二人の距離
翌朝メルデリッタは、世間一般でまだ早いと表現される時間に目を覚ましていた。規則正しい生活を送っていたため、早起きの癖が染みついている。
火は消えていた。凍えるような季節ではなく、夜通し焚き火の必要もないだろう。
ルエナは片膝を立て、腕を組んでいる。首は少し前に傾いており、眠っているようで安堵する。
(よかった。ルエナもきちんと休めたのね)
凝り固まった全身を解そうと身じろいで、肩に乗せられている布に気付いた。動いた拍子にズレたそれは、ルエナの着ていた外套だ。
(これ、ルエナが?)
ルエナの持ち物だ、彼以外にはないだろう。けれど信じられなかったのは、どうして自分にかけられているのか。外套はメルデリッタの全身を覆う。まるで寒さから守るように――
(どうして? 私にかける意味がわからない。ルエナが寒くなってしまう、私なんて放っておけばいいのに……)
メルデリッタの頬を風が撫でる。こうしているうちにも、ルエナが寒さを感じていないか不安になった。これは眠っている人間の方が必要としているはずだ。
外套を抱きしめ、最大の注意を払い近寄る。起こさないよう緊張しているせいか、やけに向かい側までの距離が遠い。傍に居るのに遠い、そんな表現に寂しさが湧きあがった。自分自身でも子どもっぽいとわかっているのに、一度湧いた感情は消えてくれない。
傍らに膝をつくと表情が覗く。
(当たり前だけど、眠っていると大人しいわ。ふてぶてしさが嘘みたい)
静かに、優しく、そっとかけるだけ――
そうイメージして実行したつもりが、何故かメルデリッタは地面に寝そべっていた。視界からルエナの姿が消えたと感じた時には、もう空を見上げていた。
「ごめん、メルだよね」
静かな呟きが耳に入る。空を映していた視界にルエナが割入った。押し倒されたような状況に混乱しながら、メルデリッタは謝罪を口にする。
「あ、の……、ごめんなさい」
起こしてしまった申し訳なさと、傍に寄り不快にさせてしまったことへ。
「いや、俺こそごめん……。不用意に近寄らないほうがいい。危ないから、怖かったでしょ。まあ、俺がメルを殺すことはないから安心してよ。えっと、背中とか頭、痛くない?」
その声音は、どこか沈んでいるようにも聞こえる。気遣うように上から退き、メルデリッタは腕を引いて起こされた。
「大丈夫です。不用意に近付いたのは私ですから、ルエナは何も悪くありません」
自信たっぷりな姿が嘘のように思えて、どうしたのと聞いてしまいそうだった。
(近寄らない方がいいなんて、そんなの寂しい……。だって私は、寂しかった)
近寄るなと言われたことなんて数えきれない。言われる度に胸が痛んで、いつしか自分から遠ざけるようになっていた。触れない方が良いと自分から告げてきた。けれど心の奥底では、やはり胸が痛むのだ。
(もしかしてルエナも、寂しい……?)
誰かに傍にいてほしいのに、触れてはいけないもどかしさは知っている。上手く言葉に出来る自信はないが、それでも伝えたかった。
「私、確かに驚いたけれど怖くありません。本当です。ルエナが私を殺すはずないもの! 信じていますから」
彼も言ってくれた、恐れていないと。それがどれ程嬉しく心躍ったか、ルエナは知らないだろう。だから自分も伝えたいと思う。
「……うん、そうだね。て、何、もしかして俺は慰められてる?」
「そんな大それたこと私には出来ません。ただ私と同じような気が、あなたも寂しそうで――あ、いえ、出過ぎたことを! ごめんなさい」
そんな偉業なことをしているつもりはない。ただ伝えなければという想いに突き動かされていた。
「はいはい、そんなに謝らなくても大丈夫だからねー」
メルデリッタは軽く頭を小突かれた。痛いと目を閉じた隙に、ルエナは何食わぬ顔に戻っていた。そして不敵な笑みを浮かべる。
「メルが夜這いしたかった気持ちは分かったけど、そろそろ行こうか」
「夜這い?」
「あれ、そういうことじゃなかったの?」
「ち、違います! その、少しくらいは、距離が遠くて寂しいなとか思いましたけど。私は、あなたが風邪を引いてはいけないと!」
「ああ、それね。わざわざ返しに来てくれてありがとう。て、何その意外そうな顔」
意外な物を目の前にしている、または信じられないといった表情だ。「あなたが、かけてくれたのよね?」と念まで押される始末。
「俺しかいないでしょう」
「そう、ですよね……。ありがとうございます。でもルエナが風邪を引いてしまいますから。寒かったでしょう? どうぞ、私のことはお気になさらず」
「別に俺は寒くはなかったし、お気になさらずって……。あんな無防備に寝てる君がいけないのに」
ルエナのために進言したはずが、不服そうだ。というより、呆れているような雰囲気を感じる。
「私に何か、問題がありましたか?」
非があったとしたら、知っておきたい。次は不快にさせないよう、直すつもりだ。何しろ野宿は初めての経験で、勝手がわからない。
けれどルエナははぐらかすばかりで、一向に教えようとはしなかった。
「わからないならいいよ。なんとなく、君が理解できるとも思えないし」
この言い分には、メルデリッタも反論した。世間には疎いが、はなから無知のように扱われるのは納得いかない。
「馬鹿にされていますね、私。確かに外の知識は疎いですが!」
「違うよ、けして馬鹿にしようとしたわけじゃない。そういう意味じゃないんだ。ただ、純粋な女の子には分からないってだけ。ところでそれ、そんなに気に入ったの?」
返すタイミングを逸した外套は未だ少女の腕の中。不毛な言い争いを終了させようと、あえてルエナは話題を逸らす。
完全に不満が消え去っていないメルデリッタは、やや強めに押し付けていた。
「ありがとうございました!」
語尾も強めになっている。
「気に入ったのなら、また貸すよ」
茶化され、さらにメルデリッタの語尾は強まる。
「お気になさらず、です」
「じゃ、今度からは手を繋いであげようか? それとも添い寝希望? あ、子守唄とか付けてあげようか」
そんなことをされてはたまらない。してやられた、見事にはぐらかされたと分かっていても、メルデリッタに会話を誘導できるほどの力はない。
「も、もういいです! わかりましたから!」
本当に実行に移されそうな、妙な迫力があった。
「そう? だったらこういう時はね、素直にありがとうって言えばいいの」
負けたのはメルデリッタだ。そもそも勝ち負けなんてありはしないのだが、それでもこの負けたような気持ちはなんだろう。もやもやしたやるせない気持ちが残る。
いつか打ち負かしてやりたいと、ひそかな野望を抱く――そんな賑やかな朝。




