赤く
「だから、夕方の赤色って言うのはセンチメンタルなんだって。わかる?」
と僕は得意気に言った。隣にいる三浦は、全くわからないと言った風に小さく首を振っている。無理もな
い。言葉を人に伝えることは、とても難しいことなのだから。
☆☆☆
お前は誰だ。男は答えられない。自分の名すらもわからぬ男は、己の棲みかもわからない。男は見知らぬ女の家の戸を叩き、「この家が俺の物じゃないことを証明してみろ!」と叫ぶ。公園で寝る。踏切で寝る。
そして男は警官に、「ここはみんなの物であって、誰の物でもない。無論、お前の物でもない」と言われ、行き場を失った男は夕暮れの中、自ら赤い繭になる。誰もが家に帰る、夜になる前に。
繭の中はずっと夕暮れ。何も起きない。繭の外が深い闇に沈んでも。故に、男は時間と自我を永遠に失った――。
安部公房という作家が書いた「赤い繭」は、こんな話であった。
☆☆☆
「わからない」
しばらく考えていた三浦はつまらなそうに呟く。そして続けて、
「なんで女子がいないのか」
と呟いた。学校帰りの男子校の17才が二人も集まれば、女子の話、更には卑猥な話になるのは不思議ではない。僕は答えた。
「それはお前が小学生のとき、男子校を受験すると言う過ちを犯したからさ」
「だったらそれはお前もだろう」
「俺は今に満足してるからさ」
「じゃあ共学はダメだって言うのかよ?」
ダメ。僕は正直この言葉があまり好きではない。イェスノーで考える論理は非常に矮小だと僕は思う。
そう思うと、言葉が闇にズブズブと沈んでいく。でも、いつものことだ。
「制服の少女が夕日にあたっているのを見るだけで眩しいのに、それを毎日見ないといけないんじゃ、眩しすぎて俺は目をあけることもできないね」
「それもそうか」
三浦は笑った。
さっきの僕の言葉は適当だ。いや、もっと言うと、不正確。本音ではなかったかもしれない。
それを笑った三浦は、僕の言葉の意味を理解しているのだろうか。それは僕にもわからない。
☆☆☆
夕焼けが住宅街を赤く染め始めた。空も、太陽も、地面も、連なる家々も、見事に赤く染まっていく。どんな物でも、もう染められることに抗うことはできない。
まるで、空腹の幼児に狂ったように落書きされている画用紙の様だ。
もうあと100メートルくらい先に見えるT字路で、三浦とはお別れだ。
いつもとほとんど同じ家路。ブロック屏も、その上で寝る三毛の怠惰を極める野良猫も、そして夕暮れも。今日も同じ日々が来ると思うと、僕は少し安心する。しかし、ひとつだけ、違うことがあった。
僕たちとT字路の間に、制服の少女が歩いていたのだ。
中学生くらいだろうか、髪を肩までのばし、ベージュ色のセーターを着ている。黒いチェックのスカートからは、スラッとした白い足が見える。その足は規則正しく左右交互に、早くもなく、遅くもなく、動いていた。
顔は見えないが、後ろ姿はとても綺麗だ。そして、その少女もまた、真っ赤に染まっていた。
「なあ…」
僕は何かを言おうとして三浦を見ると、彼の顔は少し赤くなっていた。夕焼けのせいだけではないだろう。
その時だった。その少女から、白く小さな物が落ちたのが見えた。しかし少女が止まる素振りをみせることはない。
近づいて見ると、それは白いハンカチだった。その様子は、まるで夕焼けに染められまいと必死に抵抗するようだ。
探せば、叫べば、まだ間に合うかもしれない。そう思ったとき、三浦は白いハンカチをそっと手に取り、ニヤニヤと笑った。
「これは、俺のだから。」
僕が納得いかない、と言った表情をうかべると、三浦は続けて、
「温もりくらいは、わけてやるよ」
「………」
僕は、迷った。ここでハンカチに触れたら、あとで嫌な気分になる気がしたから。
でも気づいたときには、僕の手はハンカチにくっつき、確かな温もりを受け取っていた。伝わる。そして、自分の中に入っていく。それは、何とも言えず気持ちのいいものだった。
「はい、おしまい」
そう言うと、三浦はハンカチを大事そうに自分の制服のポケット入れた。こうして、ハンカチは三浦の物になった。
しかし、僕の感じた温もりは誰の物かはわからない。少女の物かもしれないし、三浦の物かもしれない。
そして、何より、僕の物ではないのかもしれなかった。
☆☆☆
僕は三浦と別れ、あの少女に思いをはせてみた。どこに住んでいるのだろう。今日の夕食は何を食べるんだろう。今日トイレに何回言ったんだろう。パンツは何色なんだろう…。
誰もいなくなった住宅街にたたずむ僕は、夕日に照らされて、赤かった。
男子校に通う17才の高校生の、実話であり妄想です。
拙い文章を最後まで読んでいただき、有り難うございました。




