おいてけぼり
二階の部屋を訪れると、扉を叩く前に入室の許可が下りた。ルエナは窓辺の机に肘を付き、カップに口を付けている。
「失礼します。あの、ルエナは食事を取らないのですか?」
「これで十分かな」
カップを持ちあげ、また一口啜った。それで中身はカラになったようだ。
「さっそくだけど本題に移ろうか。立ち話もなんだし、そこに座ってよ」
椅子はルエナが座っているものだけらしい。ベッドを指差され、申し訳なくも浅く腰掛けさせてもらった。
「まず、俺たちの目的は最古の魔女だったね。この国にいるのはいいとして。名前と、自宅とか知ってたりする?」
「あまり表に出ない方なので、名は知られていません。私は最古の魔女という通り名しか知らず、もちろん自宅もです。あの、私、役に立てなくて……」
西の国と一言で言っても莫大に広いことは確認済みである。そんな場所から一人を、それも名も顔も知らない相手を探すなんて気が遠くなるだろう。
「別に責めてるわけじゃない。そこまで全部上手くいくなんて思ってないから、安心しなよ。最古の魔女については俺の方で調べてみる。あと、メルの件を依頼した奴についても調べておくよ。何かの手掛かりになるかもしれないからね。仲介屋に出向いてみる。君が出来ることは特にないからここでのんびりしてなよ」
一緒に行動するものだと意気込んでいたメルデリッタはルエナに申し出る。
「あの、良ければ私も連れて行ってくれませんか? 任せてばかりでは申し訳ないですし、何でも手伝います!」
「いや……。君を連れ歩くのは、都合が悪いんだよね」
(え――?)
メルデリッタの胸が音を立てる。何もされていないのに、軋むような、締め付けられるような痛みを感じた。
旅をして、少しは心を許してくれたと思い上がってしまったのだ。所詮は仕事上の付き合いで、付き纏われては彼も困るだろう。一緒にいて何の役に立てるわけでもないのだから。そう言い聞かせて、メルデリッタは明るく言い放つ。
「そうですよね! 私、ここで待っています。大丈夫、待つのは得意中の得意ですから」
なにせ十六年待てたのだ。共に行動しても邪魔なだけ、家に置いてもらい、ただでさえ迷惑を掛けている。この上さらに負担を掛けたくはない。
「物分かりが良くて助かるよ。じゃ、さっそく出かけてくるから」
言うなりコートを羽織るとルエナは出て行ってしまった。残されたメルデリッタは慣れない部屋に落ち着かず、与えられた部屋に戻ることを決める。ここはルエナの部屋であり粗相があってはいけないだろう。
(私、どうしよう)
こうして外で行動に悩むのは二度目だ。前回――森ではルエナの戻りが早かったけれど、今回は違うだろう。手掛かりはなく、雲を掴むような話。時がかかるのは明白だ。
(することがない……)
のんびりしていろと言われても、他人の家に身を置いた過ごし方など知らず、未知の領域に足を踏み入れているところだ。
「落ち着くのよ、メルデリッタ!」
塔での日常を思い返してみた。
洗濯、掃除、料理、裁縫、歌にピアノ、読書等で多大な時間を紛らわせていた。
(そうね! 一日の始まりには、まず空気を入れ替えていたわ)
窓を開け放すと、眩しいほどの光に笑みがこぼれる。
日光浴日和なのか、小さなベランダには黒猫が昼寝していた。メルデリッタに気付くと、のそのそ寄ってくる。太陽の光を浴びていた毛は、つやつやだ。
「にゃー」
まるで挨拶のように一鳴きすると、前足を揃え、ちょこんと座った。
こんにちは? おはよう? 良い天気ですね?
これまで自然と頭に入ってきた言葉がまるで聞こえてこない。
「可愛い。以前の私なら、あなたと話も出来たのに。残念だわ」
「にゃ、にゃ、にゃー」
感じ取れるのは、ただ可愛らしい鳴き声とだけ。猫は赤い瞳で不思議そうに見上げてくる。
「あら、あなたも綺麗な赤い瞳。私の友達と同じね」
真っ赤な瞳の悪魔は元気にしているだろうか――
物思いに耽っていると、構ってくれないメルデリッタに飽きたのか、猫はベランダから飛び降りてしまった。華麗に着地すると路地へと姿を消してしまう。
「猫って自由」
まさに自由という言葉がとても良く似合う動物。何度も憧れたが、今やメルデリッタもその自由を手にしていた。
「そうよ、囚われの魔女はもういない。私だって、自由に生きられる。ん?」
開け放した窓からは玄関が見下ろせる。
「そいじゃ、あたしは出かけるから。あんたは家の方頼むよ。今日は天気が良いからね、洗濯物が良く乾くだろうよ」
外出するイザベラとそれを見送るアン、と言ったところだろう。
「はーい、任せて! 洗濯して掃除。で、食事の支度と」
見送ったアンは腕まくりをし、軽い足取りで家に戻って行った。
窓を閉めたメルデリッタは、急いでアンの姿を探す。
「アン! 私も手伝うわ」
突如、手伝いの申し出を受けたアンは目を丸くしていた。
「え、でも、メルは旦那様の客人なんだから、そんなメイドみたいなことしなくて良いのに」
「客人というのも少し違って。ルエナも一人で出かけてしまったし、イザベラさんは出かけたのでしょう。二人でやれば少しは早く終わると思うの。だから良ければ手伝わせて?」
アンは唸りながら考えていた。そして有り難く申し出を受けることにした。実のところ、あまり家事は得意でないらしい。
イザベラのエプロンを借りたメルデリッタがまず任されたのは換気。部屋という部屋の窓を開け放ち空気を通す。ずっと閉鎖していては湿気が籠もるのだとか。窓を開きつつ、間取りを記憶していく。
洗濯物と格闘するアンに頼まれた掃き掃除へ向かうと、花弁が大量に散らばっていた。
(これは、掃除し甲斐があるわね)
意気込んで腕まくりする。
これでも家事全般は得意なのだ。魔法は使えたけれど、頼りきっていたわけではない。魔法を使えば、あまりにも簡単に終えてしまうのでつまらない。時間はとにかくたくさんあった。全てを一瞬で終えてしまっては退屈――なんて、魔女連中には大笑いされそうだけれど。




