第二十七話
足早に歩くコブの背中を追いながら、ディモルフォセカは既に後悔していた。
――やっぱり、勝手に部屋を出るべきじゃなかったかも……。
しかし歩き慣れない暗闇の地下都市は、あっという間にディモルフォセカから方向感覚を奪った。どこをどう曲がったのか、何度下りたのか何度上がったのか分からない。戻るに戻れない。しかたなくコブの背中を頼りに進む。
姉のアリッサムが分解されるところを見せられて混乱していたのは確かだ。
だけど自分、少し思慮に欠けていなかったか?
カナメはコンパートメントから出ることを決して許さなかった。身分証がないし、何かの拍子に森の民だとばれないとも限らない。そんな状態であることを知りながら、どうしてコブは自分を連れ出したのか。
コブは、カナメが何をしているのか知りたければついてこいとディモルフォセカに言った。
映像の中の老人は本当にカナメだったんだろうか?
人をも分解再生できる装置。
カナメは既にあれを使って再生しているのだとしたら? だとしたら、まさか、まさか、初等部の歴史の教科書に出てきた分解再生装置を開発したカナメ・P・グラブラは、カナメなんだろうか。カナメは親戚ではないと言った。本人なのだとしたら……。
そこまで思い至って呆然と立ち止まっていると、グイッと手首を引っ張られた。
「俺のコンパートメントはそこだ」
「コンパートメント? ねぇ、コブはファームの民なんだよね?」
ファームの民はエリアEに住んでいるはずだ。地底の森エリアE。そこで役に立つ植物を生み出すことが、森の民の仕事であり誇りなのだ。ここはエリアEではない。エリアEならば、地上ほどではないが光に満ち溢れているはずなのだ。学校でそう教わった。
薄闇の中、コブはコンパートメントのドアを開けた。
ルド・B・ラキニアータ。
ドアにはそう書かれている。ディモルフォセカは凍りついた。
地下都市ハデス市長であり、公安委員会の長であり、冷徹で、カナメが言うところのハルで一番性質の悪い人間、それがルド・B・ラキニアータだと知ったのはつい最近のことだ。
「あなたはコブじゃないの? 違うのね? あなたはハデス市長のルド・B・ラキニアータなの?」
引きずり込まれるようにコンパートメントの中に入れられたディモルフォセカは騒ぎ立てた。
「そうとも。俺はコブなんかじゃない。地下都市に隠れ住んでいる森の民を狩る番犬さ」
面白そうに笑うルドにディモルフォセカは言葉を失った。
「じゃあ、どうして……」
どうしてディモルフォセカが森の民だと分かった時点で拘束しなかったのか。どうしてカナメとの仲を取り持つような言動を再々とったのか。どうして今になってカナメの正体をばらすような行為に及んだのか。頭の中で疑問が次から次へと湧きあがる。
「ゆっくり説明してやりたいところだがな、残念ながらあまり時間が無い。そろそろ周りが騒ぎだすころだろうからな」
ルドは冷ややかな瞳でディモルフォセカを見下ろした。どこか不穏な雰囲気にディモルフォセカは息を呑んだ。
「周りが……騒ぎだす?」
ディモルフォセカの問いには答えずに、ルドはつかつかと奥の部屋へ向かうと、奥の闇に優しげな声で話しかけた。
「さぁ、準備が整ったぞ。出かけようか」
ルドの呼びかけに、部屋の奥で闇がぞろりと動く気配がした。
ルドは巨大なリュックを手に部屋の中に歩み寄ると、間もなく荷物でいっぱいになった状態のリュックをしょって出てきた。
「あの……市長?」
「ふん、今更市長なんて呼ぶのはやめてくれ。それに俺はもう市長ではないんだからな」
目を見開くディモルフォセカにルドは続けた。
「市長なんてさっさとやめちまえば良かったよ。そうしたら妻がこんな事にならずに済んだ。市民の為に身を粉にして働いて、見返りがこれだ。分解再生装置なんかに頼って生きるこの都市も、分解再生装置なんて殺戮マシンを作っちまう奴らも、それを使って生きている自分さえ、俺は反吐がでるくらい嫌いだ。だからもう何もかもやめた。俺の願いは唯一つ、妻と二人で静かに余生を過ごすこと、それだけだ。だから復讐を終えたらそうするつもりだったんだ」
話している内容とは対照的に、ルドの顔は晴れ晴れとしていた。
「復讐……」
「うどぉ……あめぇぇ、おおおあ、あんえいあいぃぃぃ」
リュックの中から這いずるような嗄れ声が響く。
危うく悲鳴を上げそうになってディモルフォセカは口を押えた。リュックの中で蠢くヌメヌメとした肌色の物体。その物体に埋もれるように付いているどんよりと曇った緑色の瞳と目があったからだ。
ディモルフォセカにはその声が何を言っているのかさっぱり分からなかったのだが、ルドは分かるらしく、背中のリュックを振り返りながら話しかけた。
「関係なくないさ。こいつには気の毒だが同行してもらう。カナメ・グラブラの大事な存在に仕立てたからな。あいつにも、大事なものを失う痛みを悲しみを、味わってもらう。分解再生装置なんて無ければ良かったんだ。あんなものが無ければ、このハル文明はもうとうに滅びていたさ。おまえだって、こんなに長い間苦しまなくて済んだ。あんなものに縋りついてまで生き延びて、その先に一体どんな未来があると言うんだ? 逃げることしか考えられなくて、みんな正気じゃなくなってるんだ」
ルドはそう言うと、ディモルフォセカの腕を掴んでにこやかにこう言った。
「遅かれ早かれ生きているものはいつか死ぬ。少しばかり早くなったとしても、それは惑星の一生からみれば一瞬にも満たない僅かな差だよ。そうは思わないか? そう思うよなぁ。」
逃げなくては。自分は利用されたんだ。カナメを苦しめる為だけの存在になるように仕立てられたんだ。ようやくそれに気づいて、頭では逃げようと思うのだが体が付いてこない。脚が硬直して小刻みに震える。あっけなく両手を縛られ拘束された。声を出せないように布で口も塞がれる。
「恨むならカナメの部屋に逃げ込んだ自分の運の悪さを恨むといい。あぁ、そうだ。それでもおまえは運がいい方だってことを教えておいてやろうか? 妻をこんな目に合わせたやつらにも復讐をしたんだけどな、そいつらの配偶者や恋人は殺してバラバラにしてやった。だが、おまえにはそんな事をするつもりはないから安心しろ。ただし、大人しく俺の言うことを聞かないならその保証もない。人間諦めることも大事なんだと学ぶといい」
ディモルフォセカはガタガタ震えながらルドを見上げた。怖くて後から後から涙が零れ落ちる。
――どうしよう、カナメ……。カナメは諦めるなって言ってくれたのに。私を助けてくれようとしていたのに……。ごめんなさい。ごめんなさい。もう私なんか忘れて。忘れてくれたら……それでいい。
◆◇◆
イブキに相談する為にコンパートメントを出たカナメは、自分とは逆方向に急ぐ公安隊とすれちがった。慌てて、その後を追って最後尾の隊員に問いただす。
「おい、何があった?」
カナメの呼びかけに、隊員は立ち止まって敬礼した。
「グラブラ最高技官! 例のバラバラ殺人鬼が再び現れました。場所はB23地区の5番です。通報がありましたので、現場に向かっているところです」
隊員は手短に説明すると、再び敬礼をして隊に追いつくべく走り去った。
B23地区の5番は、カナメのコンパートメントから数軒隔てたすぐ近くだ。カナメは慌てて今来た道を引き返すと、自分のコンパートメントに駆け戻った。
「ディム! ディモルフォセカ!」
しかし返答はない。ふと気配に気づいて寝室に歩み寄ると、ヴィジシアターがつきっぱなしになっている。ヴィジシアターには、再生治療を受ける前の老いた自分の姿と再生されたばかりの森の民の少女が映し出されている。どこかしら見覚えのある少女の面ざしに、カナメは息を呑んだ。
これは……この少女は……アリッサムだ。
それは、つい先日見たばかりのディモルフォセカの記憶の中に出てきた姉、アリッサム・オーランティアカの再生実験の記録映像だった。