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部下のマイス

「あーれー、お前誰?」

 集中していたメルデリッタは、初めて見られていたことに気付く。

 背はメルデリッタより少し低く、深めに被った帽子の隙間から鋭い眼差が覗く見知らぬ少年だった。

(声を掛けてきたということは、この家に用事?)

 ルエナか、それとも親子の知人だろうか。

「見かけねー顔。旦那、いつの間に新しい奴雇ったんだ? それとも怪しー奴? だったら容赦しねーぞ」

 遠慮のない口調で、指をバキバキしている。

 この家に住むのは三人だが、旦那という単語で導き出されるのは一人だろう。

「ルエナに用ですか? 彼なら出かけています」

「ああっ? 随分と旦那のこと気安く呼ぶじゃねーか。お前、何様だ」

 対応が気に入らなかったようで、言葉にまで苛立ちが表れている。思わず、すみませんと謝罪しようとしたメルデリッタを押しとどめたのはアンだった。

「ちょっとマイス!」

 怒号のように聞こえてきたアンの声に、二人してびくりと肩を揺らせば、彼女が仁王立ちしている。

「声が聞こえたから来てみれば、失礼なのはあんた。メルは立派なルエナ様の客人よ」

 急いで駆けつけてくれたのだろう。袖はたくし上げられたままだし、手には洗濯物が握られている。

「それから!」

 にやりと笑ったアンは何事かを少年に耳打ちしている。

「なっ! だ、旦那の女ぁ?」

 少年は背筋を正してメルデリッタに向き直った。

「そ、そうとは知らず悪かったな。いや違くて、大変失礼しました! 俺はマイスって旦那の部下、あ、いや……とにかく仕事仲間! です。旦那からはちょくちょく家の様子を見に来るよう言われてて、そしたら知らねー奴が居たもんで、ついというか。あの、どうかこの非礼は旦那へは内密に!」

 メルデリッタが了承すると、ほっと胸を撫で下ろす。

「た、助かった。旦那の女に失礼な真似したなんて知れたら、何されるかわからねー。数年嫌味を言われ続け、仕事は増やされ、給料減らされるに決まってる!」

「それはあんたの自業自得ね」

「おいアン、それはねーだろ!」

「メルに失礼なことしたら、あたしもただじゃおかないから! 大事な友達なの。メル、あたしは持ち場に戻るけど、こいつに何かされたら直ぐ言うのよ。じゃ、ここよろしくね!」

 ヒラヒラと後ろ手を振ってアンは庭の方へ姿を消した。

「ったく、あいつ! 俺、何もしませんよ。あ、邪魔してすいません。どうぞ続けてください」

 マイスは、これから掃く予定の場所をあけてくれた。しばらく観察していたので、どこを掃いたか見ていたらしい。

「ありがとう。終わらせないとアンに迷惑が掛かってしまうから、そうさせてもらいます」

 メルデリッタは先ほどと変わらず箒を動かし始めた。その様子をマイスはやや近くなった距離から観察し続けている。

 本来目的のルエナが不在である以上、留まる必要はない……のだが、上司の女はどんなものかと気になってしまった。

 色白な肌、細い腕は押したら倒れそうだ。箒なんて持ったことありません。食器より重い物など持ったことがない、という顔をしておきながら、扱いに慣れた動きをしている。

 スタイルは悪くないし、白髪は珍しいが糸のように細く綺麗だ。薄桃色の瞳は甘くて可愛い。総合的に人目を引く顔立ちだろうと分析を終えたところで呟いた。

「それにしてもなー、旦那って年上趣味かと思ってたんですけどね。しかもグラマー美女系の」

 目の前にいるのは、それとは真逆の性質を持つ女のように思う。

「ルエナは年上趣味なんですか?」

 意外な話題に興味を引かれ、あくまで手を動かしながら聞いてみる。ルエナに恋人というのもイメージが湧ず、まさか引き合いに出されているのが自分だとも気付かず踏み込んでいた。

「実際のとこは俺も聞いたことねーんで知りませんけど。つーか、そんな恐ろしいこと気軽に出来ないんで。ただあの人、年上受けがいーってか。こないだも、どうしても旦那に仕事をっと! あの失礼ですが、ねーさんは旦那の仕事ご存じで?」

「何をしているかは、だいたい教えてもらいました。例の物騒――いえ、危険な仕事の数々」

 関係者を前に物騒ときっぱり断言するのも申し訳なく遠回しに表現しておこう。けれどメルデリッタは脳内で物騒な仕事の数々を思い浮かべずにはいられなかった。

(それにしても、ねーさんてなんだろう。私が年上だから?)

 これにより、マイスはメルデリッタを秘密知るものと認知してしまった。同時にルエナが心許している者だと認識する。アンの発言だけでは信じきれなかったがもう疑う余地はない。さすが唯一無二の恋人、秘密もしかと打ち明けているのだと。

「そう、そうなんですよ。でね、どうしても旦那に頼みたいって年上美人の女がいたんです。まあ、しばらくは遠出なんで断りましたけど、いやー熱烈なオファーでしたぜ。ありゃ多分諦めてねーですわ! 仕事より旦那にご執心なんですって」

「ルエナは人気者なのね」

「旦那の仕事は高いが確実で有名なんすよ。そうそう、根拠はもう一つ。俺、この目で見たんです。旦那が年上美人と並んで歩いてるの! ってまあ、今となっては過去のあれこれ、詮索するだけ野暮ですかね。まさかこんな処に別の本命がいたなんて知りませんでした」

 互いに食い違っていたのだが、露見する前にこの会話は終えることとなった。

「何を余計な話をしているのかな、マイス君」

 なにしろ張本人が何処からともなく現れてしまったのである。突如出現したルエナは妙に丁寧な口調で笑みを携えていた。

「だ、だだだ旦那ぁ! なん、どう、い……」

 マイスは盛大にどもりたおした。言葉もままならないほど驚愕している。

「なんで、どうしてって、お前に用があるから出向いたのに、俺の家に行ったと聞いてね。戻ってくる羽目になったわけ。いつからって……何やら面白い話をしていたみたいだから、出る機会を失ってしまったよ。君が俺をどう思っているか、よーくわかった」

「それ多分、殆ど最初からじゃないすか! ずっと陰で見てたんすか!」

「あはは、それは今月の給料のみぞ知る」

「ひいいい!」

 マイスは涙目で蒼白になっている。ルエナは慌てて逃げようとした部下の首元を掴み、掴まれた大人しくなった少年の瞳は絶望を宿していた。

 一方メルデリッタは、もたらされたばかりの情報を分析していた。

(恋人……なるほど、だから私が一緒だと困るのね。誤解されたらその恋人さんに申し訳ないもの)

 我に返ったのはルエナが前に立ってのこと。

「ところでメル、何してるの?」

「何って、掃除です」

 メルデリッタは箒を掲げる。

「それは見ればわかるよ。なんでかってこと。誰がそんなことしろって言ったの? 別に掃除なんてしなくていいよ」

「でも私、お世話になりっぱなしですから。それに何かしていたかったので」

「ふーん。物好きだね。そうしたいなら、無理に止めはしないけど」

「……ルエナって優しいのね」

「もしかして今頃気付いたの?」

「あ!」

 言葉に出ていた。口を押さえ取り繕うとしたが、もう手遅れだろう。

「さてマイス。俺の用件を片付けさせてもらおうか。仕事の話だ、こい」

 マイスはずるずる引きずられていく。

 売られていく子牛? 断末魔の悲鳴でも聞こえそうな雰囲気に、条件反射のように手を合わせそうになった。

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