どうして?
真っ先に声を荒げたのは魔法をかけた張本人であるレイス。すべての者が眠りにつく魔法をかけたはずなのだ。
「お前、私の魔法が聞いていない!? ……後から城に入ったのか?」
やがて遅れて来たのだろうと結論付けて冷静を取り戻す。所詮人間、魔女の優位に不変はないと冷静さを取り戻した。
「運が良いようだけど、部外者は黙っていて」
「つれないね。まったく知らない仲でもないだろ? 俺の名前、ルエナ・ローゼンタインていうんだけど。足繁く通ってくれそうだね」
メルデリッタもフルネームを耳にするのは初めてだ。
レイスの動揺が微かに伝わり、それはルエナにとって予想通りの反応なのだろう。
「あ、ちゃんと覚えてるんだ。そう、あんたが依頼したがってた男だよ。悪いね、無駄足を運ばせて」
「ルエナ、どういうこと?」
「この女はね、君の暗殺を俺に頼みたかったらしいよ」
ゾッとした。もし運命がずれていれば、彼は攫いにではなく殺しに来ていたのかもしれない。
「そう、お前が……。今からでも依頼を受けてこの女を消す? そうしてくれると助かるわね。報酬も用意してあげてよ」
「お断りだね。俺は、その大罪人様に雇われてるんだから」
「馬鹿馬鹿しい。そんなもの反故にして、今すぐこちらにつくべきでしょう!」
「魔女は誠実な種族なんだろ。そのくせ俺には裏切れと言うのか?」
明らかな挑発に、レイスは忌々しく吐き捨てる。
「口の減らない男。良かったわ、こんな愚か者に依頼せずに済んで」
「だから自分で手を下しに来たって?」
「そうよ。私たちに構わず、大人しくしていることね」
「魔法も使えない、魔女でもない女の子を?」
ルエナの声が低くなった。
ああ言えばこう言うの応酬にレイスは苛立つ。邪魔者さえいなければ、とっくにメルデリッタと決着をつけている頃だった。
「五月蠅い。この女が魔女に戻りでもしたら脅威でしょう。みんな、どうして気付かないの? 魔力剥奪なんてぬるすぎる! これまでと同じ、命で償わせるべきなのよ!」
レイスは耐えきれず髪をかきむしり、狂ったように叫んだ。長く伸ばした前髪から覗く瞳は狂気にとりつかれ別人のよう。
「何故わからない? これは人間のためでもある! この女が、かつて世界を滅ぼした大罪の魔女の生まれ変わりと知っていて?」
「それは初耳だ」
ルエナに動揺している様子はない。告げられた真実だけを静かに受け止めているようだった。
「ほら、ほらね! 大罪人と知ってなお、同じことを言えるものか。それは世界を敵に回すも同じ。そんな愚か者いるわけがない」
メルデリッタはルエナの眼差しを受け、逃げたい衝動に襲われた。けれど視線を逸らそうとしない。これが最期かもしれないと思えば、ルエナの姿を焼き付けておきたかった。
「怒っていますよね。ごめんなさい、ちゃんと伝えていませんでした……。いいえ、言えませんでした。あなたも私を軽蔑すると思いました」
それを知られたら離れてしまうと脅えていた。世界を滅ぼす危険がある女なんて、誰が助けようとするだろう。
「でも信じてください。私は、世界を滅ぼしたりしない!」
誰も信じてくれない。だからまた、これで終わり。きっとルエナも恐怖する。
(さよならをしないと……。でも、声も聞きたくない程、嫌悪されているかもしれないわね)
全部、自分に都合のいい夢だった。塔に助けが現れて、自由を手に入れて、よくある夢オチというやつだろう。
「ルエナ――」
別れを告げようとして、メルデリッタは信じられないものを目にする。大罪人を前に似つかわしくない表情が、そこにある。ルエナは何も変わっていなかった。
「俺は愚か者でいいよ」
黒い瞳が僅かに細められ、安心させるように優しい。さらに発言内容は信じられないものでメルデリッタは茫然としていた。
「今、なんて?」
あまりにもいつも通りすぎて、つられて微笑んでしまいそうになる。
「馬鹿ですか!」
メルデリッタは泣きそうに顔を歪め、悪態を吐いた。罵るつもりなどなく、ありがとうと言いうつもりだったのに失敗した。
「あのねえ、それは酷いんじゃない」
俄かに信じられず、口をついてしまったのは正気を疑う言い草だ。頬を抓って確認したいところだが、さすがに場違いなので止めておく。
「だって私、世界を滅ぼした魔女の生まれ変わりです。私が世界を滅ぼすと、思わないですか?」
「滅ぼすわけ?」
「そんなことしません!」
「でしょ。俺は、君を信じる」
信じるなんて最大の殺し文句だ。メルデリッタにとっては、どんな言葉より重く価値があった。
信じてもらえることが、どれほど嬉しいか、メルデリッタは初めて知った。ゆらぐ視界からは次々と涙が零れている。けれど拭うことも忘れ、ただ泣き続けていた。困ったようなルエナの顔も歪んで見える。
「あ……ありが、と」
「どういたしまして?」
感謝されたのでとりあえず受け取っておく、といった様子のルエナだった。
けれど、ゆっくり感動に浸っていられる時間はない。




