こうして私は外の世界へ
「勝手なこと、言わないで。私はここで良い子にしてなきゃいけないの。いつか家に帰るためにも!」
躍起になって言葉を探す。何か言わなければ、とにかく放っておいてほしい。即刻、お帰り頂かなければと危険信号が告げている。
「いつかって、いつ?」
なんて的確に痛いところばかり突いてくる相手だろう。メルデリッタは恨めしく睨んだ。
「そんなの……」
(私が一番知りたかった)
良い子でいれば顔も知らない母が迎えに来てくれる。それを心の拠り所にして生きてきたのは、いつまでだった?
いい子でいようと耐え続けてきたけれど、純粋に信じていられたのは何歳までだった?
今はもう、いつかが永遠に来ないことくらい知っている。
「けど、私は……」
どうしたら良かった?
最善はなんだった?
いっそ身に覚えのない罪を認めてしまえば良かった? そうすれば結末は変わっていたのだろうか。
(だって仕方ないじゃない。なら、どうしたらよかったの!)
目頭が熱くなるより、頭が沸騰したように熱くなっていく。ふつふつと湧きでる感情の名は直ぐに理解できた。
苛立ちだ!
出会って数分の、不法侵入の人攫いに見抜かれていた。必死に押し殺していた感情が、脆かった関が崩れ去るのを感じる。
(どんな思いでここに居るか知らないくせに。いきなり現れて、言いたい放題言ってくれて。人攫いの癖に!)
だから、だろうか。思わず本心を叫んでしまったのは。
「―――な―――だわ」
「ん、どうかした?」
メルデリッタは力一杯睨んだ。殺気を込めて誰かを睨んだのは初めてのことだ。
「だから! 余計なお世話だわ! そうよ、こんなの私は望んでない。私だって本当はこんなところ、居たくないもの! 外に出たい、自由に生きたい。私にはそれだけの力があった。望めばなんだって叶った、それでもここに居た。何故って? だって無実なのよ。逃げたら負けを認めたみたいじゃない。なのに、なのにこの仕打ち!? 結局は誰も信じてくれなかった。でもどうしたら良かったの? 私がここで過ごした時間は無駄に終わった? 冗談じゃない。そうね、全部あなたの言う通り。望んでここに居るわけじゃないの! さあこれで満足? でも!」
なりふり構わず、不満も苛立ちも叫んで。大声を張り上げては裁判でもないのに息が荒くなった。でもなんだか少し……すっきりした心持だ。
爽快感を享受していたメルデリッタは、無反応なルエナを前に失言に気付く。昇った熱が急速に冷めていた。
「あ……。今のは、その、確かに日ごろの鬱憤が抑えきれず、ですね。勢いの余り色々と言ってしまいましたが、それとこれとは」
話が別なのだと言いたかった。無駄に終わったけれど。
「だから、ね。黙って大人しく、俺に攫われておきなよ」
両の腕に囲われ、耳元で囁かれる甘い誘惑。これが御伽話で、彼が王子様であったなら胸が高鳴る場面なのかもしれない。けれどメルデリッタの胸は高鳴るどころか、いたって冷静。交わされる甘い睦言のようなシチュエーションに動じることもなく「結局そうなるのね」と呆れに頬が引きつるのだった。
ここはまだ話の途中だ。しかも思いきり反論している最中で、同意なんてした覚えがないというのにメルデリッタは男の肩に担ぎあげられてしまう。浮遊を感じた時にはもう終わっていた。実に手際がよく女一人を軽々と抱えて見せる。
「あの、『だから、ね』じゃないでしょう! 人の話聞いていましたか!?」
「せいぜい気をつけてね。俺の手から離れたら、あんた死ぬよ」
だから話を聞いてと言いたい。「どこ触ってるの!」とか「降ろして!」だとか、非難を口にするより早く物騒な発言を聞いてしまった。足の進む先、ルエナの頭越しに入る光景は……。
血の気が引く。そう言えば窓から入ってきたと話していたか。にわかに信じ難いけれど本当だとしたら、必然的に出る時も同じ場所なわけで……。
メルデリッタはごくりと喉を鳴らす。嫌な考えほどよく当たるもので、足取りは迷いなく窓へ向かっていた。
「え、あのまさか……嘘ですよね?」
「何が?」
腕一本でメルデリッタを支え、窓枠に足を掛ける。その瞬間、予想は確信に変わった。
「嘘、嫌、無理、離して! 嫌ですよ。攫われる云々とか以前に、これ死んじゃいますからー!」
迫る生命の危機。大丈夫なはずない。大丈夫なわけない。大丈夫とか、あり得ない。手足をばたつかせ必死に抵抗を試みた。
「離して! 私まだ――」
不自然に途切れた言葉。その先に続くはずだったものを意識して、メルデリッタはネジが切れたように動きを止める。
(私は、今……死にたくないと思った?)
生への執着なんて、ないと思っていたのに。こんなにも心は、まだ生きたいと叫んでいる。
「うーん、流石に暴れてもらうのは危ないから、寝てなよ」
この状況で寝るなんて無理!
誰でもそう考えるだろう。そもそも先ほど無理やり寝かされていたばかりだ。けれど首への衝撃に、文句も何も言う暇がない。
メルデリッタが意識を保っていられたのはここまでだ。慣れ親しんだ塔、最後の思い出は強引に幕を閉じさせられた。




