嫁さまと勘違い娘の話―後編
「てゅりオスざまわ、渡ざないでずわー!」
崖の上で満月に向かって咆哮する狼男のように、エリーメリーは大音声を響かせました。あまりにも大音声すぎたのでしょうか、エリーメリーの喉の皮が大音声ぶりに耐えきれず、べろんとめくれてしまいました。
その斜め前で、ルーラメリーは扇を開いて眼前で構え、利き足を前に一歩踏み出しながら義娘に突っ込みます。
「エリーメリーざん?
……あたくじ、お骨と内臓をいかに出ざないように優雅に振る舞うかが、あたぐしたちの一族の礼儀でずわよって何千回もいっでまずわよね」
……何千回もですか!?
そんな義親子たちを視界から外さないようにしつつ、寧々子は仲間たちに目配せをしました。
「――名乗り返じもせず、いきなり攻撃どは、野蛮でずこと!」
目配せの合図のあと、一番に先制に出たのは遊火でありました。一瞬にして三桁に分裂し、不規則かつトリッキーな動きでアンデッド義親子の回りを飛び囲いました。
「――ら゛ぁっ!」
エリーメリーは、裂帛の気合いとともに雪を鷲掴みし、イペタムを構える寧々子と分裂した遊火に向かって連投していきます。
「とやとやとやとやっ!」
間を置かずに連投される雪の影響で、空気中に細かい雪の飛沫が飛散します。それは耐えられないほどではないけれど、確かに寧々子と遊火の視界を邪魔します。つまり視界がクリアでなくなるのですね。
「遅い!」
寧々子は飛んでくる雪を、横へ跳躍してかわしつつも、幾筋もの髪をルーラメリーに向かってのばしました。寧々子の髪はまるで針の豪雨のように、ルーラメリーに勢いよく襲いかかります!
「遅いのは、ぞちら」
ばし、ばしと台風の雨のように迫り来る髪を、ルーラメリーは扇で時には打ち据え、時には流し、時には掴んでは離しと、寧々子の攻撃を流れるように捌いていきます。
「髪が武器なんでずのね。髪は女の魅力でずのに、ほんっどうに野蛮!」
くふふ、ぐふふとルーラメリーは寧々子の攻撃の術を嘲笑います。
「きゅるあー!」
いつの間にやら、寧々子の頭上に陣取っていた毛玉――稀有稀有が可愛らしい雄叫びをあげました。
「きゅあ、きゅるあ、きゅああ!」
――直訳:寧々ちんは強いもん! バカにするんじゃないもん!
どうやら稀有稀有は、稀有稀有なりに怒り狂っているようです。
「あたくじたちを馬鹿にじていますのかじら。毛玉に何が出来るどいいまずの?」
傍らで雪玉と炎の珠を投げ合って戦う義娘たちをちらりと見て、次いで稀有稀有を見て、ルーラメリーは鼻で笑いました。はんっ、と豪快に笑いました。豪快すぎて鼻がバギンと折れた模様です。
「――馬鹿にしているのはそちらといえるだろうな」
寧々子は真面目に、胸を張って言い返しました。
「――きゅる太はわたしが強いと謙遜するがな、」
寧々子は誇らしげに微笑みました。とても眩しい輝く生気に満ちた笑みです。
「はぁ?」
ルーラメリーは敵対する寧々子たちをあまりにも馬鹿にしすぎていましたが、思った以上に馬鹿だこいつと呆れ返りました。滑舌がよくなるくらいに呆れ返りました。
――しかし、しかし。
ルーラメリーはすぐにそんな己の態度を馬鹿にしたくなりました。
「何なんでずのそれぇ! は、反則でじょ……ぐぇ」
ルーラメリーはいつの間にか、ふさふさレベルが増しに増し、ルーラメリー以上に大きくなった稀有稀有のきゅる太に一瞬にして押し潰されました。
きゅる太は何度も何度も彼女の上を跳ね、バウンドして、仕上げに針のごとく毛を固め、ずんずんとルーラメリーに向かって突き刺しました。
「きゅる太を見た目で判断しないことが、貴女の敗因だ」
針のようなきゅる太の毛は、見事に檻を形成しているのです。ルーラメリーの遺体は刺さずに、ルーラメリーのすぐ近くの大地に何本も何十本も、何百本も突き刺し続けています。
――そう、現在進行形で。
「あたくじは、まだ負けてはいな、」
触れただけで、触れた対象を破壊する怪力で、ルーラメリーは毛の檻を破壊しようともがきましたが、毛はうんともすんともいいません。地面に対して斜め三十度の傾き具合で毛は突き刺さっていますので、勢いつけて起き上がるにしても毛に妨げられてしまいます。
「貴女たちは、旦那さまの何だ?」
肩で跳び跳ねる通常サイズ(直径は寧々子の手のひらサイズ)のきゅる太を撫でつつ、遊火と激戦の雪合戦を展開しているエリーメリーを見て、寧々子は首をかしげました。その発言はさらにエリーメリーたちアンデッド義親子を煽ってしまうものでした。
それにしても、です。寧々子、旦那さまって言い切りましたよ……いや、成婚率百パーセントでも、いまの状態ならまだ、あくまでも予定、ですよね……!? 天然て恐ろしいですね……寧々子、なんて恐ろしい子!
「あ゛ら、知らずに戦っていましだの、やっぱり」
毛の檻越しにルーラメリーが笑ういました。
「あたくじ、久々に動きを封じ込められまじたわ。何代前のケルニー家の家長以来がしら。だから、あたくじ、久々に楽しませでもらっだわ。面白くで仕方がなくっで、機嫌がいいんでずの。だから教えてあげまずわ」
くふ、と狂気に満ちた笑みでルーラメリーはにやぁとどや顔をしました。え、エ○気があるんですか……? 檻に閉じ込められて、動きを封じ込めらたと喜び機嫌が良くなるとは……ドのつく○ム、THE・ドエ○ですね! ここに変態がいます、おまわりさーん!
「テュリオス・エルニー・ケルニーは、あの子にとって運命らじいですわよ」
ルーラメリーはくふ、くふふ、かははと小刻みに笑いだしました。
ルーラメリーは面白くて仕方がありませんでした。あまりにも愉快で、馬鹿馬鹿しくて、滑稽で。だって、義娘は途方もない相手に懸想しているのですから。妖の娘はいったではないですか――まっすぐな、濁りのない目で、頬を赤らめて、恥じらいながら、魔神さまに定められた嫁だと。
魔神さまに定められた嫁、それは魔神さまプレゼンツの成婚率百パーセントの縁談しかありませんから。
「今のどこに、笑う要素があるんだ?」
心底不思議だと顔に書いて、寧々子はルーラメリーに問いました。
「だって、出来レースに参加ずるようなものでしょう。久々に戦えるから参戦じましたけど、ハナッからあの娘の敗けは決まっているようなものでずわ? だって、魔神が組んだ縁談の成婚率は百パーセントでずもの」
エリーメリーの運命の相手は、エリーメリーの運命の相手ではなかっだと。エリーメリーの運命の相手には、ちゃんど本物の運命の相手がいだと、ルーラメリーは続けます。
「だから、何で笑えるんだ? 結果は決まっていたとしても、誰かを想うのは自由だ。たまたま今回は違っただけだ。違うか? 例え想う相手が振り向いてくれなくとも、想うのは自由だし、誰にも止められない」
寧々子の言葉に、ルーラメリーは固まりました。
『ルーラ、やめるんだ! 彼女は君を喪って容色を衰えさせていく僕を支えてくれただけだ。その優しさに僕は支えられたんだ!』
――ルーラメリーの脳裏に、かつて愛した夫の言葉が黄泉帰りました。
誰かを想う。それはルーラメリーから喪われてはいないけれど、ルーラメリーではない第三者が誰かを想うということ、そのことを黄泉に置き去りにしてきました。
――自分でない誰かだって、誰かを想うのは当たり前。その誰かが、例えば自分が死んだあと残された夫であったり、妹であったりしたはずだと、ルーラメリーは唐突に理解しました。
『彼女が誰かを想うのは自由だろう。それが例え、君を喪った僕でも。誰かを想い、愛するのは第三者には止める権利はないだろう!』
――ああ、あれは浮気などではなかったと。
ルーラメリーは、体の節々から力が抜けていくのを感じました。不思議と、抗う気にはなりませんでした。
かくん、と土に戻ることを止められていた遺体が動きを止めました。
ルーラメリーの魂は、強く残された未練がほどけて、遺体から離れていくのを感じながら、冥府へと旅立っていきました。
――あまりにも唐突な昇天でありました。何千年にも渡り、朽ちることが出来なかった遺体は、塵となってふいに起こったかすかな風雪に乗ってどこかへ飛んでいきました。
「お……が、ぁさま?」
エリーメリーは、ががが、ぼきぼきぐしゃっと首を真後ろに向けて、くわっと目を見開きました。
「あーだ、お、がぁさまに何をじたの」
ぼぼん、と火玉を投げつけられ燃えかけても、エリーメリーは無理やり雪で消火して、煙がぷすぷす立ち上って自身の腐肉が焦げた異臭を放っても気にしませんでした。
――あれほど、骨などを出すなと義母にたしなめられていたのに、今のエリーメリーは全く気にしませんでした。
エリーメリーが動くたびに体が崩壊していきます。アンデッドの義親子たちは、親が昇天ないし復活できなくなった場合、親子の繋がりが切れてしまいます。すると、どうなると思いますか?
「わぁたしぃからあ、てゅりオスざまを奪うだけでなくぅ……母さままでぇ……」
遺体は崩壊します。始源のアンデッドとは成り立ちが異なる彼らは、元々親たる始源のアンデッドが力を分け与えて自らの子と成し、アンデッドとするのです。子のアンデッドがアンデッドであり続けるためには、親たる始源のアンデッドが存在し続けなければいけないのです。
ですから、親たる始源のアンデッドを喪った子のアンデッドに残されたのは……崩壊の未来だけ。遺体は崩壊し、魂は冥府に帰ることでしょう。
「貴女は、村を破壊し命を奪うくらい、テュリオス・エルニー・ケルニーを想っていたのか?」
崩壊が肉体の半分以上に及び始めたエリーメリーは、既に発音する器官が残されていません。だから、これは寧々子の勝手なのです。寧々子の自己満足なのです。
知性があり、死んではいるけれども確かに「生き生きとして」いた死者、エリーメリー。確かにそこには心があって、誰かを想っていて。でも、「邪魔だから」と関係のない命を奪ってしまったエリーメリー。
寧々子は、イペタムの切っ先を腐りゆくエリーメリーに向けました。珍しく、あれほど喧しかったイペタムも口を閉ざしていました。
「貴女は、許されはしない」
ちゃき、と刀を構えなおす音がします。
「けれども、貴女は、強く想う相手がいたんだ」
ぎゅ、と刀を握りしめ、寧々子は目を一度強く瞑り、ゆっくりと目を開けました。
「だから、同じ相手を想う者として、わたしが介錯しよう」
寧々子の想いはまだ淡いものです。エリーメリーに比べれば、ゴマ粒でしょう。吹けば飛ぶくらいに弱く、微かな想いです。しかし、それは芽生えたばかりの、確かに相手を想う気持ちなのです。まだ見ぬ相手なれども、それは芽生えたばかりの寧々子の初恋でした。
「――わたしは、毛倡妓の寧々子。貴女の分も、あの人を想うことを誓う」
――魔神さま年齢暦二兆とんで五百五年、六の月十の日。後の時代、横恋慕ケルニー地方惨劇事件と呼ばれる事件は、こうして幕を閉じたのでした。




