不審者は人攫いでした
しどろもどろになっていると、彼はお構いなしに語り始めた。
「名乗ればいいの? まあ、いいよ。俺はルエナ。何者か? ちょっと返答に困るな。色々と手広くやってるからさ。手っ取り早く不審者とでも思っておけば?」
「それでいいんですか、あなたは……」
「別に間違ってはいないよね。あとは……どこから入った、だっけ? どこって、普通にここからだけど」
この男――ルエナの素性については何一つ安心できる要素がない。しかも平然と窓を指差している。むしろ何故そんなことを問うのか不思議がられている。
「いやいやいや、おかしいですって! ここ、地上何メートルだと思ってます?」
確かにこれまで、メルデリッタ自身も出入り口はここだと説明してきた。だが一階や二階といった高さではないし、魔法あってこそ、または翼あっての出入り口である。それを「え、普通に入口からだけど?」みたいに窓から入ったと言われても簡単には信じられない。
「そう言われてもねぇ。これくらいの高さ、外壁登るくらい、どうってことないよ」
仮に本当なのだとしたら、人間て凄いなーとメルデリッタは拍手は送りたくなった。
闇に溶け込むルエナのシルエットが動き出す。気のせいでなければ、着実にメルデリッタへと向かっている。少しずつ、確実に二人の距離は縮まっていた。
「な、何です?」
「言ったよね。俺に攫われるんだって」
「はい?」
いつのまにやら決定事項。きっぱり攫いにと言い切られ、警戒心が膨れ上がる。
(おかしい、絶対におかしいわよね? 何この人! ああ、こんな時、魔法が使えれば簡単に解決出来るのに!)
不穏な気配を感じ取り、ベッドから飛びのいたメルデリッタは慎重に後退する。
もしも魔女であったなら、風を操って即ご退場頂いた。もしくは重たい物を投げつけていたかもしれない。
一人が生活するには十分とはいえ塔はさほど広くない。すぐさま壁に行き当たり強かに後頭部を打ちつけたメルデリッタは、同時に一つの答えを導き出した。
「あなた、つまりは人攫いですね。私を売り飛ばすつもりでしょうが、止めておきなさい。私に価値なんてありません!」
どうだと力一杯叫んでから自分で虚しくなった。だが、これで諦め帰ってくれるなら安いものだ。
「いや、ぜんぜん違うけど」
「あ、そうですか……」
可能性は瞬時に全否定された。
「俺は、あんたを塔から攫うよう依頼されただけ。それで遥々と辺境の地、こんな塔の上まで来たってわけ」
「それ、要するに人攫いですよね?」
指摘すれば、微かに息を呑む気配が伝わる。
「確かに……。うん、わかった。以後、職歴に付け加えておくよ」
あえて否定する気もないらしく、こうして彼の職歴には新たに『人攫い』が加わった。だが、そんなことはどうでもいいし、納得してほしかったわけでもない。
見当違いのやり取りをしているうち、すでに手を伸ばせば届く距離となってしまう。
(どうしよう、どうしよう!)
混乱するメルデリッタはひたすら壁に張り付くが、迫りくる脅威から逃げる術はない。
距離が近くなり、闇の中でも人相が把握出来てしまう。その不審者は笑っていた。やはり不審者、ここは恐ろしい顔つきを想像していたのだが、ルエナは恐ろしいというよりも――思い浮かべて頭を振った。
(人攫い相手に何を考えているの!)
綺麗な顔だとは素直に認めたくない。
「面倒だから抵抗はしてほしくないな。したところで無駄だよ」
(だから大人しく攫われろと?)
メルデリッタは自分が常識に通じている知識豊かな者だと思ったことはない。けれど大人しく攫われろというのは常識的に何か違うのではと思ってしまう。
後退すべき空間を失ったメルデリッタの腕が捕えられた。
「は、離して! ダメ、私ここに居なくちゃいけないの!」
十六年越しの癖とは恐ろしく、ついお決まりのセリフを口にしていた。
「本当に?」
今、なんと言われたのだろう。
「どう、してって……」
聞き返されたのは初めてで、微塵も想像していなかっただけに戸惑いを隠せない。
疑問を投げられた真意も掴めず、無意識のうちに声が零れる。人攫いの言葉に耳を貸すなんて間違っているのに、あまりにも真面目な口調で問われるものだから気になってしまった。
「そんな泣きそうな顔で言われても、説得力ゼロ。それを、あんたが心から望んでいるようには見えないよ」
予想外の指摘に胸が大きく音を立てる。一蹴することが出来ず、確かめるように自由な手を顔へ伸ばしていた。震える手で頬に触れてみる。
「私、泣きそうな顔、しているの?」
涙は流れていなかった。けれど、なんとなくは感じていた。これまで何度も告げてきた台詞のはずが、今回はどこか違っていると。
だってもう夢も希望も存在しないから。ここに居て、その先に待つ未来が何一つ想像できない。ここに居なければならない理由が見つからない。もう、無実の罪で裁かれてしまったではないか。
図星を指されたのは間違いなく、それは素直に認めよう。だが人攫い相手に「仰る通りです」と認めるのは癪だった。