嫁さま側の話―3
まず一行目の魔神さまの年齢に突っ込んでください。イコール彼女いない歴です。
バトル回の準備回といいますか、バトル前、バトルに向かうお話です。
――魔神さま年齢暦二兆とんで五百五年、六の月十の日。
この日、魔大陸最北端のケルニー地方にて後の歴史に名を残す大事件が発生しました。
ケルニー地方のみっつの村の家屋が八割以上倒壊し、みっつの村の住民の生存者は、みっつの村をあわせても二桁を少しこえただけの数でした。ちなみに、みっつの村をあわせた人口は二百人ほど。
被害は家屋と村人の命だけではありませんでした。
白銀に輝く美しい雪の大地も、まるで巨人の爪で抉られたかのごとく、深い深い裂傷のような溝が数百キロに渡り生じました。
たった一名の魔族によって、僅かな時刻の間で、当事者ならび関係者の心身のみならず、彼らが生命の営みを行う大地まで惨たらしい被害を受けたのでした。
後の時代、この大事件はこう呼ばれます――
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寧々子は跡継ぎたる長子ではありませんでした。なので、他家へ嫁ぐことは確実視されていました
そんな寧々子は、子守唄のように「いつかはお嫁にいくんだよ」と聞かされて育ちました。
他家へ嫁ぐ立場が同じの寧々子の姉妹は「誰が嫁へいくかもんか!」と家の蔵を幾つも破壊したり、島の岬を崩壊させたり、姉妹の暴れっぷりを止める父の爪を剥いじゃったりと――よく反抗していました。鬼の血が濃い妹の亜角などは、破壊した家屋と倉の数はゆうに五百をこします。
そんなじゃじゃ馬な姉妹とは違い、寧々子はとても素直で天然でしたので、特に疑問に思うことなく、「わたしはいつかおよめにいってだんなさまをささえる」のが当たり前だと思うようになりました。お嫁教育の効果半端ないですね!
お嫁にいく――それを零歳児の頃から耳元で囁かれていたのです。おそるべし刷り込みですね!
――まあ、とにかく。
そんな寧々子は、はやまって白無垢を来てすぐさま嫁ぎ先(まだ予定)へ行ってしまうほど、嫁ぐことになんら疑問を感じていませんでしたし、どちらかといえば期待に胸を膨らませていたのです。
幼い頃から、寧々子はまだ見ぬ旦那さまを支えることを目標に、日々鍛練してきたのです。姫髪武者と呼ばれるほどに。
島民の心得其の三――伴侶を得る者は、伴侶とその背後をよく見るべし、聞くべし。また、縁を拒むことなかれ――この心得も、寧々子の気持ちを後押ししていました。
実は心得の一節、実は注釈ともいえる追記があるのです。
“島民の心得其の三・追記――背後をよく見聞きするのは、伴侶に会ってからである。会う前に下手に情報を手にいれ、情報に踊らされるな。情報というものは、真実言い当てているものもあれば真っ赤な嘘もある。”
つまり、前情報に踊らされずに真実を見抜くには当人に会い見聞きし、見極めよってことです。
だからこそ、寧々子は先入観を持たないために、特に嫁ぎ先の情報を事前に知ることなくやってきたのです。真っ白な目と耳で、真実を見極めるために。
……ワタクシ白無垢は先走りすぎだと思うんですけど! それに地味に寒くないですか?!
――前振りが長いですね。げふんげふん。……まあ、とにかく。
「……あれは、何だい?」
それに最初に気付いたのは、カケルくんでした。
「あれ?」
寧々子を乗せたカケルくんは、今まさに真白の大地に降り立たんとしていました。真っ白の大地まで、あと数百メートルの距離でした。カケルくんは、その歩みを止めました……空中にて一旦停止したのですね。
「お嬢ちゃん、あれァ……ちと、なんかヤバイ気がするのさァ……」
調子の軽いカケルくんにしては珍しく、重くためらった口調でありました。
「あ……れは?」
寧々子の視界に映るのは、激しく立ち上る雪煙。寧々子の耳にかすかに届くのは、地面から雪を煙のように削りあげる大地の悲鳴のような音と、悲鳴。大地ではなく、生きて命がある者があげる悲鳴でありました。
「お嬢ちゃん、もう少し安全な場所に降りようじゃないかい」
カケルくんの言葉は、寧々子の耳には届いていませんでした。
真っ白な状態で、何の情報も得ていない寧々子だからこそ、だったのでしょうか。嫁ぎ先(予定)だったから、なのでしょうか。
寧々子は迷いなく、カケルくんから飛び降りました。もちろん制止するカケルくんの悲鳴は届いていません。
大地まで数百メートルの距離ををためらいなく、寧々子は飛び降りました。
「お嬢ちゃーん!?」
落ちていく寧々子は、落下の恐怖などありませんでした。対してカケルくんはあわあわと慌てます。危ない場所だわ、飛び降りるわ――ヒトガタであれば顔色は土気色だったことでしょう。
しかしカケルくんは、迫り来るそれを見て、すぐに安堵を浮かべ、叫びました。忙しないですね!
「お嬢ちゃん、またー!?」
やはり髪を縄のように操って、カケルくんに毛先を巻き付けたのです。カケルくんの腹部にがしっと髪を巻き付け、まるで空中ブランコのように髪が揺れました。
「心の臓に悪いさー、お嬢ちゃん」
髪をゆるゆるとゆっくりのばしつつ、ゆっくりと地上へ寧々子は降りてゆき、無事に着地しました。……心の臓に悪いですね、ドッキンドッキンバックンクンですよー!
カケルくんとこちらの心の臓がドッキンバックンと高鳴っている間に、寧々子は数歩大地の上を歩いて立ち止まりました。
「これは……っ」
寧々子の視界に映る大地は、お空の上から見た真っ白な色をしていませんでした。正しくは、白かった、なのでしょう。寧々子がお空の上から眺めていたときはまだ、白かったのでしょう。
目前に広がる光景を見て、寧々子は絶句していました。開いた口が塞がらない、目を見開いてしまう――そんな言葉でしか表現できない光景だったのです。
「…………っ」
崩れ原型をとどめない家屋。赤く染まった白の大地、剥き出しになり土の色をあらわにした大地。
惨劇に見舞われた大地の上に、悲しい声が響きわたります。遮るものもないので、悲鳴に満ちた喘ぎ声は否が応でも寧々子の耳に届きます。
「これは……?」
寧々子の唇が震え、寧々子は驚きのあまり膝をついてしまいました。赤い場所に膝をついてしまったので、白い衣装がまだ乾いていなかった赤色を吸い上げていきます。それを気にすることなく、寧々子はふらふらと立ち上がりました。
「これは………これは何だ!!」
寧々子は叫びました。
理不尽さに、暴虐さに、声をあげて涙を流しました。
「――アーリャああっ! 姉さんが、姉さんが今助けるからねっ」
寧々子の右前方の少し離れた場所、崩れた家屋がありました。
その家屋の前には、泣きじゃくって一生懸命瓦礫を除けている若い女性がいました。
若い女性の手元、瓦礫には……雪のように白い、血の気のない手が、手が見えています。ま、まさか……瓦礫の下に……?
さく、さくと赤と白の雪の大地を踏みしめては立ち止まり、踏みしめては立ち止まりを繰り返して、寧々子はようやく瓦礫の前にやって来ました。
「あなたは……?」
泣きじゃくっている若い女性が顔をあげました。悲壮に満ち、涙でぐしゃぐしゃになった顔を寧々子に向けます。
「わたしは……毛倡妓」
寧々子のほどけた髪が、蛇のようにゆらゆらと蠢きながら、急ピッチで瓦礫をのけていきます。
その間にも、寧々子の髪はのびにのびて、周囲の瓦礫を片付けていきます。
若い女性を含め、周囲にいる氷人族たちは幻を見るような顔で、眼前にて繰り広げられる光景を見つめるしかできませんでした。
――血に汚れた白銀の大地の惨劇に見舞われた場所に、ひとり佇む見慣れない装束の、氷人族ではない少女。少女の髪は四方へたくさんしゅるしゅるとのびて、ちゃっちゃと急ピッチで瓦礫の下敷きになった氷人族を救命していくのです。
「ねぇ………ちゃ」
若い女性の目の前で、弱々しく声を出す幼子が救出されました。
「アーリャ!!」
次から次へと、寧々子の救命作業は続けられていきます。間に合わなかった命の方が多く、助け出されて生きていた命の方が少なかったものの、確かに寧々子の髪で命を救われた命がありました。
「誰が、こんなことを……っ!」
周囲の瓦礫を除け終えた寧々子は、一気に妖力を使用したため、ふらついてしましたが、前を向く目には力強さがありました。
――寧々子は怒りに満ちておりました。
凄惨な跡が痛々しい赤と白の大地を、血に汚れた白無垢姿の寧々子が歩いていきます。
寧々子は般若のごとき表情を浮かべて――故郷の環藤の国にて、姫髪武者と呼ばれた寧々子が今、キレた瞬間でありました。
「カケルくん。お願い事があります」
寧々子はカケルくんにひとつのお願い事をしました。
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――後の時代、横恋慕ケルニー地方惨劇事件と呼ばれる事件の幕開けでした。
惨劇の舞台を後にして、白銀の大地を、髪を振り乱した(氷人族の)血で塗れた白無垢姿の寧々子が進んでいきます。
寧々子の側にはカケルくんはいません。カケルくんは寧々子のお願い事で、いまはいません。
寧々子は惨劇の舞台となった村の住人から、感謝の雨に引き留められつつも、ある目的のために村から離れたのです。
「来い」
寧々子は右手を開いて、空中へのばしました。
「イペタム!」
寧々子が凛とひと叫びすれば、寧々子の手にしゅっと刀が一瞬にして現れました。黒塗りの鞘におさまった直刀が、自己主張をするかのようにかたかたと震えます。
「お前は使いたくなかったんだがな」
苦虫を噛み潰したような顔で、寧々子は刀身を鞘から抜きはなちました。
「「「血ぁ、血ぃ」」」
あらわになった刀身の表面には、赤黒い靄が這いずっていました。刀身は細かく震えながら、血ぃ血ぃと呟いています。呟く声は、低い声が何重にも重なって響きわたります。
「さぁ、イペタム。血を追え」
イペタム――血に飢えた妖刀です。一度抜いたら、血を一滴でも吸うまで鞘に戻せない化け物刀です。
そんな化け物刀だからこそ、血の臭いを追うことができるのです。
以前、寧々子はこの化け物刀を使い、幾多の化け物――他界より来た、血に飢えた怪物です――を退治してきました。
寧々子は、呼べば来てしまうこの化け物刀をあまり使いたくありません。
「「「血ぃ血ぃ血ぃ!!」」」
この刀に、いつか飲まれてしまいそうで怖いのです。けれども、今はそんなことをいっている場合ではありません。
「さあ、追え!」
血が付着しているであろう犯人を追うために、イペタムは主を引っ張りながら、凄まじい速度で飛んでいきます。
寧々子は髪をのばし、繭のように展開して自らを包み、イペタムの移動に身を任せました。
アンデッド・エリーメリーを追いかけて、ひとりと一本は動き出しました。物語は、着々と進んでいます。この先、どんな展開が待ち受けているのでしょうか――
イペタムは、アイヌ語で人喰い刀を意味する妖力です。いったん抜いたら、血を吸うまで鞘に戻せないらしいです。北海道の、肝振支庁勇払郡穂別町二風谷付近の村に伝わる妖力だそう。
ただ、血を求めて走っちゃう点はズリの創作です。