第二十九話
ルドが指示したXポイントは、フォボスとハルのちょうど中間あたりに当たる宇宙空間にあった。二時間以内に来いということは、軌道エレベーターでは間に合わないということを意味している。
カナメは部屋を飛び出した。
緊急に飛びたてるオービターは、ハル側に一機フォボス側に一機常に準備されている。既に使用済みであればアウトだ。
「グラブラ最高技官、緊急出動だそうですね。オービター575-03緊急出動準備整っていますよ」
射場に着くなり、顔なじみの整備長が声を掛けてきた。
「了解 ところで君、緊急出動要請はいつ聞いた?」
「昨日、深夜にハデス市長から発射準備要請がでております。ただ……」
「ただ、どうした?」
「燃料は片道分でいいと市長は言うんですよ。まぁ、充填する時間も差し迫っていましたから、こちらとしては助かったんですが……」
オービター575にはフォボス―ハル間往復分の燃料を搭載できる燃料タンクが付いている。だからこの機種を使うのであれば、往復分の燃料をチャージしておくのが普通だ。
「フォボスで燃料を補充するとなると、あっちのやつらいい顔しないんですよ。こっちには余剰の燃料などないんだぞって、フォボスの市長が怒鳴り散らすらしくて。それなんで、もしカナメさんの方で機会があればフォボス市長にとりなしておいてもらえるとありがたいんですが……」
困った様子の整備長に軽く笑って返す。
「分かった。向うで負担してもらった分は後日ドーナツで送ると言っておくよ」
ホッとした様子で見送る整備長に軽く敬礼すると、カナメはコックピットに乗り込んだ。
地上へでるハッチが開き、オービターを乗せた射点がゆっくり地上にある発射場までせり上がって行く。射点が完全に射場に固定されてしまうと、次に半透明な半球型のドームが開口する。不毛の砂漠が広がるハルの大地は、時折ひどい砂嵐が起こる事があるが、今は風力3の穏やかな風が吹いている。膨張したジタンは、遥かに広がる赤茶けたハルの大地を飽きることなく容赦なく照り焦がしていた。
メインエンジンを作動させると、小刻みな振動とともにエンジンが正常に燃焼しているというサインが点滅する。
『カナメさん、補助エンジン点火準備OKです』
コックピットに管制官の声が響く。
「了解、メインエンジン正常に燃焼中。補助エンジン点火五秒前、四、三、二、一、リフトオフ」
補助エンジンが燃焼する爆音に包まれながら、カナメは眉間にしわを寄せる。
片道分の燃料で構わないというのは、単にフォボスで補充すれば良いというそれだけの意味だろうか。フォボス市長の気性を良く知っているはずのルドだ。普通ならば整備士たちにしわ寄せがいくようなやり方は採らないはずだ。引っかかっているのはルドが口にした復讐という言葉。そして、フォボス市長が以前指摘した、ルドは変わったという言葉。
――らしくないじゃないか、ルド。どうしたんだよ。
ディモルフォセカのことはもちろんだが、ルドも気がかりだった。
いつでも前向きで、無駄に自信に溢れていて、無駄に爽やかで、いつでもフルスロットルで生きてきたルドには、復讐などという負の言葉はちっとも似つかわしくなかった。
『カナメ、すまないな。森の民を隔離するなどやめた方がいいと言ったんだが……。ハル政府の決定を覆すことはできなかった。俺なんかの手には負えなかった。力不足だった。アール・ダー村はまもなく隔離される。アイリスが地下都市に行くことはほぼ絶望的になった』
三百年前、アール・ダー村で出会ったルドはそう言った。アイリスは地下都市に居る母親に会いたがっていた。
森の民が発生し、その対応に困惑した当時のハル政府は、散々アール・ダー村に調査団だの研究者だの送った挙句、より効率的に森の民を利用する為、アール・ダー村を隔離した。それ以降、保護という名のもとに森の民はあらゆる情報から切り離された環境下で生きることとなる。
『いつか、森の民もファームの民も一般人も、一緒に暮らせるような社会をつくろう。な? おまえもモノ壊してばっかいないで、手伝えよ』
怒りに震えるカナメにルドはそう言って、グシャグシャになるまでカナメの髪を撫でた。
ルドは、どんな逆境にあってもどんなに叩きのめされても立ち上がる不屈の精神を持った人だった。絶望の只中にあれば、その者にとっての一筋の光を見つけだし、その先にある未来を描いて見せられる魔術師のような人だった。ルドほど『復讐』などという言葉が似合わない人間はいなかった。
――早まるなよ。ルド!
Xポイントに近づくにつれ、ルドが操縦していると思われるオービター575-01の機影がレーダーに表示される。
「こちらはオービター575-03、カナメ・グラブラだ。オービター575-01応答せよ」
ノイズの後に、すぐに応答があった。
『よぉ、カナメ。時間どおりだな』
モニターにルドのニヤリと笑った顔が映し出される。
「ルド、何やってるんだ。随分性質の悪い嫌がらせじゃないか。彼女は無事なんだろうな」
『あーあ、もちろん無事だ。悪いが一応スキャンさせてもらうぞ』
カナメはどうぞと応えて、自らもスキャンのスイッチを押した。ルドのオービターには生命反応が三体ある。
――ディムのほかにも誰か乗っているのか……。
『どうやら約束通り一人で来たらしいな』
ルドが薄く笑う。
『さて、ではタイミング的にもちょうどいい頃合いだ。始めるか』
そう言うと、ルドは自分が乗っている機体の姿勢制御システムを起動した。
「ルド? 何をするつもりだ?」
オービター575-01がゆっくりと姿勢をフォボスに向けるのを、カナメはひやりとした気持ちで見つめる。オービターでフォボスに向かう為には、一旦回りこむ必要がある位置だ。直線で向かえば軌道エレベーターのフォボスポートに突っ込んでしまう。
『言い忘れていた。この機体にはな、対地ルイン弾を搭載しておいた。今からちょいとフォボスに突っ込む予定なんでね』
「はぁ? 何行ってんだよ。寝言は寝てから言えよ、ルド!」
『おまえには最後の選択肢を与えてやろうと思って、ここまで足労願った』
そう言いながら、ルドは姿勢が整った機体のメインエンジンを点火する。
「ルド、エンジンを停止させろっ。話はまだ済んでいないっ」
『この機体はフォボスに突っ込むように軌道設定してある。三つ選択肢がある。一つ、このままフォボスに突っ込んでフォボスを壊滅させる。一つ、フォボスが当機を打ち落としてアール・ダー村が壊滅する。一つ、おまえが当機を撃ち落として当機のみ撃墜する。この三つだ。まぁ、ロザのことだ、おまえが俺を撃ち落とさなければまず間違いなくアール・ダーが壊滅する事になるんだろうな』
ロザとはフォボス市長の名だ。
遥か下方に見えるハルの赤茶けた大地の上には、ぽつんと落とされた真珠のように光るアール・ダー村の天蓋シールドが見えた。まさに、三すくみの状態だ。ルドはそうなるようにこの時間を選んだのに違いない。
フォボスがルドの機体を撃てばアール・ダー村は対地ルイン弾を搭載したオービター575-01もろとも被弾することになる。壊滅は免れない。逆にハルから機体を撃てばフォボスが被弾することになる。何もしない場合も、突っ込んだ機体によってフォボスは壊滅する。唯一角度的に、カナメが操縦しているオービター575-03から打てば、ルドとディモルフォセカが乗っている機体のみを爆破することができる。
『さあ、選択しろよ。カナメ』
「ルド、どうしてだ? どうしてこんなことをする?」
『言っただろ? 大事なものを失う痛みを悲しみをおまえにも味わってもらうと。それに今殺しても今生かしても、もうこの女は長くは生きられんだろう? この森の民、ディモルフォセカ・オーランティアカは地下都市の情報を知り過ぎているようだ。フォボスに送られて苦役のような仕事をさせられて死ぬのと、事故で死ぬのと、どちらがマシだと思う? 一瞬で死ぬ方がむしろ幸せだと言うものじゃないか?』
「どんな生き方をするのか、それを決めるのはその子であって他者ではない。彼女は関係ないだろう? お願いだ、軌道を変えてくれルド。分解再生装置に対する憤りは分かった。苦情はいくらでも聞くし、奥さんの件はいくらでも協力する。どうして不完全な再生になるのか解明する事を約束しよう。だからその子を、ディモルフォセカを巻き込むのはやめてくれ」
説得している所に、フォボスからとハルから同時に緊急連絡が入った。どちら側でもバックに緊急警戒警報が鳴り響いているのが聞こえる。
『カナメ、聞こえるか? オービター575-01の軌道および速度が異常値を示している。このままではフォボスに突っ込んでしまう。パイロットが通信拒否をしていて連絡が取れないんだ。そちらからも注意喚起を願いたい』
ハルからの通信はイブキのようだ。
『オービター575-03応答せよっ。オービター575-01が異常航路を巡行中! フォボスに衝突の恐れがある。フォボスからの攻撃ではハルの地上を被弾させてしまう恐れありっ、オービター575-03からの撃墜を要請する!』
フォボスからの通信は、かなり頭に血が上っている様子のフォボスの市長ロザ・ルブリフォリアだった。
ハル側もフォボス側も先ほどからのルドとカナメの会話を既に受信済みなのだろう。撃墜はカナメがするしかないという空気がビンビンと伝わってくる。
「オービター575-01、こちらはオービター575-03。フォボスから撃墜命令が出された。ただちに進路を変えることを要請する。オービター575-01、ルド……お願いだ、軌道を変えてくれ」
『カナメ、最後に女の声を聞かせてやろうか?』
「……ルド、らしくないぞ」
『俺らしいって一体どんなだ? 俺はこれ以上俺らしくできないと思ってるんだがな』
ルドは小さく笑むと映像から消えた。変わって通信機から音声のみでディモルフォセカの声が聞こえた。
『カナメ……』
「ディム!」
『カナメ、お願い。アール・ダーを守って。お願い。お願いよ』
「ディモルフォセカ……僕は君を……君を助ける為にここまで来たんだ……」
『カナメ……お願い……』
ディモルフォセカのか細い声にかぶさるように、笑い含みのルドの低い声が聞こえる。
『仮におまえがアール・ダーを見捨ててもフォボスを見捨てても、いずれにしろこの女の命運は尽きている。悩むだけ無駄だってことなんだがな。それくらい分からないおまえじゃないだろう?』
「ルド! ルドっ、どうしちまったんだよ。無駄に前向きなアンタは何処に行ったんだよっ。森の民もファームの民も一般人も一緒に暮らせる社会を作るんじゃなかったのかよっ」
『カナメ悪いな。俺、もうそれ無理だわ。俺な、妻が殺された時に心の中に空洞ができちまったんだ。何をもってしてもそれを埋められなかった。そしていつしか、その空洞に闇が住みついた』
「……ルド?」
『バラバラ殺人事件あっただろう? あれ、もう起きないから……』
「……」
『やったの俺だから……』
「ルド……」
『こちらはフォボスだ。フォボスからの迎撃準備を開始する。オービター575-03が30秒以内に命令に従わない場合、ただちにオービター575-01を撃墜する』
『ふふっ、ハルはフォボスの撃墜を認めたらしいな。特別保護種だとか国宝だとか持ち上げられていても、森の民など所詮はそういう扱いさ。利用するだけ利用して、自分の身が危うくなればあっさり切り捨てる。俺はもうそんなやり方を続けられそうにない。だから、やめたんだ。これでもう俺は二度と再生されることもない。粉々に散らばって、いつか宇宙の塵となる惑星ハルとともに宇宙空間に漂うことになるんだろう。それこそが俺たちの望みだ。撃てよカナメ。どの選択肢を選んでもこの船は生き残れない。チェックメイトだ』
『カナメ……お願い。アール・ダーを守って。お願い。お願いよ』
フォボス底部のミサイル発射口が開口し始めた。発射までのカウントダウンが始まったらしい。
「ディム……ディモルフォセカ、すまない……君を救えない僕を……許して欲しい」
絞り出すような声で謝罪の言葉を紡いだ後、カナメは叩きつけるように通信機のスイッチを押した。
「フォボス、こちらはオービター575-03、オービター575-01を撃墜する。ただちにミサイル発射カウントダウンの停止を要請する」
再生されない命、かけがえのない命。それは滅ぶことから逃れらない惑星ハルにも似て……。
痛みに似た悲しみと哀しみが胸に押し寄せる。
自分はあまりにも無力で、たった一つの愛さえ守れない。
そう、自分は愛していたのだ。青い水を湛えたかつてのハルのように瑞々しい瞳をした彼女を、とてもとても愛していた。この期に及んでそんなことに気づくなんて、僕は大馬鹿だ。
「オービター575-01をロックオン。3, 2, 1……発射!」
発射された閃光は、真っ直ぐにオービター575-01に突き刺さり、白銀色の光で包んだ後、虚空の宇宙へ弾き飛ばした。
ディモルフォセカ……。
コックピットのダッシュボードに何度も頭を打ち付ける。
どうしてルドの異変に気づけなかった?
どうしてディモルフォセカを突き放すことばかり考えていたんだろう。
年齢の違いとか人種の違いとか、そんなとるに足らないことに拘り過ぎていた自分が腹立たしい。
彼女はたった一つの存在だったのに。ハルのどこを探しても、宇宙のどこを探しても、もう彼女は……いない。