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パパラッチはぶっちゃけない  作者: 設楽 素敵
第三話 伝説! 君が来てくれることを信じて
15/22

4

 手に感じる冷たさと硬さ、耳で感じる周囲のざわつき、露出された肌で感じる夏の気配――なんだか妙なことに巻き込まれているような気がした。

「(………………んん?)」

 まあ待て、と血流に乗って体中に巡り始めた気忙しさを静めにかかる。そうしておそるおそる瞼を上げると、手を添えていたはずの対象が幹から生々しい落書きで薄汚れた中古感満載の白い柱にスイッチしていた。

「なっ!?」

 腰が抜けて柱に手を伸ばしたまま尻餅をつく。床は掃除が行き届いてないらしく、緊張で汗ばんだ手に塵埃が付着した。しかし花沢にそれを気にする素振りはない――あまりにも、あまりにも想定外の出来事が起きた。

 ざわつきの正体は廊下を行き交う無数の学生たちだった。花沢の服装も学生動揺夏仕様の水色ワイシャツと薄手の制服ズボンに変わっている。

なるほどどうりで身軽なわけだ、いやでも元々着てた服はどこ行った!? 花沢の関心が環境の激変よりも、自分の服の心配、ひいてはどのようにして着替えを済ませたのかということに傾く。

「……花沢くん、何してるんですか?」

「はっ!?」

 即座に呼び掛けに反応した花沢は思考を中止してバッと振り向いた。

 女性にしてはという文句付きの上背に、派手さはないものの、部品の一つ一つがきちんと精錬されているこの端整な顔立ちなら地顔でも大通りを大手を振って歩ける。

担当美容師に絹のようだとまで言わしめる黒髪はサイドテールでまとめられており、それでいて程良い程度の恵体まで併せ持っている――そんな世間の女性から羨望と嫉妬の視線を浴びそうな夏服姿のスクープは訝しげな顔を作って背後に立っていた。

 スクープは絶句している花沢を見て、様子が変だなと思いつつも尋ねた。

「一体どうしたっていうんですか? たかが学校の柱に偶像崇拝するが如く手を差し伸べて。夏の暑さで脳みそ逝っちゃいましたかね?」

「あ……えっと……」

「しかもなんですか、首から本格的なカメラまで提げちゃって。もしかして学校祭の準備の様子を写真に収めようとか殊勝な考えを思いついたんですか?」

「学校祭? ……ああ、なるほど」

花沢は賑やか且つ浮ついた空気の理由を見つけた。

 廊下の路肩には加工途中の段ボールが放置されていて、それだけで廊下が圧迫されたような窮屈な印象を受ける。近くの箒と新聞紙を丸めた球体は簡易野球セットだろうか。まあ大方、真剣味に欠ける男子生徒の忘れ物だろう。準備らしいっちゃらしい。

教室の外観は手作り感溢れる装飾で彩られ、お祭りの雰囲気を作り出す一端として仕事をしていた。特にわざとペンキで汚く書いたお化け屋敷の看板は、見る者にじわじわと恐怖を植え付ける。

「ま、もしそうだとしたら素晴らしいことですなんけれど、やっぱり暑さでどうにかなってしまったのかとしか……」

 お気の毒に、と憐れむような声で言ってから花沢の顔を覗き込むように屈んだ。

「(学生服姿のスクープか……)」

 変な感じ、という感想を抱く一方で存外似合っていることが否定できず、花沢はぷぃっと顔を逸らした。それを見たスクープが眉を潜める。

「今時純情主人公は流行りませんよ、世間のトレンドは正統派よりもアンチヒーローですから」

「やっぱりどうしたんだよはお前の方だよスクープ! その服装にしろ、今の二次系発言にしろいつものお前じゃないことは馬鹿でも分かるぞ!? この世界に何があった!?」

「変なコードネームで呼ばないでください。私の名前は菊ですよ」

「き、菊ぅ?」

 上擦った声で反芻し、突拍子の無さに足がもつれてバランスが崩れる。

日頃スクープと呼ばれることに対する反抗だったら本名を名乗るだろう。しかし、スクープの本名に菊という字は組み込まれていない。由来がさっぱりだ。

「そうです、菊です。お菊と呼んでもらっても構いません」

「そんなまた、時代劇に出てきそうなちょっといいとこの御嬢さんみたいな名を……」

 斜め上どころか斜め下にぶっ飛んでいる。

 花沢は柱にもたれ掛かって絶好機を外したサッカー選手のように両手で顔面を覆う。

 目を開けたら見たこともない学校に放り込まれていて、着心地の悪い慣れない学生服を纏っていて、ようやく知っている人に会えたと思ったら随所で認識がすれ違っていて――花沢の気分はこれ以上なく最悪だった。

「ほら、もうすぐ授業始まりますから……」

 俯きながら、花沢はシャツの袖を掴んできた菊の手を微力に払う。

「すまん、スクー……もとい菊、トイレに行きたい」

「あ、そうなんですか? じゃ、どうぞ」

「じゃなくて、トイレに行きたいから場所を教えてくれ……」

「へ? トイレの場所ですか? ……本当に今日はおかしなことを言いますね」

 怪訝さが明け透けの態度で菊はトイレまでの道のりを伝える。

「このまま真っ直ぐ行くだけですよ。そうしたら、右手にお手洗いのマークが見えますんで。あ、くれぐれも男子と女子を間違えないようにしてくださいね。今日の花沢くんなら学園モノのラノベ主人公よろしくしでかしてしまいそうな気がします」

「しでかさねぇって……」

 花沢は夏枯れしてしまったかのようにふらつきながら危なっかしい足取りでトイレに行く。混乱で色々と処理が追いついていない頭でも常識の引き出しだけは問題なく開けられるようで、危なげなく男子と女子トイレの区別をし、青い方のドアを開けた。

 たむろしていた男子生徒から心配そうな視線を浴びつつ、熟考の場所として選んだのは洋式便所の個室だった。一目見ただけでトイレ目的でないことは明らかだったが、男子生徒は何も言わないであげた。ついでに不気味だったので廊下に出た。

 静かな上に窓が全開で風通しが良く、クールダウンには適所と言えよう。

 用を足すわけではないのに律儀に蓋を上げて、ズボンを穿いたまま便座に座った花沢は最初に大きく溜息を吐くと天を仰いだ。

「何がどうなってるんだ……」

 意味が分からない、意図が分からない、目的が分からない。

 ただし犯人に目星はついている――シュヴェールトゥトラである。

 セインツロックを統べる支配者にして管理者。

人類の上位互換にして成れの果てであって欲しいようなないような――シュヴェールトゥトラの仕業であることは明白だった。

 シュヴェールトゥトラは人類が理解不能な眉唾的技術を事も無げに使う。そのスケールの大きさは先日の温泉騒動で広く世間に証明しているが、それがシュヴェールトゥトラの仕業だということをほとんどは知らない。

 顔を天井に向けている内に、首にかかる重み――たった一つのお供、リアライターががうざったくなった。

「そうだよ、どうしてリアライターだけ残ってるんだ?」

 身ぐるみ剥奪されたと思いきや、リアライターだけが持ち込まれていた。ジャージが脱がされているのでポケットに入れておいた財布も当然持っていない。正真正銘、たった一つのお供なのだ。

 そう思うと愛着が沸かなくもない――が。

「こんなん今あっても使えねぇって」

 いつもは頼り甲斐のある商売道具も、場所が変われば無用の長物になる。

どこかに置いておくわけにもいかないし、これからしばらく首に提げたままなのだと考えると少し億劫な気持ちになった。見た目を裏切らない重さがあるのだ。

「ガイド機能とかねぇかなぁ」

 リアライターには使い時の分からない機能が結構搭載されているので、花沢はそれらに期待してちょこちょこメニュー画面を操作する。カロリー管理機能なんていつ使うというのだろう。余計なお世話だ。

「地理機能使っても多分現在位置不明って出るだろうしなぁ……」

 花沢はダメ元で地理機能を使って現在位置を確かめる。だがしかし、それは結果としてさらなる混迷の深まりを招いてしまうことになる――矢印が指し示していた現在位置は森林地帯内だった。

「はぁ……?」

この結果はおかしい、バグに決まっている――花沢はズームなりホログラム化機能也試行錯誤してみるも全くの逆効果。恐れていた可能性がますます現実という味を強くしていくだけである。

 花沢は便座から立ち上がってドアを開け、トイレを縦横に歩き回った。花沢はその分だけ矢印が森林地帯を移動することを確認してから――この世界とセインツロックの位置情報のリンクに確定の烙印を押した。

「セインツロックにいて、セインツロックにいない状態ってわけか……」

 事情を悟ったような語調で言ってみる。自分でも何を言っているか分からなかった――それでも唸ったり力んだり体をくねくねうねらして、雑に無理やり噛み砕いた答えを導き出そうとする。

「つまりえーと、これはアレだ」

 異世界の中で異世界に飛んだってことだ。

 自分の台詞で理性が壊れそうになって、花沢は窓から外に向かって咆哮した。

「……そろそろ教室に戻るか」

 溜まっていたストレスが叫んだことによって幾分軽減されてから、花沢はすっと窓に背を向けた。そしてそこそこ大事なところに気付く。

「……自分のクラス知らねー」

 廊下を放浪して教師から声をかけられるのも嫌だったので、再び個室に籠って数十分の長い時を潰した。

 終業の鐘が鳴って廊下に出た花沢を待っていたのは、目の前の教室から出てきた男の若手教師の「は、はぁ?」という間抜けた声と、教室から聞こえた若い爆笑だった。

 困惑する花沢に若手教師が同じくらい困惑した様子で尋ねた。

「お、お前、この一時間ずっとトイレにいたのか? トイレでサボるってなかなかやるなぁ、そこまでして俺の授業が受けたくなかったのか」

「え、いやっ、そういうわけじゃ」

 あたふたする花沢の挙動を見て、また教室で爆笑が起こる。ドア越しに遠巻きに見ていたのが大多数だったのに、いつの間にか教室から出てきている生徒もいた。顔も知らないそんな生徒たちから脇腹を小突かれたり、軽口を叩かれたりする。

「次からはちゃんと出てくれよ。今日はその斬新なサボり方に免じてお咎めはなしだ」

「えー、先生ずりぃよー。なら俺も明日トイレに籠ろっかなー?」

「おっ、いいねいいね。どうせなら集団ボイコットしね?」

「おいおい、そんなのやられたら先生泣くぞ!?」

「だってよー、猶更やりたくなったな!」

 生徒と教師の垣根を感じさせない打ち解けたやり取りを見て、困惑気味の花沢からも思わず笑みがこぼれた。

 花沢は当時を思い出す――学校に通っていた幼い頃を。

 まあとは言っても積極的に学校生活を励行しようとしなかったので、こういう学生らしさ、学校らしさを感じるのは久しいというよりも初体験に近い。

「(なんか変な感じだな)」

 学校という環境はあながち悪いものではないのかもしれない、と花沢は思った。


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