという風に言う。
正直、花沢はもう一時間くらい授業を受けてみたかった。だからこそ自席で頬杖をついて嘆息するし、切らんでもいい虚空を鋏で切る。代わりに切るべき色画用紙も放置している。一丁前に仕事放棄だ。モチベーションが上がらないのだから仕方がないというのは花沢の身勝手な言い分であり、仕事をサボる大義にはならない。
菊は呆ける花沢の顔に色画用紙を押しつけてから強気に言い放った。
「ちゃんと仕事してくださいね! 明日本番ですからね?」
色画用紙が離れると、花沢の渋い顔が現れる。
「分かったよ、分かった分かった。もう分かったもんねー」
「すっげぇ適当な返事ですね! んまあやってくれるならなんでもいいです、では私はこれにて。何分忙しい身分ですので」
シュタッと小さく手を挙げてから菊は花沢の席を離れる。花沢はその後ろ姿を目で追って、教室から出て行ったことを確認してからもう一度外に顔をやった。その内鋏を動かす手の動きも止まる。窓際でじわじわ熱を浴びたせいで怠くなってきた。
「……しゃーない、仕事するか」
午後の怠惰な一時を終了して席を立つ。なるべく日差しが当たらない場所はどこだろう? 花沢のクラスは展示の出し物を行うため、人だけでなくその品と加工過程で出た残骸でごった返しており、そもそも空きスペースが少なかった。
「おい花沢、こっちだこっち!」
机に戻るしかないかと諦めかけた花沢をクラスメイトの男子が呼び止める。声のした方向に振り向いてみると、欣然と作業を進めていた――学生のコスプレをした押止が笑顔で手招きしていた。
「ぶほぉっ!?」
汚いので我慢したが、花沢は抵抗虚しく吹き出してしまう。
「押止お前、その顔で学生服コスはねぇよ」
折角の学祭気分が害され鼻白む。中年のおっさんがわざわざ学生のコスプレをして若者の輪に紛れ込んでいるのだから興醒めもいいところである。
が、しかし、この押止の顔をした高校生も例に漏れず似て非なる者だった。
「風姿閑雅なこの江戸下の制服姿をコスプレと評すか。随分と屈折した感性をお持ちだ」
「お前だけオリジナルなんじゃねぇか? 喋り方が全然違和感ないんだけど」
「オリジナルって? 花沢お前、悪いライトノベルにでも感化されたか? うん?」
「ライトノベルを諸悪の根源みたいに言うなよ、楽しいだろ」
「別にライトノベル全般を悪く言ったつもりはない。ちゃんと悪いライトノベルって括って言ってるぜ?」
「悪いライトノベルってなんだよ、悪影響あってこそのラノベだろう。ハーレム思想になるとか、生徒手帳のカレンダーにおもむろにはなまる付けてみるとか、英和辞典のかっこいい単語を蛍光ペンでチェックするとかさ」
「なるほど一理ある。ところで今の例えってお前の実体験?」
「! 迂闊だった!」
押止の口車に乗せられてかあるいは無意識の内に自発的にか、何はともあれ自分の痛い時代のことを赤裸々に告白してしまった花沢だった。
「いや、まだ大丈夫、大丈夫だ。制服の裏ポケットに彫刻刀ケースそのまま入れてたことさえバレなければ、あとの黒歴史は無償で公開してやるさ」
「いいねー、間抜けなヘタレ間抜け高校生主人公っぽくて。案外天職なんじゃね?」
「厄職の間違いだろ。調子狂う……」
「まーまー、そんなことより仕事しようぜ仕事ー」
「アフターフォローは無しか。まあお前にされるなんて御免だからいいけど」
「おっ、おたくさらっと貶すねぇ、もしかしてプロの方? まあ俺のハートは黒曜石急に頑丈だから傷一つも付けられねぇけどな!」
「うぜぇ」
だが結果的にはこの押止のうざさが後押しとなって、花沢はようやく仕事を始めた。途中頻繁に振られてくるどうでもいい話題の数々に空返事を繰り返すので黙々とは行かなかったが、それでも同じ作業を進める他の連中よりも断然進捗が順調だった。
このまま何事もなければノルマ分の作業は終えられる――ゴールテープを感じ始めたそのときだった。
「明日の当日だけどよ、お前は誰かに告白したりすんのか?」
「あっ!」
相変わらずそういう話に耐性のない花沢は集中力を乱され手元が狂う。鋏の進行経路が太線から外れて本来残しておくべき部分まで切ってしまった。
「お前、何しやがる!」
「何もしてないよ、単に話を振っただけじゃねえか」
江戸下は悪びれた様子一切無しに言いながら花沢の首の後ろに腕を回した。
「……で、どうなんだよ? 俺たち親友だろう? お前の恋の行方を教えてくれよ」
「発言がいちいち気持ち悪いな……」
つーか親友じゃねぇ。
花沢の認識では親密な仕事仲間程度にしか思っていない。まあここでそんなことを言っても無駄なことは分かり切っているから口には出さないが。
「お前が言ってるのって丘の上の木のことだろ? 俺は好きなやつとかいないから。期待に沿えず申し訳ないが告白する予定はねぇよ」
「えー、とぼけんなよ。よりどりみどりじゃねぇか。一年の本田さんに、三年の本間さん、そしてうちのクラスの菊さん――そいつ全員、お前に少なからず好意を寄せてるのに無関心とかぶっちゃけ有り得ないっしょ」
そう言われて花沢は巻かれていた江戸下の腕をどかして後ずさると目を点にした。
「マジで?」
「マジで。……あれ? まさか無関心どころか無自覚だった? 嘘だろ!?」
お前は鈍感主人公かっ! と相も変わらずうざい突っ込みを受け、花沢はがくっとその場に四つん這いになる。
「なんてこった……やけに女子と親交あると思ったら……」
いくら鈍感でも薄々は感じ取っていたらしい。花沢はこれまでの女子との交流を思い出し、なるほどそういうわけかと江戸下からの核心を突くような一言を受容した。
花沢はじれったい物事が嫌いだ。そこにはエロゲーの鈍感主人公も含まれる――今回自分がそういう役割にあったことが大層ショックだったようで、未だに立ち直れていなかった。四つん這いは続く。
「ああ……ああ……」
「懺悔中悪いが、俺の前ではやめてもらえないか。周りの目が嫌だ」
「ん……それもそうだな」
花沢は力なく上体を起こす。正坐が崩れたような座り方になって、しばらくボーッとしてから気を取り直すためにパンパンと頬を叩いた。
「……ふぅ、一定の正気は取り戻したぜ」
「正気じゃなかったのか。女子に好かれてることがそこまでショックって、もしかして男色の方ですか……?」
「男色じゃないから逃げるな、ちこう寄れちこう寄れ」
身を守るようなポーズを取って後退した江戸下を手招く。そして花沢は宣言した。
「改めて言うが、俺は誰にも告白しねぇからな!」
「えぇー、しねぇの? もったいねぇなー」
「いいんだよ、こんなイージーモードで彼女を作ってもやりがいないからな」
「その理論意味分かんねぇけど……ま、お前がそれでいいってんならいいんでねぇの?」
「ああ、いいよ、俺にはお前がいるからな」
「やっぱり男色の方じゃねぇか! ぎゃー!」
開き直って江戸下とじゃれるが、花沢の中にはどうしても消えない一つの予感があった。ゲーム脳だからこその予感とも言えるだろうし、いっそゲーム脳じゃなければ予感を察知できなかっただろう――
「(告白をすることがこの世界から抜け出す条件な気がしないでもない……)」
仕事に没頭している間に時間帯は夕方に移ろい、ノルマでもあるのか、はたまた月に対する挑戦か、まだ高い位置をキープする夏の太陽が日差しを大放出している。
花沢は昼と大差ない明度の廊下を歩きながら、手で庇を作って外を見た。絶賛サボり中の男子共がサッカーをしているグラウンドの奥、ぽこっと盛り上がったこぶのような丘とそこに堂々と立つ大樹が三階からだとよく見える。こうして見ると、葉の茂っている部分の方が丘全体の面積よりも大きいかもしれない。
「木がデカすぎるのか、丘が小さすぎるのか……」
花沢の実感としては前者だった。丘がちっぽけだと言っても土手に寝転がったり、丘を囲むように座れば三十人単位のクラス写真を撮れるくらいのキャパシティはあったので、やはり木の方が異常なのだろうと分析しつつ、菊が言っていた言い伝えのことを脳裏に浮かべていた。
「ゲームだとベタだけど、こうして自分の身の回りにそういう言い伝えがあるって素敵なのかもな。こういうのも含めて、学校生活ってのは思ったよりも良いもんなのかもしれねぇ。くそー、俺も若い頃もう少し身入れとくんだったな」
と、花沢はよそ見をしながら歩いていると、正面から来た人と肩がぶつかった。焦って顔を向けると、そのぶつかってきた女子がなかなかのべっぴんさんで、特に小麦色の肌をした童顔が花沢の琴線に触れた。唖然として謝るのが遅れる。
「すまんポン」
「いえ、こちらこそ……」
女性に先に謝らせてしまったことを反省し、またこの女子生徒が自分の知り合いでなかったことを後悔しつつ花沢は彼女の行く方と反対へ足を踏み出し――踏み出すと、その足を軸にしてくるっと反転して歩き始めていた女子生徒の肩をかろうじて掴んだ。
華奢で細い肩を花沢は引き寄せて、食い入るように女子生徒の顔に迫った。
「おいお前今ポンっつったよな、お前今確かにポンっつったよな!?」
「唾が飛ぶからやめてポン」
「ほらやっぱりポンって言ってるー!」
興奮気味に女子生徒の肩を揺らしていると次第にその抵抗が弱くなってきたので手を止める。強い力で振られたせいでよろめく女子生徒は壁に手をつきながら花沢を睨んだ。
「ば……バレてしまったもんはしょうがない……ポン……?」
「悪い、お前の体力を削る気はなかったんだ」
「本当だポン、吐き気もするし眩暈もするし、ポンの体力ゲージは今ので底尽きかけたポン……自然回復スキルにステータス振っといて助かったポン」
「あんまり白けること言うなよ」
女子生徒はバツの悪そうな表情を浮かべたあと自嘲気味に笑った。
「ちょっとついてくるポン? ここじゃ場所nが悪いポン」
女子生徒は制服の上に巻いた放送局の腕章を見せつけるようにすると、花沢の手を引いて移動し始めた。放送室は二階職員室前にあった。
真っ暗だった放送室の電気を点けると、女子生徒は入るのを躊躇っていた花沢を強引に中へ引き入れる。パタンと防音効果のある重厚なドアが閉まり、花沢からしたら閉じ込められたも同然だった。生まれて初めて放送室に入ったので緊張してしまう。
放送室内はスタジオと放送機器のある操作室に分けられていて、女子生徒は部屋の奥のスタジオを話の場として選んだ。花沢はスタジオ内の椅子に座り、長机を挟んで女子生徒と向かい合う。
廊下の大声は防音材によって例外なくシャットアウトされるので、どちらかが口を開かない限りは世界が終わってしまったような静寂が籠る。
「さて、そろそろ。どもども初めまして、セインツロックを統べる支配者、シュヴェールトゥトラのソロピーと申しますポン」
「ご丁寧にどうも……ソロピーね。んじゃ、気兼ねなくポン香と呼ばせてもらうよ」
「ソロピーからポン香への変換の過程に一体何があったポン? ま、いいポン、好きにしてくれポン」
へんてこりんなあだ名にもポン香はさばさばした対応を見せる。
「というか驚かないポン? お前ら人間が血眼になって探してるセインツロックの知的生命体なのにポン? もしかしてポンたちのこと知ってるポン?」
「そうだよ、知ってるんだよ。身内に一人、そして知り合いにも一人シュヴェールトゥトラがいるんだ。……しかしなんでかね、どうしてシュヴェールトゥトラの女の子はこうも可愛いんだよ。人間の女が整形やら美容で四苦八苦してるってのにお前らだけずるくね?」
ポン香は花沢が今まで出会ったシュヴェールトゥトラ誰よりも幼い容姿を持っている。小麦色の童顔は夏休み中の小学生を彷彿とさせ、黒髪のショートカットは純朴な印象を与える。花沢をゆうに凌ぐ低身長であり、体つきも幼児体型だ。
どの角度から見ても子供――それだけで目を惹く存在なのに、このポン香はもう一つ、花沢が指摘したくなるような点を抱えていた。
花沢はそれを指差すと、そのまま近付けて額をプッシュした。
「髪の毛、なんでストレートなんだよ」
「あらら、そんなことまで知ってるポン?」
潔く負けを認め、魔法のような力を解く。ストレートが嘘のように縮れただけに留まらず、頭から黒白が、臀部から獣耳と尻尾が生えてきた。
「はい、これで満足ポン?」
「満足? いや、ちょっと確認したかっただけで直させるつもりはなかったんだけど」
「えー、じゃ無駄なことしちゃったじゃないかポン。この癖毛、雨脚に打たれた捨て犬みたいでみったぐなくないポン?」
「ひでぇ比喩だな、シャワー後とかでいいじゃんか」
「きゃっ、初対面の人にセクハラ発言だなんて、なんて破廉恥な人ポン!」
「汲まんでもいい意味を汲むな。邪推だよ」
早くも会話に疲弊気味の花沢だった。
「早く本題に入ろうぜ――単刀直入に聞くが、この世界を創造したのはポン香、お前なのか?」
「そりゃまあ、私に決まってるポン。逆に聞くけど、他にこんな風にポンポン鳴く獣娘を見かけたのかポン?」
「ポンポン鳴かなくなっちゃったやつなら見た」
「おっと、それは衝撃の事実ポン。どこのどいつポン?」
「一年と三年に一人ずつ。匿名希望で」
余計に操作されるのも嫌だったので花沢はそう断っておいた。ポン香も不服ではないようなので、別にそこはどうでもよかったらしい。
「それは悪いことをしたポン。このゲームはプレイヤーの身近な人物を主要人物に仕立て上げてるから、多分最初会ったときには相当びっくりしたんじゃないかポン?」
「びっくりしたさ、ポンポン鳴かないって、毒舌キャラから毒が抜けたようなもんだからな。あとお前今ゲームっつったよな? やっぱそういう系なの?」
表現を崩して伝わるか心配だったが、ポン香はすんなり首肯した。
「そういう系なのポン――お察しの通り、ここはリアル恋愛シュミレーションゲームの世界だポン。でも安心してほしいポン。ポンはあなたのことを幽閉する気はないポン」
「そうか、なら一刻も早く出してくれ」
「もちろん。だけど、一つだけ条件があるポン――これは体験版みたいなもので、美味しいところだけ頂けるような親切設計になってるポン。因みにこういうギャルゲー、エロゲーの類をプレイしたことは?」
「あるよ、つーか趣味は専らそればっか」
花沢は誇らしく胸を張ると、すぐにポン香が誇れるようなことではないと正しい突っ込みを入れた。特に専らという一言が余分だった。屋外屋内適度に遊んでこそ、健康で健全な人格は育まれる。どちらに偏っても価値観が偏屈してしまう。
「まあ慣れてるならそれに越したことはないポン、説明も手身近に済むし。親切設計ということで、一人の攻略に長い時間をかける必要はないポン。攻略対象のキャラはスタート時から高水準だから、さくっと告白イベントに突入するポン」
「で、告白が成功したらゲームクリア、めでたく俺は外の世界にって段取りなわけだ」
「理解が早くて助かるポン。やっぱり雇うなら経験者に限るポン!」
「新採用のバイトくんに対するコンビニ店長みたいなことを言うな、お前のキャラが分からないよ」
シュヴェールトゥトラの癖に俗世的な性格なのがちょっとうざかった。花沢的にはポン美のような好奇心で溺死しそうなタイプの方が好印象らしい。
「経験豊富で明敏なエロゲーマスターの俺に任せておけ、すぐに出てってやるさ。……でも攻略対象、攻略対象かぁ……何人の選択肢があるか分かる?」
「三人だポン」
「だよな……」
ここで四人とか言って、ラブコメから一転ミステリーになんねぇかなぁと有り得ない可能性を願う。ただ言うまでもなくそれは叶わない。ここはラブコメ一辺倒の世界である。
ポン香は話すことはもうないと判断し席を立つ。しかしドアも開きかけた去り際に、こんな言葉を残した。
「イージーモードって言っても、流石に適当にやると失敗するから気を付けるポン~」
スタジオを出てすぐの操作室で獣耳と尻尾を収納し、そしてちゃっかり髪もストレートに戻して放送室を出て行った。




