恋
「お父さん、行ってきます」
涼子はまるで少女のような無邪気な笑顔で奥に向かって言うと、腰を下ろして靴を履いた。
奥からいってらっしゃい、という男性の声が私の耳に届く。
「どこ行く?」
家の前に停めておいた車に乗ると、涼子は私の方を向いて言った。
「まだ決めてないよ」
私は思わず視線を逸らした。すると、涼子の薬指の指輪が目に入った。
涼子は私と同い年で、小学生のときからの付き合いだ。天真爛漫というか、快活で元気が良い女の子だった。そんな涼子に惚れていたが、小心者の私が想いをずっと伝えられないままでいるといつの間にか彼女は結婚していた。
私も結婚して子供もいるので、いまさら涼子に告白しようとは思っていないしそんな勇気もない。それでも私は今も涼子が好きだ。そういう感情が子供の頃と変わらずに衰えないのは、ちょっとした驚きだった。
「よっちゃんは相変わらず優柔不断だわね」
涼子はまた少女のように笑った。
懐かしかった。子供の頃の私のあだ名である。だが今はそう呼ぶ人はもういない。苗字で呼ばれることがほとんどだ。
孫が最近、還暦を迎えた私をじいじと呼ぶようにはなったが。