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三章開始です
花沢は恋愛経験に乏しい――厳密に言えば、現実での恋愛経験に乏しい。
パパラッチ一筋の十八年を過ごしてきたため学生生活をほとんど送れなかったのも理由の一つに挙げられるが、やはり筆頭として挙げられるのは恋愛に対する面倒さや無関心さだろう。部活に恋する男子中学生みたいなものだ。
ただ、ゲームにおける花沢の恋愛に対する姿勢は積極性の塊みたいなものである。
「……いつまで続けるんですかね?」
休日の昼下がり、日当たりの悪い薄暗い部屋の中でキッチンの椅子に腰かけていたスクープから呆れ声がこぼれる。
その遠い目の先には業務名目で購入した高性能デスクトップの前に鎮座ましまして、作業的にマウスをクリックする花沢の姿がある。
日本一冴えない黒ジャージ姿で前髪をカブトムシの角の如くまとめて、乾いた目の下には深い隈ができている。手入れしなくとも質を保つ魔法のような肌も無限には続かず荒れ始めていたが、本人としてはそんなことはどうでもいいの一言で、目の前で頻繁にポーズを変える瞳の大きな女子と画面越しに触れ合えるだけで幸せなのだった。
「『話し掛ける』『話し掛けない』『抱き締めてみる』……優しさをアピールするか、敢えて突き放してあっちから来るのを待つか、あるいは思い切った選択をするか……よし、ここはCGも回収したいし抱いてみるか」
クリックすると、虚を突かれて驚いたヒロインのテキストが表示され、主人公の顔面にその拳がめり込んだ描写が続く。
「やっぱり間違い選択肢だったかぁ……ま、目的は果たせたし結果オーライよ。ロードしてもう一回もう一回……」
先日の失敗以来、小まめにセーブを取るようになった花沢は慣れた手つきでロードをクリックし、元のシーンへ戻った。
「本当にそういうの好きですよね」
「おう、心のオアシスだ。バーチャルならいくらでもクリアしてやるよ」
嫌味のつもりで言ったのに、花沢は自信満々にきっぱりと告げる。
「クリアする必要皆無なんですけどね。たまには現実にも目を向けてみたらどうですか?」
バーチャルで恋愛成就させても意味ないじゃん、という突っ込みを遠回りに柔らかい表現で伝えてみる。
「んー? あーそうだなー」
「ちょいと冷たすぎやしませんかね?」
言霊が宿っていない空返事を聞いて、スクープはもういいですと拗ね面をした。
「でも、今日のゲームはやけに古いですね」
「ちょこちょこ口挟んでくるな、今日」
「やることがないもので」
休日は決まって一緒にお菓子作りをしているポン子が獣姿に戻ってベランダで日向ぼっこをしているので、スクープは退屈を極めていた。休みと決めた日にセインツロックに行くのもなんだか損な気がする。
「まあそうだな、たまにはレトロに興じるのもいいかと思って。色の塗り方も一時代前だし、シナリオもまー、ベタよ」
「へぇ。ベタってどんなベタですか?」
「ほらー、アレだよ。出会い頭に食パン咥えた女子とぶつかっちゃうとか、転校生が幼馴染とか、先生が超絶ロリとか」
「なるほど、それはベタですね」
エロゲーギャルゲーなどの恋愛シュミレーションゲームに疎いスクープでも、それがベタな展開なことは分かる。
ふむふむと頬杖をついて頷きながら、
「で? 今回花沢さんの魔の手にかけられる悲劇のヒロインはどなたなんですか?」
「いつにも増して態度が悪辣だな、NHKは悲しいぜ」
「嘘おっしゃい。私なんて割とどうでもいいと思ってるんじゃないんですか?」
「まあ」
「否定しろよ」
「冗談だ。なんてったってお前は俺の本妻だからな」
冗談と言ったあとのこの台詞の方が冗談染みて聞こえた。ゲームの中の女の子の好感度は右肩上がりだけど、スクープの好感度は右肩下がりだ。
「とりあえずはそうだな、眼鏡委員長キャラでも落としてみるか。好きじゃないけど。お、そんなこと言ってたらイベント来たぞ」
物語が動きを見せた。女の子の立ち絵が消えた代わりに影絵テイストの木が表示される。丘の上に一本だけそびえ立っていて、その木の下には男女らしき影がある。
「あー、もしかしてそれって学校の伝説の木みたいなものですか? 卒業式の日、あそこで結ばれたカップルは永遠に……みたいな」
「ああ、そんな感じだろうな。ったく、ベタの権化かよ」
普段面白くない芸人がちょっとツボに入ってしまったときのような浅い笑い方をしてから、花沢はクリック作業を続ける。このあと表示されたテキストの内容は、ほとんどスクープが言ったのと同じだった。
「素人にもいとも簡単に見抜かれてしまう浅さとベタさが逆にいいね」
「……分からないなぁ」
スクープは自分を打ちのめしてくれるような難儀なゲームを好むからこういう発言が出てしまうのであって、決して恋愛ゲーム自体を倦厭しているわけではない。現にスクープは、リアルの女の子並みに攻略が難しい恋愛ゲームが出たらやってみたいと思っている。その反面、攻略されるのは性に合わないと思っている。
「ふわぁ……何してるポン?」
「あ、ポン子ちゃんおはよう」
ベランダのドアが開いて、目を擦りながらポン子が室内に帰ってきた。それにしてもいつ獣姿から獣娘姿へ変わったのか。相変わらずシュヴェールトゥトラの変身は素っ気ない。
ポン子はパソコンのディスプレイを覗き込むと、
「またNHKは女の子をはべらしてるポン?」
「女性陣の当たりが強いのは気のせいじゃないよな?」
「気のせいじゃないポン。ずっと前からがつがつ当たりにいって、ごりごり削ってるポン」
「サッカーじゃねぇんだから削るのはよしてくれよ……」
「しかも今日はまたなんだか変わった絵柄のゲームをやってるポン。節操ないポン?」
スクープよりもポン子の好感度低下の方が深刻だということを薄ら感じ取りつつ、
「俺だっていつも最新のゲームをやるわけじゃない。こうして古いゲームだってプレイするさ」
「一度捨てた女の味を思い出したのかポン?」
「俺ってそこまで好感度低いの!? 違うって、違う違う。単純に気分転換だよ。頭空っぽにして進められるイージーなシナリオを楽しみつつ、古い女の子も愉しむのさ」
「古い女の子って言い方もまた突っ込みどころだけど……まあいいポン。で? その酷い言われようのシナリオというのはどんなものポン?」
興味を示したポン子がぐっと画面に顔を近付ける。スクープ視点からではスカートの中身がこんにちはしていたが、ともすれば花沢が反応してしまうので黙っておいた。
「あー? ベタなものだよ」
まさか聞かれるとは思っていなかったので返事が雑になる。
「すごいざっくりポン。いいポン、スクープに教えてもらうポン?」
「私に聞くの? 簡単に言えば、学校の敷地に立っている木には古くからの言い伝えがあって、その下で告白し、恋を成就させたカップルは一生幸せー、って感じですかね?」
「上手に簡略化されてて分かりやすいポン、ありがとポン。それにしても、どこかで聞いたことある気がするポン?」
ポン子は顎に手を当てて思案する。
どこかで……そうどこかで聞いたことがある気が。出そうで出てこない答えにもやもやしていると、そんなに悩むことはないよとスクープが微笑みかけてきた。
「はは、それはもう定番中の定番、ベタ中のベタですからね。人間界に疎いポン子ちゃんでもどこかで耳に挟んだことくらいはあると思いますよ?」
「そうポン? じゃ、そういうことにしておくポン」
別にどうでもいいし、とポン子は花沢を見ながら意地悪っぽく笑った。
「そういえば最近、二人共セインツロック行ってないポン? どうしたポン?」
「え? ああそうだね……」
ゲームに熱中している花沢の代わりにスクープが答える。
セインツロックは近頃、安定期が続いている。温泉騒動のあと以降は大きな発見や事故もなく、多くのパパラッチはフィールドワークに明け暮れている。
「フィールドワークも大事なんだけど、如何せん花沢さんはあんまりそういうの好きじゃなくって。バイトがてら集団調査に参加することはあっても、個人的にセインツロックへっていうのは減りましたね」
「行ったら絶対何かしらあると思うのになぁ……もったいないポン」
「ポン子ちゃんが言うんならきっとその何かしらはあるんだろうけど、簡単には見つけられないんですよ。フィールドワークをどれだけ積み重ねても、私たち人類はあなたたちを見つけられませんでしたし。もうちょっと分かりやすい場所に仕掛けを作ってくれませんか?」
「ポンに言われても困るポン、ポンはあまり開発に積極的じゃないから……。でもくどいようだけど、何気なく行ったら思いがけない発見をするのがポンたちの世界ポン?」
「だそうですよ花沢さん、いい加減仕事しませんか?」
「んー……」
気が進まない。マウスをクリックする手は進むが、気は進まない。でもこうして女性陣から目の上のたんこぶのような扱いを受けるのもそろそろ居心地が悪い。
「しゃーねぇ、ちょっと出てくるわ」
あからさまに渋々ゲームをやめてから、仕事に行きますよというポーズを示すためリアライターの入った鞄を持ってから押止のいる市場へ行った。