甘く見過ぎ
いつも通り仕事を終えて、帰路につく。そう、いつも通り。会社と家の往復をするだけのなんの起伏もない日常を過ごしてきた至って普通のOL。だが、今日はいつもと違っていた。――良い意味でも悪い意味でも。
「すみません!」
改札から出ると、少し声の張った若めの男の声が響いた。気になって少し振り返るとその声の主が私を引き止めていたことにそこで漸く気がついた。
「え?」
完全に歩みを止め、体ごと彼の方へ向ける。
身なりはカッターシャツに黒のパンツとサラリーマンに見えなくもないスタイルだが、よくみれば足元が少し汚れた、でもお洒落なスニーカーに肩にはアウトドアの鞄を提げている、いかにもな高校生が立っていた。
背格好は無駄に成長してるな、なんておばさんみたいなことを考えながらみつめていると男子高校生は「あの!」とまた声を張った。
ここが改札口だとわかってのことなのかはわからないが、ちらほらと私へしが集まりはじめたので落ち着かない。このまま何もみなかったふりをして逃げ出したいという気持ちが浮上するが、この男子高校生が私に一体何の目的でひきとめたのか、さっぱりわからなさすぎて、ひきとめられた理由が少し気になり男子高校生の続きの言葉を待った。
「す、すきです! 付き合ってください!」
…いやいや。
あり得ないでしょ。
浮かれてあげるほど、若くもなければ自分の身なりの相場もわかっている。こんな若さ溢れんばかりの男子高校生が私のような女を好むタイプではないのは百も承知だ。
これは、新手のいじめか罰ゲームだな、と判断するかしないかのあたりで男子高校生が私の方へ一歩近づき、小声で「すみません、ちょっと諸事情がありまして。きっぱりふってください」と少し頭を下げ俯きがちに言い放った。
言い終えると元の立ち位置に戻り、
いかにも私の返事待ちです、と言った神妙な表情でみつめ返してきた。
なるほど。
視線を少し外し、あたりを見渡すとツレらしき軍団が遠目で確認できた。
なるほど?
――でも、
「はい! ゼヒ! お願いします!」
断ってもらえると思なよ!
ばーか!
目の前の男子高校生は一瞬にして血の気がなくなり、顔色が悪くなるが、離れたところにいた男子高校生達が何やら盛り上がっているのがこちらからでも確認できた。
「な、何で…」
目の前の男子高校生が呟いた一言に優しく手解きしてやろうかとも思ったが、ツレらしき軍団が大きな歓声をあげながらこちらに来たので、男子高校生の情けない一言はとりあえず聞こえなかったことにした。
「まじすか! こいつ、大宮っていいます。あ、おい。アドレス交換したのかよ?」
軍団の中でも中心人物らしき男の子が、告白してきた男子高校生の肩を叩きながら言い放った。
「いや、まだだけど…」
「とりあえず、番号教えて貰っていいっすか? 番号からメール送らせますんで」
正直、この流れは面倒だな、と思ったがこの罰ゲームに参加したことの残酷さを目の前の男子高校生に思い知らせてやろうという想いが勝り、番号を教えた。――少しの非日常というスパイスという甘美さに負けたとは認めたくない。が、口が寂しかったのかもしれない。それでも、そんな汚さを見て見ぬふりで交わすのは、大人の常套手段だ。
「じゃあ、まぁ、とりあえず。大宮くん、だっけ? ちょっと話さない?」
「あ、うん」
周りから野次やら歓声がいやらしく響き、眉に力をいれてしまったが、すぐに気を持ち直し、大宮くんへ笑顔をむけ「行こう」と促した。
◇
私たちは駅から少し歩いたところにある落ち着いた喫茶店まで無言で歩いた。お店の中は何組かお客さんが居たが、相変わらず静かで話すにはもってこいの場所だった。
二人で飲み物を頼むとすぐに嫌な静けさが漂った。ここで会話を食い込んでくるような高校生はいないよな、と思い仕方なく自ら口を開けた。
「とりあえず。私は鈴木っていいます」
「大宮です。…あの、さっきの告白は、なんて言うか、その、OKしてくれてすっげぇ嬉しいんだけど」
もごもごと話す男子高校生に若いな、なんて思う反面、こいつなんでタメ口なんだよ、とわけのわからないプライドが芽生えた。
「本気じゃない、って言うか…」
黙って聞いていれば、目の前の青二才はここまで本音を零していた。
最低な男だな。
これが、今時の高校生の恋愛なの?
「いや、わかってるから」
苛立つあまり素で返してしまった。
大宮くんは戸惑った表情で私を見てきたので、参ったなー、と思っているとタイミング良く飲み物が届いたので、アイスティーを飲んで何とか誤魔化そうと試みた。
「告白しといて『ふってください』は無いでしょ。罰ゲームか何かでしょ? だいたいわかるから。そんな馬鹿げたゲームに参加しといてふってくださいなんて一人だけ偽善ぶるなんて友達にも悪いし、私にも失礼でしょ? もうそこまでやってしまったんならせめて、潔く返事くらい待てよ」
いいたいことの全てを言い尽くすことはできなかったが、ここまで言うと大宮くんはぽかんと口を開けながら、またしても顔色が悪くなってきたので、少しは反省してくれただろう。
そう勝手に判断する。
そろそろ飽きたころでもあったので、立ち上がり、伝票を手にして立ち去ろうとしたが、伝票を持っている方の腕を掴まれた。
「なに?」
「流石にこのまま奢られるのは情けなさ過ぎでしょ」
「…大宮くんに私がどう映ってるかわからないけど、それ、こっちの台詞だから」
社会人が高校生に奢られるなんて以ての外だっつーの!
恥ずかしいやら怒りやら苛立ちやら様々な感情がぐるぐると周り始めたので、そんな何からも逃げるようにして掴まれている腕を振り払い、お金を払って逃げるように出てきた。
とんだ一日だった。
帰って晩ご飯の用意と明日のお弁当の用意、お風呂の用意に明日の服の用意。
用意、用意、と頭の中でシュミレーションする。
それから、胸のわだかまりを流すにはやはり酒だなと思い当たり、帰りに買っていくことも追加した。
◇ ◇ ◇
――それから。
大宮くんはやたらと私にちょっかいを出すようになった。
初めは改札口で待ち伏せされ、先日の告白ゲームを謝られ、何かお詫びをさせてくれ、なんて典型的な流れに、ひねりがないな、とばっさり断る。
その次はリベンジさせてくれ、とかなんとか喚いていたので、そもそもタメ口でくる時点で誠意に欠けると突っぱねた。
「鈴木さん!」
今日も相変わらず改札前の人が多く行き交うロータリーで名を呼ばれてしまう。そんな大宮くんの若さ故の行動に辟易しながらも、ついかまってしまう自分の行動に苛立つ日々が続いている。
この少しズレた日々から抜け出すことができるのか、自分でもわからなくなってきている。
目の前のこの甘ったるい笑顔を貼りつけ、子犬のようにはしゃぐ声音を振り払うことが今の私にできるだろうか。
『遊ばれたっていいじゃない。こんな若い男の子に遊ばれるだけでもラッキーと思いなよ』
悪魔の囁きがどこからともなく響いてくる。その甘い誘惑に――いや、そもそも、この現状を“甘い誘惑”だなんて思ってる時点で堕ちているのかもしれない。
「大宮くん」
己の少し弾んだ声音。
とくん、と動いた左胸。
いくつもの証拠が知らせてくる。
恋をしたくなる。
「十代の男の子を甘く見過ぎたかな…」
「え? なんですか?」
囁いた本音を素直に聞かせるまでにはプライドが邪魔をする。が、これも時間の問題だろう。