嫁さまと勘違い娘の話―前編
エリーメリーは、見た目なら十代半ばの魔族の少女の遺体でした。
エリーメリーは、生前の事を全く覚えていません。だから、この世界に生を受けたとき、どんな魔族の種族だったのか知りませんでした。
肉体の動かし方、声の出し方などはわかるのです。昔の、生きていた頃の体の記憶が残っていたわけですね。だからエリーメリーは、「生きていた頃は声が滑らかに発音できていた」とは覚えて、いるんです。
しかしエリーだった頃の、エリー個人の情報がごそっと抜けてしまっているわけですね。
始源のアンデッド以外の、始源のアンデッドによって産み出されたアンデッドは、アンデッドとなって黄泉帰る際に生前の記憶を保持できないのです。
だからこそ、いまのエリーメリーは生前の魔族のエリーだった頃とは違うのでしょう……人格も、価値観も、全てが。
……もし、エリーメリーにエリーだった頃の記憶が黄泉帰ったら。
エリーメリーは、どうなるのでしょうか。
☆★☆★☆★☆★☆★
――寧々子には、遺体が動くという概念がありませんでした。
意外かもしれませんが、この世界の妖は親から生まれるものと、他世界から転生してくるものにわかれます。
親から生まれるものの例は寧々子ですね。他世界から転生してくるものの例としては、鈴彦姫やカケルくんといった付喪神、そして寧々子の母の鬼髪ですね。寧々子の母は、強い感情がゆえに、人間から妖になった半妖半人でした。
妖の中には、一部アンデッドと誤解される妖も存在します。
例えば、色気むんむんの骨女しかり。例えば、首から下が無い頭部だけの、髪がすごく綺麗だったりする大首しかり。
アンデッドのように見えるかもしれませんが、違うのです。一緒にしてはダメダメなのです。うっかりで生まれちゃったというアンデッドと、彼ら誤解されがちな妖は成り立ちからして違うのですから。
かたや、例えば骨の妖の一族として生まれてくる妖――生まれてくるので、肉体的に生きています――と、かたや黄泉から帰ってきた死者。
だからこそ、血に飢えたイペタムに導かれてやってきた寧々子は、驚きを隠せませんでした。
だって、遺体が動いているんです。弔われ、墓に入り、魔神さまのもとへ逝ったはずの遺体の持ち主が、動いているんです。
「「「死体、死体、死体ィイイヒヒヒィィェアッ! アハッアファファハぁ! 腐った血も別格ゥ!」」」
イペタムがケラケラと嗤い、それにあわせて刀身がカタカタと小刻みに震えます。
イペタムは、血に飢えています。その血は何でも――生きていても、死んでいてもいいようです。変態ですね!
イペタムは、今目の前で対峙している動く遺体を、襲って血を吸うことを前提のつもりのようです。
「あなだわ、誰でずの?」
真っ白な雪原には遮るものはありません。そんな場所で、生者と死者が向き合っていました。
土気色の肌に、ドリルのような縦ロールの髪がぐちゃぐちゃになったアンデッドの少女。きっと全速力で走ったから、乱れてしまったんでしょうね……ぐちゃぐちゃに乱れた金の髪と、所々破れたドレスは、乾いた茶黒い汚れと、まだ乾いていない赤の汚れがたくさん付着していました。
そんな血塗れアンデッドが、首をコテンと横に倒して寧々子に問います。横に倒れた首の付け根から、太い骨と腐肉がはみ出て、寧々子は自分の口がひきつるのを感じました。
「…………」
寧々子は、何と反応していいかわかりませんでした。初めて目にするものというのは、たいてい反応に困っちゃうものです。
それでも、戸惑う寧々子はいつでも髪を放てるように、アンデッドの少女を警戒しています。心では戸惑いを見せても、体は警戒を怠らない――それは、もはや慣れでした。寧々子の体に染み付いた、経験からくるものでした。……慣れってすごいですね!
いまの寧々子は、反応に困るのとは別に戸惑っています。もしいまの状態で、アンデッドの少女から攻撃をうけても、イペタムもいますし、体に染み付いた経験から受け流すことくらいはできるでしょう。
しかし、その状態は長く続いてはいけません。いつか本腰を入れないと、命を落としてしまいかねません。アンデッドの少女は、村を崩壊させ、白銀の大地を抉り、地肌を露出させた張本魔族(人)なのですから。
寧々子は、知性ある相手と戦ったことがないのです。だからこそ、怖いのです。このアンデッドの少女は惨劇を引き起こした、でも彼女はもしかしたら悔いの気持ちはないのか、あったら……イペタムの攻撃の対象にしてよいのか? そんなためらいが、寧々子を支配していました。
「誰でもいいでずわ」
首の付け根から露出した色々なものを、がっこんぎっこんぐちゃりと音を立てて体内に戻しながら、アンデッドの少女――エリーメリーは濁った黒い目を寧々子に向けました。
「わだしの運命を邪魔立でずる方は、みーんなお星★ざまになっでもらいまずのよ!」
――エリーメリーの濁った目には、寧々子は映っているようで映ってはいませんでした。
もはや運命の殿方しか目に映っていないであろうエリーメリー、彼女が運命の殿方に会うのを邪魔する存在は、彼女にとって排除の対象でありました。
「逝っぢゃいなざい!」
エリーメリーは、叫びました。
それが、戦いの合図でした。
前話の魔神さまのあの後。
「おかみさまのバカアアアアア」
巫女さまは、口から魂を飛ばしかけている魔神さまを、まだ揺すっておりました。ずばり、地上でいえば半日は経過しているでしょう。
「あばばばば」
魔神さま、奇しくも地上のケルニー家の家長ディトルと同じ語句を発していました。
「だから、彼女ができないんですよお、バカアアアアアア」
ぴたりと巫女さまは手を止めました。がっくん、と激しく魔神さまの首が後方へ倒れました。痛そうですね!
「くわ、あああ」
ようやく終わったからか、ゆっくりと魔神さまは顔をあげかけました。回復、はやっ!
「――ああ、いてて……て、おいおいおいおい?!」
魔神さまは、何故動きが止まったかを納得させられました。
「俺っちの素敵ナイス美☆服で鼻かむなあ!」
――半日くらい揺すっていたので、巫女さまは鼻が限界だったのでしょう。だからこそ、目の前の布地で鼻をかんじゃったわけです。こう、じゅびーっぶばーっばかぁーんと。
もちろん、巫女さまはこれが魔神さまの服とわかっていますよ?