婿さま側の話
――麗々たる氷人族の族長の三男、テュリオス・エルニー・ケルニー。
彼は、とてつもなく美しい殿方でありました。
「よし、今日も俺決まってる」
彼は暇があれば、氷でできた鏡を覗き込み、鏡に映る自分に見惚れていました。
ほら、今だって。領主館の玄関に置かれた、大きな大きな鏡の前にたってポージングしていますよ。……ナルシストですね!
「さあ、今日は誰を口説こうかな〜?」
――それは彼の口癖のひとつでありました。
世界中の殿方を敵にまわしそうな発言ですが、彼は実際に――言葉は悪いのですが――悲しいことに、女性をよりどりみどりできてしまうポジションにいました。
そして、実際に敵にまわしているのでした。
「……今日はタミーアちゃんを口説こうかなぁ? それとも――」
彼は、館から離れる際にちょろっと呟きました。本日口説く相手を決めかねているような発言です。
いつか刺されるであろうレベルの女たらしで、趣味は女の子を口説くこと、女の子の好みは、独身でパートナーがいようがいまいが、見た目が若ければすべてストライク。
そんな彼は、魔族呼んで「歩く節操なし」、「ハーレム製造魔族」。(笑)はつきません。正真正銘、その名の通りなのです。救いようがありません。
彼がもし近くにいたら、交わされる合言葉は「来たら(女性を)隠せ」。
女たらしの彼は、今日も領地の市街地へ向かいました――ナンパという狩りに。
「――嘆かわしや、ああ嘆かわしや」
住居である領主館から出ていく彼を、柱の影から見つめる魔族の姿がひとつありました。
見事なお髭とオールバックな髪型、群島のある国の藍染を裏地にした燕尾服がチャームポイントの、このケルニー家の老執事トゥエルグです。
個人輸入した藍染のハンカチを、これでもかと噛みます。発達した牙で噛むために、ついにびりぃっと破ってしまいました。
「ああ、わたくしめの藍染ハンカチセットお徳用五百組の最後の一枚が……っ!」
およよ、と目尻に涙を溜めて床に座ってしまいました。あなた泣いてますが、自分の歯で破っておいてそれはないでしょう。しかも五百組とは、いったい何枚消費したのでしょう。
「これもこれも、節操なし三男坊っちゃまのせいですよ……!」
……ずばり! 自業自得でしょう。
「はっ! いけません、三男坊っちゃまが街へ向かわれたのならば、三男坊っちゃま被害阻止の会の連絡網をまわさなければ!」
――“三男坊っちゃま被害阻止の会”。それは、三男坊っちゃまの毒蛾の痛々しさを知る、(見た目が)若い女性を家族に持つ方々が結成した団体です。
三男坊っちゃまのターゲットは、見た目が若い女性なのです。……失礼ですよね!
主に三男坊っちゃまの新たな被害者を産まないために、三男坊っちゃまと(見た目が)若い女性を遭遇させない活動を日々展開しています。
このハンカチ噛み噛み老執事は、三男坊以下略会の協力者であるのです。これ以上、被害者を出さないためにも、“敵を欺くなら、先ずは味方から”の精神(なんか使い方違いませんか)で、彼は協力者の立場に立っているのです。
「連絡をしなければ……」
老執事は、先ほどまで彼――テュリオスがポージングをしていた鏡に、すがりつくように触れました。
実は、連絡手段は鏡なのです。どうして鏡って? そこは魔法ですよ、魔法。ほら、魔族ですから!
全身を映してなお余る大きな鏡に、老執事の疲労に満ちた姿が映りました。しかし、それも一瞬だけでした。
『いつかご先祖さまのお怒りが落ちますわね』
鏡面が突如、淡い薔薇色の光を放った次の瞬間には、鏡面には老執事の姿は映っていませんでした。そして、鏡で連絡しようとした同士(三男坊以下略会メンバー)でもありませんでした。
どうやら、ハイジャックならぬ魔法通信ジャックをされたようですね。
鏡に映るジャック犯は女性でありました。桃色の豊かな髪を結わずに垂らした、ゆったりとした白色のドレスに身を包む妙齢の、可愛らしい女性です。
髪と同じ色の大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、女性は老執事の方へ視線を向けました。
「あなた様は……!」
老執事は鏡に映るジャック犯の姿を見て、息をごくんとのみながら後ずさり、額づきました。まるでスライディング土下座です。
老執事、あなたジャック犯に過去に何かをしたのですか?! まさか何かされた腹いせに、ジャックを?! ……ならば、嫌がらせ成功ですよジャック犯の方!
『やめてくださる、それ? ……あたくし正体を隠して諸国を回る先の副将軍でも、魔族通信ジャック犯でもありませんし』
鏡に映る女性は、額づく老執事にあわせるかのようにしゃがみこみ、老執事の顔を覗きこみました。
「……ええ、でもあなたは巫女姫さまですし……え、フクショーグン?」
聞きなれぬ言葉に首を傾げる老執事に、女性は気にしないでと声をかけて、慌てて首を振りました。
『トゥエルグ。ケルニー家の三男坊は、街へ出ましたのよね?』
慌てて本題に戻した女性に、老執事ははっとなり、何度も何度も首肯しました。
「はい、嘆かわしいことに、女性を狩りにッ……」
再びハンカチを噛もうとして――老執事はハンカチがぼろぼろすぎて噛めないことに気付き、さらに悲しくなりました。
『なら、彼のご両親を呼んでいただけないかしら? あたくし、大切なお話を持ってきましたのよ』
女性は、にっこりと艶やかに微笑みました――まるで大輪の赤い薔薇が咲いたかのようでした。
「御意に――巫女姫さま」
『ねえ、トゥエルグ。禿げるからはやく頭をあげて?』
クスクスと笑う女性に、老執事は額をおさえて悲鳴をあげました――少し、本の少し、鬘がずれていたのでした。
☆☆☆☆☆☆☆☆
世界を統べる魔神さまには、代替わりはすれども、必ずおふたりの巫女さまがいらっしゃいました。
当代の魔族側の巫女さまは、魔大陸の中央から上半分を領土にもつ大国ケイオスの国王さまの妹御でありました。
たいへん長い名をお持ちの巫女さまは、王族のお姫さまでもありましたので、巫女“姫”さまと親しんで呼ばれておりました。
その巫女姫さまに、先日魔神さまからの神託がくだりました。
――『お姫ちゃん、今回のお婿はケルニー家の三男ねー。今度ケルニー家の家長に伝えてきてくれちゃって。本人でなく、家長夫妻ねー。ここ重要、ベリー重要だからね!』
先代の巫女さまから、巫女姫さまに代替わりして初めての“神託”です。巫女姫さまは嬉しさのあまり、ふるふると身体が震えたのでした――何かとてつもなく軽い口調にハイなノリでしたが、そこは素晴らしい速度で左から右へ流しました。
そうして、巫女姫はケルニー家へ、通信魔法を使って連絡をとったのです。
初めてのお仕事でしたから、興奮のあまり他の通信魔法が終わるのを待たずに通信ジャックしてしまいましたが、そこはそれ、ええと、ビギナーズ何たら? です。何か違うような気がいたしますが……まぉさておき。
「家長、ディトル・フェルニー・ケルニーでございます」
「妻、ミネイアでございます」
巫女姫さまの姿が映し出された鏡の前に、ケルニー家の家長夫妻が頭を垂れ、名を名乗りあげました。
金と銀を混ぜたような輝く髪色に青白い肌と、麗々たる氷人族の特徴を持つ男女が、その美しい顔を巫女姫さまに向けています。
おそらく――真面目な表情で、しかしどことなく怯えているように見える男性が家長のディトル・フェルニー・ケルニーであり、真摯と怒りの感情を足したような表情を浮かべる女性が家長夫人ミネイアなのでしょう。
『麗々たる』氷人族だけあってか、家長は儚げで頼りなさげな、家長夫人は勝ち気で気の強そうな美人でありました。
彼らはとても緊張していました。これ以上ないよ! というくらいに空気がぴりっぴり張りつめてますね。静電気が起きそうですね!
――まあさておき。
彼等は何でおもいっきり緊張しているのでしょうね。
――『家長夫妻は、三番目の息子を目の上の瘤だと思っちゃってるのさ!』
巫女姫さまの脳裏に、魔神さまの言葉が再生されました。巫女姫さまは、極度に緊張する家長夫妻に、優雅に微笑みかけました。
『あたくしがあなた方にお会いした理由、わかりますわよね』
巫女姫さまは、彼ら家長夫妻の緊張の緊張の根本的理由を、わかっていました。わかっていて、彼ら家長夫妻の緊張をさらに深めたのです。うわぁ、何て黒いのでしょう、悪いお代官さまも真っ青です!
そんなふうに巫女姫さまを動かす動力は、上司(魔神さま)に初めてのお仕事を失敗するところをお見せしたくないから、です。
巫女姫さまは、巫女としては新人なので、石橋を一万回くらい叩いてから渡る腹積もりなのです。
一万回までまだまだの回数のあたりで、叩きすぎて、石橋がぼろくなってしまうのに気付いてもなお、さらっと一万回に達するまで叩き続けます。
初めてのお仕事だからこその、過度な慎重さ。それの影響を真っ向からもろにくらってしまったわけですね、家長夫妻は。巫女姫さま、何て怖い子おっそろしー子!!
「………………………………ぐふっ」
ほら、家長なんて青白いお顔がより白くなって、まるで蝋のようですよ。
あ、蝋ってよく燃えますよね。ならその顔色燃え尽きる前ですね、家長さんやーい。おーいカチョサーン。
ああ、ダメダメですね、お口から魂の尾っぽ出てきてますって〜! ……ぐふって、もしかして魂の尾っぽが出ちゃった音だったり?
巫女姫さま、ヤリスギですよ! このままではカチョサン殺っちゃいますよ、やっちゃめーですよー!
「王妹殿下であり、巫女姫さまでもある殿下がいらした理由は、不肖の息子のことでしょうか」
家長夫人ミネイアが、真摯な表情を維持したまま巫女姫さまを見ました。よく見れば、息子と口にした辺りから、眉がぴく、とぴくと動き、口の端もひきつっているようです。
巫女姫さまは、それを見て内心でほっと安堵の息を吐きました。どうやら、石橋を叩きまくった甲斐があったようです。
――『家長夫人を味方につけるないといけないのさー』
魔神さまは巫女姫さまに仰られていました。
必ず家長夫妻に会い、軽く緊張感を高めて、びびっちゃう傾向のある家長を黙らせて、勝ち気な傾向のある家長夫人を交渉相手として引っ張りだしなさい、と。
巫女姫さまは、いささか慎重になりすぎて、緊張感を高めすぎたりはしましたが、どうにか家長を黙らせて(半分魂飛ばさせて)、家長夫人を引っ張りだしました。
『ええ、そうなんですの――家長夫人の言葉の通りですわ』
咲き誇る満開の大輪の薔薇を思わせる微笑みで、巫女姫さまは家長夫人の言葉に是と返しました。
『ケルニー家三男、テュリオス・エルニー・ケルニー。彼がこの度、魔神さまがお選びになった魔神さまによる縁談の婿に選ばれました』
巫女姫さまの言葉に、家長は意識を失い転倒、家長夫人は勢いよく立ち上がり、叫びました。
「トゥエルグ、旦那さまを寝台へ! そしてバカ息子を連れ戻しなさい!!」
……ケルニー家は、どうやらかかあ天下だったようです。
「巫女姫さま!!」
家長夫人はかっ! と目を見開きました。あまりにも勢いと迫力が半端なかったので、ほんの少しだけ、巫女姫さまは無意識にドン引いてしまいました。
「魔神さまによる政略結婚は、成婚率百パーセントとは真でしょうか?!」
まるで太鼓を叩いたような声でした。よく通る声が、館中の床や壁、天井に響いています。
巫女姫さまの映る鏡だって例外ではありませんでした。鏡面がびりびりと振動しています。先ほどまでは、おそらく声量をかなりダウンさせていたのでしょう、まさしく大音声という言葉にふさわしい声量でありました。
『ええ、真ですわ!』
ちょびっとだけ気圧されていた巫女姫さまでしが、すぐに気を取り直し、家長夫人に向き合いました。
青い瞳と、桃色の瞳の視線がぶつかりました。
『協力、してくださいますわね?』
何に、とは巫女姫さまはいいませんでした。
そして、家長夫人は答えました。
「無論!!」
とても、苛烈な威勢の良すぎる『是』でありました。
――こうして、目的のためなら意外と猪突猛進な巫女姫さまと、暴れ馬もしくは暴風のような苛烈さを持つ家長夫人はタッグを組んだのです。
『……怖いよおまいら!』
……黄泉から様子見していた魔神さまは、鳥肌のたつ肌をさすっていたとか、いないとか。
さあ、状況は待ったなしです。この政略結婚、ゴールまでどのような道を辿るのでしょう。
さあ、まだ状況は始まったばかり、しかし待ったなし、はてさてどうなりますことやら。