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光の砂漠 闇の迷宮  作者: 立花招夏
第一章 闇の迷宮
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第二十五話 *

 どうしてもっと早く彼女の記憶を精査しておかなかったのか。嫌われようが泣かれようが、強行すべきだったのだ。消された記憶を再び消すことは、初回に比べると遥かに難しい。否、ほぼ不可能だ。しかも年齢の壁もある。

 カナメは頭を抱え込む。


 彼女の記憶を一目見た時に感じた違和感。答えの分かった今となっては、それは、あまりにも当たり前のことのように感じられた。


 あんなに大柄な家族の中にあって、ディモルフォセカはあまりにも華奢過ぎるのだ。髪の色こそ同じ栗色だったが、それ以外、彼女は他の家族の誰とも似ていなかった。そのことに気づいていれば、すぐにでも記憶採取を中断していたはずだった。


「そうか……ディモルフォセカは地下都市生まれの森の民だったのか……」

 イブキが難しい顔をして呟く。


 地下都市で生まれた森の民は、記憶を修正してアール・ダー村に送られる。しかし、記憶を修正できるのは幼い子供だけだ。だからこそハル政府は、――森の民の力は感染する。そんな確証のない噂を流してまで幼いうちに発症したものを確保しようとしている訳なのだ。だから、森の民の力が感染するという噂は、実は、その噂を恐れた者が通報することを見込んでの情報操作に過ぎない。


 では記憶を修正できない歳になってから発症したものはどうなるのかと言えば、その者たちの一部は研究対象として地下都市で暮らすが、大半はフォボスに移送されて、そこで働くこととなる。森林として成熟していないフォボスのエリアEの植物たちは、力を大量に消費する。アール・ダー村で暮らすような訳にはいかない。


「何とかして、もう一度記憶を消すことはできないかな……目覚めてすぐに思い出した記憶を忘れるように暗示をかけておいたんだけど……」

 頭を抱え込んだままカナメは呻く。


「難しいわね。年齢的にもアウトだし、更に、一度失って再度戻った記憶を消すことはとても難しいの。仮に暗示にかかって一時的に記憶を封印できていたとしても、入村時の記憶チェッカーを通過できないと思う。通過できるほどの処置をすれば、精神を壊しかねない」

 フェリシアも呻く。


 ディモルフォセカの母親も、かつての自分と同じように悲痛な思いで彼女を手放したに違いなく、それを思うと、まるでディモルフォセカが自分の娘のようにさえ思えてきて胸が痛む。


 フォボスになど行かせたくない。


「……フォボスなんかに行かせない」

 まるでフェリシアの心の声に応えるかのように、カナメが呟いた。


 とりあえず、アール・ダーまでの同行を頼んだフェリシアの友人には帰村の延期を伝えてもらっておかなければならないだろう。カナメはめまぐるしく考える。


「私の友人には、実験が長引いていて、アール・ダーに帰る日を延期したと伝えるわ」

 フェリシアはそう言ってくれたが、ガイアエクスプレスに乗せる為に、既に彼女の身元を晒したのだ。森の民の彼女が地下都市に居ることは、既に外部の人間に知られている。そう長くは、ここに置いておくこともできない。事態は悪くなる一方だ。


 イブキとフェリシアが引き揚げた後、リビングの椅子に一人座りこんで、カナメは頭を掻きむしる。

 どうする……どうしたらいい?


 ふと、脳裏にアイリスの笑顔が浮かんだ。


『カナメ、ポモナの種を公園に植えましょうよ。きっと毎年たくさん実がなるわ』

 そう言ってジタンみたいに笑った少女はもういない。蘇らせる術も、彼女が切望した世界も実現できぬまま、気が遠くなるほどの年月が過ぎて……。


 ポモナの木はまだアール・ダー村の公園にあるのだろうか、毎年実をたくさんつけているだろうか。懐かしさで胸が痛くなる。


 自分はまたしても、大切な人を救えないのかもしれない。


 カナメは、強い催眠を掛けられて眠っているディモルフォセカの髪を、途方にくれたままそっと撫で続けた。



◇◆◇



 部屋の中には鉄錆くさい臭いが充満していた。床に流れ出した夥しい血を気にすることもなく、男は淡々と作業を進める。


 あの日、妻は一人で居住区を出た。地下都市の更に下にある地下道へ向かう為だった。我々が住んでいる居住区は高度警ら地区の中にあって、セキュリティが非常に高い。だから用事で居住区を出ると妻が言いだしたその日、俺はくれぐれも気を付けるようにと繰り返した。


 荒廃した惑星ハルの地下には、荒廃した闇が巣食っているからだ。


 我々には秘密があった。誰にも知られてはいけない秘密だった。だからこそ、妻は一人っきりで、人目を避けて出かけたのだった。


 複数の人間に暴行されて……いや、遠回しな表現はやめよう。凌辱されて絞殺された妻は、その夜、冷たい骸となって俺の元に帰ってきた。


 死ぬ直前の記憶を可能な限り採取して後、俺は職権を最大限利用して、速攻で再生治療を施した。しかし、妻が元の姿を取り戻すことは二度となかった。不完全に再生された体は、まるで軟体動物にでもなったかのように、その形状を維持できなくなっしまったのだ。


 医者は言う、こんな症状は前例がない。非常に珍しい現象だ。十万人に一人あるかないかでしょう。

 ――だからなんだ? 非常に珍しいからなんだと言うのか……。

 俺はわめき散らした。


 再生を繰り返し長い歳月を生きていた俺と違って、彼女はとても若かった。初めての再生だったのだ。歳の差を越えて、彼女は俺をとても愛してくれた。彼女のほほ笑みは、激務に明け暮れる俺の癒しだった。彼女さえいれば、大抵のことは笑って済ますことができた。彼女の幸せが俺の幸せだったのだ。


 彼女との間には、冷凍保存してあった精子を使って生まれた息子がいた。まったく問題が無かった訳ではないが、親子三人で幸せに暮らしていたのだ。


 そもそも俺は、エクソダスにそれほど期待していなかった。もし親子三人、揃ってエクソダスができないのならば、一緒にハルに残ってもよいと思っていた。


 我々はこの惑星ほしで生まれたのだ。ハルを捨ててどこに行くと言うのか。俺は、親子三人で穏やかに母惑星最期の日を迎えられるならば、むしろその方が良いとさえ思っていた。


 俺はけっして多くを望まなかった。ところが、周囲の者たちは、俺のことをそんな風に見てはくれなかったらしい。それを妻の最期の記憶を見て初めて知った。暴行に加わった者たちの顔の数名には見覚えがあり、その者たちは、異口同音に俺を口汚く罵っていた。


 非難するならすれば良い。しかし何故それを弱い存在である妻にぶつける?


 その者たちが妻に吐きかけた暴言が、妻に施した凄惨な暴行が、俺を呼ぶ妻の悲鳴が、俺の心に闇を巣食わせた。


 俺は凌辱などという悪趣味な真似はしない。比較的安らかに死ねるように素早くくびり殺した後、しかしバラバラに切り刻むのは、あいつらに対する罰だと信じている。凄惨な死体となった妻を見て、トラウマにでも何でもなって、二度と再生する気にならなければ良い。自分の大事なものが助けを呼ぶ悲壮な声を、愛するものを失う悲しみを、その薄汚い脳みそに刻みつけられればそれで良かった。


 そもそも、生命をも分解再生する装置とは一体何だ? そんなものがあるから、人は命を軽んじるようになるのだ。物を大事に思わなくなるのだ。往生際が悪くなり、美しく滅びようとする意志が鈍るのだ。母なる惑星が滅びるのならば、そこで発生した文明もまた、ともに滅びるべきなのだ。


 俺は犯行にかかわったやつら、分解再生装置などという忌まわしい機械を作ったやつら、ハルを見捨てて逃げ出そうとしているやつら、それらすべてを絶対に許さない。


 男は切断した体の部位をそれぞれの部屋に置くと、血糊がべったりとついた皮手袋や切断用に使った刃物や汚れた衣類を、すべてダストシュートに放り込んだ。


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