馬車の中で
賛辞と祝福の嵐にさらされ、耐え切れなくなったメルデリッタは逃げるように外へ飛び出した。彼女がルエナの前を歩くのはとても珍しい光景で、むしろ早くと促し手招きする。
夜空には厚い雲が広がっていた。散りばめられた星も、月さえ覆い隠してしまう。舞踏会の夜にしては残念であるが、天候ばかりはどうしようもないだろう。
人間の交通手段である馬車、まるで小さな箱のようだとメルデリッタは思った。四つの車輪がついた黒塗の四角い箱を、二頭の馬が引く構造になっている。
さて、先導して突き進んだはいいが、勝手がわからず立ち尽くしてしまう。すると予想していたのか、ルエナ驚くこともなく自然な動作で手を差し伸べてくれた。その手を取って乗り込めば、見計らったように動き出した。
カラカラ回る車輪に揺られ、規則正しい蹄の音が響く。まるで、もう後戻りは出来ないと宣告されているような気分だった。そんな不思議な乗り物である。
「メルデリッタ」
「はいっ!」
唐突に名前を呼ばれ、予想外に大きな声を上げてしまう。小さな箱だ、気合いを入れて返事をする必要もないのに。
「何をそんなに緊張しているの?」
心配、いや……この口調はからかわれているのだろうと判断するに十分だった。
「別に、そんなことは!」
指摘の通り緊張していたが、自分ばかり緊張しているというも悔しくて強がってしまった。
「そう? ならよかった。あのさ、遅れたけど似合ってる。魔女だったなんて信じられないよ。お姫様でも通用するね」
「……え?」
ルエナの口からもたらされたセリフだと理解するまでに時間を有した。信じられない面持ちで発言者を凝視するも、彼以外であるわけがないと考え直す。
理解した瞬間、羞恥が湧きあがった。さらっと気恥かしいことを言うルエナが恨めしい。
メルデリッタは膝の上に重ねた手に視線を向けた。大げさなまでに褒められ、慣れない身では戸惑いも隠せない。ただの世辞だと流せる技量はなく、素直に感謝を告げる余裕もなかった。
「そう、でしょうか……。こんな魔女、いえ元魔女には勿体ない言葉です。もしもそうだとすれば、ルエナの選んでくれたドレスのおかげですね。私、魔法にでもかけられてしまったのでしょうか」
まるでルエナが魔女のように思えてきた。
塔の上に身一つで乗り込んだり、体力の底が見えなかったり、どこからともなく現れたり。本当に魔法の一つでも使えるのではないかと疑いたくなってしまうが、男に魔法が使えるはずがないのだと思い直す。
「ありがとうございます。情報収集のためでも嬉しいです。こんな、お姫様のようなイベントに参加できるなんて、まだ夢みたいで」
「王子様は俺でいいのかな?」
メルデリッタは顔を上げて微笑んだ。
「もちろん、あなた以外にありえません。アンに聞きました、女の子にとって自分を助けてくれた人は王子様。そして――」
続くはずの言葉を意識して、寸前で呑みこんだ。
あくまで一般論、必ず誰もがそうあるわけではないのに、なぜ言い淀む必要があったのだろう。何でもないように、さらっと言ってしまえば良かったのだ。
「そして?」
おかげで続きを催促されてしまう。不自然に会話を途切れさせてしまった己に非があるとわかっているのに、今更取り繕っても挙動不審にしかならないと思えば上手く伝えられない。
「あ……き、今日のルエナは王子様みたいに素敵ですね!」
頭を悩ませた結果、誤魔化してしまった。嘘というわけではないのだから、問題ないだろうと。
「助けた、ね。御伽話とは、ちょっと違う気もするけど」
深く追及されることもなくメルデリッタはホッと息をつく。
ルエナからは自嘲気味な笑みが零れていた。おそらく彼も手放しで助けたとは豪語出来ないのだろう。なにしろ無理やり連れ出したのだから。
少し困ったようなルエナの表情一つにも目を奪われてしまうのは何故か――
不明瞭な感情を表す言葉を探していた。やがて浮かんだのは、ある可能性。
恋をするの――
誇らしそうに語るアンの顔が浮かんだ。それは違うと、見られているわけでもないのに必死に否定する。
(違う、私は恋なんてしていない!)
胸が音を立てるのも、頬が熱く感じるのも、全ては余計なことを口走りそうになった焦りから。そのはずだ……。




