ワルツの時間
「どうされたのかしら、あの方」
辺りを窺い動けずにいたメルデリッタも、その一言で我に返る。ここで断るという選択肢はないのだ。
「はいっ、私でよければ喜んで」
「君がいいんだ」
長く待たせてしまったにもかかわらず、グレイスは柔らかな笑みで迎えてくれた。
オーケストラの演奏に合わせながら、ひっそりと積もり積もった話しに興じる。考えてみれば多忙なグレイスとも話せる絶好の場だった。
「今日は、いや。今日だけじゃなかった。あの時も、本当に助かったよ。ありがとう、ずっと会いたかった。僕の女神」
女神という聞きなれない単語にメルデリッタは首を傾げた。その間も足運びを間違えないよう慎重になっている。
「女神? いいえ、私はま――コホン。元魔女です」
「元?」
これまた聞きなれない単語に今度はグレイスが首を傾げる。
「私は、もう魔女ではありません。何の力もない人間、その証拠がこの白髪です」
メルデリッタは肩を竦めたが、以前ほど悲観的になっていないことに気付いている。初めてこの容姿と対峙した時は、世界の終りのように感じていたのに……。
「それでも君は、僕の女神だ。それにしても、上手いね」
さり気なく話題を変えてくれたのはグレイスなりの気遣いだろう。ダンスのことか、それともピアノのことか、いずれにしても師は同じである。
「ルビーには、たくさんのことを教えてもらいましたから」
「ああ、あれにね。うん……」
かつての扱いを思い出したのかグレイスは複雑な面持ちだった。
「でもまさか、グレイス様がいるとは思いませんでした」
「こっちのセリフ。まさか自分主催の舞踏会に出席しているなんて、とにかく驚いた」
(アンが言っていた新しい王、それがグレイス様……? え、ということは私まさか、一国の王様と踊っているの!?)
今更ながら、恐れ多いことをしている自覚に気絶しそうだ。意識してしまったからだろうか、それとも周囲が気付き始めたのか。ワルツに交って様々な憶測が飛び交っている。
「陛下ったら、私と踊っていただこうと思っていたのに!」
(そうよね、自国の王が踊っていたら誰しも注目するはず。もしかしなくても私、とても目立っていたりするのかしら……)
それでもワルツは終わらない。青ざめながらもグレイスに恥をかかせるわけにはいかないと、気合いと根性が売りのメルデリッタは必死に足を動かし続ける。
「確かにピアノはお上手でしたけれど、見ない顔ですわ」
「そうよね。あんな印象的な子、見たら忘れないでしょうし」
「どこの令嬢? まさか、お忍びの姫とかいわないわよねえ? だとしたら勝ち目ないじゃないの!」
「ああっ、私の玉の輿計画がー!」
(ごめんなさい、私、令嬢でも姫でもありません。ただの元魔女です!)
肩身の狭い思いをしながらステップに意識を集中させる。間違いがあってはいけないと、過去の講義に頭をフル回転させながらリードに身を任せた。
何度目かのターン、くるりと裾を翻せば、待ちわびていたルエナの姿を見つけた。いっそ駆け寄ってしまいたいのに、この状況が許してくれない。
もう一度回転すると、そこにルエナはいなかった。
(気付いていない? そんなはずはない……)
確かに目が合ったはずだと落胆していた。
ようやく曲が終わりルエナの姿を探して回る。だが一向に見つからず、約束の場所に戻るべきかと思案したところで肩に手が置かれた。期待に顔を綻ばせるも、グレイスが心配そうに告げている。
「どうかした? 誰か探してるみたいだね」
「連れを、探していて」
「そ、そうだよね! ごめん、勝手に一人だと思いこんで誘ってしまって。探すの手伝うよ、と言いたいところだけど……。今は注目を浴び過ぎているから、いったん退場しよう。君まで揉みくちゃにされたら大変だ。こっち!」
皆が遠巻きにメルデリッタと王に注目していた。ここでグレイスと離れれば質問攻めにされる可能性は高いだろう。二人の関係か、あるいはメルデリッタの素性か、何にせよ上手くあしらえる自信がなかった。
逃げるように、一室へと落ち着いた。
並ぶ家具一式は高級そうなものばかりで、嫌でもここが城なのだと意識してしまう。そして彼はもう、王子ではないのだ。
促され、並ぶ大きなソファーの向かい座る。
「即位されたのですか?」
「そう、亡き父に代わって僕が託された国だ。あれから無事帰って即位した。君のおかげだね。本当にありがとう。その、君は塔から出られたんだね」
「はい、まあ……結果的には」
過程が不本意だったので、どうしても言い淀んでしまう。
「今はどうして――まさか、この国に住んでる?」
メルデリッタはかいつまんで事情を説明しようと努めた。
「断る間もなく塔から連れ出され、何の当てもなく困っていたところ、元凶である張本人から有料で助けてると提案されました。今はその方の自宅でお世話になっていて、本日もその方に連れてきていただきました」
グレイスは間を置くことなく神妙な顔つきで言い放つ。
「ねえ、メルデリッタ。それはきっと詐欺だ。もう大丈夫だから僕のところへおいで。大丈夫、これでも西の王だから。そんな詐欺師との契約、反故にしてやる! 違約金が必要なら払おう。命の恩人が不当な詐欺を受け困っている時こそ、恩返しすべき瞬間。なんてことだろう! まさか詐欺師を舞踏会に招待してしまうなんて……。いや、おかげで君と再会できたわけだが。それに、これは逮捕のチャンス?」
すぐに兵に連絡を――なんて言いだすものだから、放っておけば本当に逮捕のため動きだすのだろう。
「グレイス様! 確かに時々意地悪な方ですが、悪い人ではありません。私は大丈夫です」
「そう? 本当に? ……君が酷い目に合っていないなら良いんだけど。メルデリッタ、あの時の言葉覚えているかい? この恩は忘れないって言っただろ。僕の元に来る気はない? 君を保護することも出来る。城でなら不自由のない生活を保障するよ」
瞬時に脳裏を過ぎったのは断るという選択肢だった。何故その答えに至ったのか、メルデリッタ自身も驚いている。
「グレイス様、お気遣い感謝致します。ですが私は彼の元に、期間限定だとしても、それまでは共にいたいと思います」
じゃあその後は?
魔女に戻ったらどうするのだろう。
考えるまでもない、それは別れの時だ。




