最古の魔女
予想していた痛みは一向に訪れない。耐え切れず、メルデリッタは薄く目を開ける。
見馴れた背中が広がっていた。腕にはいつか見た短刀が握られ、ナイフを受け止めている。
「お前――!」
レイスの驚愕に彩られた瞳にはルエナが映る。
「ルエ、ナ? あなた、どうして!」
メルデリッタも驚いて、涙も引っ込んでしまった。
ルエナはメルデリッタを庇い魔女と対峙する。ナイフを弾くと、その勢いのままレイスを蹴り飛ばした。女相手にもまったく容赦躊躇いのない動きだった。
反撃を予想していなかったレイスは、くぐもった呻きを上げ冷たい床に倒れ伏す。蹴られた場所を庇いながら覚束ない足で立ち上がる。
「人間ごときが、私の魔法を破った?」
「いやいや、ちょっと魔法に掛かったフリをね」
いつか塔の上で告げた時と同じように、なんでもないという風な態度で言ってのける。
「魔法が効かない、男……。お前、魔女の子か。納得したわ、魔法など効くはずもなかった」
あくまでレイスの考察だが、おそらく当たっている。ルエナの所業を目の当たりにして、メルデリッタも同意見を抱いていた。
魔女から生まれた男児は、全ての魔法を無効化できる人間である。
「いえ、この場では些末な問題。何故だ! 何故、邪魔をする? 何故、大罪人を庇う!」
「彼女は言ったよ、世界なんて滅ぼさないと。同族なんだろ、信じてやりなよ。そして俺は仕事に対して誠実なんだ」
緊迫した状況にもかかわらずルエナはレイスから顔を背ける。それは魔女相手ではなく彼女に告げるための言葉だから。
「プロとして一度受けた依頼を、反故にするわけにはいかない。それに、俺は君を信じるよ。だから、たとえ世界を敵に回そうが君を守らなくちゃいけないよね」
メルデリッタはあまりの事態と彼からの発言に感極まって力が抜けた。糸が切れたように、へたり込む。
「メル!」
レイスの存在も忘れルエナは駆け寄り、助け起こそうと手を伸ばしたところ――
「よくぞ言いました! それでこそ、男というものですわ!」
可愛らしい少女のような声音で、明るく軽快なノリである。
豪快に開いた窓からは喝采の拍手が雪崩れ込み、有名演奏家のコンサートが終了した後を連想させた。
一同の視線を攫ったのはそこに立つ美しい女性。騒々しい拍手を背負いながら、まるでショーのように優雅に進む人。金色の髪が闇夜に映え、翡翠の瞳を携えた目元は鋭く凛々しい印象を受けた。
足元にはたくさんの動物。猫に犬、蛇やら狸、兎などがメルデリッタを見つめている。もふもふ癒しの光景には、いつか出会った真っ赤な瞳の猫も居た。
三人が無言でいる中、女性はしきりに手を叩いていた。いつの間にか、それ以外の拍手は止んでいるというのに。
ルージュの引かれた唇を綻ばせ、笑うと少し幼い印象になった。
「ね! ねえ? わたくしの言った通りになったでしょう。これで賭けはわたくしの勝ち。さあさ皆さま、異論ございませんわね。あったとしても、まかり通ると思わないでくださいな」
嬉々として動物たちに話しかけている。メルデリッタはその光景を知っていた。おそらく彼女も魔女なのだろう。
「誰?」
視線が合えば、見知らぬ女性は満面の笑みでメルデリッタに手を振る。
「あらあら、わたくし? 初めましてね! わたくしはベルマリエ・ジル・ローゼンタイン。ああでも、最古の魔女、古の魔女という呼び名の方が有名かしら? でもあれ、なんだか年寄りみたいで嫌なのよねー」
最古の魔女? 颯爽と現れた女性は、とんでもない発言をさらりとしてくれる。それもあるが、今何か重大なことが隠れていたような。ローゼンタイン、どこかで聞いたような……。
「あなた、実際年寄りでしょう」
伝説の有名人が突然の訪問。茫然とするメルデリッタとレイスを余所に、ルエナが容赦ない一言を浴びせた。
魔女界の英雄になんたる暴言、魔女二人は生きた心地がしなかった。
「お黙り」
ベルマリエは不機嫌そうに突っぱねる。
「あなた様が、かの有名な――」
レイスは戸惑いに呟いていた。魔女という種族は、年齢、地位、功績を重視する。最古の魔女ともなれば、どれをとっても最上級。もはや別格で雲の上の存在だ。
「あら、畏まらなくてよろしいのよ。わたくし年齢や地位など、微塵も気に致しませんもの」
「師匠、少しは年齢考えてください。見てるこっちが痛々しくて恥ずかしいです」
「お黙り」
軽快なやり取りを無視して、レイスは慎重に口を開いた。
「失礼ながら、あなた様ほど偉大なお方が、何故このような場におられるのです」
議会の意思を無視して行動している身であり、咎められる可能性も十分にある。
「あら、可愛い息子の窮地に駆けつけるのは、親として当然のことでしょう。何か理由が必要でして?」
ベルマリエは可愛らしく見える角度で首をかしげた。




