これから、どうしたら……
どれくらい時間が経ってのことか。正確な時間は把握できないが、空の白み具合から明け方近いとメルデリッタは推測した。視線をめぐらせ周囲を窺えば立派な木々が生い茂っている。
寝違えたような首に感じる妙な痛みが、これは夢ではないと実感させてくれた。そして地に足が着いている。死後の世界でもなく安堵した。
「生き、てる」
「当然」
メルデリッタは視界の端を霞めた朱色の存在に気付く。
なんだろう――
誘われるように隣へと意識を向けた。
「あっ、あなた!」
朱色の正体は例の不審者で、あろうことか彼の肩に頭を預けている状態だった。美しい朱色の髪が頬をくすぐり、人攫い相手に何たる失態かとメルデリッタは飛びのく。
「やっと起きた。あんたが寝ているうちに、森は抜けさせてもらったよ」
ルエナは肩口に掛かる、少し長めの髪を払った。
「わ、私、本当に死ぬかと!」
「俺じゃなかったら死んでたろうね」
非難を浴びせれば自信満々に言い切られる。黒曜石のような瞳は清々しいほどの自信に充ち溢れてていた。根拠などないのに、うっかり納得させられてしまいそうである。
「はあ……」
追求するのも馬鹿らしくなって、どっと疲れが押し寄せた。
「まあ、もういいです。無事生きているのですから。それよりも聞きたいことがあるので、ここはあえて流しましょう。あなた、どこの誰に頼まれて人攫を? 言っておきますが、私なんか攫っても良いことなんて欠片もありませんからね」
メルデリッタに差し出せる物は無い。家族、友人はおらず、忌み嫌われ続けの人生では身代金の見込みも無い。
塔から攫われたとして誰が悲しむ?
まず塔から消えたと知れ渡れば、大罪人が逃亡したと躍起になって探すだろう。刑を執行された身、ただの人間になったとしても未だ自由の確約は得ていない。逃亡を手助け(?)した彼もただでは済むまい。
ほらリスクしか生じない……。想像して、メルデリッタはまた悲しくなった。
「へー、そうなんだ? 俺も人伝に依頼されたから、詳しくは知らないんだよね」
鏡がなくても、メルデリッタは自分が酷く呆れた顔をしているのが分かった。
状況を見れば仮にも塔に幽閉されている人間だったろうに。それを依頼だからと、詳しく知らずに逃がして良かったのか。なんだか彼が心配になるも、他人のことを気にかけている場合ではないだろう。
「そんな、私……これからどうしたら?」
もし塔から出られた心境を尋ねられたら、嬉しいと答えるだろう。慣れない土の感触が今も心地良くて、下から木を見上げるというアングルも新鮮だ。見るもの全てが新しく、もっとこの感覚を味わっていたい。
とはいえ身一つで放り出されても、まず遭難する。住む家だってない。行く当ても頼る当てもない。そして極めつけ、魔力もないのだから。
いつか塔から出られたらと、めくるめく妄想を膨らませてはいたが。魔女であることが前提だった。こんな事態は想定外過ぎる。
「せっかく自由を得たのに、何を悩む必要があるのやら。とりあえず、俺は失礼させてもらって構わない? やることはやったし、あんたと違ってずっと起きてたから眠い」
「ちょっとそこ、いいわけない! 私、どうすればいいんです!?」
欠伸混じりの態度に、メルデリッタはすかさず声を張り上げる。人が真剣に悩んでいるのに邪魔をされた憤り、そして無責任な人攫いの態度に噛みつかずにはいられない。
「俺に聞かれてもねえ。どうしたいか、それは心に聞いてごらん」
すっごく良い顔で諭されたような気がするけれど、胡散臭い。
しかし心に聞くというのは良いアドバイスだと、一拍置いてから感心していた。いや、今のはなしで! こんな男に感心などしてやるものかと考えを改める。
「なら、責任とってください」
「は、なんで俺が?」
「私、きっとあそこで死ぬ予定でした。そう悟って諦めていた。諦めのつく感情しか持っていないはずだった。……でも、そんなの嘘でした。私、生きたいと思ったわ。まだ死にたくないと、強く思ってしまった」
メルデリッタは大きく息を吸い気合いを入れる。元凶に向けて、しかと言い放ってやろう。
「あなたのせいでね! たとえ攫ったことにあなたの意思が関係ないとしても、私に生きたいと思わせたのはあなたの責任です」
依頼した相手の顔が見えなくても、塔から連れ出す危険極まりない工程を選んだのは目の前の男。おかげで生きたいと自覚してしまった。責任転換も甚だしいことは承知しているが、ここで死にたくはない。
「生きたい、ね……」
「だからお願いします。どうか私を助けてください。見ず知らずの、自分を攫った相手に頼むなんて、どうかしていると思います。でも、頼る相手はあなたしかいません。どうか置き去りにしないでください! ここで独りにされたら、遭難して飢え死ぬ自信があります」
メルデリッタは必死に頭を下げた。そうすることしか出来ず、断られたらどうしようと不吉な想像ばかりが駆け巡る。
「……一つだけ、置き去りにされない方法があるよ」




